本作は、果たして、「コメディー」なのか、或いは、コメディーであるとして、成功しているであろうか。喜劇は、悲劇を演ずるよりも、格段に難しいことを念頭に入れても、本作には、笑える部分がいくらかはあるにはあるが、観客を笑わせようとする意図が見え過ぎて、笑うに笑えないシーンがいくつかあったことも否めず、本作は、コメディーのジャンルを専門とするB.ワイルダー監督の手になるにしても、コメディーとしては成功していないように、筆者には、思われる。
B.ワイルダー監督がA.ヘップバーンと共作して1954年に上映された作品『Sabrina:麗しのサブリナ』を人は誰も「ラブ・コメディー」とは呼ばないであろう。精々は「ロマンティック・コメディー」たる、この作品では、若いA.ヘップバーンは、中年のH.ボーガートとお相手をする。一方、その三年後の本作では、ストーリー上19歳であることになっているA.ヘップバーンは、金持ちのアメリカ人・中年紳士役のG.クーパーと共演している。
若い女性が金持ちの中年紳士に恋することは、あり得ることであるので、本作でのG.クーパーが年が取りすぎていて、こんなカップルは考えられないという意見に筆者は組するものではないが、世界を駆け巡るプレイボーイとしての本作でのG.クーパーの役どころは、誠実感がただよう人間としての俳優G.クーパーと、どうしても違和感となり、それ故に、役柄と俳優の人間性との間のミスマッチ感が押えきれない。(映画に登場する、G.クーパーの世界を駆け巡るお色気の「行状」について、一つ、1953年という走り書きがある日本語の新聞記事の見出しがある。それには、「新聞王ケーン死す」とあり、恐らくは映画『市民ケーン』と関係がある記事の左横に、何か中国風の芸者に囲まれて、お風呂に入っているG.クーパーの写真が載せられてあり、それは、残念ながら、いかにも合成写真のように見える。)
パリのコンセルヴァトワールでチェロを勉強しているパリ娘Arianeが恋に落ちるのであれば、その相手は、パリの、あるオペラ座でR.ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を聴きながら、コンサート用のプログラムを望遠鏡のように丸めて、その一方からコンサート会場を覗くなどという無教養な人間であってほしくない、と感じるのは、筆者だけではないであろう。せめて、エスプリのある会話ができる漁色家であってほしい。こう考えると、本作の主人公Frank Flannagan氏のキャスティングも違ってくるであろうし、コメディー性ももっと他に探せたはずである。
このコメディー性という点では、パリの高級ホテルHôtel Ritzに泊まっている、犬を連れたご婦人と共に、本作の初盤と、終盤への展開点で重要な役回りをする登場人物Monsieur Xを演じるJohn McGiverジョン・マッギーヴァーの存在に注目すべきである。アメリカン・「カサノヴァ」に自分の妻を寝取られた夫役で、その存在自体は何も笑えないのではあるが、彼の置かれた状況が作り出す「可笑しみ」は、その後のB.ワイルダー調の滑稽味につながるものである。ニューヨーク市っ子のJ.マッギーヴァーは、高校の英語の教員として働く傍ら、演劇に興味を持ち、舞台監督や舞台俳優として、活動していた。かつての同僚に誘われて、1955年に初めて、ある舞台劇の主役を務めたことにより、職業俳優となり、これ以降、その小柄で、はげ頭の容姿が印象深いところから、性格俳優としての道を歩むことになる。映画での初めての役は、本作であり、A.ヘップバーンとは、ティファニーの親切な店員として、1961年作の『ティファニーで朝食を』で共演している。
さて、本作には原作がある。その名を、『Ariane, jeune fille russeアリアーネ、あるロシア人の若い娘』といい、スイス生まれのフランス人 Claude Anetクロード・アネが、1920年に発表したものである。C.アネは、1868年生まれで、ソルボンヌ大学で精神科学を勉学し、卒業後一時会社勤めなどをした後、イタリア、ペルシャ、ロシアなどを旅行をして歩き、その旅行記を発表したり、テニス選手として、1892年にフランスのテニス選手権で優勝したりしている人物である。ロシア旅行の際には、ロシア革命を実際に体験しており、『ロシア革命、年代記 1917-1920』という本まで出している。ノンフィクション作品だけではなく、C.アネは、小説も書いており、その一本が本作の原作になる本で、彼のロシアでの体験が反映されているものと思われる。
ウィキペディアの解説をまとめると、この作品は、1900年頃のロシアを舞台とし、叔母の許で育った、17歳のArianeという娘が、叔母の許しを得て、但し、叔母の資金援助なしで、モスクワの大学に勉学に行くところから始まる。そして、そのモスクワで、彼女は、アメリカ人の金持ちのコンスタンティンと知り合いになり、休暇でいっしょにクリミア半島に出掛けたりするという話しである。20世紀の初頭のロシアでArianeのような若い娘がいたということが中々信じがたいのであるが、女子学生のArianeとアメリカの金持ちの男性という関係は、確かに、本作に反映されている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己
冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる: 「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...
-
主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されているこ...
-
中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で大人のアニメへの展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の、長編アニメ『君の名は。』(2016年作)以降、『天気の子』(2019年作)を経て、本作(2022年作)へと三年毎に作品が発表され、『言の葉の庭』とは別の歩を辿る。『君の名は。...
-
映画の出だしで、白黒で「東映」と出てくる。もちろん、本作の配給が東映なので、そうなのであるが、しかし、『カツベン!』という題名から言えば、「日活」が出てほしいところである。「日活」とは、 1912 年に成立した、伝統ある映画会社であり、その正式名称が、 「 日本活動冩眞株式...
0 件のコメント:
コメントを投稿