2023年9月12日火曜日

遥かなる大地へ(USA、1992年作)監督:ロン・ハワード

 本作の制作が1992年で、日本での上映も同じ年の夏である。ということは、日本のバブル経済がはじける直前のことである。そして、バブル経済とは、日本経済が、「ものづくり」の経済ではなく、土地投機に血道をあげていたことを意味する。それは、価値の新たな創造ではなく、金の土地への投機が、より金の額を増やすかもしれないというところで展開する経済であり、同時に、経済成長とは関係のないところで回る「金融資本」の論理の貫徹を意味していた。正に、カール・マルクスが資本主義の発展に関して予言していた通りである。本作でのテーマもまた、19世紀末のUSAにおける、土地所有への熱い願望であり、その意味で、本作は、日本のバブル経済での土地投機への熱狂と軌を一にするものである。この点、本作の日本での初上映が、1992年夏であったことに、何かの符牒を筆者は感ずるものである。2023年の現在から見て、ほぼ30年前のことであり、ある種の感慨の念を禁じ得ない。

 さて、土地の問題ということであると、本作のストーリーにおいては、映画の最初のアイルランドの部分とその後のUSAの部分でも通底している点に気を付けたい。

 映画でも描かれた通り、19世紀後半のアイルランドでは、「Land War土地戦争」が行なわれていた。Tom Cruiseが演じるJosephは、アイルランド人の貧農の息子であり、この当時、基本的にはアイルランド人は「小作人」であるということである。一方、Nicole Kidmanが演じるShannonは、イギリス人の大土地所有者Christieの娘である。Christieの館が焼かれる焼き討ち事件は、実は、このLand Warと呼ばれた、19世紀70年代以降の、土地制度改革運動、つまり、アイルランド人の小作人の地位の向上を目指す運動の中で起こったものである。

 この土地問題が、今度はUSAでのストーリー展開になると、プロットとして、「Oklahoma Land Run」が取り上げられる。「Land Run」とは、土地取り競争であり、予め区分けしてある土地に向けて、スタートラインを決めて、土地を所有したい人間達、つまり白人の入植者達に「ラン」をさせることである。Oklahoma州で行なわれた、この土地争奪競争は、記録によると、五回あった。1889年のものがその最初で、その後、1891年から三年間連続し、一年空けて、1895年のものが五回目で最後であった。この五回の内、四回目の、1893年9月16日のLand Runが最大のものであり、1889年の参加者人数の約4倍の入植者達がこれに参加し、約33.000平方kmが土地所有の願望の対象にされたと言う。本作でも、この1893年9月16日のLand Runが、そのクライマックスに使われており、JosephもShannonも、その土地を求めての土地争奪戦に参加していた人間達の一員だったという訳である。

 そして、このRunに提供された土地とは、では、誰も所有していなかった土地であったかというと、このオクラホマ「準」州の歴史をよく見ると、基本的には、アメリカ先住民が北アメリカ大陸各地から強制移住させられてやってきた居留地Reservat、すなわち、インディアンに「リザーブされた」土地であったということである。その土地が、白人入植者達に提供されたのが、実は、この「Oklahoma Land Run」であったのである。つまり、白人によるアメリカ先住民の収奪である。

 この点をオクラホマ出身の監督R.ハワードが、自ら原案を考えだし、製作もしている中、Land Runスタート直前にアメリカ先住民を一秒のみ見せることで「スルー」しているのは、このポップコーン映画のハッピーエンドに相応しい軽薄さである。

2023年9月1日金曜日

廃墟の群盗(USA、1948年作)監督:ウィリアム・ウェルマン

 この異色の西部劇の原案は、W.シェークスピアの作品『テムペスト(大嵐)』を土台に自由に翻案したものであると言う。こう言われて、なるほどと思い当たる部分がある。なぜなら、映画の始めの銀行強盗の場面、騎兵隊に追われる、いかにも西部劇ならではの追撃場面、そして、カルフォルニア州にあるDeath Valleyを突き抜ける逃避行と、映画の3分の1ぐらいまでの、テンポのよいストーリー展開の前の方の部分と、本作の原題である「Yellow Sky」という砂漠の真っただ中にあるゴースト・タウンに銀行強盗団がようやく辿り着ていてからの部分とでは、語りのテーストが違ってくるからである。

 そこで、『テムペスト(大嵐)』のあら筋を調べてみた。ウィキペディアによると、以下のようになる:




 「ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオらを乗せた船が大嵐に遭い難破、一行は絶海の孤島に漂着する。その島には12年前にアントーニオによって大公の地位を追われ追放された兄プロスペローとその娘ミランダが魔法と学問を研究して暮らしていた。船を襲った嵐はプロスペローが復讐のため手下の妖精エアリエルに命じて用いた魔法の力によるものだった。

 王の一行と離れ離れになったナポリ王子ファーディナンドは、プロスペローの思惑どおりミランダに出会い、2人は一目で恋に落ちる。プロスペローに課された試練を勝ち抜いたファーディナンドはミランダとの結婚を許される。

 一方、更なる出世を目論むアントーニオはナポリ王の弟を唆して王殺害を計り、また島に棲む怪物キャリバンは漂着したナポリ王の執事と道化師を味方につけプロスペローを殺そうとする。しかし、いずれの計画もエアリエルの力によって未遂に終わる。」

 G.Peck演じるStretchは、ここでは、ナポリ王アロンゾーとその息子ファーディナンドを併せた人物であろう。故に、Stretchは、強盗団を率いており、Yellow Skyに到着するや、彼は、Constanceを演じるA.Baxterに一目惚れするのである。Constanceの祖父が、『テムペスト』におけるプロスペローであろう。こうして、劇における「絶海の孤島」こそが、Death Valleyという海に囲まれた「孤島Yellow Sky」なのである。

 本作における、R.Widmark演ずるところの悪役Dudeとは、こうなると、プロスペローを追放したミラノ大公アントーニオと怪物キャリバンを併せた存在である。こう読み解いていくと、本作は、非常に面白く、制作年の1948年という時代に、既に正統ウェスタンをひねくる作品が撮られていたことに敬意を表する。

 後の映画作品において、USAの「良心」を体現する俳優G.ペックが、最初は、強盗団の首領という「悪役」を演じることに、観ている筆者は違和感を感じざるを得ないのであったが、物語りが展開するに従って、やはり、改心するStretchになって、納得したのは、何も筆者だけではなかったであろう。

 一方、善玉の対局となるDudeは、救いようのない悪玉であるが、それを黒ずくめの衣装で体現したR.ウィドマークの演技力の凄みは、「悪の魅力」を徹底的に見せていて、賞賛に値する。1914年生まれのR.ウィドマークは、戦時中の1943年にブロードウェイで舞台俳優としてデビューした後、戦後の47年に映画界にも進出する。

 この年の、H.ハサウェイのフィルム・ノワール作品『死の接吻』ですぐに一躍有名となり、ゴールデン・グローブ賞で新人俳優賞を獲得し、同年度のアカデミー賞にノミネートされた程であった。その翌年の本作での出演は、その彼の実績を受けたものであった。このR.ウィドマークの「悪の魅力」と、撮影監督Joseph MacDonaldの手堅い白黒撮影を、本作を以って、映画通としては堪能したいものである。

若草物語(日本、1964年作)監督:森永 健次郎

 映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何...