2024年1月28日日曜日

アレース Arès (フランス、2016年作)監督:ジャン=パトリック・ベネス

 「SF」とあると、観たくなってしまう筆者である。故に、本作を観てしまった。観た時間が勿体なかったかなと、少々「後悔」をしているが、一旦観始めたら、最後まで観るタイプなので、本作も、途中で観るのを止めようとは思うほどではなかったが、やはり最後まで観てしまった。おフランス製SFと聞いて、もう少し「おしゃれな」作品を期待したのであるが。

 本作のストーリーは、近未来・ディストピーSFで、時代設定は、2035年である。本作の制作が2016年であるので、これは、約20年後の、将に来るべき「将来」である。場所は、おフランス製SFであるので、当然、フランスである。しかし、ヨーロッパ共同体が、もはや存在しなくなっているのであろうか、フランス国家自体が統治能力を失っていた。それは、赤字国債の発行のし過ぎで、フランスは巨額の負債を抱える赤字財政国家となり、その赤字を埋めるために、政府は、製薬関係の多国籍企業に借金をせざるを得なくなったことによる。こうして、政府は、債権者である製薬会社の都合のよいように、人体実験と、精神刺激剤投与、つまり「ドーピング」を「自由化」する。

 一方、一般大衆は、1500万人に及ぶ失業者数と、高いホームレス化に苦しんでいた。それ故に、「体制側」は、暴動を恐れて、銃器の所持を禁止しており、武器携行が見つかれば、厳しい処罰を受けるものとしていたのである。

 こうした苦しい現実から大衆が逃避するためには、「娯楽」しかなく、それは、テレビで放映される、混合フリースタイル格闘技に金を賭けて一攫千金を夢見ることである。しかも、登場する格闘技者の後ろ盾には、ドーピング剤を提供する巨大製薬会社が付いており、ドーピング剤の効能を巡って、各巨大製薬会社は、しのぎを削っていて、「スポンサー」として、自社がドーピング剤を投与した「選手」が勝つか負けるかは、同時に、その会社にとっての命運が掛かっていたのである。

 本名Redaレーダ、選手名Arèsアレースは、このような格闘技選手の一人である。かつては、一流選手の一人であった彼は、投与された薬剤の副作用で十年前に脳卒中を起こし、それ故、頭の左側にその時の手術の傷跡が痛々しい程はっきり付いている人間である。こうして、今は、しがない三流格闘技家となっており、貧相な高層アパートにある一室に住む住人である。彼は、まもなく格闘技界から引退することを考えており、今までに貯め込んだ金で、キオスクをやりながら、余生を過ごそうと思っていたところであったが、ある製薬会社が、精神刺激・体力増強作用において、画期的効力が期待される新製品を売り出そうとしており、そのために、ランキング下位のアレースがランキング上位者を倒すことで十分な宣伝効果が上がるという目論見で、彼に目を付けたのである。こうして、アレースことレーダの運命は大きく狂うことになり、本作のストーリーは、結末に向けて、更に展開する。

  さて、本作において、ストーリーのセッティングには、それ程、独創性が感じられなかった。近未来社会において、製薬会社がその社会の実権を握っているというプロットは、今までにも飽きる程、見ている。ただ、SFに混合フリースタイル格闘技をぶつける点は、面白い取り合わせで、この点では、SF作品ではないが、2007年作のフランス映画『ザ・スコーピオン キング・オブ・リングス』を思い起こさせる。フランスでは、どうも混合フリースタイル格闘技というのは隠れた人気があるようである。

 また、主人公と少女の関わりという点では、同じくフランス映画で、『Lèonレオン』(Luc Bessonルック・ベソン監督、1994年作)がある。この作品では、ニューヨークを舞台に、ある殺し屋(ジャン・レノ)と、麻薬密売組織に家族を殺された少女マティルダ(ナタリー・ポートマン)との交流が描かれる。本作では、主人公の姪っ子(Éva Lallier)が「マティルダ」に当たる。目がくりくりとして、髪の毛をピンク色に染めた、恐らくは、アニメ的造形対象で、一般的観衆には「可愛い」と言えるタイプに見え、この点で、若干、日本人的趣味への迎合が思わされる。

 さて、本作に登場する人物で、興味深い役柄(Micha Lescotミシャ・レスコー)がある。同じくL.ベソン監督作品『仏題:Le Cinquième élément 第五の元素』(1997年作)で印象的な存在だった「Ruby Rhodルビー・ロド」を思い起こさせる人物である。Rubyは、女装のクロス・ドレッシング人間で、ハイトーンの高音の声に、高速の口調であり、口癖が「Oh, my god!」である。本作における「Ruby」は、主人公が住む部屋に、フロアーを隔てて、斜め向かい側に住む住人で、女装のクロス・ドレッシング人間である。ただ、Rubyとは異なり、アンニュイな感じを与える存在である。さすがに2016年制作ということで、時代に対応した「仕掛け」になっており、「彼女」は、自分の部屋にカメラを備え付けており、自分の生活様態をオンライン・ストリーミングで配信して、生計を稼いでいるという設定である。この登場人物が、本作において、筆者には一番興味深い存在であった。因みに、「彼女」の名前は、「Myosotisミュオソーティス」という。気になったので調べてみると、この名前は、ギリシャ語から来ており、「二十日鼠 (myos) + 耳 (otis)」が語源であると言う。この言葉は、植物の学名にもなっており、「忘れな草」属は、葉から茎まで軟毛に覆われており、このような葉の、細長く多毛で柔らかい様態が、ネズミの耳に似ていることから、その名称が来ているという。ここは、本作の脚本家(監督を兼ねるJean-Patrick Benesと、監督とよくコンビを組むAllan Mauduit)が工夫を凝らした点であろうか。

 と言うことで、ギリシャ語との関連で言えば、「Arès」もまた、ギリシャ語、更に言えば、ギリシャ神話と関係のある名称である。しかも、このギリシャ神話の神のことを知っていることは、本作のストーリー展開を理解する上で、その一助になると思われるので、そのことについて一言、ここに記しておこう。

  Arèsとは、ギリシャ語をラテン語に表記して、「Ares」となるところから来ている。「アレース」、或いは、「アーレース」と読む。「アレース」は、ゼウスの子で、軍神である。彼は、巨体で美青年の姿で想像されるところからか、愛の女神アプロディーテーの情人、或いは夫であるとされる。アレースは、同じく「戦いの神」であるアテーナーが女神であるから、これとの好対照となる存在で、アテーナーが、一方で知性の女神であるところから、戦いにおける知略を象徴するとすれば、アレースは、戦いにおける暴力、それも「無思慮な暴力」、「暴力のための暴力」を象徴すると言う。こう見てくると、本作におけるアレースが、混合フリースタイル格闘技家である所以も、頷けるところである。

2024年1月16日火曜日

Perfect Days(日本/ドイツ、2023年作)監督:ヴィム・ヴェンダース

 主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されていることなど、映画人としてのW.ヴェンダースの作品制作上の「趣味」が、本作にはしっかりと反映されている。また、W.ヴェンダースの「強み」である、街の中をロードムービー的に歩き回る「ドキュメンタリー性」は、既に彼の1985年作のドキュメンタリー作品であり、巨匠小津安二郎へのオマージュでもある『東京画』で、東京都内を使って、実験済みであるところから、その時の「実験」は、今回でも、平山の車での移動の場面でも手堅く活かされている。

 W.ヴェンダースが、ストーリー展開において一本筋を通してストーリーをしっかり最後まで語ることに得意ではない点は、今回、日本語が出来ないW.ヴェンダースを助けて、共同脚本家として日本人の高崎卓馬が関わったことにより、よくその欠点が補われており、高崎との共作は、本作において、極めて幸運に働いたと言えよう。

 演歌歌手の石川さゆりが、イギリスのバンドThe Animalsがフォーク・ロック調で歌って1964年にヒットさせた『The House of the Rising Sun』を日本語訳で、しかも、自称演歌好きのシンガーソングライターの、あがた森魚(1972年のヒット曲は『赤色エレジー』)のギター伴奏で、歌ったという「楽屋内のオチ」は、日本人でなければ分からないものであるはずで、この点においても、W.ヴェンダースへの高崎卓馬の協力は成功していると言える。

 因みに、この歌の日本語訳は、ジャズ・ブルース歌手浅川マキが翻案したもので、本作の上映により、彼女の存在に日本人が再び注目することになれば、これまた、よいことである。元々は、北アメリカ民謡である『The House of the Rising Sun』は、歌詞には色々なヴァージョンがあり、The Animalsのヴァージョンでは、飲んだくれの賭博師とお針子を両親に持つ、ある男が結局、自分も犯罪者となってニューオリンズに戻ってくる運命を歌っているのに対して、浅川マキは、The House of the Rising Sunを、「朝日楼」という女郎屋にし、男に捨てられた、ある女が、落ちぶれて売春婦となり、ニューオリンズに流れてきた悲しい運命を歌ったものであった。この「ブルース」を、演歌歌手の石川さゆりに歌わせるいう、「ブルース・ミーツ・演歌」の思い付きは、筆者には、中々悪くない試みと言える。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...