大都市東京で生き抜かれた少年時代への、これほどの詩的なオマージュが在り得るだろうか?
その、さり気無さが観ている者の心を何故か締め付ける。スーツケースをじっくりとさする長男、明の手。一番下の四歳になるゆきの好きなアポロ・チョコレート。或いは、長女の京子が酔っ払った母親にしてもらう紅いマニキュア。これらの、謂わば、演出上の「小道具」が、本作では実に上手く効いている。それは、いかにもそうでございます、と言うようなわざとらしさではない。そんな、是枝監督の、日常への観察眼と、ストーリーの優しい語り口が観る者の心を和ませてくれる。監督の子供たちへの慈しみの情愛が観る物の心を直に伝わってくる。
現実に起こった事件を題材にしながら、その現実の事件の残酷さを意図的に追及はしなかった是枝監督の「創造性」を、いつもはそんな甘い、調和主義的描写を許せない筆者は、本作を観ている内にいつの間にか許していた。自ら脚本も書き、制作者ともなり、そして撮ったフィルムの編集も行なった是枝監督。15年間も暖めていたという、ストーリーをゆっくりと時間をかけて練っていたことに、監督の本作に対する並々ならぬ、個人的な「こだわり」の強さを推察せずにはいられない。
この映画の「優しさ」は何処から生まれてくるのであろう。映画のかなり始めの方から、本作を観ながら、この疑問を自らに問いかけていた。そして、映画のほぼ終わり頃に、明が死んだゆきを羽田空港で埋めた後に乗って帰るモノレールが出てくるシーンで思った。川の上の架橋を画面の左下から右方向にモノレールが音もなく滑っていったシーンでである。それは、あたかも水の中を泳ぐ蛇か龍かの如くに。この時、筆者は何故か、こう悟ったのであった:本作は、東京のある下町の風景、完全に護岸工事された川べり、何処にでもありそうなありふれた公園、古そうな黒ずんだコンクリート製の階段、それらの何気ない平凡な日常の風景をすべて含めて、数切れない人間が住んでいながらも、お互い同士は殆どまるで関係のない他人である「都会たるジャングル」東京への、東京出身の是枝監督の、自分の少年時代へのオマージュなんであると。正に、このことからこそ、この作品のあの「優しさ」が滲み出ているのであると。
「優しさ」のもう一つの源泉は、是枝監督が子供たちに演技を強制していないことにある。ほとんど実際の家庭生活のような撮影環境を作り上げ、特に次男の茂とゆきには殆ど本当の兄や姉や、頼りないが優しい母親といるような錯覚を覚えさせたに違いない。二人の挙動が、実に自然であり、ここに監督の並々ならぬ力量を感じる。そして、母親役のYouは、それが恐らくは地なのであろう、演技ではない演技をしている。地が演技になっている、不思議な存在、それがYouという名前の女優なのであろうか。(このような人間の、いつも外に向けらた内面とは、どんな内面なのであろうか?それを思うと、何か怖い気がしないでもない訳であるが。)
一方、京子や明の方はどうか。精神年齢の発達の点から言うと、女子は男子より早い。だから、明より若干年下の京子は、一ヶ月留守にしたあと、久しぶりで帰ってきた母親の、偽りの心を素早く感じ取っていた。年上の明もまたそうであったが、母親に妹と弟を頼まれては、むしろ、その責任感に負われていた。そんな、12歳の男の子が、声変わりをし、中学生にもなれる年齢になって、次第に子供から、状況に強制されて早くも「大人」へと成長せざるを得ないところに置かれていく。そんな明の、変化の、揺らぐ機微を、半ば子供のままの無邪気さと半分大人の恥ずかしさをないまぜにした、表情の「カクテル」で描く効果が、観る者の目を明に惹きつける。時に素人風の演技と見えるところがまた、何となく初々しく感じられるのである。これは、ストーリーと、明の性格描写と、キャスティングの妙の、為せる技であったと言うべきであろう。
こうして、本作で描かれた子供たちの映画的世界。この世界の中で、子供たちは、親がその親権を行使することなしに放置されていた。しかし、「都会のジャングル」の中に放置されたことで、「誰も知らない」うちに、彼らは彼らの「自由」をも享受していたのでもある。これは、実は、そんな「幸福」な存在でもあったとも、言いたげな是枝監督の、この逆説的な語り口の上手さに、筆者は深くこうべを下げるものである。
2023年3月8日水曜日
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