本作、画面の構図と色彩感覚がいい。画面の構図は、監督・是枝裕和の才能であろう。色彩感覚は、むしろ撮影監督・中堀正夫の持ち味であろうか。
原作は、神戸出身の作家・宮本輝の1978年発表の同名小説である。筆者は原作を読んでいないので、本作のストーリー(脚本:荻田芳久)が原作のそれとどれほど異なるのか分からないが、関西出身の筆者の友人の言によると、本作の前半のストーリー展開の地は、兵庫県の尼崎ではないかということで、何れにしても、どうも社会の底辺で生きている人間達が住んでいる地区のようである。ウィキペディアによると、実際、原作者・宮本は1957年から小学校時代を尼崎で過ごしており、土地柄は肌身で感じていたはずである。 そして、本作では、まず、主人公・ゆみ子の少女時代が描かれ、小学生と思しき彼女の体験が語られる。それもあるのか、カメラの視点の高さが、子供の背の高さに近いように思われる。しかも、ここでは、その子供の視点が路地の一方から他方へ抜けるように見ているような画面構成が多用される。この点、筆者には名匠小津の特徴的画面構成を思い出されたが、面白いのは、その路地の出口が、暗い画面の手前に比べて異常に明るのである。正に、トンネルを抜ける所が明るいという、あの「眩しい」感覚である。
このトンネルの構図は、再婚してゆみ子が能登に住むようになり、ゆみ子の息子が相手方の夫の連れ子の娘と一緒に遊んでいる時にも出てくる。カメラはトンネルの手前に据え置かれたまま、血の繋がらない姉弟は、暗いトンネルの中に入っていく。トンネルの奥は明るく、能登の山野の緑色や黄緑色がこちら側からも見え、その色彩の景色は、トンネルの中にある水溜まりにも反射している。ゆみ子の子供時代の構図とは異なり、ここでは色彩に溢れ、しかも、トンネルの奥の自然の景色の一箇所が光っており、そこからトンネルの中を通って、それがカメラまで届き、更に画面を見る者にもまた射通すようである。これもまた、タイトルの通りの「幻の光」であろうか。
もう一つ、構図的に印象的な場面は、同じく姉弟が自然の中で遊んでいる場面である。カメラが山地に段々畑状に整地された田圃を撮っている。田圃には既に水が溜められてあり、その水は鏡のように空を静謐に反射している。その田圃の向こう側は、日本海である。この構図の中に、画面の中央を左から右に抜けるように通っているあぜ道があり、ゆみ子の息子がたどたどしくもスキップするようにあぜ道を通って画面の左から入ってくる。その男の子を追いかけるようにして女の子も付いていく。あぜ道の反対側に男の子が転げ落ちるのではないかとハラハラしながら観衆は見守っているのであるが、二人の姉弟は無事に画面の右に抜けていく。是枝監督は、長編劇映画第一作目から、子役を使うのが上手いのである。
筆者が本作の構図と色彩に圧倒されたのは、本作の終盤の、ある一シーンである。傷心に駆られたゆみ子が外に佇んでいると、ゆみ子が住む村で死者が出たのであろう。その死者を弔う葬列の一行が、小雪が降る中、彼女の近くを通り過ぎてゆく。すると、ゆみ子もその葬列に釣られて、間隔を置いてその後を付いてゆく。時は、既に夕暮れ時であり、空は夕暮れの群青色である。日本海の暗い青色が水平線の所で空の群青色と邂逅する。この大自然の中を葬列の闇が画面の中央の右から左へと水平線に沿うように抜けていくのである。そのうしろを一つの黒い人影が追いながら。壮大な自然の中で人の生の「終着点」を見ながら、ゆみ子は、自らの意識の中で極大化されていた心の傷を相対化できたのであろうか。
是枝監督は、何故、自分の劇場映画デビュー作に、中堀正夫撮影監督を起用したのであろうか。両者の映画人としての経歴を見ても、その接点が見当たらないのではあるが、ここで中堀撮影監督の経歴を簡単に述べておく。
中堀撮影監督は、1943年に東京で生まれたキャメラマンである。父の影響を受けて、写真家になるつもりで日本大学藝術学部に入学するが、その在学中に大学の先輩の誘いを受けて、特撮を手掛ける円谷特技プロダクションの現場に参加することになる。大学卒業後は、就職難であったこともあり、『ウルトラマン』の制作準備に関わることとなり、ちょうど人手を求めていた円谷プロダクションへ撮影助手として入社する。こうして、同じく『ウルトラマン』の制作に関わっていた、「奇才」実相寺昭雄と知り合うこととなり、中堀は、実相寺組撮影監督となるのである。テレビ番組演出、テレビ映画監督畑出身の実相寺監督が、長編劇映画第一作目として1970年に世に問うた作品『無常』は、ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞したが、この作品の撮影を共同担当したのは中堀であった。こうして、中堀は、1970年代、80年代のアヴァンギャルド映画作家の一人たる実相寺監督の奇抜な画面構成に耐え得る撮影技術を磨き、実相寺が亡くなるまで、十数本の作品を撮ることになる。本作が制作された1995年の三年前の1992年に、中堀は、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』を実相寺監督と撮っているが、ウィキペディアの経歴には、彼と是枝の「交差点」は見え出せず、中堀が本作の撮影に関わることになる。そして、本作により、中堀は、ヴェネツィア国際映画祭における特別賞に当たるオゼッラ金賞(Osella d'oro:現在は存在しない賞)の撮影賞を受賞する。
それでは、是枝裕和監督の映画人としての経歴を見てみよう。1962年に東京で生まれた是枝は、物書きになろうと、早稲田大学第一文学部文芸学科に入学し、ここを卒業する。母親譲りの映画好きから在学中から映画館に足繁く通い、卒論は創作脚本であった。大学卒業後の1987年に番組制作会社テレビマンユニオンに入社し、ここでテレビ番組制作の下積み生活を過ごす。こうして、是枝は、フジテレビのドキュメンタリー番組『NONFIX』(命名は、「ノンフィクション」からではなく、「固定されていない」という意味)で番組を担当するようになり、1991年に『しかし…福祉切り捨ての時代に』を制作する。生活保護を打ち切られた女性と、水俣病和解訴訟で患者と国の板挟みとなったある厚生官僚の、二つの自死をテーマとしたこの番組は早くもギャラクシー賞優秀作品賞を受賞し、是枝は、同じ番組の枠組みで、『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』(1991年)、『公害はどこへ行った…』(1991年)、『日本人になりたかった…』(1992年)、『映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン』(1993年)、『彼のいない八月が』(1994年)と立て続けに発表する。
是枝は、これ以外にも別の放送局の別の番組の枠組みでドキュメンタリー映画を制作するのであるが、テレビマンユニオンに在籍のまま、映画監督してデビューすることを決め、本作を制作することになる。ここで、とりわけ注目したいのは、恐らく是枝がデビュー作品を何にするかを思案していたであろう時期の、本作発表の二年前に出された『映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン』である。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と楊德昌(エドワード・ヤン)は、台湾ニューシネマの代表的監督の二人である。本作の音楽を担当しているのが、 陳明章と同じく台湾人音楽家であり、是枝自身、家族の縁で台湾とは関係があるのである。是枝の祖父は、奄美生まれで、そこから台湾に渡り、是枝の父はその関係で台湾で生まれている。そう言う背景を是枝が持っている訳で、その彼が、1980年代、90年代の台湾ニューシネマの動向に映画人として興味を持たない方が可笑しい程である。そして、ウィキペディアの日本語版での「台湾ニューシネマ」の特徴を読んでみると、正に、本作を含む是枝監督の映画作りの方針がここにまとめられているように筆者には思われる。それ故、少々長いのであるが、それをここに引用しようと思う:
「台湾ニューシネマに属する作品群とそれまでの台湾映画とで最も異なる点は、その写実性にある。従来の台湾映画が政治宣伝的色彩国策映画や、現実社会とは遊離したいわゆるヒーローもの中心だったのに比べ、台湾ニューシネマの作品には、台湾人の日常生活や台湾社会が抱える問題などに直接向き合い、それを丹念に追うことを通じて、ときには台湾社会の暗部にまで光をあてるといったような内容の作品が多い。
また、黄春明など、いわゆる郷土作家の文芸作品を積極的に題材に取り上げていること、それまで公共の場での使用が禁じられてきた台湾語などの方言を台詞に使用するなど、画期的な手法を取り入れていることなども大きな特徴である。
その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども特徴として挙げることができる。」
という訳で、台湾ニューシネマの特徴を箇条書きにすると、①写実性、②日常性、③社会問題との関り、④郷土性、⑤方言の使用、⑥ストーリー展開の曖昧性、⑦スローテンポの語り の七つの特徴をここで拾い上げることが出来る。そして、面白いことにこのすべての特徴が、少なくとも本作における作品の特質と合致するのではないか。
写実性は、是枝がドキュメンタリー映画畑出身である点で、その制作態度の前提中の前提と言っていい点であろう。幼馴染同士が結婚して子供をもうけるという日常性は、夫の理由が分からない自殺で以って一挙にドラマ化する。こうして、自殺という社会問題がストーリー展開に関わってくる。しかも、関西弁を話す主人公が後妻に入って、日本海側の能登に行くことで、別の風土の中で、自殺された妻が自分の心の傷を見直すことになる。自然の中で遊ぶ子供達の姿を入れたり、能登の風物詩を描いたりしながら、ゆっくりとストーリーは展開する。しかし、物語りは、主人公ゆみ子が自殺された者の心の痛みにどのような決着を付けたかは観ている者にははっきりと分からないままで、彼女の、義理の父親との何気ない会話で終わる。
是枝は、本作以降、自作の劇映画には自ら脚本を書く姿勢を貫く。編集も2023年制作の最近作『怪物』以外は、自分で担当している。そして、彼は、長編劇映画第二作目『ワンダフルライフ』(1999年作)で自分の組の撮影監督を見つけたようであった。山崎裕(ゆたか)である。しかし、作品賞、監督賞を数々受賞している是枝作品で、撮影賞(日本アカデミー賞)を獲得することになるのは、本作以来、『万引き家族』(2018年作)と『怪物』(2023年作)の二作を待たなければならない。この二作の撮影監督は、近藤龍人(りゅうと)である。故に、劇場映画デビュー作に、中堀正人を人選したことは、誠にラッキーであったとも言えるのである。
映像素材は、Fujiフィルムで、自然の風景の撮影に適した素材であり、撮影機材は、Arriflex 535, Zeiss Super Speed Lensesである。さすがは、Zeissレンズで、本作の映像は、誠に鮮やかに撮られている。
その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども特徴として挙げることができる。」
という訳で、台湾ニューシネマの特徴を箇条書きにすると、①写実性、②日常性、③社会問題との関り、④郷土性、⑤方言の使用、⑥ストーリー展開の曖昧性、⑦スローテンポの語り の七つの特徴をここで拾い上げることが出来る。そして、面白いことにこのすべての特徴が、少なくとも本作における作品の特質と合致するのではないか。
写実性は、是枝がドキュメンタリー映画畑出身である点で、その制作態度の前提中の前提と言っていい点であろう。幼馴染同士が結婚して子供をもうけるという日常性は、夫の理由が分からない自殺で以って一挙にドラマ化する。こうして、自殺という社会問題がストーリー展開に関わってくる。しかも、関西弁を話す主人公が後妻に入って、日本海側の能登に行くことで、別の風土の中で、自殺された妻が自分の心の傷を見直すことになる。自然の中で遊ぶ子供達の姿を入れたり、能登の風物詩を描いたりしながら、ゆっくりとストーリーは展開する。しかし、物語りは、主人公ゆみ子が自殺された者の心の痛みにどのような決着を付けたかは観ている者にははっきりと分からないままで、彼女の、義理の父親との何気ない会話で終わる。
是枝は、本作以降、自作の劇映画には自ら脚本を書く姿勢を貫く。編集も2023年制作の最近作『怪物』以外は、自分で担当している。そして、彼は、長編劇映画第二作目『ワンダフルライフ』(1999年作)で自分の組の撮影監督を見つけたようであった。山崎裕(ゆたか)である。しかし、作品賞、監督賞を数々受賞している是枝作品で、撮影賞(日本アカデミー賞)を獲得することになるのは、本作以来、『万引き家族』(2018年作)と『怪物』(2023年作)の二作を待たなければならない。この二作の撮影監督は、近藤龍人(りゅうと)である。故に、劇場映画デビュー作に、中堀正人を人選したことは、誠にラッキーであったとも言えるのである。
映像素材は、Fujiフィルムで、自然の風景の撮影に適した素材であり、撮影機材は、Arriflex 535, Zeiss Super Speed Lensesである。さすがは、Zeissレンズで、本作の映像は、誠に鮮やかに撮られている。
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