「Shane!! カムバック!!」と、少年ジョーイは、馬に跨ってワイオミングの山へ去って行く早撃ちガンマンに必死に呼び掛けた。撃ち合いで脇腹を撃たれながらも最後の敵を片付けたシェーンには、「人を殺してしまえば、もう元には戻れない」と分かっていた。彼は、脇腹の傷が致命傷でなければ、自分にはさすらいの運命しかないのであると覚悟していたのである。
ワイオミング州の、ある開拓地に流れてきたシェーンは、急ぐ旅をしている訳でもなく、偶然なことで開拓農民のStarrettスターレット家に世話を受けることになる。言わば、一宿一飯の恩義を受けたのである。スターレット家の息子ジョーイとは、シェーンはすぐに仲がよくなり、日を過ごす内に、彼は、一家の主人ジョーとも親しくなる。そして、ジョーの妻のマリアンもシェーンも、口には出さないが、お互いに淡い好意を抱くようになっていたのである。しかし、この地には大牧畜業者たるRykerライカー一家がおり、開拓民達を不法占拠者として、この地から追い出しにかかっていた。ライカー一家と、ジョーを中心とする開拓民の争いは次第に激しさを増し、遂に、ライカー一家は、殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)を雇って、開拓民を強引に追い出しにかかる。事情が事情でガンマンたることを隠していたシェーンは、ジョー達のために、死地に赴き、ウィルソンとライカー一家を、その早業で撃ち殺した次第であった。
以上が、1953年制作の、「股旅もの」ウェスタンの傑作『シェーンShane』を簡単にまとめたものであるが、何故、これをここに挙げたかと言うと、このストーリーの構造は、本作のストーリーのそれと、基本的には、軌を一にするからである。
本作でShaneに当たるのが、Mixed Martial Artsの元選手で、脛にリング状での疵がある身であることから、ストーリー上の現時点では、しがない居酒屋のドアマンをしているElwood(Jake Gyllenhaalジェイク・ジレンホール)である。彼は、雇われではあるが、流れ者として、Florida Keysフロリダ・キーズにやって来ていた。フロリダ・キーズとは、フロリダ半島南端部の沖に、北東から南西方向に約290kmの長さで延びている列島のことで、映画にも登場するようにここをハイウエーとバス路線が走っている。Elwoodは、このハイウエー沿いにあるバー「Road House」の、女性の持ち主フランキーに雇われたのであった。
映画『シェーン』でのスターレット家は、本作では、残念ながら、はっきりとこれに該当するものが出てこないのであるが、有色人種のタフなフランキーを中心とした、バーに雇われている連中や、バーの近くにある本屋の、同じく有色人種の男性主人スティーヴェンとその娘チャーリーが、流れ者Elwoodと関わる。このチャーリーがElwoodと親交を結んでおり、彼女がスターレット家のジョーイに当たり、その父親ジョーに当たるのが、チャーリーの父親のスティーヴェンと言えないことはない。本作のラストシーンでは、長距離バスに乗って立ち去っていくElwoodを呼び止めようとするのが、このスティーヴェンなのであり、このシーンで筆者は、「おお、これはShaneだ!」という連想を得たのである。
とすると、スターレット家のジョーの妻マリアンは、本作では、悪徳シェリフ・ブラックの娘Ellieということに出来ないか。積極的なEllieに誘われて、控え目なElwoodもまんざらな気分ではないようではあったが、結局は、彼が去ることで、二人の関係は淡いものに終わったと言え、正に、これは、マリアンとシェーンの関係であろう。実は、本作は、1989年制作の同名作品のリメイク版であるが、元祖『ロード・ハウス』は、要するには、主人公ジェームズ・ダルトン(パトリック・スウェイジ)と女医エリザベスとの熱い恋愛をテーマとした映画である。
そして、シェーンの敵役の大牧畜業者ライカー一家に当たるのが、本作では、ブラント一家であり、彼等は、「ロード・ハウス」のフランキーに嫌がらせを働いて、追い出しに掛かっていたのである。追い出した後には、その地に大リゾート施設を建設する予定であった。(トランプ一家が、ガザのパレスティナ人を追い出して、そのガザの地に大リゾート地を建設しようとするのと同様のやり口である。) そして、この追い出し工作を早めるために、シェーンの対抗馬たる殺し屋ウィルソンならぬ、格闘家ノックス(コナー・マクレガー;地をそのまま演じているのか、印象的な映画出演)が差し向けられたのであった。
という訳で、本作とウェスタン『シェーン』のストーリーの構造上の類似点を述べてみたのであるが、オーソドックスな西部劇の要素は、さすらいのヒーローということであり、本作のテイストとは、その類似性が強いのである。とは言え、本作で最も特筆すべきは、主人公Elwoodの処世観であり、それを体現した俳優J.ジレンホールの演技力であろう。その過去の影を引きずって、シニカルな中に、何かメランコリー感を漂わせるElwoodの存在は、本作を単なる格闘家映画に終わらせない、人間的な魅力を醸し出していると言える。