大英帝国の空軍RAF(Royal Air Force)が対ナチス・ドイツ帝国に空からの反攻を本格的に始めるのは、ようやく、1941年になってからである。何故なら、大英帝国は、1940年夏以降、「イングランド航空戦」を戦わなくてはならず、それが、長くて41年春まで掛かる。そして、北アフリカ戦線で英米連合軍が北アフリカ上陸後にロンメル軍団に優位を築くのは、42年夏であるから、この北アフリカ戦線へも爆撃機が割かれてもいたのである。
このRAFに加わることになるのが、USA「陸軍」航空部隊United States Army Air Forces(USAAF)であり、対独戦略爆撃を担当することになるのは、USA陸軍第八Air Forceであった。因みに、対イタリア戦略爆撃を担当したのは、第九Air Forceであった。
1941年12月7日(USA側の時間)の真珠湾攻撃により、USAは対日交戦状態となるが、日独伊三国同盟により、ナチス・ドイツもまた対USAへの宣戦布告を行なう。USA陸軍第八Air Forceがイギリス本土に移駐するのは、42年7月であるから、既に約半年でイギリスに移駐していたことになり、その翌月から対独戦略爆撃が始まる。このことは、USA軍の兵站力の強さを思わせる。
この1942年段階での対独戦略爆撃について、あるUSA爆撃部隊・准将(グレゴリー・ペック)の作戦遂行上の苦悩を描いた作品が名作『頭上の敵機Twelve O'Clock High』(1949年作、ヘンリー・キング監督)である。「Twelve O'Clock High」とは、ドイツ空軍戦闘機がUSA爆撃機B-17を攻撃する際、防備の比較的薄い爆撃機の「船首」を目がけて、爆撃機から見て、12時方向真上から攻撃を仕掛けてくることを言う。
「Flying Fortress(空飛ぶ要塞)」とは、USA製四発重爆撃機B-17に付けられた別称で、B-24 Liberator(「解放者」)と並んで、第二次世界大戦中のUSAを代表する重爆撃機である。B-17よりも後に開発されたB-24は、当然、より性能が高く、汎用性も高かったが、B-17は、堅牢性が高く、破損を受けてもドイツからイギリスに生還できる可能性が高かったところから、クルーには、「空の女王」と呼ばれ、B-24よりも好まれていたと言う。その点を描いたのが、『Memphis Belleメンフィス・ベル(「メンフィスのカワイ子ちゃん」)』(1990年作、M.・ケイトン=ジョーンズ監督)で、ストーリーの時点は『頭上の敵機』より後で、本作と同じ1943年のことである。
時は、1943年ともなると、RAFのランカスター四発爆撃機が行なう夜間絨毯爆撃に対して(ドイツ空軍のイギリス空襲への報復措置)、USA第八Air Force軍が担当する昼間「精密」爆撃も軌道に乗りつつあり、本作がストーリーを盛り上げるために述べ立てる「危険性」は、確かに、P-51マスタングの護衛戦闘機がドイツ上空まで付き添って来られる44年以降よりは高いはずであるが、42年の状況よりは低かったはずである。故に、本作冒頭の爆撃機18機を駆ったフランス東部のMetzメッツ市に対する空爆作戦は何も「秘密」にする程のものではなかったのである。(故に、本作の邦題『空爆特攻隊』は、可成りの誇大表示である。)
しかも、本作の原作となるRalph Barkerが書いた『The Thousand Plane Raid』(本作の原題でもあり、Raidとは「急襲」の意味)は、実は、RAFが1942年五月に敢行したケルン爆撃の史実に基づくものであって、千機以上の爆撃機を投入しての爆撃作戦は、何もUSA陸軍航空部隊の独創的な作戦ではないのである。更に言えば、本作でクライマックスとされる、ベルリンより南にあるMerseburgメルゼブルクへの空爆も、実は、対象とされる、Bf109 メッサーシュミット機と並ぶドイツ名戦闘機Focke-Wulf 190フォッケ・ヴルフ190の製作工場(本社はブレーメン)は、筆者が調べたところでは、この地Merseburgにはなかったと思われるのである。Merseburgの近郊には、Leunaロイナという場所にドイツの軍需産業にとって重要な化学工場、とりわけ、石炭から燃料を製造する工場があり、この地に対する大規模空襲が行なわれるようになるのは、1944年五月からである。何れにしても、以上のように、本作のストーリーは可成りいい加減なものであることが想像できる。
さて、「爆撃機千機投入作戦」は、RAFのBomber Commandを指揮することになったArthur Harrisアーサー・ハリス空軍元帥が、対独戦略爆撃の効用を大々的に宣伝するために考えついた作戦であった。こうして、未だ十分に爆撃機が足りていない状況であったにもかかわらず、北ドイツのハンブルクを攻撃地と定めて、英軍の各所に当たって、爆撃機を探し求め、1.047機をかき集めることが出来たのである。天候に大きく左右される夜間攻撃は、結局、1942年五月30日の夜に、二次目標であった、西部ドイツにあるケルン市に向けられた。
このような「爆撃機千機投入作戦」は、その後、エッセン、ブレーメン、ベルリン、ミュンヘンに対して敢行されたが、これ程の大量投入とまでは行かなくとも、ドイツでの空襲でドイツ国民を大きく動揺させたものとしては、1943年夏のハンブルク空襲と1945年二月のドレースデン空襲である。
エルベ川沿いの「ヴェネツィア」と呼ばれた文化都市ドレースデンに、休戦条約締結の五月八日まであと三ヶ月もない時期に大空襲を掛ける戦略的意味は殆んどなかったのであるが、それは、日本で言えば、東京大空襲の後の45年五月か六月に京都に空襲することと同様な意味合いを持ったのがこのドレースデン空襲であった。(この記事を書いている2025年八月六日、広島への原爆投下80周年の日に、ドイツの地のドレースデンでは、第二次世界大戦中に投下された不発爆弾が三個が発見され、無事に処理されたと言う。先日にはケルンでも同じ不発弾処理が同じ年の25年にニュースになっている。処理されたのは、あの最初の「爆撃機千機投入作戦」で投下された爆弾であったのであろうか。ドイツでは、「あの先の大戦」が終わって80年経っても未だに戦時中に投下された連合国軍の投下爆弾が発見されるのである。)
一方、43年七月下旬からのハンブルク空襲はその死者が約三万四千人にも上った大惨事であった。ナチス・ドイツがソヴィエト連邦への侵攻を始めたのが、42年六月であったが、これを受けた、スターリン側の連合国へのヨーロッパ第二次戦線の構築の要求を宥めようとして、イギリス側は、戦略爆撃の方法を変えることにする。即ち、それまで、軍需施設や鉄道網の破壊に集中した爆撃攻撃を、無差別絨毯爆撃攻撃に転換し、とりわけ、工場労働者が住む住宅地域に焼夷弾を集中的に落とし、以って、住居を焼き払い、ドイツ産業の生産力を低下させるのみならず、ドイツ国民の士気を挫くことを目指すことにしたのである。このような文脈で、上述の42年五月の最初の「千機爆撃機投入作戦」が続行され、翌年七月下旬に、ユダヤ教の神が道徳的に堕落したGomorrahゴモラの市民の上に「硫黄と火の雨」を降らせて罰を与えた如く、ハンブルクに対して、「ゴモラ作戦」が決行される。
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