2026年9月2日水曜日

ムーラン(USA、1998年作)監督:バリー・クック他

 ムーランを漢字で書くと、「木蘭」となる。これを日本語読みにすれば、「もくらん」で、何か「モクレン」と似ている。流石は、漢字文化圏にある日本語である。「モクレン」を漢字で書くと、「木蓮」となり、実は、「木蘭」は、中国語の「モクレン」で、植物学の学名で言うと、「マグノリア」である。何か華々しい花で、さて、この花は、本作のヒロインに相応しいであろうか。


 ムーランは、名前であり、その姓は、京劇などでは、「花:Huaフア」であると言い、名前の「木蘭」と上手く似合っているが、長く中国で口承で伝えられてきた、この女傑には、その姓に「朱」や「魏」などもあると言う。「魏」と言えば、中国史の三国時代の「魏」があるが、更には、「北魏」という国もあり、これが紀元後五世紀前半に華北を統一した国であった。これを以って、中国の南北朝時代が始まる訳であるが、華北の北朝の国ということで、「北魏」である。この北魏時代のものとして採録された歌謡(楽符)で、『木蘭詩』という名称のものがあり、これが、「木蘭」の口誦・伝承物語りが記述された最古のものであると言う。しかも、この北魏を建国した民族は、鮮卑族であり、紀元前三世紀以降、中国の北部・東北部に存在したこの遊牧騎馬民族においては、21世紀に入ってからの考古・民族学研究によると、鮮卑族の女性は、男性と同じく騎乗し、必要とあらば、騎兵として戦闘に参加していたのではないかと推測されている。この推測が正しければ、正に、北魏時代には、「ムーラン」は、多数存在していたことになる。

 この「木蘭」の伝承が、漢民族の王朝にも伝えられると、今度は、恐らく、儒教の教えによる家父長制的なイデオロギーが入れ込まれたのか、中国の歴史上に存在する女傑として、「忠孝節義、勇武仁愛」の精神を体現する者として、中国の歴史の中で、語り継がれていく。鮮卑と同じく遊牧民族たるモンゴル族が中国に13世紀後半に建国した元朝の時代には、以下のようなムーランについての物語りが取り上げられている:

 「将軍魏氏、本名は木蘭といい、亳州譙県の出である。世に伝えるところによれば、可汗が兵を募った際、孝烈(木蘭)は父が老いて衰弱し、弟妹も皆幼いのを哀れみ、慨然として身代わりで従軍した。甲冑を身にまとうと、弓袋を背負い矛を手に、馬を駆って神のごとく疾走し、艱苦に耐え武器を研ぎ、戦場で胆力少しも衰えず、誰も彼女が男でないと看破できなかった。十二年という歳月を経て、十八度の戦闘に交鋒し、数々の勲功を立てて朝廷に参内した。天子はその武勇と功績を喜び、尚書の官職を授けようとしたが、彼女は厚遇を辞退し、故郷へ帰省することを懇願した。兵を率いて譙に戻ると、父の家を訪れ、戎服を脱ぎ捨てて再び閨房の装いに復した。人々は皆驚き、『生まれてこの方、このようなことは未だ見たことがない』と口々に言った。魏の兵が軍を返した後、この異聞は朝廷に伝わり、再び宮中に召し出されて后妃に迎えられようとしたが、将軍は『臣たる者が君主と婚礼を結ぶ礼制はありません』と言い、死をもって誓って拒絶した。圧力が強まる中、遂に自害した。これが『孝烈』という諡号が追贈された所以である。」(ウィキペディアからの引用)

 ここでは、「木蘭」の姓は、「魏」となっており、時代も「北魏」のこととなっているようである。故に、王は、皇帝ではなく、「可汗:カン」(あのチンギス・カンの「カン」)となっている。そして、「木蘭」は、「将軍」の位階を得る程までに活躍することになるが、「木蘭」が女性であることが世間に知られることになると、自分の名誉を守って、自害するという運命を選ばざるを得なくなるという説話になっている。

 因みに、本作の時代設定は、前漢時代(紀元前206年から紀元後8年まで)のことになっているようで、それからすると、北方からの前漢皇帝にとっての脅威は、匈奴(きょうど;ピン音:ションヌゥ)であるはずであるが、それが本作ではフン族になっているのは、歴史的には正しくなく、匈奴とフン族との繋がりも歴史的には証明されていない。前漢時代に中国北方から中央アジアまで大きな版図を広げた匈奴は、紀元後一世紀に北匈奴と南匈奴に分裂して、南匈奴は後漢に取り込まれ、南匈奴に追われた北匈奴は歴史の舞台から姿を消すことになる。その後、この匈奴の版図と同じ地域に、鮮卑族が乗り出してくることになるが、一方、フン族は、現ロシア領のヴォルガ川辺りから西に移動してきた民族と言われ、バルカン半島北部やポーランドに侵攻してくる騎馬民族として、むしろヨーロッパ史に登場する存在である。

 話しが少々ずれたが、紀元後五世紀に北魏時代に採録された「木蘭」の伝承が、漢民族の王朝たる明代になって、ある雑劇短編の戯曲として翻案されると、次のようなストーリーに変わる:

 「物語は北魏の時代に起こります。黒山の賊の首領・豹子皮が徒党を組んで反乱を起こしたため、朝廷は緊急に兵士を徴集し、軍令の文書が頻繁に下され、その中に木蘭の父・花弧の名前もあった。父親が年老いて体が弱く、弟はまだ幼いことを考慮し、17歳の花木蘭は決然と、女扮男装して父に代わり従軍することを決意する。彼女は駿馬と装備を購入し、纏足による不便を克服するため、足を放ち靴に履き替え、武芸を練習した。その後、家族に別れを告げ、征途につく。戦場では、木蘭は知勇を頼りに数々の手柄を立てます。最終的に、彼女は伏兵を設け、自ら賊首の豹子皮を捕らえ、大きな戦功を立てた。凱旋後、朝廷は彼女に官位を与えて表彰しようとするが、木蘭は官職を辞退し、ただ故郷に帰って家族と再会することを願う。故郷に戻ると、彼女は女性の姿に戻り、同郷の王郎と結婚し、良縁を成就させることで、『忠孝両全』を実現した。」(ウィキペディアからの引用)

 紀元後13世紀の元朝時代のストーリーとは異なって、結婚というハッピー・エンドで終わるこの戯曲は、本作の一部脚本の原作になっているようにも思われる。話しは、北魏の時代のことではあるが、遊牧民族の女性には考えられない「纏足」のプロットが入っており、このことを以って、如何にこの話しが漢民族化されているかが象徴されているであろう。ムーランが知勇を発揮することも、本作のストーリーに酷似しており、そうであれば、彼女が結婚することになる同郷の「王郎」とは、本作における隊長リー・シャング(李翔)となる。

 このような、儒教的道徳話しや家族主義的イデオロギーを背景とした「忠孝両全」で終わるハッピー・エンドに比較すると、本稿の一番最初に言及した北魏時代に採録されたという『木蘭詩』は、むしろ、ユーモアを以ってして、ストーリーを完結する。

 この「バラード」は、木蘭が男装して出征し、戦功を立てて、兵を連れて故郷に戻るところまでは、他のストーリー展開と同じであるが、最後は、ある種のユーモアを以って、話しを終える。女装して戦友の前に立ち現れた木蘭に対して、戦友達は、「この12年間いっしょに行軍していてもお前が女であることに気が付かなった。雄兎であれば、あちこちと歩き回る。雌兎であれば、目はどんよりとしていて、ガラス玉のようである。」と言う。それに対して、木蘭は、取って返して言ってのけた。「雄兎と雌兎が並んで走っていて、貴様らは、どっちが雄で、どっちが雌か、見分けられるのか。」と。

 さて、20世紀も終わろうとする1998年に本作は公開された。時代は、USAが未だ自己の覇権にとって中国が脅威になろうとは思っても見なかった頃である。そして、性的志向の違いを尊重することを「Woke」と、未だなじらなかった頃である。トランプ政権が二期目を迎えて、USAの民主主義を破壊しようとしている2026年、果たして、ウォルト・ディズニー・カンパニーは、本作のような作品を製作したのであろうか、自問せざるを得ない。

 最後に、「木蘭」をテーマとした映画作品のフィルモグラフィーを見てみよう。これだけの民族的伝承とさえなっている「木蘭」を映画にしない手はないであろう。という訳で、1927年の中華民国で早速、『木蘭従軍』というタイトルで中国映画が撮られれている。1939年にも同名の作品が発表されている。もちろん、日中戦争が始まっており、日本軍の占領下にあった上海の映画会社が撮った作品であり、異民族と戦った木蘭の英雄的行為を、対日抗戦と捉える文脈で捉えて制作されたことは明らかであった。

 戦後になると、1950年代に香港映画作品として二本が、中国本土製として、1960年代に一本が撮られている。こうして、世界映画史的には、約30年の空白を破って、本作がアニメーション映画としてUSA映画として1998年に発表される。更に、『ムーラン2』が2005年に本作の続編として制作される。中国映画としては、『花木蘭』の題名で2009年に出されると、本作の実写版と言える作品『Mulan』が2020年にUSAで制作される。これに刺激を受けたのか、今度は中国側でも同じ年に、木蘭をテーマとした作品が四本も撮られていることが興味深い。こう考えると、木蘭を巡っては、既に2020年には、米中争奪戦が戦われていたことになる。

2026年8月31日月曜日

シンデレラ(USA、1950年作)監督:ウィルフレッド・ジャクソン他

 ディズニー・アニメーションの長編劇映画第一作目『白雪姫』は、同時に世界初の長編アニメーション映画であり、1937年に公開された。日中戦争が始まった年である。テクニカラー作品で、その鮮やかな色彩には目を見張るものがある。アニメーションに短編作品しかなかった時代に数年の月日と巨費を掛け、その作画枚数は、約25万枚に上る。スタジオの存否を賭けた大作は、幸運なことに大ヒットする。この作品を以って、ウォルト・ディズニーはUSアカデミー名誉賞を受賞する。

 1940年二月に、長編劇映画第二作目の『ピノキオ』が、同年11月には、長編劇映画第三作目の『ファンタジア』が公開される。しかし、世界情勢は、第二次世界大戦が欧州ではその前年に既に勃発しており、日米の外交関係も険悪化する中、世相は、アニメーション・ファンタジー映画どころではなかったのか、ディズニー・スタジオは、この二作で大赤字を計上せざるを得なくなる。

 とりわけ、『ファンタジア』は、高度の芸術性を持っており、ほとんど台詞のない中、バッハ、ベートーベン、ストラヴィンスキーなどのクラシック音楽を八つの物語りに分けて描こうというものであり、上映の際には、音響のステレオ効果を利用している。しかも、その音響効果は、サラウンドの原型とでも言える音響再生方式を世界で初めて導入したものであり、音響技術の発展においても、本作は、画期的で、歴史的な作品であった。制作には、11人の監督、120人以上のアニメーター、103人編成のオーケストラ(「音の魔術師」と異名を取ったイギリス人指揮者レオポルド・ストコフスキーの下、フィラデルフィア管弦楽団が演奏)など、ウィキペディアによると、投入されたスタッフは、延べ千人、作画枚数は、約百万枚になるという、前例のないスケールでの製作となっていたのである。(因みに、日米開戦により、『ピノキオ』も『ファンタジア』も、日本での公開は、戦後復興後の1955年のことになる。)

 こうした経営的な苦境を戦中、終戦直後と何とかやりくりして、『白雪姫』のヒットをもう一度呼び起こそうとしてウォルト・ディズニーが社運を賭けて製作したのが、本作『シンデレラ』である。スタッフは約750名、作画数は、150万枚となり、『白雪姫』の約二倍の製作費を掛けたもので、この賭けにW.ディズニーは勝つことになり、現在の「ディズニー王国」の基礎をこの作品からの利益を基にして築けることなる。本作も、テクニカラー作品であり、『白雪姫』に較べるとパステル調である、その色彩を楽しみたいものである。

 本作の上映は1950年のことであり、USAでの当時の批評も大体芳しいものであった。しかし、一部には次のような批評も見られた:

 「この映画は中心人物であるシンデレラよりも動物を描写することに成功している。シンデレラはチャーミング王子と同様に、無表情で人形のような顔をしている」(ウィキペディアからの引用)

 なるほど、金髪で青い目をしたシンデレラは、確かに、美形ではあるが、個性的ではない。本作の悪玉Lady Tremaineレイディー トレメーヌが飼っている、同じく性格が悪いネコ・ルーシファーと、ジャックやガスらネズミ共とのやり合いは、『トムとジェリー』を思わせて、如何にもアニメーションらしい。

 本作の日本での公開は、『ファンタジア』(1940年作)などよりも早い1952年のことで、ウィキペディアによると、漫画家の藤子不二雄Aは、同年に本作について以下のように批評している:

 「一般的でオーソドックスな童話を借りて再び『白雪姫』の世界へ帰ろうと正攻法で描いたものだけに安定感に満ちている」が、その一方では、「登場人物の正邪、美醜をはっきり割り切ったことが、内容の理解に容易さを増した反面、生き生きとした活躍を見せる小動物に比し、人間の方を様式化し平版化している...」

 筆者もこれと意見を同じくするものであるが、この「様式化し平板化している」の謗りを免れているキャラクターが本作には一人いる。Lady Tremaineレイディー・トレメーヌである。シンデレラの継母であることの体裁を一応は取りながらも、亡くなった夫の連れ子であるシンデレラを事ある毎に陰湿に虐めぬこうとしているその陰険さは、「シンデレラ物語り」のポジティブな上昇志向とは真逆の性向であろう。

 『白雪姫』の嫉妬深い「女王」、本作の「レイディー・トレメーヌ」、更には、『眠りの森の美女』(1959年作)の「マレフィセント」などには、何か「悪」の系譜とでも言えるものがあり、「ディズニー・ヴィランズ」として彼女等はその名を連ねている。ウィキペディアには、以下の引用があるのでここに挙げておく:

 「トレメイン卿が病気で亡くなった後、トレメイン夫人はシンデレラの父であるリチャード卿 [ウィキペディアの英語版では「Sir」であり、そうであれば、男爵か騎士の位階] と結婚した。彼女は、自分の娘たちを手に負えなくなってきたため、彼の助けを必要としていた。しかし、シャトーでは、トレメイン夫人とその娘たちは、リチャード卿とシンデレラのもとで奉公することを余儀なくされる。そして、リチャード卿が貧困に陥り、王室に対して借金を抱えていたことが明らかになる。トレメイン夫人と結婚することだけが、[サー・リチャードにとって] その借金を緩和する唯一の方法であり、彼女は自分の名義では一文無しの状態にされてしまった。リチャード卿が亡くなると、トレメイン夫人は家の主導権を握り、復讐としてシンデレラを召使いにし、彼の娘を下層の使用人にさせることで最後の笑いを取ることにした。

 アニメ映画の出来事から数年後、シャトーは完全に荒廃している。トレメイン夫人は今や一文無しとなり、狂気に囚われ、家事を娘たちに押し付けるだけでなく、[実の娘達] ドリゼラとアナスタシアにも虐待を始めた。そこで、フェアリー・ゴッドマザー [映画の邦訳では「妖精のおばさん」] が現れ、シンデレラの願いに応じて義理の姉妹たちに再びチャンスを与えようとする。しかし、トレメイン夫人はフェアリー・ゴッドマザーを攻撃しようとし、彼女によって石の像に変えられてしまう。」( [  ]内は、筆者の注)

 このような、恐らくは後付けで考え出された「シンデレラの継母」の後日談は、本作を改めて観る上で、この悪役の魅力を更に高めてくれることであろう。

2026年8月27日木曜日

皆殺しのシンフォニー(仏・伊合作、1963年作)監督:ジャック・ドレ―

 本作のフランス語原題を直訳すると、『ある虐殺のための交響曲』である。交響曲ということであれば、クラシック音楽が頻繁に使われてもいいのであるが、そうではないのが意外である。むしろ、気の抜けたようなポップ音楽が背景に流れて、敢えて、これは皮肉なのかと勘ぐりたくなる。

  本作の制作年は1963年ということであり、むしろ、カラー映画作品が一般的である時代に、敢えて、白黒映画で撮ってあるのは、フィルム・ノワールへのオマージュということであろう。撮影監督は、Claude Renoirクロード・ルノワールである。「ルノワール」と言えば、フランス印象派の画家Pierre-Auguste Renoirが有名であるが、実は、このClaudeは、その孫に当たる人物である。同じ名前の叔父もいて、この叔父は、プロデューサー兼映画監督として活躍しているが、別の叔父でJean Renoirは、偉大なフランス映画の監督して名を成しており、この叔父とは、甥のClaudeは、その撮影監督として、1936年に白黒作品たる『Partie de campagne;邦題:ピクニック』を撮っている。約30年後に撮られた本作においては、外光での撮影としては、私見ではそれ程印象的なものが見られないが、室内撮影では、白黒のコントラストを上手く使って良質な画面を見せてくれている。

 本作にはフランス語の原作があるそうであるが、筆者には読めないので、本作のストーリー内容とは比較できないが、脚本には、三人の名だたる名前が挙がっている。

 まず、一人目は監督自身のJacques Derayジャック・ドゥレーである。彼は、日本では、1970年作の映画『ボルサリーノ』の監督としてよく知られているであろう。この映画は、1930年代のマルセイユを舞台として、ジャン=ポール・ベルモンドとアラン・ドゥロンのチンピラが裏社会の大物になろうとする姿を描く。J.ドゥレーは、「フランス映画界のヒッチコック」と言われ、主に犯罪映画を手掛けた監督であった。

 二人目は、Claude Sautetクロード・ソテーである。彼は、1970年代以降は、フランス社会のブルジョワ中間上層階層の姿に焦点を当てて、フランス映画らしい人間の心理の機微を繊細に描いた監督して名を成すことになる。また、1970年代には、西ドイツからフランスに移住して性格俳優となったRomy Schneiderローミー・シュナイダーと共作して、五本の作品を撮っている。『過ぎ去りし日の・・・』(1970年作)、『夕なぎ』(1972年)、『ありふれた愛のストーリー』(1978年)などである。しかし、1970年以前は、むしろ、犯罪映画ジャンルに関わって、脚本を書いたり、監督したりしていた映画人である。本作も、この関連で、監督J.ドゥレーに協力したものと思われる。

 そして、三人目が、むしろ脚本化の主役を担った人物たるJosé Giovanniジョゼ・ジョヴァンニである。彼は、基本的には小説家であり、それに、脚本家も兼ね、場合によっては、監督としても活動した人物である。2004年に享年80歳で亡くなるまで、ウィキペディアによると、小説20冊、回想録二冊、脚本33本、映画15本を発表するという多作家であった。アラン・ドゥロンとリーノ・ヴァンテュラ主演の映画『冒険者たち』(1967年作)の同名の原作を提供しているのも、このJ.ジョヴァンニである。

 1923年にパリで生まれたJ.ジョヴァンニは、ウィキペディアの記述が正しければ、実は、以下のような人生の前半を歩んだ人物である:

「戦時中から犯罪組織と関係し、かつファシスト政党フランス人民党に所属、ゲシュタポ協力者であった。誘拐や盗みなどを犯す。終戦直後、少なくとも3件の強盗殺人に関与し、死刑を宣告されるが、大統領恩赦を受けてまぬがれる。1956年に出所。」

 つまり、彼の作品には自分の犯罪者としての体験が、色濃く反映されており、そう考えると、本作における「虐殺」のストーリーにも、一人一人と仲間を冷血に殺害していく人物像に何か実感が籠ってくるであろう。尚、本作では、現金の運び役のMoreauモローとしても一役を演じている。

 フランス製の犯罪映画によくあるように、本作のFinも、因果応報的に終わるのであるが、本作の中盤から終盤に掛けては、偶然とそれぞれの人物の思い込みで、次々と殺人が行なわれていくサスペンスが秀逸である。そして、本作の初盤は、良き推理小説にように、緻密に計画が実行に移されて小気味が良い。犯行実施の段階で、パリ出発のリオン経由マルセイユ行きの夜行列車が登場する。それだけではなく、流石はヨーロッパである。パリとブリュッセル間の列車移動が主人公のアリバイ作りに使われる。そして、オールドタイマー・ファンには垂涎の的であろうJaguar XK150が本作には登場する。筆者は車には詳しくないのであるが、フラン語版のウィキペディアにこのことが出ており、ちょっと調べてみると、このイギリスの車は、1957年から61年まで生産されたスポーツ・カーで、XKとは、ジャガー社が開発したガソリン・エンジンのシリーズであるそうである。XKシリーズには、120、140、150とがあり、それぞれ、mph時速何マイルかを示すそうであり、150は、最高時速約240kmである。リオンとパリ間の走行距離が約460kmあるとすると、Jaguar XK150で走ると、約二時間が掛かる計算である。当時は、道路事情が今よりはかなり悪かったとしても、三時間もあれば、リオンからパリに着けるはずであり、成程、実行可能であろう。

 最後に、本作の俳優陣の中に、Charles Vanelシャルル・ヴァネルがいることも嬉しい点である。Jean Gabinジャン・ギャバンと共に、フランス映画界を無声映画時代から代表する一人である彼の顔は、一度見たら忘れられない特徴のある顔である。日本では、1953年作の『恐怖の報酬』(アンリ=ジョルジュ・クルゾー監督)で、恐らく、知られており、この作品で彼はカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞している。

2026年8月26日水曜日

ロード・ハウス/孤独の街(USA、2024年作)監督:ダグ・リーマン

 「Shane!! カムバック!!」と、少年ジョーイは、馬に跨ってワイオミングの山へ去って行く早撃ちガンマンに必死に呼び掛けた。撃ち合いで脇腹を撃たれながらも最後の敵を片付けたシェーンには、「人を殺してしまえば、もう元には戻れない」と分かっていた。彼は、脇腹の傷が致命傷でなければ、自分にはさすらいの運命しかないのであると覚悟していたのである。


 ワイオミング州の、ある開拓地に流れてきたシェーンは、急ぐ旅をしている訳でもなく、偶然なことで開拓農民のStarrettスターレット家に世話を受けることになる。言わば、一宿一飯の恩義を受けたのである。スターレット家の息子ジョーイとは、シェーンはすぐに仲がよくなり、日を過ごす内に、彼は、一家の主人ジョーとも親しくなる。そして、ジョーの妻のマリアンもシェーンも、口には出さないが、お互いに淡い好意を抱くようになっていたのである。しかし、この地には大牧畜業者たるRykerライカー一家がおり、開拓民達を不法占拠者として、この地から追い出しにかかっていた。ライカー一家と、ジョーを中心とする開拓民の争いは次第に激しさを増し、遂に、ライカー一家は、殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)を雇って、開拓民を強引に追い出しにかかる。事情が事情でガンマンたることを隠していたシェーンは、ジョー達のために、死地に赴き、ウィルソンとライカー一家を、その早業で撃ち殺した次第であった。

 以上が、1953年制作の、「股旅もの」ウェスタンの傑作『シェーンShane』を簡単にまとめたものであるが、何故、これをここに挙げたかと言うと、このストーリーの構造は、本作のストーリーのそれと、基本的には、軌を一にするからである。

 本作でShaneに当たるのが、Mixed Martial Artsの元選手で、脛にリング状での疵がある身であることから、ストーリー上の現時点では、しがない居酒屋のドアマンをしているElwood(Jake Gyllenhaalジェイク・ジレンホール)である。彼は、雇われではあるが、流れ者として、Florida Keysフロリダ・キーズにやって来ていた。フロリダ・キーズとは、フロリダ半島南端部の沖に、北東から南西方向に約290kmの長さで延びている列島のことで、映画にも登場するようにここをハイウエーとバス路線が走っている。Elwoodは、このハイウエー沿いにあるバー「Road House」の、女性の持ち主フランキーに雇われたのであった。

 映画『シェーン』でのスターレット家は、本作では、残念ながら、はっきりとこれに該当するものが出てこないのであるが、有色人種のタフなフランキーを中心とした、バーに雇われている連中や、バーの近くにある本屋の、同じく有色人種の男性主人スティーヴンとその娘チャーリーが、流れ者Elwoodと関わる。このチャーリーがElwoodと親交を結んでおり、彼女がスターレット家のジョーイに当たり、その父親ジョーに当たるのが、チャーリーの父親のスティーヴンと言えないことはない。本作のラストシーンでは、長距離バスに乗って立ち去っていくElwoodを呼び止めようとするのが、このスティーヴンなのであり、このシーンで筆者は、「おお、これはShaneだ!」という連想を得たのである。

 とすると、スターレット家のジョーの妻マリアンは、本作では、悪徳シェリフ・ブラックの娘Ellieということに出来ないか。積極的なEllieに誘われて、控え目なElwoodもまんざらな気分ではないようではあったが、結局は、彼が去ることで、二人の関係は淡いものに終わったと言え、正に、これは、マリアンとシェーンの関係であろう。実は、本作は、1989年制作の同名作品のリメイク版であるが、元祖『ロード・ハウス』は、要するには、主人公ジェームズ・ダルトン(パトリック・スウェイジ)と女医エリザベスとの熱い恋愛をテーマとした映画である。

 そして、シェーンの敵役の大牧畜業者ライカー一家に当たるのが、本作では、ブラント一家であり、彼等は、「ロード・ハウス」のフランキーに嫌がらせを働いて、追い出しに掛かっていたのである。追い出した後には、その地に大リゾート施設を建設する予定であった。(トランプ一家が、ガザのパレスティナ人を追い出して、そのガザの地に大リゾート地を建設しようとするのと同様のやり口である。) そして、この追い出し工作を早めるために、シェーンの対抗馬たる殺し屋ウィルソンならぬ、格闘家ノックス(コナー・マクレガー;地をそのまま演じているのか、印象的な映画出演)が差し向けられたのであった。

 という訳で、本作とウェスタン『シェーン』のストーリーの構造上の類似点を述べてみたのであるが、オーソドックスな西部劇の要素は、さすらいのヒーローということであり、本作のテイストとは、その類似性が強いのである。とは言え、本作で最も特筆すべきは、主人公Elwoodの処世観であり、それを体現した俳優J.ジレンホールの演技力であろう。その過去の影を引きずって、シニカルな中に、何かメランコリー感を漂わせるElwoodの存在は、本作を単なる格闘家映画に終わらせない、人間的な魅力を醸し出していると言える。

2026年8月24日月曜日

ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急地獄行き(スペイン、大英帝国合作、1972年作)監督:ユージニオ・マーティン

 日本の戯作の歴史において、「黄表紙」とは、18世紀後半の、政治風刺に重きを置いた知的な読みものであった。USAの1890年代からの、「イエロー・ペイパー」、即ち「黄色新聞」は、大衆の受けを狙って、煽情的な記事を掲載した低俗な新聞であった。同じ黄色でも、古今東西、随分と違うものである。この後者の「黄色の伝統」を受け継いだのが、1960年代のイタリア映画の一ジャンルである。この時期に、Gialloジャッㇽロ(「黄色」の意味で、その複数形は、Gialli)と呼ばれる一群の映画作品が製作される。Gialloの言葉自体は、文学的には、既に1930年代から存在し、USAのパルプ・フィクションを模倣した作品群がイタリアでも増産されていたのである。これらをイタリア映画界が映画化し出したのが、1960年代であった。イタリア絵画を思わせる色彩性と、イタリア・オペラを思わせる演劇性も絡み合った、スタイリッシュに映像化された、とりわけ、猟奇(連続)殺人事件がそのテーマとなる。しかも、その映像の背景には、流麗な音楽が流れるのである。あのエンニオ・モリコーネも、このジャンルの幾つもの映画作品に映画音楽を提供している。


 一方、同じ1960年代のイタリア映画界が「創造」したもう一つのジャンルは、和製英語で言うところの「マカロニ・ウェスタン」である。イタリア人男性を揶揄するために、欧米では、「スタゲッティ―喰い野郎」という言葉が使われるが、欧米では、それ故、「マカロニ・ウエスタン」のことを、「スパゲッティ・ウェスタン」と言う。であれば、USAの正統のウェスタンを、「ホットドッグ・ウェスタン」と言えるとしたら、スペイン製のウェスタンは、「パエーリア・ウェスタン」とでも言えようか。実は、「スパゲッティ・ウェスタン」のロケ地は、スペインが多く、スペイン人監督も、そのようなウェスタンを撮っていたのである。本作の監督Eugenio Martinも、このジャンルのウェスタンを60年代から撮っており、71年には、リー・ヴァン・クリーフ主演の作品を、その翌年には、本作には何故か登場するテリー・サヴァラスが主演する『Viva Sancho Villa』なる作品を撮っている。

 つまり、本作は、「パエーリア・ウェスタン」を撮っている監督が、エンニオ・モリコーネ張りのメロディアスな曲をテーマ音楽として流し、しかし、そのストーリーは、イギリス風のゴシック・ホラーとSFを混ぜ合わせたものにするという、正に、超ごった煮のシベリア横断鉄道物語りである。

 しかも、物語りは、1906年の四川省から始まり、まずは、上海を中継地点として、何やら、いかがわしい東洋人達が登場する。映画に出てくる、漢字で書かれた「上海」が、現代書道的にアレンジされていて、中々である。蒸気機関車ファンにとっても、垂涎ものの蒸気機関車が、その型式は筆者には分からないが、登場するところも見ものであろう。こうして、一行は、シベリア横断鉄道に乗り継ぎ、モスクワを目指すことになるが、その一行の前には、目から赤い光線を発するモンスターが現れる。この凍結していた、約二百万年前の猿人がモンスターとして蘇るというナンセンスに、ピーター・カッシング演ずる医者が被害者の頭蓋骨を開けてみるというグロテスクが邂逅する。であれば、日本の1930年代の「エロ・グロ・ナンセンス」ではないが、当然、「エロ」を体現する女優が出てこなければならないであろう。

 そのような女優一人が、本作でポーランドの伯爵夫人を演じるSilvia Tortosaである。バルセロナ生まれの彼女は、元々は舞台女優として出発したが、1960年代の半ば以降、映画界にも進出し、本作でも、クリストファー・リー演じる人類学者に、人妻であるにもかかわらず、「興味」を示す役を演じる。彼女は、列車の豪華コンパートメントに置かれたピアノで、映画の冒頭に流れるテーマ曲を演奏する。

 もう一人の女優は、女スパイ・ナターシャを演じるHelga Linéである。彼女の本名は、Helga Lina Sternシュテルンといい、1932年にベルリンで生まれたユダヤ系ドイツ人である。彼女が生まれた翌年にナチス政権が誕生すると、彼女は、両親と共にポルトガルに亡命する。そこで育ったHelgaは、40年代の頭から映画界にデビューにするものの、その後は、ダンサー、サーカス芸人、ファッション・モデルとして働いて生計を立てる。1961年には、本作の監督でもあるEugenio Martinの下、カリブ海を舞台とする海賊映画に登場する女海賊を演じる。こうして、イタリア映画界への道が開かれたのか、これ以降、もう一つのイタリア映画が得意とするジャンル、古代ギリシャ・ローマをテーマとした「サンダル映画」や「スパゲッティ・ウェスタン」に出るようになり、1972年に本作での役を得ることになる。後年、スペイン映画界の鬼才ペドロ・アルモドバル監督に敬意を払われる存在となり、Helga Linéは、1982年に公開された映画『セクシリア』に助演している。

 さて、この愛すべき、レトロ感があるホラー映画は、クリストファー・リーとピータ・カッシングの両イギリス俳優のゴシック・ホラーのアウラが香気高く漂って、筆者には、好みの作品である。それに、スペインの宗教性が絡み、イタリア風のGialloジャッㇽロ映画感もまた出ており、高校の文化祭にある、お化け屋敷を思い出させ、怖がらないと申し訳ない気分が満載で、実に、楽しい。しかも、本作には、正確にはSFではないのであるが、異星物体が絡むという点で更に面白くなる。

 氷結した「物体」、赤い目、そして、何らかの力によって人間に乗り移る能力、この三点の特徴を挙げてみると、SF好きの方には、ハタと思い付くSF短編作品があるであろう。そうである。『Wo Goes There?』、邦題は、『影が行く』である。1938年発表のこの作品の作者は、SF雑誌の編集長として辣腕を揮ったJohn W. Campbell Jr.ジョン W. キャンベル Jr.である。この作品は、1951年に映画化されており、『遊星よりの物体X』が撮られているが、現代では、1982年作の『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演)の方が有名であろう。という訳で、本作は、そのストーリーの一部は、SFホラー映画の翻案ものであるという、楽しいおまけ付きでもある訳である。

2026年8月21日金曜日

死海殺人事件(USA、1988年作)監督:マイケル・ウィナー

 まず、本作のジャンル分けが、「ミステリー映画」というのは、納得が行かない。「ミステリー」とは、何か不可解なもの、人間の理性では説明の付かないものと関係する。本作は、犯罪推理小説を原作としており、故に、「推理もの」と言うべき映画である。主人公の名探偵Hercule Poirotエルキュール・ポワロ―の口癖である、「灰色の脳細胞(gray braincells)」とは、神経線維ばかりの部位(白質)に対して、神経細胞体が存在している部位(灰白質)で、大脳皮質と呼ばれる大脳の表面に拡がる薄い層のことを言う。ここが、脳の高次機能を司るのである。つまり、知覚、記憶、思考などの機能であり、当然、これが、名探偵の活動、「推理」にも関わるものである。故に、推理によって鮮やかに謎を解くのであれば、それは、ポワローが実地で示す通り、説明不可能なものではなく、以って、それは、ミステリーではないと言うことになる。

 次に、本作の原題名は、『Appointment with Death』である。原作題名の邦訳としては、『死との約束』というのがあるようであるが、何か違うような気がしてならない。当時は、「アポイントメント」がそれ程カタカナ語化していなかったから、そうなのであろうが、2020年代の現代では、むしろ、「死とのアポイントメント」とした方がしっくりくる。それでも、何でもカタカナ語にしてしまう現代の風潮を嫌う筆者としては、「死者との待ち合わせ時間」とでも訳したいところである。

 ところで、本作の邦題が『死海殺人事件』となっているのは、殺人が起こるのが、死海の西側にあるQumranクムランという発掘場所であるからである。上手い邦題である。実は、この地Qumranは、ヘブライ語で書かれた旧約聖書の写本が発掘された場所として有名になるのであるが、それは、1947年以降のことであり、本格的な発掘調査が行なわれたのは、1951年になってからである。つまり、本作の時間設定が1937年のことであり、所謂「死海文書(写本)」なるものは、未だ発見されていない時期のことである。

 何故にこのような「間違い、乃至は、思い違い」が起こったのかと言うと、Agatha Christieアガサ・クリスティーの原作では、殺人が起こる場所は、現ヨルダン領にあるPetraペトラという、赤砂岩で出来た廃墟都市である。しかし、であるからと言っても、ペトラではロケ撮影が出来なかったのである。と言うのは、本作の撮影に関わったイスラエルの撮影ティームがヨルダンに入国することは、政治・外交上、無理であったからである。本作の撮影が行なわれたのは、1987年のことで、この年の12月には、イスラエル国内にいるパレスティナ人による暴力・非暴力の抵抗運動、第一次Intifadaインティファーダ運動が始まるような状況であったからである。筆者も、この年の翌年の1988年春にイスラエルに偶然に滞在したことがあり、イェルサレムの旧市街地は、抗議のストライキのせいで、パレスティナ人が経営している店は、軒並み閉まったままであったのを今でも記憶している次第である。(因みに、筆者は、1994年にももう一度イスラエルに行っているが、その時には、ペトラにもイスラエルから行っている。但し、二重のパスポートを用意して、イスラエル入国には一つ目のパスポートを使って、これにイスラエル入管のスタンプを付けさせ、ヨルダンに入国する際には、二つ目の、イスラエル入管のスタンプが付いていないものを使って、ヨルダンに入国したという「策」を使った次第であった。)

 さて、創作者A.クリスティー自身からは内心では余り好かれてはいなかった、小説上で設定された人物H.ポワローは、ベルギー人で元警察官であった探偵である。少々気障な口髭を蓄え、自身の推理力にかなりの自身を持っている、人間としては随分癖のある、この、自他ともに名探偵と認める人物をよく体現した俳優は、劇映画、TV映画史上、蓋し、二人いる。一人は、イギリス人俳優David Suchetデイヴィット・スーシェイ(「スーシェ」の表記もあるが、アクセントは何れにしても「スー」)である。彼は、TV映画版シリーズの『名探偵ポワロ』で、本作上映の翌年の1989年から2013年まで「ポワロー」役を演じた、ポワロ―第一人者である。

 もう一人が、本作でもポワロ―役を演じている、イギリス人名優Peter Ustinovピーター・ユスティノフである。

 A.クリスティーの作品で、ポワロ―が探偵として登場する作品は、数多くあるが、その中で劇映画化されたものは、ウィキペディアのまとめが正しければ、1974年までは、1930年代に三本、戦後の1965年に一本であった。それが、1974年にシドニー・ルメット監督が豪華キャストで撮った『オリエント急行殺人事件』(ポワロ―役は、アルベート・フィニー)がヒットし、USアカデミー賞で六部門ノミネートされると、今度は、ポワロ―役をP.ユスティノフに替えて、1978年に『ナイル殺人事件』が、そして、1982年に『地中海殺人事件』が発表された。

 本作は、P.ユスティノフをまたぞろポワロ―役に据えて、三匹目の「ドジョウ」を狙って、撮られたものであるが、B級映画を製作する三流の製作会社が製作に当たり、Michael Winnerマイケル・ウィナーという、チャールズ・ブロンソンを主演とする私刑もので名前が売れた監督が担当した作品である。M.ウィナーは、本作のプロデューサーの一人でもあり、脚本作成にも参加し、更には、別名義で編集もこなすという働きぶりではあるが、やはり、本作の質の低さは、P.ユスティノフの演技力を以ってしても救いようがなかったと言える。という訳で、本作を以って、劇映画としては、ポワロ―・ブームは下火となり、再び、名探偵ポワロ―が銀幕に登場するまでには、ほぼ三十年の時が経なければならないことになる。2017年、イギリス人ケネス・ブラナーが、監督としてメガホンを握り、ポワロ―役も演じる。それが、2017年版『オリエント急行殺人事件』であるが、筆者は未見であるので、残念ながら、K.ブラナーによるポワロ―の役作りも評価できないところである。

 1974年版『オリエント急行殺人事件』では、その演技で、イングリッド・バーグマンがUSアカデミー助演女優賞を獲得しているが、本作に登場するローレン・バコールは、この作品にも、本作同様な、おしゃべり好きで騒がしいUSアメリカ人女性を演じている。恐らく、本作でのセット撮影であろうが、イェルサレムにある「嘆きの壁」で、女性立ち入り禁止なのにも関わらず、つかつか近寄って、「嘆いている」ユダヤ人男性に睨まれても、それを気にせずに、自分を記念撮影させる場面は、本作における彼女の役柄を物語って余りあるものであろう。

 とは言え、L.バコールが体現する英国下院議員たるウェストホルム卿夫人も、また、殺されるボイントン未亡人(パイパー・ローリー)も、如何にして社会的底辺から、社会的名声を得る地位にまで這い上がって来られたのかが、本作ではその説得性に欠け、ストーリーの欠陥の重要な一点ともなっている。

2026年8月8日土曜日

鬼婆(日本、1964年作)監督:新藤 兼人

 『鬼婆』という題名から、すぐに「安達ヶ原の鬼婆」がイメージされる。まずは、この伝説を知っておくことが本作の理解に役立つはずである。故に、これについて、ウィキペディアからその一部を引用する:

 「神亀丙寅の年(726年)の頃。紀州の僧・東光坊祐慶(とうこうぼう ゆうけい)が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、一軒の岩屋に宿を求めた。そこには一人の老婆が住んでいた。祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、薪が足りなくなったのでこれから取りに行くと言い、奥の部屋を絶対に見てはいけないと言いつけて岩屋から出て行った。しかし、祐慶が好奇心から戸を開けて奥の部屋をのぞくと、そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。驚愕した祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食うという鬼婆の噂を思い出し、あの老婆こそが件の鬼婆だと感付き、岩屋から逃げ出した。

しばらくして岩屋に戻って来た老婆は、祐慶の逃走に気付くと、恐ろしい鬼婆の姿となって猛烈な速さで追いかけて来た。鬼婆は祐慶のすぐ後ろまで迫り、絶体絶命の中で彼は旅の荷物の中から如意輪観世音菩薩の像を取り出して必死に経を唱えた。すると菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めた。」(以下、省略)

 726年ということは、奈良時代であり、奈良の都の権力は、現在の東北には余り及んでいない時期である。そして、「安達ヶ原」とは、他の説もあるのではあるが、現在の福島県二本松市にある地名で、市内東部を流れる阿武隈川が東へ屈曲する東岸に位置する台地状の地域を指すものであると言う。そして、ストーリーは、高僧によって、鬼神となった人食いの老婆が観世音菩薩のご利益により調伏されるという話しである。

 ついでなので、何故この鬼婆が人食いになったか、青森県に伝わる、ストーリーの前段があり、これもここに引用しておく:
 「白河天皇の時代。源頼義の家来の安達という武士が、頼義に敵地である陸奥への潜入を命じられ、いわという名の妻を連れ、幼い娘を乳母に預けて陸奥へ赴いたが、敵に討たれて命を落とした。いわは夫の霊を異郷に残して故郷へ戻るのはしのびなく、そのまま陸奥に留まった。数十年後、いわの住む庵に、旅の若夫婦が宿を求めた。女のほうは身重だった。故郷に帰りたくても帰れない身のいわは、仲睦まじい上にもうすぐ子宝に恵まれる幸せそうな夫婦に殺意を覚え、ついに包丁で女の命を奪った。しかしその女は、他ならぬ彼女の娘だとわかり、いわは7日7晩泣き明かした挙句に心を病み、旅人を襲う鬼婆となった。」

 武家の女が鬼婆になったというこの話しは、白河天皇の時代、つまり、11世紀後半のこととされており、それでは、元々の八世紀の話しと時間的に辻褄が合わないのではあるが、この前段の話しは、なぜそのような鬼婆が生まれたのか、その理由を知りたい人情を反映したものであると理解できる。何れにしても、鬼婆には、実は、実の娘がおり、無慈悲な運命のなせる業からか、自ら自分の娘を殺めてしまう悲劇がここで語られている。

 この鬼になった女の話しは、当然、能や歌舞伎の題材として採られ、能では、『黒塚』として、歌舞伎・浄瑠璃では、『奥州安達原』として存在する。能の「鬼女もの」の演目『黒塚』は、上に挙げたストーリーにほぼ則るものであるが、ワキが熊野・那智の山伏であり、シテが、最初は、粗末な小屋に棲む老媼で、老媼は、その正体を見破られると、後段には般若面を被った鬼女となる。最後は、山伏に調伏された鬼女は、己の姿に恥じ入って、舞台を去るところで演目は終わる。

 それでは、以上の「鬼婆」を巡る伝説を本作のストーリー展開と比較してみよう。まず、時代は、南北朝時代が始まる直前の14世紀前半、場所は、東北ではなく、現在の神戸市の中を流れる湊川の川沿いである。作中、湊川の戦いの話しが出てきて、楠木正成と足利尊氏の名前も登場する。湊川の戦いは、1336年に起こった合戦で、南朝の後醍醐天皇方の楠木正成が、北朝の天皇を擁立することになる足利尊氏軍に敗北して、戦死した戦いであった。

 この戦いのために、主人公の女二人は、男手である、中年の女の息子、つまり、若い女の夫が侍に徴発されて戦争に取られる。二人は、姑と嫁の関係であったが、畑仕事が出来ない中、それでは生きてはいけず、生きるために、葦原(すすき野ではない)に落ち延びた落人を殺しては、その武具を道具屋に売って、辛うじて生活を営んでいた、正に、戦争によって、「鬼婆」的鬼畜の生活を強いられた存在であった。姑と嫁は生き延びるためには、お互いを必要としていたが、息子乃至は夫と共に徴用された「八(はち)」が、帰郷する途中で殴り殺した坊主の衣装を纏って自分の住んでいた隣小屋に逃げ戻って来たことで、姑と嫁の関係に亀裂が入る。と言うのは、八が嫁にちょっかいを出し、それに乗った嫁は、八と自分から肉体関係を持つようになったからである。こうなると、姑は、嫁を取られるのではないかと、疑心暗鬼を起こし、何とか嫁を自分の許に置こうと、不貞を働く者は、地獄に堕ちると嫁を脅す。それでも、八の許に行こうとする嫁を止めるために、姑は、自分の小屋に偶然に立ち寄った、身分の高い落人が付けていた般若の面を付けて、嫁を脅す。元々既に「鬼婆」であった姑は、本当に、能の演目『黒塚』と同様に、般若の面を被った、本物の「鬼婆」になるが、姑、嫁、八の三人の運命は如何なる結末を辿ることになるか。

 監督は、本作の脚本も書いた、広島生まれの新藤兼人である。元々は、戦前から脚本家として映画界で活動していた彼は、吉村公三郎監督の戦後作品『安城家の舞踏会』(1947年作)の脚本を書いて、それがキネマ旬報ベストテン一位になると、早速売れっ子の脚本家となり、主に松竹作品の脚本を何本も書くようになる。1950年代は、吉村公三郎監督作品の多くの脚本を書いていたのが、新藤であった。

 監督として新藤がデビューするのは、もちろん自ら脚本も書いた作品『愛妻物語』(1951年作)で、この作品で新藤は自らの下積み時代を自伝的に描いた。妻役に、本作の中年の女役を演じる乙羽信子が、夫役に、本作で般若面を付けて登場する武将役の宇野重吉が、演じている。

 実は、この『愛妻物語』は、新藤がその前年の1950年に、松竹の会社首脳と制作上の対立が浮き上がって来たことで、新藤が松竹を辞めていたことに関わる。新藤は松竹を辞めて早速、独立のプロダクション「近代映画協会」を創立し、この製作会社が、大映からの仕事を請け負った形で製作した、近代映画協会第三回目作品がこの作品であった。近代映画協会第一、第二回目作品は、吉村公三郎監督、新藤脚本で協会設立年の1950年に撮られており、協会設立の発起人は、吉村監督、そして、本作で道具屋・牛を演じている俳優・殿山泰司(たいじ)であった。

 近代映画協会製作、新藤監督の1950年代作品としては、1952年作の、国際映画祭でも平和賞などが送られた『原爆の子』や、1959年作の『第五福竜丸』など、広島出身である新藤の個人的な思いが込められている作品が発表されている。

 1960年に同協会製作、監督・脚本が新藤である作品『裸の島』が、経済的に経営が難しくなっていた近代映画協会の最後の作品として発表されるはずであったが、その反響は大きく、この作品は、各種国際映画賞を受賞して、同協会が今日まで生き延びる切っ掛けになった作品である。モスクワ国際映画祭グランプリ、同作曲賞(林光)、メルボルン国際映画祭グランプリ、ドイツ・マンハイム映画祭グランプリ、リスボン映画祭銀賞、ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞などなどである。

 この映画の製作は、本作同様に、少人数の俳優とスタッフが合宿して、低予算で作品を制作したもので、ある孤島で農業を営む四人家族の生活が、台詞も少なく淡々と描かれる。モノクロ、シネマスコープで撮られたこの作品は、その映像美において「傑作」と言われる作品である。この撮影を担当したのが、本作の撮影監督・黒沢清巳(きよみ)である。

 東京国立近代美術館によると、黒田清巳は、1922年7月14日に京都に生まれた。日活、大映での活動を経て、その後、フリーとなる。1960年制作の『裸の島』で、監督の新藤兼人と共作して以来、言わば、「新藤組」の撮影監督となり、1977年制作の『竹山ひとり旅』までの新藤監督作品の撮影を担当し、78年に黒田は死去していると言う。

 また、この作品で、孤島に生きる農家の妻・母を演じるのが、本作でも中年の女を演じる乙羽信子、農家の夫・父を演じるのが、殿山泰司である。また、音楽担当は、本作同様の林光である。

 本作の『鬼婆』は、戦争により鬼畜の生活を余儀なくされ、更には、人殺しまでも犯している存在を描いたという点で、反戦映画である。一方、吉村実子が演じる嫁が奔放に性を享受するメッセージは性の解放への賛歌でもある。吉村は、全裸で葦原を駆け抜ける。そして、般若の面を無理やり剝がされた乙羽の顔が、何故か焼け爛れたような顔になっていて、自分はそれでも人間であると乙羽が叫ぶ場面は、広島の原爆で焼け爛れた被曝者への連帯の表明であるように筆者には思われる。戦後の長い間、広島の被曝者達は、日本人同胞から差別を受ける存在を生きなければならなかったのである。

ムーラン(USA、1998年作)監督:バリー・クック他

 ムーランを漢字で書くと、「木蘭」となる。これを日本語読みにすれば、「もくらん」で、何か「モクレン」と似ている。流石は、漢字文化圏にある日本語である。「モクレン」を漢字で書くと、「木蓮」となり、実は、「木蘭」は、中国語の「モクレン」で、植物学の学名で言うと、「マグノリア」である。...