主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されていることなど、映画人としてのW.ヴェンダースの作品制作上の「趣味」が、本作にはしっかりと反映されている。また、W.ヴェンダースの「強み」である、街の中をロードムービー的に歩き回る「ドキュメンタリー性」は、既に彼の1985年作のドキュメンタリー作品であり、巨匠小津安二郎へのオマージュでもある『東京画』で、東京都内を使って、実験済みであるところから、その時の「実験」は、今回でも、平山の車での移動の場面でも手堅く活かされている。
W.ヴェンダースが、ストーリー展開において一本筋を通してストーリーをしっかり最後まで語ることに得意ではない点は、今回、日本語が出来ないW.ヴェンダースを助けて、共同脚本家として日本人の高崎卓馬が関わったことにより、よくその欠点が補われており、高崎との共作は、本作において、極めて幸運に働いたと言えよう。
演歌歌手の石川さゆりが、イギリスのバンドThe Animalsがフォーク・ロック調で歌って1964年にヒットさせた『The House of the Rising Sun』を日本語訳で、しかも、自称演歌好きのシンガーソングライターの、あがた森魚(1972年のヒット曲は『赤色エレジー』)のギター伴奏で、歌ったという「楽屋内のオチ」は、日本人でなければ分からないものであるはずで、この点においても、W.ヴェンダースへの高崎卓馬の協力は成功していると言える。
因みに、この歌の日本語訳は、ジャズ・ブルース歌手浅川マキが翻案したもので、本作の上映により、彼女の存在に日本人が再び注目することになれば、これまた、よいことである。元々は、北アメリカ民謡である『The House of the Rising Sun』は、歌詞には色々なヴァージョンがあり、The Animalsのヴァージョンでは、飲んだくれの賭博師とお針子を両親に持つ、ある男が結局、自分も犯罪者となってニューオリンズに戻ってくる運命を歌っているのに対して、浅川マキは、The House of the Rising Sunを、「朝日楼」という女郎屋にし、男に捨てられた、ある女が、落ちぶれて売春婦となり、ニューオリンズに流れてきた悲しい運命を歌ったものであった。この「ブルース」を、演歌歌手の石川さゆりに歌わせるいう、「ブルース・ミーツ・演歌」の思い付きは、筆者には、中々悪くない試みと言える。
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