2026年5月2日土曜日

リバティ・バァランスを射った男(USA、1962年作)監督:ジョン・フォード

 西部劇の「古典」をストーリー的に捉えると、北アメリカ大陸の西部を舞台として、ピストルの威力にものを言わせて、無法者や北米「インディアン」と闘って、正義と秩序を維持する構図と言えるであろうか。これを古典的西部劇と名付けるとすると、北米先住民の観点に立って、ストーリーを語ろうとした場合、それは、非古典的西部劇、更に言えば、「アンチ・ウェスタン」とまで言えるであろうか。この「アンチ・ウェスタン」の最も古い例は、ウィキペディアによると、1950年制作の『折れた矢』(デルマー・デイヴィス監督)であると言う。あるアパッチ族の子供を助けたことにより、アパッチ族と親交を結ぶようになり、その中で、アパッチ族の娘と恋仲になった白人が、白人と先住民との架け橋になろうと決心する。この白人の名をTomといい、これを演じたのが、ジェームズ・ステュアートであった。

 この『折れた矢』から二年後に上映された『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演)について、この映画を、ジョン・ウェインは、「俺の人生のうちで、最も非アメリカ的なやつ」であると評価している。強いはずの保安官が手助けを頼んで町中を歩き回り、結局、最後は、自分の妻に助けてもらって、命拾いする「英雄」はあり得ないということであろうか。

 そのジョン・ウェインが本作で演じるTomは、小牧場主で、拳銃の腕は立ち、男気のある、典型的な西部劇ヒーローである。恋路に晩熟(おくて)で、意中の人Hallieハリー(ヴェラ・マイルズ)には、好きのすの字も言えない。それでも、スィート・ホーム・スィートで、勝手に思い込んで、自分の家の間取りを結婚後のために広めているという、そんな男である。その男が、西部のガンマン同士の慣習的掟を破る。ここに、ジャンル「西部劇」の父たるジョン・フォード監督が、1960年代前半に本作を撮ることにした「ひねり」があるのであろう。

 これに対するジェームズ・ステュアートは、東部出身の弁護士で、無法の西部に法の支配を及ぼそうと考えている理想主義の、場合によっては傲慢な熱血漢である。つまり、時代は、フロンティア時代後期であり、無法状態から法律による治安状態へと移行する、ガンファイターの挽歌の時期である。この点でも、本作は、明らかに古典的西部劇の範疇から外れることになり、同時に、本作は、準州が州として成立し、その州の上院議員Senatorをワシントン市に送るという時期を描く。この初代の上院議員が、J.ステュアート演じるRansom Stoddardである。

 それでは、本作はその時代の法治主義への転換がストーリーの要目であるかと言うと、そうではなく、西部には、伝説が必要なのであるという、映画終盤の言説であると筆者は言いたい。USA映画史の歴史的名台詞となった、作中のあるジャーナリストの次のような物言いが本作の核心的部分ではないか?:

“When the legend becomes fact, print the legend!” 
(「伝説が事実となる時、(それでも)伝説(の方)を活字とせよ!」)

 この台詞は、アメリカの商業主義的なジャーナリズムの一面を突いている名言であろう。これとの対照として、本作に登場する町の新聞屋Peabodyピーボディー(性格俳優Edmond O'Brienが好演)の存在も大きいと言える。悪漢リバティ・ヴァランス(リー・マーヴィン)に対抗する弁護士とジャーナリストの構図である。

 そして、この二人が町民選挙で、大牧場主達の思惑に反して、選ばれ、これが、J.ステュアート演じるStoddardの政治生命の始まりとなる。しかも、町民代表から、州知事、上院議員、更には、その気があれば、副大統領にでもなれるという、彼が政治生命の階梯を上がれたのも、彼が、悪玉リバティ・ヴァランスを撃ち殺したという「伝説」が大いに作用したからであった。上述の名言を吐いたジャーナリストも、このよい「伝説」を壊したくないために言った訳である。

 この名台詞を言い換えれば、しかし、「伝説は事実に勝る」ということにもなり、21世紀を生きる我々には、この言説が、USA政治のみならず、世界政治において如何に大手を振って歩ているか、痛いほど身に染みる言葉もないであろう。事実や真実を無視して、言い放った者がマウントを取って勝ちということであれば、現代は、ピストルを言葉に使い直した、無法者のフロンティア時代になっているとも言えなくはないのである。この意味で、この約六十年前の白黒作品を、現代的視点で再鑑賞したいものである。

2026年5月1日金曜日

グッドライアー 偽りのゲーム(USA、2019年作)監督:ビル・コンドン

 かなり凶暴な古狸が資産家の未亡人の弱みにつけ込んで、その資産を根こそぎ、投資詐欺で奪い取る。よくある犯罪ケースである。故に、この古狸役にサー・イアン・マッケランを持ってきたことには異存がない。しかし、その相手役に、ヘレン・ミレンを持ってきたことは、両名優の「対決」という点では、それは確かに正解ではあろうが、純真無垢のおばあちゃんが騙されるプロセスで、その罠に嵌まっていく様子を見せるという点では、映画の始めからどんでん返しが予想できることから、その怖いもの見たさのスリル感が半減している。古狸対古女狐ということで、コメディー・タッチで、丁々発止の、どんでん返しに次ぐどんでん返しと言うのであれば、この顔合わせも分かるのであるが、古女狐がどうな罠を張って古狸を陥れようとしているのかが初めから予想される状況からは、本作の前半の展開が冗長過ぎる感じが否めなかったと思うのは、筆者のみではないであろう。

 映画後半の、二人がベルリンに行くという段階になると、ストーリーは、かなり陰惨となり、本作は、実は、復讐劇であったことが分かる次第である。時間軸は、2009年のロンドンから、1948年と1943年のベルリンとなり、再び、2009年に戻る展開となる。主役の二人が、実は、ドイツ人であったという展開であれば、もう少し、ドイツ人らいし俳優を持ってきてもよかったのではないかとも思われる。

 原作は、Nicholas Searleニコラス・サールが2015年に発表した同名の小説『The Good Liar』である。この小説の邦題が『老いたる詐欺師』で、かなり的を外した題名になっている分、映画の題名を「グッドライアー」としたことは、「グッド」を如何に訳すべきかで、邦題に違いが出てくるはずなので、そこを回避した、賢いと言えば賢いやり方であろうか。ただ、英語題名のカタカナ化ということであれば、やはり、定冠詞を付けて、『ザ・グッド・ライアー』としてもらいたいところで
はある。

2026年4月27日月曜日

西部戦線異状なし(USA、1930年作)監督:ルイス・マイルストーン


映画の最も頭に次のような英文が出てくる:

This story is neither an accusation nor a confession, and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it. It will try simply to tell of a generation of men who, even though they may have escaped its shells, were destroyed by the war...

原作の冒頭にはドイツ語で以下のように書かれてある:

„Dieses Buch soll weder eine Anklage noch ein Bekenntnis sein. Es soll nur den Versuch machen, über eine Generation zu berichten, die vom Kriege zerstört wurde – auch wenn sie seinen Granaten entkam.“

「この本は、(戦争に対する)訴求にも、信仰告白にもなるべきではない。本作は、戦争によって潰された、ある一世代のことを伝えようとする試みとなるべきである。たとえ、その世代(の一部)が榴弾から逃れたとしてでもある。」

(つまり、英語文では、「and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it」の部分が付け足してあり、これは、原文での戦争賛成の「信仰告白」の意味を分かりやすく説明しようとしたものと思われる。原作者のE.M.Remarqueレマルクは、原作の主人公パウルと同様に志願兵として、1917年六月にフランドル地方の西部戦線に投入される。彼の隊は、北西ドイツのヴェストファリア第十五歩兵予備連隊であった。戦況は既に予備連隊が投入される状況であり、レマルクは前線に配置されてから二ヶ月も経たない7月31日に、頸、右腕、左足に傷を負う重症戦傷者として、後方に送り返される。ルール地方の中心都市の一つデュイスブルクの軍病院で、終戦まで療養することになるが、この期間にレマルクは、同じ軍病院にいた戦友に様々な体験を聞き、それを書き留める。原作や本作におけるレアリスティックな戦場での描写は、もちろん、自らの体験もさることながら、軍病院に滞在中に彼が戦友から聞いた生々しい体験の数々から来ている。原作においては、それを読んだ限りでは、必ずしも筆者の反戦の態度は明らかではなく、それ自体は、戦争体験を価値判断せずに客観的に描写しようとしたものとも理解できるが、レマルクが日記を書き始めてからまもなくの18年8月24日に、彼は戦後のことに関して、「青年層の迫りくる軍隊化に対する、そして、その奇形的成長の如何なる形態が取られようともあらゆる軍国主義化に対する戦い」を求めると書き入れている。)

受賞歴:
1930年度USA第三回アカデミー賞:最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞する
1931年キネマ旬報外国映画最優秀作品賞を受賞する
その他

2026年4月22日水曜日

天使のたまご(日本、1985年作)監督:押井 守

少女と女の境界線はいったいどこにあるのだろうか
少女がひとりの少年に出会い
少女であることから解放される日
その日のために用意される
壮大で幻想的な物語
そして現代に蘇えるノアの箱舟伝説
SFハードメルヘン「天使のたまご」は
女の子のためのアニメーションです

―『天使のたまご』企画書・前文より(ウィキペディアからの再引用)

 この企画書を書いたのは、誰か?押井守ではない。そうではなくて、鈴木敏夫である。鈴木敏夫?スタジオジブリに関係のある、あの鈴木敏夫である。鈴木は、スタジオジブリの、カンパニー・プレジデント、事業本部本部長、代表取締役社長、代表取締役議長などを歴任していて、Ghibliジブリ・アニメの製作部門に長年関わり、プロデューサーとして辣腕を揮った人物である。

 その鈴木と押井とどんな関係があるかと言うと、鈴木は、元々は徳間書店の社員として、劇画雑誌の編集部員を経て、1978年にアニメ雑誌の『アニメージュ』の編集部員となり、81年に、彼の担当で、宮崎駿の初特集を組んだ人間であった。鈴木と宮崎の関係はこれ以降続き、鈴木は、『風の谷のナウシカ』の漫画化(82年連載開始)、劇場版アニメ映画化(84年三月初上映)を支える。1985年六月にスタジオジブリが創設され、89年に鈴木自身がスタジオジブリに移籍すると、本スタジオの殆んどの制作作品のプロデューサーを務めることになるが、85年から89年の時期には、本人はジブリ担当として依然として徳間書店に在籍しながら、まずはジブリに通ってそこで仕事を行い、夕方以降になってから徳間書店に行って別の仕事の打ち合わせを行う生活をしていたのであった。正に、この時期の1985年に鈴木は、宮崎の頼みもあって、押井のプロジェクトにも関わることになったが、それが本作であり、同時に彼が押井と組んだ初めての作品であった。85年12月15日に本作は、この時期、最も先鋭的なアニメの発表媒体たるOVAとして発売された。

 さて、押井は上に挙げた企画書に満足したかと言うと、そうではなく、逆に、自分に無断で鈴木が企画書を勝手に書き上げて、徳間書店の上層部に上げたことに激昂したと言う。押井も、もちろん自身の企画書を書いており、作品の題名を「水棲都市」としていた。既に、卵を抱えた少女、方舟というイメージを押井は抱いていたが、方舟というイメージから水、水に「棲む」都市という連想が押井の中で発展していたようである。鈴木は、この「水棲都市」という題名を独断で没にし、「天使のたまご」とする。ここで、天使のイメージを出してきたこと、それがモチーフとして完成作品にも生きながらえている点で、本作の成立に鈴木が大いに貢献していることが分かる。

 また、「SFハードメルヘン」という冠称も言い得て妙であろう。押井自身、プロジェクトの初期には軽めのファンタジーを想定したようであり、この点でも、鈴木は本作の傾向をキャチフレーズ的に言い当てている。しかも、少女が女へと「解放」(実は、強制なのであるが)されるという観点は、100%とまでとは言えないものの、本作に反映されており、必ずしも、本作が「女の子のためのアニメ―ション」ではないにしても、少女が「青年」と邂逅して、彼の精神的「暴力」によって、女となって排卵する展開は、鈴木が本作でのストーリー展開に大きな影響を与えたと言える。因みに、本作での「少女」は、見かけだけのものであり、もう何百年、何千年、否、何万年も生きてきた「女性的なもの」であり、「少女 = 女 = 老女」である。故に、髪は老婆とも思えるようなぼさぼさの髪の毛であり、同じ事は、「青年」にも言え、自分がどこから来てどこに行こうとしているのかも分からなくなった「老人」であるが故に、彼の髪の毛もまた白髪なのである。しかも、彼は、十字架にも似た武器を持っており、十字架を背負う者、つまり、イエスをイメージさせる存在としても考えることが出来る。

 しかし、「箱舟伝説」に関しては、さすがに一夜の付け焼刃で書き上げた企画書であるところなのか、「壮大で幻想的な物語」と「箱舟伝説」とを「そして」という接続詞で結び付けるだけであり、しかも、「箱舟伝説」を、現代に蘇ったものとしか捉えていない、未来への視点がない狭隘な見方で捉えている。正に、この点での押井の憤りは理解できるが、ウィキペディアによると、鈴木は、押井を激昂させる目的でこの企画書を書き上げたのであり、怒った押井がその勢いで徳間書店の幹部を本作制作に説得できるように、気合を掛けたのであったと言う。これが本当であるとすると、鈴木のプロデューサーとしての辣腕ぶりが相当なものであることが想像できる。徳間書店の幹部と押井を手玉に取ったその知略ぶりは実に驚くべきものである。

 こうして、押井は徳間書店の社長も入った重役会議で、原作なしの劇場版アニメを、劇場版アニメ映画作家として撮らせてもらいたい旨、そして、まずは表現があり、その後にストーリーがあることを力説し、その情熱にほだされた重役会も、制作のための資金を出すことに同意したのであった。

 このようにして発表された本・意欲作は、発表当時、しかし、売れなかったのである。それは、押井のアイドルであり、同時にライバルでもある宮崎駿が、自分の劇場版アニメの初監督作品たる『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年作)で、興行的には失敗したのと同じ運命であった。宮崎は、それ故に、アニメ映画作家としては、『風の谷のナウシカ』発表までの五年間、冷や飯を喰うことになるが、押井もまた本作『天使のたまご』が商業的に不発に終わったことで、同じく不遇の時期を迎えることになる。四年後の1989年に公開された劇場版アニメ『機動警察パトレイバーthe Movie』で、日本アニメ大賞を獲得するまでの三・四年間、宮崎と同様、押井もまた生産的な下積み生活を送ることになる。

 本作のキャラクターデザインを、否、それだけではなく、数百名に及ぶイメージボードの制作や色彩設定も含む「アート・ディレクション」を担当したのは、天野喜孝(よしたか)である。繊細で神経質な線描タッチで、ビアズリーをポップアート化したような、装飾的作品を描く天野は、SF関連の賞として名高い「星雲賞」において、1983年から86年まで四年続けてアート部門賞を受賞している。つまり、本作制作の85年に押井は一級のキャラクター・ディザイナーたる天野を自らの傍らに据えた訳である。本作用の原案創作で押井と共作した天野の図案を見て、押井も軽めのファンタジー作品制作の考えを払拭したと言う。

 作画監督は、名倉靖博(やすひろ)である。本作が発表される1985年の前年に、あるオリジナル・テレビアニメシリーズのキャラクター原案と作画監督を務める程になっていた名倉が、鈴木に誘われる形で本作に関わることとなり、押井の独断で作監に抜擢される。職人タイプのアニメーターらしく、天野がディザインした、本作の「少女」の髪の毛一本を丁寧に丁寧に描いていたと言う。ウィキペディアによると、名倉は、「後ろ姿が絵を描いている時も、おにぎりを食べている時も、机にかじりついて背中を伸ばしている。理想的な作監で」、「絵柄で魅せるタイプで、動きに責任をとるタイプの作監ではない」と、名倉のことを押井は評している。適材適所であったと言うべきであろう。

 美術監督は、小林七郎である。1968年に独立して、小林プロダクションを設立すると、翌年から、美術監督を務めるようになり、押井とは、1984年作の劇場版アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で共作している。恐らくはこの絡みで小林に話しが回ったのであろうが、フランスのバロック風の街をモティーフとした重厚で深みのある背景の制作には、ウィキペディアによると、小林は独自の制作方法を導入した。それは、「画用紙で描かれた克明な美術背景の上に、更に油性のサインペンでタッチ・色を描き込んだセル画を1枚重ねることで、建物の壁の荒々しさ等細かい部分を表現する」という方法であり、この方法を全ての背景で採用した。小林はまた、キャラクターの存在が入ることで、背景が二の次になることを嫌って、背景の立場から、色彩設定も併せてレイアウトにも関わったことで、背景美術の表現力がより高まることになったと言う。

 音楽担当は、菅野由弘(かんの・よしひろ)である。日本の伝統音楽にも関わるなど様々なジャンルの現代音楽を作曲する、非常に多作な作曲家である。押井とは、押井が演出した文部省選定・短編アニメ映画『りゅうの目のなみだ』(1981年作)で共作した関係からで、押井から菅野にオファーが行った。ウィキペディアによると、その時、押井は、「ボーカルとピアノを基本に、キリスト教音楽のイメージを取り入れる」、「水の音と音楽だけで作品を作りたい」というコンセプトを提示したと言う。また、最初に動画ありきで、それに劇伴の音楽を付けるという発想ではなく、動画と音楽との双方向の相互作用で制作していく作り方を採用した。尚、風をイメージした音色では、菅野がアイディアを出して、コーラス隊がある台詞をそれぞれ違った声色とスピードで話したものを録音・編集して、音響効果を出したと言う。

 菅野の静謐な音楽は、聴いている者に本作の精神性或いは宗教性さえ感じさせる、本作の内容に叶った音楽である。ラストシーンは、絶望なのか希望なのか、動画だけを観ていては両用にも解釈できるのであるが、随伴の音楽が何か陽性を感じさせるものであり、そのことから、ラストシーンは、希望の表象なのである、と理解できる、否、感じられるのである。そして、映画は、あの有名な鳥瞰構図に入っていき、永遠に呪われている方舟の運命が何であるのかを衝撃的に明かす。

2026年4月19日日曜日

ガンズ・アンド・キラーズ(USA、2023年作)監督:ブレット・ドノフー

 身内を殺された少女とマーシャル(連邦保安官)という関係であれば、すぐに、ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』(1969年作)や、この作品のリヴァイバル作品『トゥルー・グリット』(2010年作、ジェフ・ブリッジス主演)が思い出される。

 上記の作品では、殺された身内は父親であり、娘は、マーシャルに父の敵討ちを手伝ってもらうことになるのであるが、本作では、殺されたのは、母親であり、マーシャルは脇役に回って、殺された妻の仇を討つために父親(いつものように、演技が誇張のニコラス・ケージ)が敵討ちの旅に出掛け、娘はそれに同伴するという展開である。

 それで、妻を惨殺された、嘗ての非情な賞金稼ぎのガンファイターが復讐のために旅に出掛けたのが本作の本筋であると思うと、それはそうではなく、実は、この復讐の旅の途上で成長する娘の変貌こそが、本作のメインストーリーなのであり、この意味では、本作もまた、上述の作品をしっかりと踏襲していると言える。父親のことも知っている老練なマーシャル(Nick Searcyニック・サーシー)が、母親の死に対しても無感動で泣くことも出来なかった少女(Ryan Kiera Armstrong)に、その要所要所で重大な人生の忠告を与える二つのシーンに注目したい。

 さて、アパシー(Apathy)に病む少女は、その病から癒えたのであろうか。ラストシーンでの少女の言動から考えると、そうではないらしく、映画の序盤で描かれた、父親が経営する雑貨屋で、娘が、ガラス容器にそれまでごちゃ混ぜになって入っていた飴玉を、色毎に数種類のガラス容器に丁寧に仕分けしていたシーンは、本作では、実は、重要なメッセージを持っていたことになる。

 邦題の『ガンズ&キラーズ』も、英語原題の『The Old Way』(「いつか来たこの道」)も、本作の核心を突いていない命名である。

2026年4月17日金曜日

ワイルド・スピードX3 Tokyo Drift(USA、2006年作)監督:ジャスティン・リー


 「カーきち」映画は観ないはずが、「Tokyo Drift」の副題でつい観てしまった。トウキョウが舞台であるが、日本人は殆んど登場しないという不思議な映画で、あんな派手なカーチェースを日本の警察が許すはずもなく、その撮影には、カルフォルニア州で、日本の道路の一画を模倣して撮り上げたとのこと。むべなるかな!あとは、ロケ隊が東京で撮影したシーンを上手くカットインして、トウキョウの雰囲気を出している。故に、編集には複数人が担当しており、その一人が、「ケリー・マツモト」という人である。

 さて、「Uwabaki」という日本語の言葉が本作で世界に広まったことは、喜ばしい限りである。一方、「Gaijin」という言葉もこれまた世界に広まったことは、残念な限りである。この言葉が明らかに「日本人村」から村八分にされた人間への排除の思想を雄弁に物語り、本作でのストーリー展開の中で、残念ながら、正しくも使われている。本作は、2006年の制作であるが、Gaijinという言葉ではなく、「外国人」という、一見、非日本人に対する排外性を覆い隠しながらも、本質的にはその排除性を容認している言い回しは、日本のマス・メディアではいつからなされるようになったのであろうか。こんな言語社会学的な問い掛けをするとは、映画を観る前に期待をしていなかっただけ、その分、嬉しく思う。そして、改めて、制作から20年経たのちの「日本人ファースト」の政治的な意味や、「日本国民」という言葉に含まれる、民族性や元々の出自を越えた包摂性に感銘を覚えたのである。

 とは言え、車を「ドリフト」させながらカーブを走行するテクニックは、どれだけのタイヤを消耗する走り方になるのであろうか。他人事ながら、少々そんな心配をしながら本作を観ていた筆者には、雌鶏(めんどり)をめぐっての、盛りのついた雄鶏(おんどり)二羽の脊髄反射的な闘争にはやはり辟易したのである。USAでも日本国でも同様な事情の顛末であり、USAではブロンディーヌをめぐって、我が邦国では黒髪のセニョリータをめぐっての爭いは、女性を自己の所有物と考えるマッチョ的発想の帰結であることには変わりがないであろう。二回とも奪う方だった主人公のSeanショーン君、奪われる時になった時、どんな反応ができるであろうか。

 そして、ショーン君の父親の存在である。USA海軍の将校である彼が、米軍基地内ではなく、東京のみすぼらしい一軒家に住んでいて、彼には日本人の愛人もいるのである。米国軍人が、日米地位協定で、恐らくは滞在許可証もなく、民家に住んでいる。果たして、そんなことは可能なのであろうかと不思議に思った次第であるが、脚本は、Chris Morganクリス・モーガンという、シカゴ生まれの脚本家である。脚本作りには、ある程度は日本のことも調べたことであろうが、どこまでが事実に基づいているのであろうか。何れにしても、本脚本家は、以降、このシリーズ『ワイルド・スピード』の脚本を何本も手掛けることになる。

  因みに、ショーン君の父親のUSA海軍での階級である。日本語のウィキペディアによると、「海軍大尉」と記されている。英語版によると、「Lieutenant」と書いてあり、不思議に思って調べてみると、勉強になった。「Lieutenant」という階級名は、陸軍と海軍では異なるのである。「Lieutenant」は、陸軍であれば、中尉か少尉であるが、海軍であると、「海軍大尉」となるのである。「陸軍大尉」は、Captainである。一方、同じ「Captain」でも、海軍であれば、「海軍大佐」となってしまう。ここら辺の、筆者の「混乱」を自分になりに整理すると、以下、こうなる。

 階級呼称に関しては、陸軍と海軍とでは、別の階級呼称の発展があり、更に、海軍に関して言えば、イギリス海軍の階級呼称の歴史的発展がまずあったということである。民間船舶か軍艦かを問わず、「船長」とは、「航海の長」であり、「Master」と呼ばれた。これに対して、それが大型軍艦であれば、軍事的専門家として「Captain」なる者が配置されて、国王の兵士を率いて軍艦に乗船した。16世紀半ばから17世紀のイギリス・エリザベス朝期には、イギリスはスペイン海軍に対抗して戦っており、その代表的な海戦が1588年のスペイン・アルマダ無敵艦隊に対する海戦であった。当時のイギリス海軍は、強力なスペイン艦隊に対抗するために、民間の私掠船を海軍に招集してその戦力を高めたが、私掠船を軍艦として機能させるために、軍事的助言を「船長」に与える人間が必要になる。これらの「船長」を補佐する人間を「Lieutenant」(英語発音で「レフテナント」で、アクセントは「テ」にある)と呼んだのである。こうして、「Lieutenant」は、将官級、佐官級、尉官級というように、次のより高いレベルの階級位とその下の階級位とをつなぐ階級の名称となる。

 このような「Lieutenant」の中の最先任「将校」が、「船長」すなわち「艦長」を補佐する軍事的指揮権を握る人間として、「Commander」という名称を得る。一方、「Lieutenant」は、現在で言う尉官級の将校の名称に次第に使われるようになり、Commanderと「Lieutenant」級の将校をつなぐ階級名が「Lieutenant Commander」(「Commanderの代理人」)と呼ばれるようになる。こうして、Captainが、大佐に、Commanderが、中佐に、そして、「Lieutenant Commander」が、少佐になり、「Lieutenant」は、尉官級の筆頭となることになり、「海軍大尉」に相当し、「海軍中尉・少尉」は、「Sub-Leuitenant」となるのである。

 一方、USA海軍も基本的にはイギリス海軍の階級呼称を踏襲した訳であるが、米海軍中尉では、「Lieutenant Junior Grade」という、「二等海尉」的な呼称を採用し、「海軍少尉」は、フランス語からの影響で、「Ensignエンスン」と呼ばれる。実は、「Leuitenant」の言葉自体がフランス語から来ており、「代理人」を意味する言葉であった。尚、「Leuitenant」は、米国英語では、「ルーテナント乃至はルテナント 」と発音する。

2026年4月8日水曜日

ガラスの城(フランス・イタリア合作、1950年作)監督:ルネ・クレマン

 女主人公Évelyneエヴリンは、本作の題名たる「ガラスの城」に眠れる、恋に恋する「眠り姫」である。だが、彼女は、既に十歳程の男児を持つ人妻でもある。それでも、彼女は、スイスのベルンから保養に来ていたイタリアのコモ湖での休暇の最中に、夫Laurentロランと一緒に来ていたのにも関わらず、コモ湖の高級ホテルで、パリジャンのRémiレミーと知り合い、彼との恋に恋してそれに酔う。本当のところ、彼でなくてもよかったのであるが。

 一方、男主人公のRémiレミーは、全ての女に恋せるが故に、どの女も本気では愛せない、大人には成りきれていない子供男である。パリにいる一応の愛人のMarionマリオンとは、恋の戯れを遊ぶ関係であり、彼女との「爛れた」関係は今のところ持ってはいるが、それは、レミーにとっては、いくらでも代替え可能な「大人の」関係である。

 そんな恋の駆け引きを愉しむマリオンに焚き付けられたレミーは、ベルンにいるÉvelyneにパリから国際電話を掛ける。そして、彼は彼女にパリに遊びに来ないかと誘惑する。本心ではÉvelyneには来ては欲しくなかったミレーの許を、千々に乱れながらも、結局は訪れるÉvelyneであった。しかし、ベルンからの夜行列車で翌日の午前中にパリに着いたÉvelyneは、日中に見るレミーに違和感を抱き、一旦は彼が居住する同じホテルの一室に赴くものの、恐れを感じて、ベルン行きの帰りの列車に乗り込もうとする。が、彼女はそれに乗り遅れてしまう。

 パリのある郵便局で国際電話を掛けようとしていたÉvelyneを、偶然に電話ボックスで見付けたレミーは、彼女をパリの見物に誘い、ベルン行きの夜行列車が夜九時に出発するまで、パリの散策を楽しもうということにする。この、恋人の街パリを散策するロマンティックな雰囲気の中、Évelyneは、結局は、夜行列車を乗り過ごして、情熱の一夜を過ごすことになるが、さて、この有閑マダムの不倫の結末は如何なる結末を迎えることになるか。

 本作の原作は、Vicki Baumヴィッキー・バウムというウィーン生まれのユダヤ人女性が1935年にUSAで書いた作品である。この原作のストーリーの大枠を、本作の脚本は概ね踏襲してはいるが、原作では愛人がアメリカ人であるところが本作との大きな違いであろうか。本作の脚本は、監督であるRené Clément ルネ・クレマンも共同執筆しているが、間大戦期に心理描写に長けた作家として有名になったPierre Bostピエール・ボストが担当しており、独白部分が劇中の対話部分に巧みに織り込まれており、ストーリーの内面性が強調された、センスのよい展開は彼の文学的手腕に負うところが大きいのであろう。R.クレマンとP.ボストは、二年後に発表される『禁じられた遊び』でも脚本を共作している。

 また、撮影監督は、パリ生まれのRobert Lefebvreロベール・ルフェーヴルで、その職人気質の白黒撮影は、鳥瞰図的に、1950年という年のパリの街々を捉えて、今となっては、歴史的価値さえ持っていると言える。センスのよい白黒の陰影が印象的な画面構成もまた本作では楽しみたい。

 フランス・イタリア合作映画である本作にはイタリア語版とフランス語版があり、イタリア語版では、Évelyneの夫役Laurentをイタリア人の俳優が、フランス語版では、同じ役をベルギー出身の名優Jean Servaisジャン・セルヴェが演じている。ベルンの地方裁判所か州裁判所の長官を務め、勤務に熱心であり、丁度手掛けている刑事事件では、冷徹にその本質を見抜いて、自分の夫の母親殺しの罪を被って裁きを受けようとする女に、如何に真実を裁判中に語らせるかに頭を悩ませている。彼は、妻を愛しているのではあるが、Évelyneが望むほどにはその愛情を示すタイプではなく、その不満がÉvelyneを結局は不倫に走らせることになる。

 そのÉvelyneに、彼女を取り巻く家庭生活内で不満を募らせる、もう一つの理由は、家族ぐるみで付き合っているElenaエレナの存在である。ベルンの近郊に住んでいるようなのであるが、よくベルン市内にあるÉvelyne夫婦の家に遊びに来るElenaは、Évelyneの悩みも理解しているようなのであるが、一方では、Laurentとチェスに興じたり、三人で休暇も伴にする関係でもある。そんな飽き足らない生活感を持つÉvelyneは、チェスで夫を負かすElenaこそが夫に相応しい女性であるとさえ思うほどなのである。この微妙な役柄を、イタリアはトリノ生まれの女優Elisa Ceganiエリーザ・セガーニが好演している。

 同じく脇を固めているのは、Rémiのパリでの愛人Marion役のÉlina Labourdetteエリーナ・ラブルデットである。1919年にパリに生まれた彼女は、最初は、プリマ・バレリーナになることを目指してバレエの練習に励んでいたが、結局、健康上の理由でその夢を諦めざるを得なくなり、女優になることに決心する。彼女が19歳の時の1938年に映画界でのデビューを飾る。第二次世界大戦直後の45年、Robert Bressonロベール・ブレソン監督の『ブローニュの森の貴婦人たち』に、元々踊り子であるが、生活の資を稼ぐために娼婦もしている若い女性役で出演したことで、彼女は、フランスでの女優としての地位を獲得する。本作が撮られた50年には、演劇界にも進出している。本作では、自分のアパルトマンを持っているようであるが、生計はどうやって立てているのか分からない存在で、レミーとの恋の駆け引きは立派にやり遂げる勝気はあるものの、やはり、本当の愛を求めている心境の複雑さを上手く演じ分けていて、本作で筆者の印象に強く残った女優である。

 原作を書いたV.バウムは、1920年代における女性の社会進出のアヴァンギャルドを走った女性の一人である。その彼女が書いた原作を読んでいないので、断定は出来ないが、そのモダン性は、本作で描かれる公共交通網の密度さに表現されているように思われる。まず、冒頭のコモ湖でのハイ・ソサイエティの存在である。そのコモ湖から、Elenaが運転し、Évelyneが同乗する高級自動車でRémiがミラノ駅のプラットフォームまで直接乗り付けると、Rémiは、コンパートメントでÉvelyneと熱い接吻を重ねた後、一人でパリに夜行列車で旅立つ。こうして、ミラノ・パリ間の鉄道の連結が登場すると、今度は、パリ・ベルン間の国際電話の繋がり、更には、スイスの首都ベルンとフランスの首都パリを結ぶ、一日に二回はある鉄道の往復路線が、ストーリーに上手く組み込まれ、その時間が刻まれていることによる主人公達の心の緊張と高揚が観る者に説得性を与える。そして、最後は、意外な展開で、パリ・チューリッヒ間の飛行機による航路が登場する。実に、粋なストーリー展開である。

リバティ・バァランスを射った男(USA、1962年作)監督:ジョン・フォード

 西部劇の「古典」をストーリー的に捉えると、北アメリカ大陸の西部を舞台として、ピストルの威力にものを言わせて、無法者や北米「インディアン」と闘って、正義と秩序を維持する構図と言えるであろうか。これを古典的西部劇と名付けるとすると、北米先住民の観点に立って、ストーリーを語ろうとした...