2023年6月29日木曜日

天気の子(日本、2019年作)監督:新海 誠

 新海アニメ・ワールドの一つの特徴は、それが写真ではないかと、もう一度目を凝らす、写実的なアニメーション作画の精緻さである。それは、自然の風景や都市景観によく表現されるのであるが、この効果は、雨が降った後に太陽が差し込んでくる時の、刻一刻と変化する光彩の変化がアニメーション作画に付け加えられることにより、さらに強められる。ゆえに、新海は、ストーリー作りにおいて、「雨男」であると同時に、「晴れ男」でもあり、雨と、雲間から晴れだす太陽光は、お互いに「必要・十分条件」なのである。

 こうして、本作では、雨が降り続ける東京という、新海にとって絶好のセッティングが取られる。そして、これと、「晴れ女ならぬ晴れ女の子」がタッグを組めば、正に「最強」である。

 天気が晴れますようにという「願い」を考えると、人はすぐにでも「てるてる坊主」のことに思い至る。そして、ウィキペディアによると、さらに、この「照り照り坊主」の元ネタには、ある中国伝説があると言う。ウィキペディアは言う:

 「[当時の首都]北京には、頭が良く、切り紙が得意な美しい娘、晴娘[チンニャン]がいた。ある年の六月[日本であれば梅雨の時期]、北京に大雨が降り[続き]、水害となった。北京の人々はこぞって雨が止むよう、天に向かって祈願をし、晴娘も祈りを捧げた。すると、天から、晴娘が[四海龍王の内、尤も広大な領土を持つ]東海龍王の妃になるなら雨を止ませてやろうという声が聞こえた。街の人々を救うと誓った晴娘が頷き、同意すると、雨は止み、その瞬間に風が吹き、晴娘は消えた。その後、晴娘の姿は見つからず、空は晴れ渡った。以来、北京の人々は皆、雨が続くと、晴娘を偲んで切り紙で作られた人形を門[の左側]に掛けるようになった。」 というのである。(中国書の『帝京景物略』などに拠る。)

 これが、「掃晴娘(さおちんにゃん)」の伝説である。「掃」の字が最初に来るのは、晴娘に、雨雲を掃いて晴天にするための箒を持たせるためである。何れにしても、この伝説は、正に人身御供の話しであるが、これに、田舎から東京に家出をしてきた高校一年生の視点を加えることで、アニメ制作のターゲットとする年齢層を少々低くしたのが、今回の新海アニメのストーリー・セッティングである。大人びた高校一年の男子生徒と、古文を担当する女性元教員との関係を描いた『言の葉の庭』のセッティングに較べると、年齢が低くなった分、ストーリーがシンプルになり過ぎたのが、如何せん、気になるのが本作の出来であろう。

 しかも、気候変動をテーマにしている本作のストーリーにおいて、そのままにしていれば、東京は水没するというメッセージは、メッセージ性としては、筆者には弱すぎる。フライデー・フォア・フューチャー運動や「ラスト・ジェネレーション」という過激派さえもが生まれ出ている、今の時代を鑑みると、この不満感は余計に強まるのである。

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