2026年6月28日日曜日

グラディエーター(USA、2000年作)監督:リドリー・スコット

 古代ローマの陸軍の軍隊編成の最小単位は、decurioデクリオ(「十人隊長」)に率いられた軍団歩兵八人で構成される分隊である。この分隊が十個集まって、centuriaケントゥリア(「百人隊」)が編成される。この百人隊を統率するのが、centurioケントゥリオ(「百人隊長」)であり、彼等が、言わば、「陸軍小隊長」の役割を担っていたのである。但し、現代では、「小隊」は、50名程度の要員で構成されるので、現代の軍人階級としては、ケントゥリオは、少なくとも中尉級ということになる。

  このケントゥリア二個が合わせられると、manipulusマニプルス(「中隊」、現代の「中隊」も200名程度)と呼ばれた。古代ローマ王政から共和政までは、兵役義務を負う市民が自己負担で重装武装し、自前で対外戦争に従軍したのであり、この時期には、マニプルスが軍事作戦で重要な役割を演じた軍隊編成単位であった。

  しかし、対外戦争の負担が大きくなると、当然に土地所有者兼自営農民でもある中間層市民は、次第に経済的に疲弊することなる。こうした状況に対応して、古代ローマでは、軍制改革が行なわれて、市民兵は次第に傭兵となり、兵役に必要なものは兵隊に支給され、兵役に対価となる給与が彼等に支払われることになる。こうして、軍隊は、支払う金のある富裕層の「私兵」の様相を帯びることになり、この軍団歩兵の在り方の変化が古代ローマ共和政を帝政に移行させる軍事的・社会的背景となった。

  軍事組織的にも、マニプルスを三個合わせたkohorsコホルス(「大隊」)が編成単位としてはより重要になり、一個コホルスには、少なくとも六個ケントゥリアが存在することになる。但し、計算上は一個コホルス600名の計算となるが、帝政初期のアウグストゥスの時代には一個コホルス450名程度が実際であったと言う。

  このコホルスを十個集めると、legioレギオー(軍団)と呼ばれる軍事編成単位となる。つまり、一個コホルスには、三個マニプルスがあり、六個ケントゥリアがあるから、一個レギオーは、十個コルホス、三十個マニプルス、六十個ケントゥリアがあることになる。つまり、軍団兵員は、編成上、六千名いることになる。この数字を現代の陸軍の部隊編成に当てはめると、大体、一旅団規模ということになり、准将ないしは大佐の階級の将校がこれを指揮する関係になる。

  六十個ケントゥリアがあると言うことは、六十人のケントゥリオがいることになり、この六十人の内、精鋭部隊である第一コホルスの最先任ケントゥリオが、primus pilusプリムス・ピルス(一番槍百人隊長)という名称を得て、第一コホルスを統率し、また、軍団長の参謀ともなったのである。また、一個レギオーには、軍団歩兵のみではなく、約200から300騎のequitesエクィテス(「騎兵」、equesが単数形)と呼ばれる騎兵が配備された。騎兵は装備に金が掛かるので、この部署には富裕層が就くことになる。

  古代ローマの「将校」は、共和政期では、元老院議員の中から民会の選挙によって選ばれて、公職を務める者であったが、下級将校であるケントゥリオ(百人隊長)は、部隊内の選挙によって選ばれた。ローマ軍の最高指揮官は、王政であれば、王であったが、共和政であれば、元老院によって選出されるconsulコンスル(「執政官」)であった。しかし、コンスルは、任期が一年でもあり、軍事面での連続性を考慮して、このコンスルを補佐する「参謀職」が設置される。それが、trinubus militumトリヌーブス・ミリートゥム(「軍事上の部族長」)であった。彼等は、実際には、戦闘には参加しなかったようであるが、元老院議員クラスから一レギオー当たり六名が選出された。尚、trinubus pelbisという官職もあり、こちらは、平民会から選出されて、平民の利益代表者として、平民の立場を守ったことから、「護民官」という日本語訳が付いている。 

 更に時代が下がると、このtrinubus militumの上位に、legatus legionisレーガートゥス・レギオーニス(「Legio軍団の委任者」)が置かれる。古代ローマが共和政末期になると、レギオー軍団が属州に置かれるようになり、属州で行政を取り仕切るのがproconsulプロコンスル(「属州総督」)であったのに対して、軍事面では、総督から「委任」されたレーガートゥスが軍団を統率したことから、そのように呼ばれるようになった訳である。本作の主人公が、奴隷の身分に落とされる前に保持していた肩書は、本作の英語版では、「general」とされているが、歴史考証から言って、この「総督代理」、「最高軍司令官代理」、「軍団長」とも訳せるレーガートゥスが、古代ローマ時代では正しい呼称ではなかったかと思われる。 

 尚、レギオー軍団が属州配置となる措置を施したのは、帝政初期のアウグストゥスであり、これに伴なって、ローマ皇帝近衛隊のような、皇帝直属の、イタリア本土を管轄する唯一の軍組織が創設される。それが、praetorianiプラエトーリアーニーで、本作では、主人公の僚友として従軍中、新帝Commodusコモドゥスに従って主人公Maximusマクシムスを捕らえたことから、その功績の報償として、近衛隊長となるQuintusクィントゥスに率いられる部隊として登場する。praetorianiプラエトーリアーニーは、「親衛隊」とも訳され、元々は、戦地で軍司令官を護衛するために軍団の中から臨時で選ばれた職務であった。その後、帝政の成立に伴ない、皇帝直属の常設の近衛部隊にこれが成長し、帝政期が進むと、逆に、近衛部隊長が次期の皇帝擁立の鍵を握る存在となっていった。「親衛隊」と言えば、ナチス政権を思い出させ、SSの制服が黒色であったことから、本作に登場するpraetorianiプラエトーリアーニーも黒づくめの出で立ちである。 

 さて、主人公Maximusマクシムスには、そのモデルとなった古代ローマ史からの人物が何人かいると言われている。「剣闘士」ということであれば、当然誰にでも「Spartacusスパルタクス」の人物像が思い浮かべられようが、同じく「格闘家」として皇帝コモドゥスに仕えていたNarcissusナルキッススという人物が史実では重要な役割を演じる。

  皇帝コモドゥスは、父帝でもあり、また、ストア派哲人君主とも言われたMarcus Aureliusマルクス・アウレリウス帝とは異なり、どういう訳か、剣闘士としてコロッセウムの舞台に上がりたがった奇行があったと言う。ナルキッススは、このコモドゥス帝の個人トレーナーとして仕えていたのである。 

 父帝マルクス・アウレリウスが紀元後180年に陣中で、本作のストーリーとは異なり、病死すると、その実子のコモドゥスが即同年に単独の帝位に就く。と言うのは、五賢帝時代の、血縁関係にある養子による帝位継承の慣習とは異なり、実子のコモドゥスが帝位を継ぐのは数年前から明らかになっており、彼は、父帝と共に、177年からローマ帝国を共同統治していたのである。彼の統治の下、ローマ帝国はその黄金期の最後の時期を迎える。実際、コモドゥス帝は、180年代には、ドーナウ川沿いでのゲルマン諸民族との闘争やブリタニアでの軍事的混乱を外交手腕で押え、元老院からは、「Germanicus Maximus」や「Britannicus」の称号を得ているのである。 

 しかし、内政面では、既に182年に姉の一人であるLucillaルキッラが絡む暗殺未遂事件がコモドゥスを疑心暗鬼とし、父帝時代からの賢臣を疎んじ、奸臣を重用したりして、元老院との対立を深め、また、190年のローマでの穀物危機に対する皇帝の対応がまずかったりしてして、次第に専制化が進むことになって、コモドゥス帝は192年にローマで暗殺される。

  それは、192年の大晦日であった。疑心暗鬼からコモドゥス帝は、危険人物の抹殺を計画するリストを作成させていたが、そのリストには、愛妾のMarciaマルキアの名も挙がっており、偶然にそれを見た彼女が、リストに載っている元老議員達や近衛隊長のQuintusなどを集めて、コモドゥス帝の暗殺、廃位を策謀する。 

 マルキアは、この日、コモドゥス帝のワインの杯に毒を盛るのであるが、日頃から「ヘラクレスの化身」として鍛えているコモドゥスには盛られた毒が中々効かない。そこで、陰謀者達は、格闘家ナルキッススを抱き込み、彼に、コモドゥス帝を浴室乃至は寝室で絞殺させたのであった。それは、コモドゥス帝、享年31歳のことであった。こうして、ローマ帝国は、国内政争の激化と帝国分裂への危機の段階に入り込むことになるのである。

  実は、本作は、アンソニー・マン監督の『ローマ帝国の滅亡』(1964年作)を翻案し直した作品とも見られる。この作品でも、マルクス・アウレリウス帝(アレック・ギネス)は暗殺され、暗愚なコモドゥス(クリストファー・プラマー)が、父帝の遺志に反して、帝位に就く。実は、ガイウス・リヴィウス(スティーヴン・ボイド)という、コモドゥスとも親友関係にもある有能な軍団指揮官を先帝が帝位後継者と望んでいたのであった。一方、先帝の娘ルキッラ(ソフィア・ロレーン)は、リヴィウスを愛しているのにも関わらず、政略結婚で、アルメニア王(オマル・シャリーフ)と結婚させられていた。ある時、ローマ帝国軍が東方属領の叛乱を受けてペルシア軍と戦うこととなり、アルメニア王は、結局ペルシア側に付く。これに対して、コモドゥス帝は、今や軍最高指揮官となっていたリヴィウスを鎮圧に派遣し、リヴィウスは見事に戦勝する。実は、ローマ本国からの重税に喘ぐ東方属領の叛乱の背後にはルキッラがおり、愛するリヴィウスに叛乱者側に立つことを願っていたのであった。そのこともあったのか、戦勝したリヴィウスは、コモドゥス帝によりローマ帝国を共同統治してくれるように頼まれるのであるが、彼はこれを拒んで、軍から離れて単身でローマに帰還する。ゲルマン人に対する残虐な仕打ちと、その際に先帝の側近であった哲人ティモニデス(ジェームズ・メイソン)が惨殺されたことに対する怒りから、ルキッラは、暴君たる弟を暗殺しようとする。しかし、ルキッラもリヴィウスも捕らえられて、ゲルマン人と共に焚刑に処せられようとしていたところを、コモドゥス帝はリヴィウスに一騎打ちを望み、結局は、彼はリヴィウスに斃される。ストーリーは、愛し合うリヴィウスとルキッラが、政治的腐敗に汚れたローマを去る場面で終わるのであった。 

 こうして、この前作を本作と比較すると、本作におけるストーリーの重点の置き方の違いがよく分かり、興味深い。前作の恋愛映画的展開は、本作においては後退し、本作では、マクシムスの人間的高潔さが前面に押し出されている。また、前作での単なる悪玉としてのコモドゥス帝の描き方が、本作では、コモドゥス帝の内面性をよく深く掘り下げており、人間劇として、本作を見応えのあるものとしている。その意味で、そのようなコモドゥス帝を体現した役者Joaquin Phoenixホアキン・フェニックスの力量を筆者は高く評価したい。

2026年6月4日木曜日

他人の顔(日本、1966年作)監督:勅使河原 宏

 本作と同名の原作の作者は、安部公房であり、本作の脚本を担当しているのも原作者本人自身である。と言うことは、脚本の内容に原作者も同意しているということであり、本作が発するメッセージに原作者も異論がないという理解でOKであるということになる。

 筆者は、原作を読んでいないので、断定的なことはここでは言えないが、他の批評を読んだ限り、次のことが言える。まず第一点は、原作においては、仮面を製作するのは本人自身であることである。第二点は、サイドストーリーと言える「ケロイドの女」は、原作にも登場する人物であるという点である。

 「ケロイドの女」については、原作を知らない筆者は、特別に映画用に創意された人物と想像していたのであるが、映画内の彼女は長崎に住んでいたようでもあり、これをケロイドと結び付ければ、女は幼少の時に長崎で核爆弾に被曝して、右顔の半面にケロイドを持つようになったと言えるであろう。つまり、『他人の顔』は、単に、自己同一性という、個人レベルの問題を扱っているのではなく、ケロイドを顔に持つことの歴史性、つまり、戦争との関わりをも問題にしている点で、つまり、テーマを、単なる個人の問題から社会の問題へと地平を広げている点で、本作を筆者は評価したい。

 ケロイド、核爆弾、戦争とつなげてみると、映画内で語られる「ケロイドの女」の戦争への恐怖もまたよく理解でき、ケロイドのせいで、戦後約20年が経った日本で未だに肩身の狭い思いをしなければならない彼女の苦悩もまた想像できるのである。顔の左側だけを見れば「綺麗すぎる」ほどの「美女」であり、顔の右側を見ると、「化け物」になるという彼女には、「非健常者」に対する差別が強い日本社会では、余計に風当りが強かったのではないか。

 しかも、彼女の父親か親戚は、戦闘中の後遺症で精神病を病むようになった元日本兵の一人であるようであり、故に、彼女はある精神病棟に赴く。そこでは、戦時中の心の傷を背負っている「傷痍軍人」が、戦後になっても未だに戦闘を闘っているのであった。このシークエンスの背景音では、二度、ヒトラーと思しき男がドイツ語で激しく演説している声が聞こえる。ナチス・ドイツ、日独伊三国同盟、第二次世界大戦とイメージがつながる。実際、戦闘帽を被り、白い衣服を着て、松葉杖を手にしてひっそりと立っている傷痍軍人が、1960年代の半ばまでは日本の街中でも見受けられたものである。

 本作が発表された1966年という年は、60年安保の政治闘争が終わって六年が経ち、沖縄の日本への返還が未だなされない中、沖縄に基地を持つUSAが次第にヴェトナム戦争の泥沼にのめり込んでいく時期に当たる。日本が高度経済成長に酔い痴れている中、アジアの一角では同じアジア人が戦争で血を流していた。この意味で、「ケロイドの女」の、一見、理由なき戦争への不安は、それなりの根拠があったと言えるのではないか。

 それでは、原作との関わりで気になるもう一点である。原作では仮面作りの製作者が本人自身である。と言うことは、映画での、仮面を巡る、主人公と精神科医との間の対話は、原作では、実は、自己との饒舌なモノローグということになる。映画化において、主人公の中にある「もう一人」を外在化させたことは、映像化という点で、それを可視化させた訳であり、確かにその点で、この「策」は当たっているのではあるが、その分、モノローグの内省性・内密性が減り、ストーリーの緊張度が低くなったのはマイナス点であろう。これは、小説と映画という媒体の違いが生み出した長所・短所の出方の違いと言うべきであろうか。

 ただ、「顔」というものにこれだけ重きを置くことの問題の浅薄さは拭えない。映画の冒頭の方でも言われる点でもあるが、「顔」は、たかだか200㎠の表面に張った「饅頭の皮」である。映画の冒頭でも見せられるように、顔をX線撮影にしてしまえば、そこにはただ骨格だけしか見えない。「饅頭の皮」という皮膚を張った顔は、確かに、ヒトの個体差を見分ける最も有効な標識ではあるが、しかし、であるからと言って、それが、その個体の自己同一性に決定的な要因として働くかと言えば、そうではないであろう。(とは言え、映画の終盤で、駅から溢れ出る通行人が全員、同じようなのっぺらぼうの顔をしていることの「恐怖」もまた否定できないのではあるが...)

 顔がヒトに与えられた生得の「装い」であるとすれば、それは、機能としては「服」と同じなのであり、「服」であれば、それにファッション性を求めてもよい。つまり、「顔」におけるファッション性とは、「化粧」なのであり、そうであれば、それは、本質的には「仮面」と同じ性質のものである。生得の「顔」に仮面を被せることで、自分の「顔」を異なるものとして他者に見せる。しかし、服や化粧に個性を与えるのは、それを着る個人、化粧をする個人が内面に持っている個性なのではないか。個性が先にあって、その後に、「服」や「化粧」があるはずである。故に、新しい仮面を被るようになったことでその人物に変化が起こったのは、その人物に何も新しい個性ができた訳ではなく、本来の「顔」の下で固定化されていた社会的行動様式が、新しい仮面を身に付けたことで、解放されたと見るべきである。つまり、本作の最終場面での主人公の殺傷行為は、自身の解放のための、自由への「暴挙」であったと言うべきであろう。

2026年5月2日土曜日

リバティ・バランスを射った男(USA、1962年作)監督:ジョン・フォード

 西部劇の「古典」をストーリー的に捉えると、北アメリカ大陸の西部を舞台として、ピストルの威力にものを言わせて、無法者や北米「インディアン」と闘って、正義と秩序を維持する構図と言えるであろうか。これを古典的西部劇と名付けるとすると、北米先住民の観点に立って、ストーリーを語ろうとした場合、それは、非古典的西部劇、更に言えば、「アンチ・ウェスタン」とまで言えるであろうか。この「アンチ・ウェスタン」の最も古い例は、ウィキペディアによると、1950年制作の『折れた矢』(デルマー・デイヴィス監督)であると言う。あるアパッチ族の子供を助けたことにより、アパッチ族と親交を結ぶようになり、その中で、アパッチ族の娘と恋仲になった白人が、白人と先住民との架け橋になろうと決心する。この白人の名をTomといい、これを演じたのが、ジェームズ・ステュアートであった。

 この『折れた矢』から二年後に上映された『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演)について、この映画を、ジョン・ウェインは、「俺の人生のうちで、最も非アメリカ的なやつ」であると評価している。強いはずの保安官が手助けを頼んで町中を歩き回り、結局、最後は、自分の妻に助けてもらって、命拾いする「英雄」はあり得ないということであろうか。

 そのジョン・ウェインが本作で演じるTomは、小牧場主で、拳銃の腕は立ち、男気のある、典型的な西部劇ヒーローである。恋路に晩熟(おくて)で、意中の人Hallieハリー(ヴェラ・マイルズ)には、好きのすの字も言えない。それでも、スィート・ホーム・スィートで、勝手に思い込んで、自分の家の間取りを結婚後のために広めているという、そんな男である。その男が、西部のガンマン同士の慣習的掟を破る。ここに、ジャンル「西部劇」の父たるジョン・フォード監督が、1960年代前半に本作を撮ることにした「ひねり」があるのであろう。

 これに対するジェームズ・ステュアートは、東部出身の弁護士で、無法の西部に法の支配を及ぼそうと考えている理想主義の、場合によっては傲慢な熱血漢である。つまり、時代は、フロンティア時代後期であり、無法状態から法律による治安状態へと移行する、ガンファイターの挽歌の時期である。この点でも、本作は、明らかに古典的西部劇の範疇から外れることになり、同時に、本作は、準州が州として成立し、その州の上院議員Senatorをワシントン市に送るという時期を描く。この初代の上院議員が、J.ステュアート演じるRansom Stoddardである。

 それでは、本作はその時代の法治主義への転換がストーリーの要目であるかと言うと、そうではなく、西部には、伝説が必要なのであるという、映画終盤の言説であると筆者は言いたい。USA映画史の歴史的名台詞となった、作中のあるジャーナリストの次のような物言いが本作の核心的部分ではないか?:

“When the legend becomes fact, print the legend!” 
(「伝説が事実となる時、(それでも)伝説(の方)を活字とせよ!」)

 この台詞は、アメリカの商業主義的なジャーナリズムの一面を突いている名言であろう。これとの対照として、本作に登場する町の新聞屋Peabodyピーボディー(性格俳優Edmond O'Brienが好演)の存在も大きいと言える。悪漢リバティ・ヴァランス(リー・マーヴィン)に対抗する弁護士とジャーナリストの構図である。

 そして、この二人が町民選挙で、大牧場主達の思惑に反して、選ばれ、これが、J.ステュアート演じるStoddardの政治生命の始まりとなる。しかも、町民代表から、州知事、上院議員、更には、その気があれば、副大統領にでもなれるという、彼が政治生命の階梯を上がれたのも、彼が、悪玉リバティ・ヴァランスを撃ち殺したという「伝説」が大いに作用したからであった。上述の名言を吐いたジャーナリストも、このよい「伝説」を壊したくないために言った訳である。

 この名台詞を言い換えれば、しかし、「伝説は事実に勝る」ということにもなり、21世紀を生きる我々には、この言説が、USA政治のみならず、世界政治において如何に大手を振って歩いているか、痛いほど身に染みる言葉もないであろう。事実や真実を無視して、言い放った者がマウントを取って勝ちということであれば、現代は、ピストルを言葉に使い直した、無法者のフロンティア時代になっているとも言えなくはないのである。この意味で、この約六十年前の本白黒作品を、現代的視点で再鑑賞したいものである。

2026年5月1日金曜日

グッドライアー 偽りのゲーム(USA、2019年作)監督:ビル・コンドン

 かなり凶暴な古狸が資産家の未亡人の弱みにつけ込んで、その資産を根こそぎ、投資詐欺で奪い取る。よくある犯罪ケースである。故に、この古狸役にサー・イアン・マッケランを持ってきたことには異存がない。しかし、その相手役に、ヘレン・ミレンを持ってきたことは、両名優の「対決」という点では、それは確かに正解ではあろうが、純真無垢のおばあちゃんが騙されるプロセスで、その罠に嵌まっていく様子を見せるという点では、映画の始めからどんでん返しが予想できることから、その怖いもの見たさのスリル感が半減している。古狸対古女狐ということで、コメディー・タッチで、丁々発止の、どんでん返しに次ぐどんでん返しと言うのであれば、この顔合わせも分かるのであるが、古女狐がどうな罠を張って古狸を陥れようとしているのかが初めから予想される状況からは、本作の前半の展開が冗長過ぎる感じが否めなかったと思うのは、筆者のみではないであろう。

 映画後半の、二人がベルリンに行くという段階になると、ストーリーは、かなり陰惨となり、本作は、実は、復讐劇であったことが分かる次第である。時間軸は、2009年のロンドンから、1948年と1943年のベルリンとなり、再び、2009年に戻る展開となる。主役の二人が、実は、ドイツ人であったという展開であれば、もう少し、ドイツ人らいし俳優を持ってきてもよかったのではないかとも思われる。

 原作は、Nicholas Searleニコラス・サールが2015年に発表した同名の小説『The Good Liar』である。この小説の邦題が『老いたる詐欺師』で、かなり的を外した題名になっている分、映画の題名を「グッドライアー」としたことは、「グッド」を如何に訳すべきかで、邦題に違いが出てくるはずなので、そこを回避した、賢いと言えば賢いやり方であろうか。ただ、英語題名のカタカナ化ということであれば、やはり、定冠詞を付けて、『ザ・グッド・ライアー』としてもらいたいところで
はある。

2026年4月27日月曜日

西部戦線異状なし(USA、1930年作)監督:ルイス・マイルストーン


映画の最も頭に次のような英文が出てくる:

This story is neither an accusation nor a confession, and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it. It will try simply to tell of a generation of men who, even though they may have escaped its shells, were destroyed by the war...

原作の冒頭にはドイツ語で以下のように書かれてある:

„Dieses Buch soll weder eine Anklage noch ein Bekenntnis sein. Es soll nur den Versuch machen, über eine Generation zu berichten, die vom Kriege zerstört wurde – auch wenn sie seinen Granaten entkam.“

「この本は、(戦争に対する)訴求にも、信仰告白にもなるべきではない。本作は、戦争によって潰された、ある一世代のことを伝えようとする試みとなるべきである。たとえ、その世代(の一部)が榴弾から逃れたとしてでもある。」

(つまり、英語文では、「and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it」の部分が付け足してあり、これは、原文での戦争賛成の「信仰告白」の意味を分かりやすく説明しようとしたものと思われる。原作者のE.M.Remarqueレマルクは、原作の主人公パウルと同様に志願兵として、1917年六月にフランドル地方の西部戦線に投入される。彼の隊は、北西ドイツのヴェストファリア第十五歩兵予備連隊であった。戦況は既に予備連隊が投入される状況であり、レマルクは前線に配置されてから二ヶ月も経たない7月31日に、頸、右腕、左足に傷を負う重症戦傷者として、後方に送り返される。ルール地方の中心都市の一つデュイスブルクの軍病院で、終戦まで療養することになるが、この期間にレマルクは、同じ軍病院にいた戦友に様々な体験を聞き、それを書き留める。原作や本作におけるレアリスティックな戦場での描写は、もちろん、自らの体験もさることながら、軍病院に滞在中に彼が戦友から聞いた生々しい体験の数々から来ている。原作においては、それを読んだ限りでは、必ずしも筆者の反戦の態度は明らかではなく、それ自体は、戦争体験を価値判断せずに客観的に描写しようとしたものとも理解できるが、レマルクが日記を書き始めてからまもなくの18年8月24日に、彼は戦後のことに関して、「青年層の迫りくる軍隊化に対する、そして、その奇形的成長の如何なる形態が取られようともあらゆる軍国主義化に対する戦い」を求めると書き入れている。)

受賞歴:
1930年度USA第三回アカデミー賞:最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞する
1931年キネマ旬報外国映画最優秀作品賞を受賞する
その他

2026年4月22日水曜日

天使のたまご(日本、1985年作)監督:押井 守

少女と女の境界線はいったいどこにあるのだろうか
少女がひとりの少年に出会い
少女であることから解放される日
その日のために用意される
壮大で幻想的な物語
そして現代に蘇えるノアの箱舟伝説
SFハードメルヘン「天使のたまご」は
女の子のためのアニメーションです

―『天使のたまご』企画書・前文より(ウィキペディアからの再引用)

 この企画書を書いたのは、誰か?押井守ではない。そうではなくて、鈴木敏夫である。鈴木敏夫?スタジオジブリに関係のある、あの鈴木敏夫である。鈴木は、スタジオジブリの、カンパニー・プレジデント、事業本部本部長、代表取締役社長、代表取締役議長などを歴任していて、Ghibliジブリ・アニメの製作部門に長年関わり、プロデューサーとして辣腕を揮った人物である。

 その鈴木と押井とどんな関係があるかと言うと、鈴木は、元々は徳間書店の社員として、劇画雑誌の編集部員を経て、1978年にアニメ雑誌の『アニメージュ』の編集部員となり、81年に、彼の担当で、宮崎駿の初特集を組んだ人間であった。鈴木と宮崎の関係はこれ以降続き、鈴木は、『風の谷のナウシカ』の漫画化(82年連載開始)、劇場版アニメ映画化(84年三月初上映)を支える。1985年六月にスタジオジブリが創設され、89年に鈴木自身がスタジオジブリに移籍すると、本スタジオの殆んどの制作作品のプロデューサーを務めることになるが、85年から89年の時期には、本人はジブリ担当として依然として徳間書店に在籍しながら、まずはジブリに通ってそこで仕事を行い、夕方以降になってから徳間書店に行って別の仕事の打ち合わせを行う生活をしていたのであった。正に、この時期の1985年に鈴木は、宮崎の頼みもあって、押井のプロジェクトにも関わることになったが、それが本作であり、同時に彼が押井と組んだ初めての作品であった。85年12月15日に本作は、この時期、最も先鋭的なアニメの発表媒体たるOVAとして発売された。

 さて、押井は上に挙げた企画書に満足したかと言うと、そうではなく、逆に、自分に無断で鈴木が企画書を勝手に書き上げて、徳間書店の上層部に上げたことに激昂したと言う。押井も、もちろん自身の企画書を書いており、作品の題名を「水棲都市」としていた。既に、卵を抱えた少女、方舟というイメージを押井は抱いていたが、方舟というイメージから水、水に「棲む」都市という連想が押井の中で発展していたようである。鈴木は、この「水棲都市」という題名を独断で没にし、「天使のたまご」とする。ここで、天使のイメージを出してきたこと、それがモチーフとして完成作品にも生きながらえている点で、本作の成立に鈴木が大いに貢献していることが分かる。

 また、「SFハードメルヘン」という冠称も言い得て妙であろう。押井自身、プロジェクトの初期には軽めのファンタジーを想定したようであり、この点でも、鈴木は本作の傾向をキャチフレーズ的に言い当てている。しかも、少女が女へと「解放」(実は、強制なのであるが)されるという観点は、100%とまでとは言えないものの、本作に反映されており、必ずしも、本作が「女の子のためのアニメ―ション」ではないにしても、少女が「青年」と邂逅して、彼の精神的「暴力」によって、女となって排卵する展開は、鈴木が本作でのストーリー展開に大きな影響を与えたと言える。因みに、本作での「少女」は、見かけだけのものであり、もう何百年、何千年、否、何万年も生きてきた「女性的なもの」であり、「少女 = 女 = 老女」である。故に、髪は老婆とも思えるようなぼさぼさの髪の毛であり、同じ事は、「青年」にも言え、自分がどこから来てどこに行こうとしているのかも分からなくなった「老人」であるが故に、彼の髪の毛もまた白髪なのである。しかも、彼は、十字架にも似た武器を持っており、十字架を背負う者、つまり、イエスをイメージさせる存在としても考えることが出来る。

 しかし、「箱舟伝説」に関しては、さすがに一夜の付け焼刃で書き上げた企画書であるところなのか、「壮大で幻想的な物語」と「箱舟伝説」とを「そして」という接続詞で結び付けるだけであり、しかも、「箱舟伝説」を、現代に蘇ったものとしか捉えていない、未来への視点がない狭隘な見方で捉えている。正に、この点での押井の憤りは理解できるが、ウィキペディアによると、鈴木は、押井を激昂させる目的でこの企画書を書き上げたのであり、怒った押井がその勢いで徳間書店の幹部を本作制作に説得できるように、気合を掛けたのであったと言う。これが本当であるとすると、鈴木のプロデューサーとしての辣腕ぶりが相当なものであることが想像できる。徳間書店の幹部と押井を手玉に取ったその知略ぶりは実に驚くべきものである。

 こうして、押井は徳間書店の社長も入った重役会議で、原作なしの劇場版アニメを、劇場版アニメ映画作家として撮らせてもらいたい旨、そして、まずは表現があり、その後にストーリーがあることを力説し、その情熱にほだされた重役会も、制作のための資金を出すことに同意したのであった。

 このようにして発表された本・意欲作は、発表当時、しかし、売れなかったのである。それは、押井のアイドルであり、同時にライバルでもある宮崎駿が、自分の劇場版アニメの初監督作品たる『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年作)で、興行的には失敗したのと同じ運命であった。宮崎は、それ故に、アニメ映画作家としては、『風の谷のナウシカ』発表までの五年間、冷や飯を喰うことになるが、押井もまた本作『天使のたまご』が商業的に不発に終わったことで、同じく不遇の時期を迎えることになる。四年後の1989年に公開された劇場版アニメ『機動警察パトレイバーthe Movie』で、日本アニメ大賞を獲得するまでの三・四年間、宮崎と同様、押井もまた生産的な下積み生活を送ることになる。

 本作のキャラクターデザインを、否、それだけではなく、数百名に及ぶイメージボードの制作や色彩設定も含む「アート・ディレクション」を担当したのは、天野喜孝(よしたか)である。繊細で神経質な線描タッチで、ビアズリーをポップアート化したような、装飾的作品を描く天野は、SF関連の賞として名高い「星雲賞」において、1983年から86年まで四年続けてアート部門賞を受賞している。つまり、本作制作の85年に押井は一級のキャラクター・ディザイナーたる天野を自らの傍らに据えた訳である。本作用の原案創作で押井と共作した天野の図案を見て、押井も軽めのファンタジー作品制作の考えを払拭したと言う。

 作画監督は、名倉靖博(やすひろ)である。本作が発表される1985年の前年に、あるオリジナル・テレビアニメシリーズのキャラクター原案と作画監督を務める程になっていた名倉が、鈴木に誘われる形で本作に関わることとなり、押井の独断で作監に抜擢される。職人タイプのアニメーターらしく、天野がディザインした、本作の「少女」の髪の毛一本を丁寧に丁寧に描いていたと言う。ウィキペディアによると、名倉は、「後ろ姿が絵を描いている時も、おにぎりを食べている時も、机にかじりついて背中を伸ばしている。理想的な作監で」、「絵柄で魅せるタイプで、動きに責任をとるタイプの作監ではない」と、名倉のことを押井は評している。適材適所であったと言うべきであろう。

 美術監督は、小林七郎である。1968年に独立して、小林プロダクションを設立すると、翌年から、美術監督を務めるようになり、押井とは、1984年作の劇場版アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で共作している。恐らくはこの絡みで小林に話しが回ったのであろうが、フランスのバロック風の街をモティーフとした重厚で深みのある背景の制作には、ウィキペディアによると、小林は独自の制作方法を導入した。それは、「画用紙で描かれた克明な美術背景の上に、更に油性のサインペンでタッチ・色を描き込んだセル画を1枚重ねることで、建物の壁の荒々しさ等細かい部分を表現する」という方法であり、この方法を全ての背景で採用した。小林はまた、キャラクターの存在が入ることで、背景が二の次になることを嫌って、背景の立場から、色彩設定も併せてレイアウトにも関わったことで、背景美術の表現力がより高まることになったと言う。

 音楽担当は、菅野由弘(かんの・よしひろ)である。日本の伝統音楽にも関わるなど様々なジャンルの現代音楽を作曲する、非常に多作な作曲家である。押井とは、押井が演出した文部省選定・短編アニメ映画『りゅうの目のなみだ』(1981年作)で共作した関係からで、押井から菅野にオファーが行った。ウィキペディアによると、その時、押井は、「ボーカルとピアノを基本に、キリスト教音楽のイメージを取り入れる」、「水の音と音楽だけで作品を作りたい」というコンセプトを提示したと言う。また、最初に動画ありきで、それに劇伴の音楽を付けるという発想ではなく、動画と音楽との双方向の相互作用で制作していく作り方を採用した。尚、風をイメージした音色では、菅野がアイディアを出して、コーラス隊がある台詞をそれぞれ違った声色とスピードで話したものを録音・編集して、音響効果を出したと言う。

 菅野の静謐な音楽は、聴いている者に本作の精神性或いは宗教性さえ感じさせる、本作の内容に叶った音楽である。ラストシーンは、絶望なのか希望なのか、動画だけを観ていては両用にも解釈できるのであるが、随伴の音楽が何か陽性を感じさせるものであり、そのことから、ラストシーンは、希望の表象なのである、と理解できる、否、感じられるのである。そして、映画は、あの有名な鳥瞰構図に入っていき、永遠に呪われている方舟の運命が何であるのかを衝撃的に明かす。

2026年4月19日日曜日

ガンズ・アンド・キラーズ(USA、2023年作)監督:ブレット・ドノフー

 身内を殺された少女とマーシャル(連邦保安官)という関係であれば、すぐに、ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』(1969年作)や、この作品のリヴァイバル作品『トゥルー・グリット』(2010年作、ジェフ・ブリッジス主演)が思い出される。

 上記の作品では、殺された身内は父親であり、娘は、マーシャルに父の敵討ちを手伝ってもらうことになるのであるが、本作では、殺されたのは、母親であり、マーシャルは脇役に回って、殺された妻の仇を討つために父親(いつものように、演技が誇張のニコラス・ケージ)が敵討ちの旅に出掛け、娘はそれに同伴するという展開である。

 それで、妻を惨殺された、嘗ての非情な賞金稼ぎのガンファイターが復讐のために旅に出掛けたのが本作の本筋であると思うと、それはそうではなく、実は、この復讐の旅の途上で成長する娘の変貌こそが、本作のメインストーリーなのであり、この意味では、本作もまた、上述の作品をしっかりと踏襲していると言える。父親のことも知っている老練なマーシャル(Nick Searcyニック・サーシー)が、母親の死に対しても無感動で泣くことも出来なかった少女(Ryan Kiera Armstrong)に、その要所要所で重大な人生の忠告を与える二つのシーンに注目したい。

 さて、アパシー(Apathy)に病む少女は、その病から癒えたのであろうか。ラストシーンでの少女の言動から考えると、そうではないらしく、映画の序盤で描かれた、父親が経営する雑貨屋で、娘が、ガラス容器にそれまでごちゃ混ぜになって入っていた飴玉を、色毎に数種類のガラス容器に丁寧に仕分けしていたシーンは、本作では、実は、重要なメッセージを持っていたことになる。

 邦題の『ガンズ&キラーズ』も、英語原題の『The Old Way』(「いつか来たこの道」)も、本作の核心を突いていない命名である。

グラディエーター(USA、2000年作)監督:リドリー・スコット

 古代ローマの陸軍の軍隊編成の最小単位は、decurioデクリオ(「十人隊長」)に率いられた軍団歩兵八人で構成される分隊である。この分隊が十個集まって、centuriaケントゥリア(「百人隊」)が編成される。この百人隊を統率するのが、centurioケントゥリオ(「百人隊長」)で...