オランダ人監督のPaul Verhouvenパウル・ヴェアフヴァンは、あるインターヴューで、原作は詰まらなかったので、最初の二章ぐらいしか読んでない旨、答えている。それ故、本作のストーリーが原作にどれだけ忠実なのかは、比較しても意味がないのであるが、それでも、原作の作者が、Robert A. Heinleinローバート A. ハインラインであれば、1959年に発表された、この軍事SF「二等兵物語」がどんな内容なのかを知っておいて損はないはずである。
実際に原作を読めばいいのではあるが、手許にないので、ウィキペディアでその粗筋を調べてみると、意外とそれが、時事性を含み、面白い。ウィキペディアの一部を引こう:
「21世紀初頭、増加する犯罪と政府の非効率に対して寛大すぎた西側諸国は荒廃し、加えて1987年に始まった覇権主義的な中国に対するアメリカ合衆国とイギリスとロシアの連合の大戦争で地上は破壊されたあげく、2130年に中国に敗北した連合国は一方的な捕虜解放など屈辱的な講和条約を締結させられ、終戦後の米英露は無政府状態となって秩序は崩壊した。混乱する地球社会においてスコットランドで自警団を立ち上げた退役兵たちは事態を収拾し、その後、新たに誕生した地球連邦では軍事政権によりユートピア社会が築かれていた。」
1959年という、冷戦真っただ中の状況で、USAとロシアが同盟するというのは当時は奇想天外な予想であったであろう。今のウクライナ戦争を思えば、ハインラインの予想は確かに外れたの感があるが、1987年と言えば、現実の冷戦時代が終局を迎える2年前であり、ゴルバチョフの下、ロシアのポスト共産主義社会が順調に発展していれば、USAとロシアの協調は、全く予想外な絵空事ではないと言えた段階ではなかったろうか。更に、台湾有事が殊更に強調される、現在の米中対立は、中国建国10年後の1959年の段階では、正に予想だにしなかった事であり、さすがは、SF作家のハインラインの「鋭さ」には、脱帽するものである。
それでは、そのハインラインが描くところのユートピア社会とはどんな社会であるかと言うと、人種差別、ジェンダー不平等などない平等な社会で、ただ、選挙による参政権について、軍歴があるかないかでの違いがあるだけである。この違いによって、人々は、真正な意味での「有権者市民」と「無選挙権市民」に分かれる。古代ギリシャの「ポリス」を形成した「市民」は、自作農であり、同時に、重装歩兵でもあった。故に、原作には、ポリスを形成する「武装する市民」のイメージが根底にある。この理想を説くのが、フィリピンのタガログ語を母語とする主人公Juan Ricoホワァン=リコの恩師Duboisデュボアで、彼の担当科目が「歴史と道徳哲学」なのである。そして、デュボアは、地球連邦軍機動歩兵部隊退役大佐である。
このような軍事国家は、宇宙からの外敵に対する「防衛戦争」を戦うという場合は、その正当性を保持できるのであるが、それがなく、単なる支配機構になる時には、このような軍事国家は、全体主義化、ファシズム化、最近の用語としては、「権威主義国家化」する。この危険な傾向は、映画のストーリーで面白可笑しく「茶化されて」、「噴出」している。(その茶化しを茶化しと捉えずに、そのままに捉えて、本作の「ファシズム性」に感動している、一部の人間たちもいないことはないのであるが。)
一般兵卒Troopersの命を何とも思わない過激なスプラッター描写で風刺化されてはいるのであるが、旧帝国陸軍歩兵の万歳突撃を厭わないようなTroopers小隊に組織されている、Spaceship宇宙戦艦に乗り組んだ「宇宙海兵隊員」たちは、軍国主義体制イデオロギーを不思議とも思わない。ビッグ・ブラザー並みのメディア通信は、ナチスのプロパガンダを思わせて、常に市民にTrooperになることを呼び掛けている。その呼び掛けに応えるように、高校生リコとその友人たちは、軍隊に入隊する。リコの同窓生のカールは、リコが下士官程度で何とかやっているのに比べて、軍事情報部でとんとん拍子に昇進して大佐になっている。その軍事情報部のユニファームが、また、ナチスの、黒皮のロング・コートの、秘密警察ゲシュタポの、あのユニフォームなのである。
このように、あちこちに風刺と皮肉が入れてある本作のストーリーとプロットは、監督のVerhouvenと、アメリカ人脚本家のEdward Neumeierノイマイヤーの功績であろう。この二人は既に、同じくSFデストピア映画『ロボ・コップ』(1987年作)でチームを組んだ仲であり、この作品『ロボ・コップ』で、翌年のサターン賞で、作品・脚本賞を取っている。因みに、本作と『ロボ・コップ』並びに『トータル・リコール』(1990年作)を以って、監督VerhouvenのSF・B級三部作を形成している。
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