このケントゥリア二個が合わせられると、manipulusマニプルス(「中隊」、現代の「中隊」も200名程度)と呼ばれた。古代ローマ王政から共和政までは、兵役義務を負う市民が自己負担で重装武装し、自前で対外戦争に従軍したのであり、この時期には、マニプルスが軍事作戦で重要な役割を演じた軍隊編成単位であった。
しかし、対外戦争の負担が大きくなると、当然に土地所有者兼自営農民でもある中間層市民は、次第に経済的に疲弊することなる。こうした状況に対応して、古代ローマでは、軍制改革が行なわれて、市民兵は次第に傭兵となり、兵役に必要なものは兵隊に支給され、兵役に対価となる給与が彼等に支払われることになる。こうして、軍隊は、支払う金のある富裕層の「私兵」の様相を帯びることになり、この軍団歩兵の在り方の変化が古代ローマ共和政を帝政に移行させる軍事的・社会的背景となった。
軍事組織的にも、マニプルスを三個合わせたkohorsコホルス(「大隊」)が編成単位としてはより重要になり、一個コホルスには、少なくとも六個ケントゥリアが存在することになる。但し、計算上は一個コホルス600名の計算となるが、帝政初期のアウグストゥスの時代には一個コホルス450名程度が実際であったと言う。
このコホルスを十個集めると、legioレギオー(軍団)と呼ばれる軍事編成単位となる。つまり、一個コホルスには、三個マニプルスがあり、六個ケントゥリアがあるから、一個レギオーは、十個コルホス、三十個マニプルス、六十個ケントゥリアがあることになる。つまり、軍団兵員は、編成上、六千名いることになる。この数字を現代の陸軍の部隊編成に当てはめると、大体、一旅団規模ということになり、准将ないしは大佐の階級の将校がこれを指揮する関係になる。
六十個ケントゥリアがあると言うことは、六十人のケントゥリオがいることになり、この六十人の内、精鋭部隊である第一コホルスの最先任ケントゥリオが、primus pilusプリムス・ピルス(一番槍百人隊長)という名称を得て、第一コホルスを統率し、また、軍団長の参謀ともなったのである。また、一個レギオーには、軍団歩兵のみではなく、約200から300騎のequitesエクィテス(「騎兵」、equesが単数形)と呼ばれる騎兵が配備された。騎兵は装備に金が掛かるので、この部署には富裕層が就くことになる。
古代ローマの「将校」は、共和政期では、元老院議員の中から民会の選挙によって選ばれて、公職を務める者であったが、下級将校であるケントゥリオ(百人隊長)は、部隊内の選挙によって選ばれた。ローマ軍の最高指揮官は、王政であれば、王であったが、共和政であれば、元老院によって選出されるconsulコンスル(「執政官」)であった。しかし、コンスルは、任期が一年でもあり、軍事面での連続性を考慮して、このコンスルを補佐する「参謀職」が設置される。それが、trinubus militumトリヌーブス・ミリートゥム(「軍事上の部族長」)であった。彼等は、実際には、戦闘には参加しなかったようであるが、元老院議員クラスから一レギオー当たり六名が選出された。尚、trinubus pelbisという官職もあり、こちらは、平民会から選出されて、平民の利益代表者として、平民の立場を守ったことから、「護民官」という日本語訳が付いている。
更に時代が下がると、このtrinubus militumの上位に、legatus legionisレーガートゥス・レギオーニス(「Legio軍団の委任者」)が置かれる。古代ローマが共和政末期になると、レギオー軍団が属州に置かれるようになり、属州で行政を取り仕切るのがproconsulプロコンスル(「属州総督」)であったのに対して、軍事面では、総督から「委任」されたレーガートゥスが軍団を統率したことから、そのように呼ばれるようになった訳である。本作の主人公が、奴隷の身分に落とされる前に保持していた肩書は、本作の英語版では、「general」とされているが、歴史考証から言って、この「総督代理」、「最高軍司令官代理」、「軍団長」とも訳せるレーガートゥスが、古代ローマ時代では正しい呼称ではなかったかと思われる。
尚、レギオー軍団が属州配置となる措置を施したのは、帝政初期のアウグストゥスであり、これに伴なって、ローマ皇帝近衛隊のような、皇帝直属の、イタリア本土を管轄する唯一の軍組織が創設される。それが、praetorianiプラエトーリアーニーで、本作では、主人公の僚友として従軍中、新帝Commodusコモドゥスに従って主人公Maximusマクシムスを捕らえたことから、その功績の報償として、近衛隊長となるQuintusクィントゥスに率いられる部隊として登場する。praetorianiプラエトーリアーニーは、「親衛隊」とも訳され、元々は、戦地で軍司令官を護衛するために軍団の中から臨時で選ばれた職務であった。その後、帝政の成立に伴ない、皇帝直属の常設の近衛部隊にこれが成長し、帝政期が進むと、逆に、近衛部隊長が次期の皇帝擁立の鍵を握る存在となっていった。「親衛隊」と言えば、ナチス政権を思い出させ、SSの制服が黒色であったことから、本作に登場するpraetorianiプラエトーリアーニーも黒づくめの出で立ちである。
さて、主人公Maximusマクシムスには、そのモデルとなった古代ローマ史からの人物が何人かいると言われている。「剣闘士」ということであれば、当然誰にでも「Spartacusスパルタクス」の人物像が思い浮かべられようが、同じく「格闘家」として皇帝コモドゥスに仕えていたNarcissusナルキッススという人物が史実では重要な役割を演じる。
皇帝コモドゥスは、父帝でもあり、また、ストア派哲人君主とも言われたMarcus Aureliusマルクス・アウレリウス帝とは異なり、どういう訳か、剣闘士としてコロッセウムの舞台に上がりたがった奇行があったと言う。ナルキッススは、このコモドゥス帝の個人トレーナーとして仕えていたのである。
父帝マルクス・アウレリウスが紀元後180年に陣中で、本作のストーリーとは異なり、病死すると、その実子のコモドゥスが即同年に単独の帝位に就く。と言うのは、五賢帝時代の、血縁関係にある養子による帝位継承の慣習とは異なり、実子のコモドゥスが帝位を継ぐのは数年前から明らかになっており、彼は、父帝と共に、177年からローマ帝国を共同統治していたのである。彼の統治の下、ローマ帝国はその黄金期の最後の時期を迎える。実際、コモドゥス帝は、180年代には、ドーナウ川沿いでのゲルマン諸民族との闘争やブリタニアでの軍事的混乱を外交手腕で押え、元老院からは、「Germanicus Maximus」や「Britannicus」の称号を得ているのである。
しかし、内政面では、既に182年に姉の一人であるLucillaルキッラが絡む暗殺未遂事件がコモドゥスを疑心暗鬼とし、父帝時代からの賢臣を疎んじ、奸臣を重用したりして、元老院との対立を深め、また、190年のローマでの穀物危機に対する皇帝の対応がまずかったりしてして、次第に専制化が進むことになって、コモドゥス帝は192年にローマで暗殺される。
それは、192年の大晦日であった。疑心暗鬼からコモドゥス帝は、危険人物の抹殺を計画するリストを作成させていたが、そのリストには、愛妾のMarciaマルキアの名も挙がっており、偶然にそれを見た彼女が、リストに載っている元老議員達や近衛隊長のQuintusなどを集めて、コモドゥス帝の暗殺、廃位を策謀する。
マルキアは、この日、コモドゥス帝のワインの杯に毒を盛るのであるが、日頃から「ヘラクレスの化身」として鍛えているコモドゥスには盛られた毒が中々効かない。そこで、陰謀者達は、格闘家ナルキッススを抱き込み、彼に、コモドゥス帝を浴室乃至は寝室で絞殺させたのであった。それは、コモドゥス帝、享年31歳のことであった。こうして、ローマ帝国は、国内政争の激化と帝国分裂への危機の段階に入り込むことになるのである。
実は、本作は、アンソニー・マン監督の『ローマ帝国の滅亡』(1964年作)を翻案し直した作品とも見られる。この作品でも、マルクス・アウレリウス帝(アレック・ギネス)は暗殺され、暗愚なコモドゥス(クリストファー・プラマー)が、父帝の遺志に反して、帝位に就く。実は、ガイウス・リヴィウス(スティーヴン・ボイド)という、コモドゥスとも親友関係にもある有能な軍団指揮官を先帝が帝位後継者と望んでいたのであった。一方、先帝の娘ルキッラ(ソフィア・ロレーン)は、リヴィウスを愛しているのにも関わらず、政略結婚で、アルメニア王(オマル・シャリーフ)と結婚させられていた。ある時、ローマ帝国軍が東方属領の叛乱を受けてペルシア軍と戦うこととなり、アルメニア王は、結局ペルシア側に付く。これに対して、コモドゥス帝は、今や軍最高指揮官となっていたリヴィウスを鎮圧に派遣し、リヴィウスは見事に戦勝する。実は、ローマ本国からの重税に喘ぐ東方属領の叛乱の背後にはルキッラがおり、愛するリヴィウスに叛乱者側に立つことを願っていたのであった。そのこともあったのか、戦勝したリヴィウスは、コモドゥス帝によりローマ帝国を共同統治してくれるように頼まれるのであるが、彼はこれを拒んで、軍から離れて単身でローマに帰還する。ゲルマン人に対する残虐な仕打ちと、その際に先帝の側近であった哲人ティモニデス(ジェームズ・メイソン)が惨殺されたことに対する怒りから、ルキッラは、暴君たる弟を暗殺しようとする。しかし、ルキッラもリヴィウスも捕らえられて、ゲルマン人と共に焚刑に処せられようとしていたところを、コモドゥス帝はリヴィウスに一騎打ちを望み、結局は、彼はリヴィウスに斃される。ストーリーは、愛し合うリヴィウスとルキッラが、政治的腐敗に汚れたローマを去る場面で終わるのであった。
こうして、この前作を本作と比較すると、本作におけるストーリーの重点の置き方の違いがよく分かり、興味深い。前作の恋愛映画的展開は、本作においては後退し、本作では、マクシムスの人間的高潔さが前面に押し出されている。また、前作での単なる悪玉としてのコモドゥス帝の描き方が、本作では、コモドゥス帝の内面性をよく深く掘り下げており、人間劇として、本作を見応えのあるものとしている。その意味で、そのようなコモドゥス帝を体現した役者Joaquin Phoenixホアキン・フェニックスの力量を筆者は高く評価したい。