1871年に成立したドイツ帝国は、次の対仏戦争が起こることを想定していた。なぜなら、1870/71年の普仏戦争でフランスを屈辱的に破ったドイツは、そのフランスから、フランス東部のエルザス・ロレーヌ地方(ドイツ語でアルザス・ロートリンゲン地方)を奪い取っていたからである。対独復讐戦を誓うフランスは、対独防衛線たるマジノ要塞線を整えていたが、それに対抗すべく、ドイツ側も、全八個の軍(平和時における最大の軍編成単位)の内の七個を、オランダからスイスまでの西部国境沿いに、有事に備えるべく、対峙させていた。
なぜ、七個もの軍を投入するかというと、ドイツは、対仏と対露の二正面作戦を取らざるを得ず、まず、対仏戦で自国軍を一気に投入して、フランスを壊滅させた後は、自国軍を東部戦線に回して、対露戦を遂行するという戦術上の目論見(いわゆる、「シュリーフェン作戦)があったからである。実際、普仏戦争時にならってのドイツ軍側の合言葉は、クリスマスまでには戦争に決着を付けて、「パリでまた会おう!」であった。
戦争が勃発した直後の1914年8月、まずは、フランス側が対独攻勢を掛ける。英仏協商との関連でフランス側に立つイギリスは、ドーヴァー海峡を渡って、英国派遣軍を大陸に送り、フランス側から見て、北フランスからベルギーに掛けての左翼に布陣する。このフランスの攻勢を押え、今度は逆に反攻勢に出たドイツは、8月中旬に入り、協商連合軍を押し返し、ベルギー方面では、ブリュッセルまでも占領して、北フランスの国境、北海沿岸に押し寄せる勢いであったが、9月の第一次のマルヌの戦いを境に形勢が悪くなると、戦線を後退せざるを得なくなる。こうして、当初の運動戦は膠着状態に入り、相手側の塹壕まで50mないし100mの間隔しかない位置に両陣営が塹壕を築いて、対峙するという戦況に、遅くとも14年11月頭からは完全に陥ることになり、ヨーロッパは、寒さと泥の生活を兵士に強いる塹壕戦の中、厳しい冬の12月を迎える。そして、西部戦線は、12月24日のクリスマス・イヴに「奇跡」を体験する。
この「奇跡」は、英語では、「クリスマス休戦」、ドイツ語では、「クリスマスの平和」(「大きな戦争における小さな平和」)と呼ばれている。しかし、それは、14年12月であったから、可能であったのである。それぞれの国の国力が問われる総力戦たる本戦争において、毒ガス、戦車、戦闘飛行機などの近代兵器が登場するのは、15年以降であり、砲撃も、14年段階では連続十字砲火のような激しいものではなく、前線における機関銃掃射が、本作での戦闘場面に見られるように、精々であったのである。その意味で、19世紀までの戦争における良き伝統たる、戦場における「騎士道精神」が、14年末までは未だに生きていたのであり、戦闘を一時停止して、戦場に取り残された戦傷者を自陣に連れ帰ることは、戦争という反ヒューマニズム的行為の文脈において、当然の「人間性の表現」であった。
とは言え、上述の歴史的制約を背景とし、本作が、事実を基にしているという、映画の冒頭の言説に対して、本作のストーリーは、筆者には劇的に過ぎる。ゆえに、若干戦史を調べてみると、本作においては、芸術制作における「芸術家の自由」が許され過ぎてはいないかと思われる箇所が多々あったので、そのことをこれから述べていきたい。
まずは、本作の群像劇における主人公の一人となるNikolaus Sprinkニコラウス・シュプリンクの存在である。ドイツ人俳優Benno Fürmannベノ・フュアマン演ずるところの、このベルリンの劇場の人気テノール歌手は、確かに実在した。この1879年にベルリンで生まれたオペラ歌手は、Walter Kirchhoffヴァルター・キアヒホフといい、彼も戦争勃発と共に志願して戦場に赴く。とは言っても、西部ドイツの、ルクセンブルク国の南に位置し、ロートリンゲン地方を管轄下に置くドイツ帝国第五軍の上級司令部付きの将校として勤務しており、彼は、さらに、この第五軍の名誉司令官たる、プロイセン王国皇太子Wilhemヴィルヘルムの副官でもあったのである。つまり、彼は、映画で描くような一兵卒ではなかった。因みに、本作でも登場するWilhelm皇太子を、ドイツ人俳優Thomas Schmauserトーマス・シュマウザーが好演しており、ヴァイマール共和国時代にはその出自から当然として王党派であったヴィルヘルムが、ナチ時代になると、イデオロギー的には必ずしも相容れないナチス党を支持した経歴を持つ、Wilhelm皇太子の内面的陰影をさりげない演技でよく体現していた。
第一次世界大戦後の1922年に発刊された皇太子ヴィルヘルムの回顧録によると、ある時、キアヒホフ自らが皇太子に以下のように述べたと言う:自分は、クリスマスの祝日のために、第130歩兵連隊が守備する塹壕の最前線まで行き、そこで、戦友のために、ドイツのクリスマス・リートを歌ってきたのであります、と。
もちろん、この時は、キアヒホフは、愛人と前線に赴いた訳ではないはずで、クリスマスの祝日が過ぎた12月28日に、ロートリンゲン地方の中心都市Metzメッツ市の市立劇場で、スウェーデン人のソプラニストLilly Hafgren-Waagと共にR.ヴァーグナーのオペラ『ヴァルキューレ』の第一幕目を歌ったのである。つまり、キアヒホフは、映画で描くところの、デンマーク人の愛人のソプラニスト、Anna Sörensen(ドイツ人女優Diana Krügerディアナ・クリューガー)といっしょに、フランス軍側に投降しなかったのである。さて、実物のキアヒホフを映画のストーリー上であそこまで「英雄」にしてしまって、いいものであろうか。
次に、今や国際的俳優でもあるドイツ人俳優Daniel Brühlダニエル・ブリュールが、中尉として指揮する小隊が所属する第93歩兵連隊についてである。兵士たちが被る、尖がりの付いたヘルメット(Pickelhaubeピッケルハウベ)の布の覆いに、数字の「93」と書かれてあるところから、それが分かるのである。つまり、映画では、キアヒホフが述べている第130歩兵連隊ではなく、別の連隊が登場しているのである。
では、その第93連隊とは、どういう部隊であったのか。そのためには、まず、ドイツ第二帝国の軍制を見ておく必要がある。上にも述べた通り、ドイツ帝国においては、八個の軍があった。さらに、その下の部隊の単位は、軍団(Korps:コーア)で、1914年時点では25軍団があった。軍団から下降して、下の単位は、師団、旅団、連隊となる。何れも下位の部隊二個からなって、その一つ上の部隊単位が形成されるから、25軍団は、50師団、100旅団、200連隊と理論上はなり、実際、ドイツ帝国時代には、217連隊が存在したのである。
その217連隊中の、第130連隊と第93連隊である。第130連隊は、テノール歌手キアヒホフが関わった部隊であるから、第五軍に所属するとして、本作に登場する第93連隊は、どこに所属し、14年12月段階でどこに位置していたかである。所属は、第一軍、第四軍団、第八師団、第15歩兵旅団の所属である。この第15歩兵旅団は、戦史録によると、14年12月中旬までは、ベルギーのフランドル・アルトワ地方で塹壕戦を戦い、14年クリスマスの直前までは、フランス領フランドルで「12月の戦い」を戦い、丁度クリスマス第一祝日の12月25日からベルギーのフランドル・アルトワ地方で再び塹壕戦を戦ったことになっている。ゆえに、第93連隊は、「クリスマス平和」の14年12月段階では、ロートリンゲン地方ではなく、ベルギーの地にいたことになる。
本作の監督は、フランス人のChristian Carionクリスティアン・キャリオンで、彼が脚本も書いているので、当然にフランス軍も一役買わなければならないことになったのであろうが、実際、この「クリスマス平和」にフランス軍側がどれだけ関係したかは、少々疑問である。それでからではないであろうが、ドイツ軍側を、上述のように第93連隊とすれば、基本的に「クリスマス平和」が成立したのは、ドイツ軍側とイギリス軍側とが対峙したベルギーのフランドル・アルトワ地方ということになるのである。
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