省みれば幾星霜
波静かなる大海原に
平和の鐘鳴響くとき
今も尚海底深く眠る
幾多潜水艦乗員の霊に
此の一篇を捧ぐ
その空を覗くように、今度は潜望鏡からの視点が一度取られると、すぐさま、実写撮影に繋がる。浮上する潜水艦の場面で、画面のすぐ左に潜水艦に取り付けれている砲が見える。浮上したところで画面が変わり、三人の乗組員が双眼鏡や中型・大型望遠鏡を使って、見張りをしている。本作に協賛している日本光学工業株式会社が提供している物であろう。(他には、沖電気、東京計器製造所が本作に協賛しており、潜水艦内の計器盤などは、これらの会社の物であろうと思われる。)
すると、見張員が左前方30度に敵小型機二機を発見し、潜水艦は「急速潜行」する。一度深く潜行するが、通信・聴音長永田大尉(小笠原弘)が何も異常がないことを申告すると、艦長佐々木中佐(藤田進;呂号潜水艦であれば、普通は少佐)は潜望鏡深度18を指示し、潜望鏡で海上を探る。敵艦艇がいないことを確認して、再び浮上する。そこに、第六艦隊司令長官から、横須賀にある潜水艦基地に二ヶ月振りに帰投すべく指令が入る。ここまでのシークエンスでは、潜水艦模型の特殊撮影を一部入れながら、実写とセット撮影部分とを交互に繋げてストーリーが展開する。移動カメラで艦内を見せる部分では、本作の主役である呂号潜水艦の内部が中型潜水艦の割に随分余裕のある設計で、筆者には違和感を覚えさせる。
水兵には入湯上陸をさせ、士官は、料亭で、長官主催の慰労会が開催され、ここで、各将校の人柄が描かれる。副長の堀田先任士官(丹波哲郎)は、きびきびした、如何にも有能そうな海軍大尉であり、同じく大尉の永田聴音長は、水中測的担当で、電波探知儀(電探)の技術改良に没頭していて余り面白味のないやもめの士官である。一方、軍医長の立花中尉(中山昭二)は、料亭「松政」に出ている芸者と既にいい仲になっており、宴会は早々に切り上げて芸者と別の小部屋に「急速潜行」する。掌水雷長の小島特務少尉(岬洋二;故に、肩章は、黒地に細い黄色い線が一本入って、桜の一つ星)は、上陸してすぐに横須賀の町にある小鳥屋に出掛け、飼っているインコに上手い餌を与えようという、いかめしい面相にしては好人物である。佐々木艦長自身、宴会は早々にして去り、自宅に幼い息子に会いに行く。妻も可成りの年齢がいっている女性のように見え、佐々木は随分と遅くなってから、目に入れても痛くない子供が出来たのであろう。このようにして、各登場人物の性格描写が比較的丁寧になされており、本作に好感が持てる。こうして、潜水艦ろ号は出航命令を再度受ける。
サンパンが陥落した後であるから、時は、1944年七月以降である。目的地は、東京とニューギニアを結ぶ東経線上、緯度は約フィリッピンのセレベス島南端に位置にするメレヨン島である。(現ミクロネシア連邦内にあり、別名は、ウォレアイ環礁である。戦争中は日本軍守備隊約七千名中、約五千名がここで戦病死して、「戦わずして玉砕した悲劇の島」と言われるが、戦後、ここから約千六百名が復員した。)任務は、この前線基地を守備する日本軍に食糧を輸送することで、本来の潜水艦活動から離れたものであった。ガダルカナル島がいわゆる「餓島」となった「ガダルカナル島の戦い」(43年二月に日本軍撤退)と同様の運命であるが、この時期には、日本側に制空権、制海権がなくなっている状況での窮余の策であった。(駆逐艦による輸送を「ネズミ輸送」と言ったのに対して、潜水艦によるものを「モグラ輸送」と呼んだ。)
次のろ号潜水艦の任務は、沖縄戦に伴ない「水上特攻」を敢行した不沈艦大和が沈没した45年四月以降の同年七月の、「残存四十数隻を投入する潜水艦特攻作戦」である。ここら辺のストーリー展開は、無声映画よろしく間字幕を使ってのものであるが、何れにしても、ろ号潜水艦もまたこの潜水艦特攻作戦を担う一艦として、勇壮な軍艦マーチと帝国海軍の「帽振れ」に伴なわれて、横須賀港を中部太平洋方面に出航する。
佐々木艦長が機嫌よく艦橋で、西郷隆盛の西南戦争を題材とした熊本民謡の『田原坂(たばるざか)』を唸っているところに、丁度通信が入る。それによると、原子爆弾を積んだ重巡洋艦イアンディアナポリスがテニアン方面に航行中であると言う。
サンパンが陥落した後であるから、時は、1944年七月以降である。目的地は、東京とニューギニアを結ぶ東経線上、緯度は約フィリッピンのセレベス島南端に位置にするメレヨン島である。(現ミクロネシア連邦内にあり、別名は、ウォレアイ環礁である。戦争中は日本軍守備隊約七千名中、約五千名がここで戦病死して、「戦わずして玉砕した悲劇の島」と言われるが、戦後、ここから約千六百名が復員した。)任務は、この前線基地を守備する日本軍に食糧を輸送することで、本来の潜水艦活動から離れたものであった。ガダルカナル島がいわゆる「餓島」となった「ガダルカナル島の戦い」(43年二月に日本軍撤退)と同様の運命であるが、この時期には、日本側に制空権、制海権がなくなっている状況での窮余の策であった。(駆逐艦による輸送を「ネズミ輸送」と言ったのに対して、潜水艦によるものを「モグラ輸送」と呼んだ。)
次のろ号潜水艦の任務は、沖縄戦に伴ない「水上特攻」を敢行した不沈艦大和が沈没した45年四月以降の同年七月の、「残存四十数隻を投入する潜水艦特攻作戦」である。ここら辺のストーリー展開は、無声映画よろしく間字幕を使ってのものであるが、何れにしても、ろ号潜水艦もまたこの潜水艦特攻作戦を担う一艦として、勇壮な軍艦マーチと帝国海軍の「帽振れ」に伴なわれて、横須賀港を中部太平洋方面に出航する。
佐々木艦長が機嫌よく艦橋で、西郷隆盛の西南戦争を題材とした熊本民謡の『田原坂(たばるざか)』を唸っているところに、丁度通信が入る。それによると、原子爆弾を積んだ重巡洋艦イアンディアナポリスがテニアン方面に航行中であると言う。
こうして索敵中の潜水艦ろ号は、まず、空母一隻を撃沈する。当然、これに対して、潜水艦ろ号は、米駆逐艦に爆雷攻撃を仕掛けられ、これを十数時間、海中で耐える。次第に酸素ボンベが空になって、艦内の乗組員が呼吸困難に陥っているところ、ろ号潜水艦は電探でインディアナポリスを感知、これに魚雷戦を仕掛ける。さて、潜水艦ろ号の運命や如何?
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まず、題名の「潜水艦ろ号」について述べようと思う。これは、正式には、「呂号」と記すべきものであり、ある一つの潜水艦に付けられ得る名称ではなく、潜水艦の大きさからこれを分類するための冠称である。つまり、水上基準排水量による違いにより、大日本帝国海軍では、1923年以降(つまり、ワシントン海軍条約以降)、1000トン以上の潜水艦を伊号、1000トン以下、500トン以上のものを呂号、500トン以下のものを波号と呼んだ。
そして、この水上基準排水量の違いは、潜水艦の用途の違いをも意味する。波号潜水艦は、基本的には日本近海を守備範囲とし、特定の用途のために使用された初期・旧型潜水艦であったと言ってよく、呂号潜水艦は、基地から洋上に出て、哨戒活動を主に行なった二等潜水艦であった。
一方、伊号潜水艦の中では、とりわけ、艦隊行動に適した、つまり、艦隊に同行できる速度を満たす艦級があって、この型式を「海軍大型潜水艦」(略して、「海大型」)といい、これに対して、伊号潜水艦の中で、「巡洋潜水艦」(略して、「巡潜」)とも言われて、長距離の外洋航行能力を保持し、敵方の通商を破壊する目的で建造された潜水艦型式もあった。
故に、呂号潜水艦は、「海大型」に対して、「海中型」と別称してもよいのであるが、太平洋戦争中に投入された呂号潜水艦には、艦級により、海中型の呂六型二隻、海中型の呂35型18隻、更に、他の呂型をより小型にして量産しやすくした呂百型18隻があったのである。これらの呂号潜水艦38隻は、一隻を除いて、戦闘海域で戦没しており、呂号潜水艦全体で見ると、撃沈した艦艇は、駆逐艦一隻と輸送艦数隻のみに留まるのである。故に、本作のラストシーンが描く「潜水艦ろ号」の「大活躍」(空母一、重巡洋艦一、駆逐艦一を轟沈)は、誠に「大本営発表」の偽の「戦果」である。この偽りの「戦果」では、流石に、呂号潜水艦元乗組員で、今は水底にいるはずの英霊もゆっくり眠ってはいられないのでないか。
更に、原子爆弾を載せた重巡洋艦インディアナポリスの轟沈である。確かに、インディアナポリスは日本の潜水艦に沈められたが、それは、呂号ではなく、伊号潜水艦によってであり、しかも、かの重巡洋艦が「新型爆弾」を運び終えて、帰投する途中であったのである。「新型爆弾」が日本に投下されたのは、日本人であれば、誰でも知っているはずであり、このように誰でも分かる嘘を何故に本作は吐かなければならないのか。これでは、希望的観測を現実と取り違えて戦争遂行を誤った戦時中の誤りをここでもう一度犯したいとでも言うかのようである。
そして、本作で描かれる潜水艦ろ号の外部並びに内部の問題である(美術:新藤誠吾)。本作は実写性を高めるために白黒で撮っているが(撮影:山中晋)、それは、また、実写フィルムを所々挿入するところから、それとの整合性をとるために、白黒にしなければならなかった理由もあった訳である。ウィキペディアによると、挿入されている実写部分は、1944年に撮られた戦争記録映画『轟沈』からのものであり、別のインターネットの記事によると、この記録映画で登場する潜水艦は、伊型潜水艦の幾つかの艦級であると言う。であるから、国策ドキュメンタリー映画に登場する伊型潜水艦に合わせるために、セット作成した「潜水艦ろ号」も伊型潜水艦のサイズを採らざる得なかったのである。故に、見た感じが本作の潜水艦の内部がゆったりしたものであると見えたのも当然である。同様に、「潜水艦ろ号」に取り付けてある単装砲は、恐らくは伊型のものであるようであり、砲戦をやろうとすれば、呂型の高角砲や連装機銃では対駆逐艦では歯が立たないはずである。
事程左様に、本作の脚本は出鱈目が多く(脚本担当:新井一及び監督の野村浩将;原案:髙橋一郎)、本作の最初に謳ってある高尚な英霊に敬仰する気持ちとは裏腹に、本作には、戦争娯楽映画の負の側面が露わに出ているとしか言いようがない。
最後に、本作でも言及される第六艦隊について述べておこう。この艦隊は、潜水艦艦隊とでも言えるもので、それまで戦艦を中心とする各艦隊に配属されていた潜水戦隊を統合して運用しようと言うことで1940年11月に編成されたものである。これは真珠湾攻撃の約一年前のことである。41年12月の艦隊編成では、三つの潜水戦隊があり、一つの潜水戦隊は、二つから四つの潜水隊から構成されている。そして、一潜水隊は、基本、潜水艦三隻から成っている。ウィキペディアによると、全ての潜水艦は、伊号潜水艦であった。
これが、44年四月になると、潜水戦隊がろくに編成できなくなり、編成できても、複数の潜水隊で成り立っているのではなく、伊号艦に加えて呂号艦も入れて、十隻前後で一潜水隊にしている。この時の「第七潜水戦隊」では、第51潜水隊のみから出来ており、しかも、この潜水隊は、全艦呂号百型艦(「呂号小型」)であり、11隻で構成されていた。(因みに、ガダルカナル島攻防戦後の1943年春以降は、米海軍側の対潜能力は、日本側が逆探しかなかったのに対して、聴音機、電波探信儀共に性能が向上しており、更には、濃密な対潜哨戒機の投入により、潜水艦に必要な海上航行さえも難しくなっていた。そして、米駆逐艦は、英国海軍が対Uボート戦で開発したヘッジホッグ、つまり、多数の小型弾24個を楕円状に一度に発射し、その内の一発が爆発すれば、全部が誘爆する新兵器を導入して、マリアナ沖海戦では目に見える「戦果」を挙げている。これに対して、日本側は、太平洋戦争開戦時からの、潜水戦隊を艦隊の前面に押し出し、哨戒任務とともに、敵艦隊を邀撃・漸減する散開線戦術に終戦まで拘り、本来、潜水艦戦が意味を持っていた後方遮断戦、インド洋で一定の成果を挙げていた通商破壊戦に踏み切れなかったのである。)
45年六月の最終の艦隊編成では、一潜水戦隊と五潜水隊のみとなっており、この時期には大体の呂号潜水艦が戦没していたので、伊号潜水艦と、更には、波号潜水艦も駆り出されて、艦隊を形成したというさんざんたる状況であった。それでも未だ呂号潜水艦で戦闘艦として残っていたのは、呂号46、50、109の三艦のみであり、この内、終戦前に戦没したのが、呂号46と109であるので、本作の「潜水艦ろ号」に該当するのは、時期的に言うと、この内のどちらかということになるが、ウィキペディアによると、両艦とも、既に45年五月に沖縄方面で亡失していた。呂号50は、中国・大連の港で終戦を迎え、46年四月、米軍により、五島列島沖で爆破、海没処分を受けて、今も海底に眠っている。