2026年6月4日木曜日
他人の顔(日本、1966年作)監督:勅使河原 宏
筆者は、原作を読んでいないので、断定的なことはここでは言えないが、他の批評を読んだ限り、次のことが言える。まず第一点は、原作においては、仮面を製作するのは本人自身であることである。第二点は、サイドストーリーと言える「ケロイドの女」は、原作にも登場する人物であるという点である。
「ケロイドの女」については、原作を知らない筆者は、特別に映画用に創意された人物と想像していたのであるが、映画内の彼女は長崎に住んでいたようでもあり、これをケロイドと結び付ければ、女は幼少の時に長崎で核爆弾に被曝して、右顔の半面にケロイドを持つようになったと言えるであろう。つまり、『他人の顔』は、単に、自己同一性という、個人レベルの問題を扱っているのではなく、ケロイドを顔に持つことの歴史性、つまり、戦争との関わりをも問題にしている点で、つまり、テーマを、単なる個人の問題から社会の問題へと地平を広げている点で、本作を筆者は評価したい。
ケロイド、核爆弾、戦争とつなげてみると、映画内で語られる「ケロイドの女」の戦争への恐怖もまたよく理解でき、ケロイドのせいで、戦後約20年が経った日本で未だに肩身の狭い思いをしなければならない彼女の苦悩もまた想像できるのである。顔の左側だけを見れば「綺麗すぎる」ほどの「美女」であり、顔の右側を見ると、「化け物」になるという彼女には、「非健常者」に対する差別が強い日本社会では、余計に風当りが強かったのではないか。
しかも、彼女の父親か親戚は、戦闘中の後遺症で精神病を病むようになった元日本兵の一人であるようであり、故に、彼女はある精神病棟に赴く。そこでは、戦時中の心の傷を背負っている「傷痍軍人」が、戦後になっても未だに戦闘を闘っているのであった。このシークエンスの背景音では、二度、ヒトラーと思しき男がドイツ語で激しく演説している声が聞こえる。ナチス・ドイツ、日独伊三国同盟、第二次世界大戦とイメージがつながる。実際、戦闘帽を被り、白い衣服を着て、松葉杖を手にしてひっそりと立っている傷痍軍人が、1960年代の半ばまでは日本の街中でも見受けられたものである。
本作が発表された1966年という年は、60年安保の政治闘争が終わって六年が経ち、沖縄の日本への返還が未だなされない中、沖縄に基地を持つUSAが次第にヴェトナム戦争の泥沼にのめり込んでいく時期に当たる。日本が高度経済成長に酔い痴れている中、アジアの一角では同じアジア人が戦争で血を流していた。この意味で、「ケロイドの女」の、一見、理由なき戦争への不安は、それなりの根拠があったと言えるのではないか。
それでは、原作との関わりで気になるもう一点である。原作では仮面作りの製作者が本人自身である。と言うことは、映画での、仮面を巡る、主人公と精神科医との間の対話は、原作では、実は、自己との饒舌なモノローグということになる。映画化において、主人公の中にある「もう一人」を外在化させたことは、映像化という点で、それを可視化させた訳であり、確かにその点で、この「策」は当たっているのではあるが、その分、モノローグの内省性・内密性が減り、ストーリーの緊張度が低くなったのはマイナス点であろう。これは、小説と映画という媒体の違いが生み出した長所・短所の出方の違いと言うべきであろうか。
ただ、「顔」というものにこれだけ重きを置くことの問題の浅薄さは拭えない。映画の冒頭の方でも言われる点でもあるが、「顔」は、たかだか200㎠の表面に張った「饅頭の皮」である。映画の冒頭でも見せられるように、顔をX線撮影にしてしまえば、そこにはただ骨格だけしか見えない。「饅頭の皮」という皮膚を張った顔は、確かに、ヒトの個体差を見分ける最も有効な標識ではあるが、しかし、であるからと言って、それが、その個体の自己同一性に決定的な要因として働くかと言えば、そうではないであろう。(とは言え、映画の終盤で、駅から溢れ出る通行人が全員、同じようなのっぺらぼうの顔をしていることの「恐怖」もまた否定できないのではあるが...)
顔がヒトに与えられた生得の「装い」であるとすれば、それは、機能としては「服」と同じなのであり、「服」であれば、それにファッション性を求めてもよい。つまり、「顔」におけるファッション性とは、「化粧」なのであり、そうであれば、それは、本質的には「仮面」と同じ性質のものである。生得の「顔」に仮面を被せることで、自分の「顔」を異なるものとして他者に見せる。しかし、服や化粧に個性を与えるのは、それを着る個人、化粧をする個人が内面に持っている個性なのではないか。個性が先にあって、その後に、「服」や「化粧」があるはずである。故に、新しい仮面を被るようになったことでその人物に変化が起こったのは、その人物に何も新しい個性ができた訳ではなく、本来の「顔」の下で固定化されていた社会的行動様式が、新しい仮面を身に付けたことで、解放されたと見るべきである。つまり、本作の最終場面での主人公の殺傷行為は、自身の解放のための、自由への「暴挙」であったと言うべきであろう。
2026年5月2日土曜日
リバティ・バランスを射った男(USA、1962年作)監督:ジョン・フォード
この『折れた矢』から二年後に上映された『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演)について、この映画を、ジョン・ウェインは、「俺の人生のうちで、最も非アメリカ的なやつ」であると評価している。強いはずの保安官が手助けを頼んで町中を歩き回り、結局、最後は、自分の妻に助けてもらって、命拾いする「英雄」はあり得ないということであろうか。
そのジョン・ウェインが本作で演じるTomは、小牧場主で、拳銃の腕は立ち、男気のある、典型的な西部劇ヒーローである。恋路に晩熟(おくて)で、意中の人Hallieハリー(ヴェラ・マイルズ)には、好きのすの字も言えない。それでも、スィート・ホーム・スィートで、勝手に思い込んで、自分の家の間取りを結婚後のために広めているという、そんな男である。その男が、西部のガンマン同士の慣習的掟を破る。ここに、ジャンル「西部劇」の父たるジョン・フォード監督が、1960年代前半に本作を撮ることにした「ひねり」があるのであろう。
これに対するジェームズ・ステュアートは、東部出身の弁護士で、無法の西部に法の支配を及ぼそうと考えている理想主義の、場合によっては傲慢な熱血漢である。つまり、時代は、フロンティア時代後期であり、無法状態から法律による治安状態へと移行する、ガンファイターの挽歌の時期である。この点でも、本作は、明らかに古典的西部劇の範疇から外れることになり、同時に、本作は、準州が州として成立し、その州の上院議員Senatorをワシントン市に送るという時期を描く。この初代の上院議員が、J.ステュアート演じるRansom Stoddardである。
“When the legend becomes fact, print the legend!”
この台詞は、アメリカの商業主義的なジャーナリズムの一面を突いている名言であろう。これとの対照として、本作に登場する町の新聞屋Peabodyピーボディー(性格俳優Edmond O'Brienが好演)の存在も大きいと言える。悪漢リバティ・ヴァランス(リー・マーヴィン)に対抗する弁護士とジャーナリストの構図である。
そして、この二人が町民選挙で、大牧場主達の思惑に反して、選ばれ、これが、J.ステュアート演じるStoddardの政治生命の始まりとなる。しかも、町民代表から、州知事、上院議員、更には、その気があれば、副大統領にでもなれるという、彼が政治生命の階梯を上がれたのも、彼が、悪玉リバティ・ヴァランスを撃ち殺したという「伝説」が大いに作用したからであった。上述の名言を吐いたジャーナリストも、このよい「伝説」を壊したくないために言った訳である。
この名台詞を言い換えれば、しかし、「伝説は事実に勝る」ということにもなり、21世紀を生きる我々には、この言説が、USA政治のみならず、世界政治において如何に大手を振って歩いているか、痛いほど身に染みる言葉もないであろう。事実や真実を無視して、言い放った者がマウントを取って勝ちということであれば、現代は、ピストルを言葉に使い直した、無法者のフロンティア時代になっているとも言えなくはないのである。この意味で、この約六十年前の本白黒作品を、現代的視点で再鑑賞したいものである。
2026年5月1日金曜日
グッドライアー 偽りのゲーム(USA、2019年作)監督:ビル・コンドン
映画後半の、二人がベルリンに行くという段階になると、ストーリーは、かなり陰惨となり、本作は、実は、復讐劇であったことが分かる次第である。時間軸は、2009年のロンドンから、1948年と1943年のベルリンとなり、再び、2009年に戻る展開となる。主役の二人が、実は、ドイツ人であったという展開であれば、もう少し、ドイツ人らいし俳優を持ってきてもよかったのではないかとも思われる。
原作は、Nicholas Searleニコラス・サールが2015年に発表した同名の小説『The Good Liar』である。この小説の邦題が『老いたる詐欺師』で、かなり的を外した題名になっている分、映画の題名を「グッドライアー」としたことは、「グッド」を如何に訳すべきかで、邦題に違いが出てくるはずなので、そこを回避した、賢いと言えば賢いやり方であろうか。ただ、英語題名のカタカナ化ということであれば、やはり、定冠詞を付けて、『ザ・グッド・ライアー』としてもらいたいところではある。
2026年4月27日月曜日
西部戦線異状なし(USA、1930年作)監督:ルイス・マイルストーン
映画の最も頭に次のような英文が出てくる:
This story is neither an accusation nor a confession, and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it. It will try simply to tell of a generation of men who, even though they may have escaped its shells, were destroyed by the war...
原作の冒頭にはドイツ語で以下のように書かれてある:
„Dieses Buch soll weder eine Anklage noch ein Bekenntnis sein. Es soll nur den Versuch machen, über eine Generation zu berichten, die vom Kriege zerstört wurde – auch wenn sie seinen Granaten entkam.“
「この本は、(戦争に対する)訴求にも、信仰告白にもなるべきではない。本作は、戦争によって潰された、ある一世代のことを伝えようとする試みとなるべきである。たとえ、その世代(の一部)が榴弾から逃れたとしてでもある。」
(つまり、英語文では、「and least of all an adventure, for death is not an adventure to those who stand face to face with it」の部分が付け足してあり、これは、原文での戦争賛成の「信仰告白」の意味を分かりやすく説明しようとしたものと思われる。原作者のE.M.Remarqueレマルクは、原作の主人公パウルと同様に志願兵として、1917年六月にフランドル地方の西部戦線に投入される。彼の隊は、北西ドイツのヴェストファリア第十五歩兵予備連隊であった。戦況は既に予備連隊が投入される状況であり、レマルクは前線に配置されてから二ヶ月も経たない7月31日に、頸、右腕、左足に傷を負う重症戦傷者として、後方に送り返される。ルール地方の中心都市の一つデュイスブルクの軍病院で、終戦まで療養することになるが、この期間にレマルクは、同じ軍病院にいた戦友に様々な体験を聞き、それを書き留める。原作や本作におけるレアリスティックな戦場での描写は、もちろん、自らの体験もさることながら、軍病院に滞在中に彼が戦友から聞いた生々しい体験の数々から来ている。原作においては、それを読んだ限りでは、必ずしも筆者の反戦の態度は明らかではなく、それ自体は、戦争体験を価値判断せずに客観的に描写しようとしたものとも理解できるが、レマルクが日記を書き始めてからまもなくの18年8月24日に、彼は戦後のことに関して、「青年層の迫りくる軍隊化に対する、そして、その奇形的成長の如何なる形態が取られようともあらゆる軍国主義化に対する戦い」を求めると書き入れている。)
受賞歴:
1930年度USA第三回アカデミー賞:最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞する
1931年キネマ旬報外国映画最優秀作品賞を受賞する
その他
2026年4月22日水曜日
天使のたまご(日本、1985年作)監督:押井 守
少女がひとりの少年に出会い
少女であることから解放される日
その日のために用意される
壮大で幻想的な物語
そして現代に蘇えるノアの箱舟伝説
SFハードメルヘン「天使のたまご」は
女の子のためのアニメーションです
―『天使のたまご』企画書・前文より(ウィキペディアからの再引用)
この企画書を書いたのは、誰か?押井守ではない。そうではなくて、鈴木敏夫である。鈴木敏夫?スタジオジブリに関係のある、あの鈴木敏夫である。鈴木は、スタジオジブリの、カンパニー・プレジデント、事業本部本部長、代表取締役社長、代表取締役議長などを歴任していて、Ghibliジブリ・アニメの製作部門に長年関わり、プロデューサーとして辣腕を揮った人物である。
その鈴木と押井とどんな関係があるかと言うと、鈴木は、元々は徳間書店の社員として、劇画雑誌の編集部員を経て、1978年にアニメ雑誌の『アニメージュ』の編集部員となり、81年に、彼の担当で、宮崎駿の初特集を組んだ人間であった。鈴木と宮崎の関係はこれ以降続き、鈴木は、『風の谷のナウシカ』の漫画化(82年連載開始)、劇場版アニメ映画化(84年三月初上映)を支える。1985年六月にスタジオジブリが創設され、89年に鈴木自身がスタジオジブリに移籍すると、本スタジオの殆んどの制作作品のプロデューサーを務めることになるが、85年から89年の時期には、本人はジブリ担当として依然として徳間書店に在籍しながら、まずはジブリに通ってそこで仕事を行い、夕方以降になってから徳間書店に行って別の仕事の打ち合わせを行う生活をしていたのであった。正に、この時期の1985年に鈴木は、宮崎の頼みもあって、押井のプロジェクトにも関わることになったが、それが本作であり、同時に彼が押井と組んだ初めての作品であった。85年12月15日に本作は、この時期、最も先鋭的なアニメの発表媒体たるOVAとして発売された。
さて、押井は上に挙げた企画書に満足したかと言うと、そうではなく、逆に、自分に無断で鈴木が企画書を勝手に書き上げて、徳間書店の上層部に上げたことに激昂したと言う。押井も、もちろん自身の企画書を書いており、作品の題名を「水棲都市」としていた。既に、卵を抱えた少女、方舟というイメージを押井は抱いていたが、方舟というイメージから水、水に「棲む」都市という連想が押井の中で発展していたようである。鈴木は、この「水棲都市」という題名を独断で没にし、「天使のたまご」とする。ここで、天使のイメージを出してきたこと、それがモチーフとして完成作品にも生きながらえている点で、本作の成立に鈴木が大いに貢献していることが分かる。
また、「SFハードメルヘン」という冠称も言い得て妙であろう。押井自身、プロジェクトの初期には軽めのファンタジーを想定したようであり、この点でも、鈴木は本作の傾向をキャチフレーズ的に言い当てている。しかも、少女が女へと「解放」(実は、強制なのであるが)されるという観点は、100%とまでとは言えないものの、本作に反映されており、必ずしも、本作が「女の子のためのアニメ―ション」ではないにしても、少女が「青年」と邂逅して、彼の精神的「暴力」によって、女となって排卵する展開は、鈴木が本作でのストーリー展開に大きな影響を与えたと言える。因みに、本作での「少女」は、見かけだけのものであり、もう何百年、何千年、否、何万年も生きてきた「女性的なもの」であり、「少女 = 女 = 老女」である。故に、髪は老婆とも思えるようなぼさぼさの髪の毛であり、同じ事は、「青年」にも言え、自分がどこから来てどこに行こうとしているのかも分からなくなった「老人」であるが故に、彼の髪の毛もまた白髪なのである。しかも、彼は、十字架にも似た武器を持っており、十字架を背負う者、つまり、イエスをイメージさせる存在としても考えることが出来る。
しかし、「箱舟伝説」に関しては、さすがに一夜の付け焼刃で書き上げた企画書であるところなのか、「壮大で幻想的な物語」と「箱舟伝説」とを「そして」という接続詞で結び付けるだけであり、しかも、「箱舟伝説」を、現代に蘇ったものとしか捉えていない、未来への視点がない狭隘な見方で捉えている。正に、この点での押井の憤りは理解できるが、ウィキペディアによると、鈴木は、押井を激昂させる目的でこの企画書を書き上げたのであり、怒った押井がその勢いで徳間書店の幹部を本作制作に説得できるように、気合を掛けたのであったと言う。これが本当であるとすると、鈴木のプロデューサーとしての辣腕ぶりが相当なものであることが想像できる。徳間書店の幹部と押井を手玉に取ったその知略ぶりは実に驚くべきものである。
こうして、押井は徳間書店の社長も入った重役会議で、原作なしの劇場版アニメを、劇場版アニメ映画作家として撮らせてもらいたい旨、そして、まずは表現があり、その後にストーリーがあることを力説し、その情熱にほだされた重役会も、制作のための資金を出すことに同意したのであった。
このようにして発表された本・意欲作は、発表当時、しかし、売れなかったのである。それは、押井のアイドルであり、同時にライバルでもある宮崎駿が、自分の劇場版アニメの初監督作品たる『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年作)で、興行的には失敗したのと同じ運命であった。宮崎は、それ故に、アニメ映画作家としては、『風の谷のナウシカ』発表までの五年間、冷や飯を喰うことになるが、押井もまた本作『天使のたまご』が商業的に不発に終わったことで、同じく不遇の時期を迎えることになる。四年後の1989年に公開された劇場版アニメ『機動警察パトレイバーthe Movie』で、日本アニメ大賞を獲得するまでの三・四年間、宮崎と同様、押井もまた生産的な下積み生活を送ることになる。
本作のキャラクターデザインを、否、それだけではなく、数百名に及ぶイメージボードの制作や色彩設定も含む「アート・ディレクション」を担当したのは、天野喜孝(よしたか)である。繊細で神経質な線描タッチで、ビアズリーをポップアート化したような、装飾的作品を描く天野は、SF関連の賞として名高い「星雲賞」において、1983年から86年まで四年続けてアート部門賞を受賞している。つまり、本作制作の85年に押井は一級のキャラクター・ディザイナーたる天野を自らの傍らに据えた訳である。本作用の原案創作で押井と共作した天野の図案を見て、押井も軽めのファンタジー作品制作の考えを払拭したと言う。
作画監督は、名倉靖博(やすひろ)である。本作が発表される1985年の前年に、あるオリジナル・テレビアニメシリーズのキャラクター原案と作画監督を務める程になっていた名倉が、鈴木に誘われる形で本作に関わることとなり、押井の独断で作監に抜擢される。職人タイプのアニメーターらしく、天野がディザインした、本作の「少女」の髪の毛一本を丁寧に丁寧に描いていたと言う。ウィキペディアによると、名倉は、「後ろ姿が絵を描いている時も、おにぎりを食べている時も、机にかじりついて背中を伸ばしている。理想的な作監で」、「絵柄で魅せるタイプで、動きに責任をとるタイプの作監ではない」と、名倉のことを押井は評している。適材適所であったと言うべきであろう。
美術監督は、小林七郎である。1968年に独立して、小林プロダクションを設立すると、翌年から、美術監督を務めるようになり、押井とは、1984年作の劇場版アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で共作している。恐らくはこの絡みで小林に話しが回ったのであろうが、フランスのバロック風の街をモティーフとした重厚で深みのある背景の制作には、ウィキペディアによると、小林は独自の制作方法を導入した。それは、「画用紙で描かれた克明な美術背景の上に、更に油性のサインペンでタッチ・色を描き込んだセル画を1枚重ねることで、建物の壁の荒々しさ等細かい部分を表現する」という方法であり、この方法を全ての背景で採用した。小林はまた、キャラクターの存在が入ることで、背景が二の次になることを嫌って、背景の立場から、色彩設定も併せてレイアウトにも関わったことで、背景美術の表現力がより高まることになったと言う。
音楽担当は、菅野由弘(かんの・よしひろ)である。日本の伝統音楽にも関わるなど様々なジャンルの現代音楽を作曲する、非常に多作な作曲家である。押井とは、押井が演出した文部省選定・短編アニメ映画『りゅうの目のなみだ』(1981年作)で共作した関係からで、押井から菅野にオファーが行った。ウィキペディアによると、その時、押井は、「ボーカルとピアノを基本に、キリスト教音楽のイメージを取り入れる」、「水の音と音楽だけで作品を作りたい」というコンセプトを提示したと言う。また、最初に動画ありきで、それに劇伴の音楽を付けるという発想ではなく、動画と音楽との双方向の相互作用で制作していく作り方を採用した。尚、風をイメージした音色では、菅野がアイディアを出して、コーラス隊がある台詞をそれぞれ違った声色とスピードで話したものを録音・編集して、音響効果を出したと言う。
2026年4月19日日曜日
ガンズ・アンド・キラーズ(USA、2023年作)監督:ブレット・ドノフー
上記の作品では、殺された身内は父親であり、娘は、マーシャルに父の敵討ちを手伝ってもらうことになるのであるが、本作では、殺されたのは、母親であり、マーシャルは脇役に回って、殺された妻の仇を討つために父親(いつものように、演技が誇張のニコラス・ケージ)が敵討ちの旅に出掛け、娘はそれに同伴するという展開である。
それで、妻を惨殺された、嘗ての非情な賞金稼ぎのガンファイターが復讐のために旅に出掛けたのが本作の本筋であると思うと、それはそうではなく、実は、この復讐の旅の途上で成長する娘の変貌こそが、本作のメインストーリーなのであり、この意味では、本作もまた、上述の作品をしっかりと踏襲していると言える。父親のことも知っている老練なマーシャル(Nick Searcyニック・サーシー)が、母親の死に対しても無感動で泣くことも出来なかった少女(Ryan Kiera Armstrong)に、その要所要所で重大な人生の忠告を与える二つのシーンに注目したい。
さて、アパシー(Apathy)に病む少女は、その病から癒えたのであろうか。ラストシーンでの少女の言動から考えると、そうではないらしく、映画の序盤で描かれた、父親が経営する雑貨屋で、娘が、ガラス容器にそれまでごちゃ混ぜになって入っていた飴玉を、色毎に数種類のガラス容器に丁寧に仕分けしていたシーンは、本作では、実は、重要なメッセージを持っていたことになる。
邦題の『ガンズ&キラーズ』も、英語原題の『The Old Way』(「いつか来たこの道」)も、本作の核心を突いていない命名である。
2026年4月17日金曜日
ワイルド・スピードX3 Tokyo Drift(USA、2006年作)監督:ジャスティン・リー
「カーきち」映画は観ないはずが、「Tokyo Drift」の副題でつい観てしまった。トウキョウが舞台であるが、日本人は殆んど登場しないという不思議な映画で、あんな派手なカーチェースを日本の警察が許すはずもなく、その撮影には、カルフォルニア州で、日本の道路の一画を模倣して撮り上げたとのこと。むべなるかな!あとは、ロケ隊が東京で撮影したシーンを上手くカットインして、トウキョウの雰囲気を出している。故に、編集には複数人が担当しており、その一人が、「ケリー・マツモト」という人である。
さて、「Uwabaki」という日本語の言葉が本作で世界に広まったことは、喜ばしい限りである。一方、「Gaijin」という言葉もこれまた世界に広まったことは、残念な限りである。この言葉が明らかに「日本人村」から村八分にされた人間への排除の思想を雄弁に物語り、本作でのストーリー展開の中で、残念ながら、正しくも使われている。本作は、2006年の制作であるが、Gaijinという言葉ではなく、「外国人」という、一見、非日本人に対する排外性を覆い隠しながらも、本質的にはその排除性を容認している言い回しは、日本のマス・メディアではいつからなされるようになったのであろうか。こんな言語社会学的な問い掛けをするとは、映画を観る前に期待をしていなかっただけ、その分、嬉しく思う。そして、改めて、制作から20年経たのちの「日本人ファースト」の政治的な意味や、「日本国民」という言葉に含まれる、民族性や元々の出自を越えた包摂性に感銘を覚えたのである。
とは言え、車を「ドリフト」させながらカーブを走行するテクニックは、どれだけのタイヤを消耗する走り方になるのであろうか。他人事ながら、少々そんな心配をしながら本作を観ていた筆者には、雌鶏(めんどり)をめぐっての、盛りのついた雄鶏(おんどり)二羽の脊髄反射的な闘争にはやはり辟易したのである。USAでも日本国でも同様な事情の顛末であり、USAではブロンディーヌをめぐって、我が邦国では黒髪のセニョリータをめぐっての爭いは、女性を自己の所有物と考えるマッチョ的発想の帰結であることには変わりがないであろう。二回とも奪う方だった主人公のSeanショーン君、奪われる時になった時、どんな反応ができるであろうか。
そして、ショーン君の父親の存在である。USA海軍の将校である彼が、米軍基地内ではなく、東京のみすぼらしい一軒家に住んでいて、彼には日本人の愛人もいるのである。米国軍人が、日米地位協定で、恐らくは滞在許可証もなく、民家に住んでいる。果たして、そんなことは可能なのであろうかと不思議に思った次第であるが、脚本は、Chris Morganクリス・モーガンという、シカゴ生まれの脚本家である。脚本作りには、ある程度は日本のことも調べたことであろうが、どこまでが事実に基づいているのであろうか。何れにしても、本脚本家は、以降、このシリーズ『ワイルド・スピード』の脚本を何本も手掛けることになる。
因みに、ショーン君の父親のUSA海軍での階級である。日本語のウィキペディアによると、「海軍大尉」と記されている。英語版によると、「Lieutenant」と書いてあり、不思議に思って調べてみると、勉強になった。「Lieutenant」という階級名は、陸軍と海軍では異なるのである。「Lieutenant」は、陸軍であれば、中尉か少尉であるが、海軍であると、「海軍大尉」となるのである。「陸軍大尉」は、Captainである。一方、同じ「Captain」でも、海軍であれば、「海軍大佐」となってしまう。ここら辺の、筆者の「混乱」を自分になりに整理すると、以下、こうなる。
階級呼称に関しては、陸軍と海軍とでは、別の階級呼称の発展があり、更に、海軍に関して言えば、イギリス海軍の階級呼称の歴史的発展がまずあったということである。民間船舶か軍艦かを問わず、「船長」とは、「航海の長」であり、「Master」と呼ばれた。これに対して、それが大型軍艦であれば、軍事的専門家として「Captain」なる者が配置されて、国王の兵士を率いて軍艦に乗船した。16世紀半ばから17世紀のイギリス・エリザベス朝期には、イギリスはスペイン海軍に対抗して戦っており、その代表的な海戦が1588年のスペイン・アルマダ無敵艦隊に対する海戦であった。当時のイギリス海軍は、強力なスペイン艦隊に対抗するために、民間の私掠船を海軍に招集してその戦力を高めたが、私掠船を軍艦として機能させるために、軍事的助言を「船長」に与える人間が必要になる。これらの「船長」を補佐する人間を「Lieutenant」(英語発音で「レフテナント」で、アクセントは「テ」にある)と呼んだのである。こうして、「Lieutenant」は、将官級、佐官級、尉官級というように、次のより高いレベルの階級位とその下の階級位とをつなぐ階級の名称となる。
このような「Lieutenant」の中の最先任「将校」が、「船長」すなわち「艦長」を補佐する軍事的指揮権を握る人間として、「Commander」という名称を得る。一方、「Lieutenant」は、現在で言う尉官級の将校の名称に次第に使われるようになり、Commanderと「Lieutenant」級の将校をつなぐ階級名が「Lieutenant Commander」(「Commanderの代理人」)と呼ばれるようになる。こうして、Captainが、大佐に、Commanderが、中佐に、そして、「Lieutenant Commander」が、少佐になり、「Lieutenant」は、尉官級の筆頭となることになり、「海軍大尉」に相当し、「海軍中尉・少尉」は、「Sub-Leuitenant」となるのである。
一方、USA海軍も基本的にはイギリス海軍の階級呼称を踏襲した訳であるが、米海軍中尉では、「Lieutenant Junior Grade」という、「二等海尉」的な呼称を採用し、「海軍少尉」は、フランス語からの影響で、「Ensignエンスン」と呼ばれる。実は、「Leuitenant」の言葉自体がフランス語から来ており、「代理人」を意味する言葉であった。尚、「Leuitenant」は、米国英語では、「ルーテナント乃至はルテナント 」と発音する。
2026年4月8日水曜日
ガラスの城(フランス・イタリア合作、1950年作)監督:ルネ・クレマン
一方、男主人公のRémiレミーは、全ての女に恋せるが故に、どの女も本気では愛せない、大人には成りきれていない子供男である。パリにいる一応の愛人のMarionマリオンとは、恋の戯れを遊ぶ関係であり、彼女との「爛れた」関係は今のところ持ってはいるが、それは、レミーにとっては、いくらでも代替え可能な「大人の」関係である。
そんな恋の駆け引きを愉しむマリオンに焚き付けられたレミーは、ベルンにいるÉvelyneにパリから国際電話を掛ける。そして、彼は彼女にパリに遊びに来ないかと誘惑する。本心ではÉvelyneには来ては欲しくなかったミレーの許を、千々に乱れながらも、結局は訪れるÉvelyneであった。しかし、ベルンからの夜行列車で翌日の午前中にパリに着いたÉvelyneは、日中に見るレミーに違和感を抱き、一旦は彼が居住する同じホテルの一室に赴くものの、恐れを感じて、ベルン行きの帰りの列車に乗り込もうとする。が、彼女はそれに乗り遅れてしまう。
パリのある郵便局で国際電話を掛けようとしていたÉvelyneを、偶然に電話ボックスで見付けたレミーは、彼女をパリの見物に誘い、ベルン行きの夜行列車が夜九時に出発するまで、パリの散策を楽しもうということにする。この、恋人の街パリを散策するロマンティックな雰囲気の中、Évelyneは、結局は、夜行列車を乗り過ごして、情熱の一夜を過ごすことになるが、さて、この有閑マダムの不倫の結末は如何なる結末を迎えることになるか。
本作の原作は、Vicki Baumヴィッキー・バウムというウィーン生まれのユダヤ人女性が1935年にUSAで書いた作品である。この原作のストーリーの大枠を、本作の脚本は概ね踏襲してはいるが、原作では愛人がアメリカ人であるところが本作との大きな違いであろうか。本作の脚本は、監督であるRené Clément ルネ・クレマンも共同執筆しているが、間大戦期に心理描写に長けた作家として有名になったPierre Bostピエール・ボストが担当しており、独白部分が劇中の対話部分に巧みに織り込まれており、ストーリーの内面性が強調された、センスのよい展開は彼の文学的手腕に負うところが大きいのであろう。R.クレマンとP.ボストは、二年後に発表される『禁じられた遊び』でも脚本を共作している。
また、撮影監督は、パリ生まれのRobert Lefebvreロベール・ルフェーヴルで、その職人気質の白黒撮影は、鳥瞰図的に、1950年という年のパリの街々を捉えて、今となっては、歴史的価値さえ持っていると言える。センスのよい白黒の陰影が印象的な画面構成もまた本作では楽しみたい。
フランス・イタリア合作映画である本作にはイタリア語版とフランス語版があり、イタリア語版では、Évelyneの夫役Laurentをイタリア人の俳優が、フランス語版では、同じ役をベルギー出身の名優Jean Servaisジャン・セルヴェが演じている。ベルンの地方裁判所か州裁判所の長官を務め、勤務に熱心であり、丁度手掛けている刑事事件では、冷徹にその本質を見抜いて、自分の夫の母親殺しの罪を被って裁きを受けようとする女に、如何に真実を裁判中に語らせるかに頭を悩ませている。彼は、妻を愛しているのではあるが、Évelyneが望むほどにはその愛情を示すタイプではなく、その不満がÉvelyneを結局は不倫に走らせることになる。
そのÉvelyneに、彼女を取り巻く家庭生活内で不満を募らせる、もう一つの理由は、家族ぐるみで付き合っているElenaエレナの存在である。ベルンの近郊に住んでいるようなのであるが、よくベルン市内にあるÉvelyne夫婦の家に遊びに来るElenaは、Évelyneの悩みも理解しているようなのであるが、一方では、Laurentとチェスに興じたり、三人で休暇も伴にする関係でもある。そんな飽き足らない生活感を持つÉvelyneは、チェスで夫を負かすElenaこそが夫に相応しい女性であるとさえ思うほどなのである。この微妙な役柄を、イタリアはトリノ生まれの女優Elisa Ceganiエリーザ・セガーニが好演している。
同じく脇を固めているのは、Rémiのパリでの愛人Marion役のÉlina Labourdetteエリーナ・ラブルデットである。1919年にパリに生まれた彼女は、最初は、プリマ・バレリーナになることを目指してバレエの練習に励んでいたが、結局、健康上の理由でその夢を諦めざるを得なくなり、女優になることに決心する。彼女が19歳の時の1938年に映画界でのデビューを飾る。第二次世界大戦直後の45年、Robert Bressonロベール・ブレソン監督の『ブローニュの森の貴婦人たち』に、元々踊り子であるが、生活の資を稼ぐために娼婦もしている若い女性役で出演したことで、彼女は、フランスでの女優としての地位を獲得する。本作が撮られた50年には、演劇界にも進出している。本作では、自分のアパルトマンを持っているようであるが、生計はどうやって立てているのか分からない存在で、レミーとの恋の駆け引きは立派にやり遂げる勝気はあるものの、やはり、本当の愛を求めている心境の複雑さを上手く演じ分けていて、本作で筆者の印象に強く残った女優である。
原作を書いたV.バウムは、1920年代における女性の社会進出のアヴァンギャルドを走った女性の一人である。その彼女が書いた原作を読んでいないので、断定は出来ないが、そのモダン性は、本作で描かれる公共交通網の密度さに表現されているように思われる。まず、冒頭のコモ湖でのハイ・ソサイエティの存在である。そのコモ湖から、Elenaが運転し、Évelyneが同乗する高級自動車でRémiがミラノ駅のプラットフォームまで直接乗り付けると、Rémiは、コンパートメントでÉvelyneと熱い接吻を重ねた後、一人でパリに夜行列車で旅立つ。こうして、ミラノ・パリ間の鉄道の連結が登場すると、今度は、パリ・ベルン間の国際電話の繋がり、更には、スイスの首都ベルンとフランスの首都パリを結ぶ、一日に二回はある鉄道の往復路線が、ストーリーに上手く組み込まれ、その時間が刻まれていることによる主人公達の心の緊張と高揚が観る者に説得性を与える。そして、最後は、意外な展開で、パリ・チューリッヒ間の飛行機による航路が登場する。実に、粋なストーリー展開である。
2026年3月23日月曜日
ベルファスト 71(英国、2014年作)監督:ヤン・ドマンジュ
既に中世において一部の植民活動が始まっていたが、イングランドによるアイルランドの植民地化は16世紀半ばになって本格化する。それは、イングランドのテューダーTudor王朝の、文化人でもありながら、権力欲も旺盛なヘンリー八世時代のことであり、彼の下で、名目だけの「アイルランド王国」が1541年に建国される。しかも、ヘンリー八世は、自分が離婚できるように、イングランド国教会をカトリック教会から分離させるような形で成立させたことから、アルプス以北のヨーロッパにいたゲルマン人のキリスト教化の発祥の地とも言えるアイルランドでは、英国教会に対する、宗教的な反発もまた生まれた訳である。
この宗教的対立に拍車を掛けたのが、プロテスタント系の清教徒革命であり、この宗教革命の最中、イングランド内戦で清教徒派と対立していた王党派(ロイヤリスト)と、アイルランド・カトリック同盟が1649年に同盟を結んだことから、これが、オリヴァー・クロムウェル率いるニュー・モデル軍のアイルランド派遣を招き、この「クロムウェルのアイルランド侵略」と言われる事態を以って、アイルランドは、完全にイングランドの支配下に置かれることになる。こうして、アイルランド人は、イングランドによる抑圧的・差別的な支配を受けるようになり、また、プロテスタント系入植者がアイルランド、とりわけ、島の北東部にあるUlsterアルスター地方に入植してくる状況となる。
18世紀半ばになると、しかしながら、アイルランドにもナショナリズム運動が起こり、アイルランド愛国党なるものも生まれ、更に、1783年にアイルランド議会に自治権が与えられる。一方、1789年に勃発したフランス大革命の政治思想的な影響を受けて、イギリス王権からの独立を求め、更には、政体も「共和主義」を希求する政治的な動きがアイルランドにも生まれ、1858年には「アイルランド共和主義者同盟(兄弟団):IRB」なる秘密結社も登場する。
こうした中、1914年に第一次世界大戦が勃発するまでは、大英帝国内に留まって、アイルランドの自治権をより拡大する運動が、アイルランドの完全独立を目指す共和派より強かったのであるが、この自治権拡大運動が大戦の勃発により失速したことから、大戦中の16年四月に共和主義者達による、イースター蜂起が起こる。これが、結局、アイルランド独立戦争に繋がることになり、18年のアイルランド総選挙で、1905年に結党されたシン・フェイン(「我等自身」)党が第一党となったことから、翌年一月にこのナショナリズム政党が第一回国民議会を招集し、アイルランド共和国の独立を宣言するに至るのである。
21年12月に、妥協の産物である休戦協定・英愛条約が締結され、アイルランド共和国は、大英帝国傘下の他の自治国同様に、「アイルランド自由国」(建国自体は22年12月)となり、アイルランド島北東部のアルスター地方を中心とする北アイルランドは、場合によっては自由国から離脱できるものとされた。そして、アイルランド人の、完全独立が達成できなかったことを不満とする反条約派がアイルランド内戦を起したことから、北アイルランドは自由国から離脱し、これが、後の北アイルランド「問題」に発展することになった訳であるが、それでは、何故に北アイルランドは離脱したのか。
既に19世紀のアイルランドの自治権拡大の運動に対して、これに反対して、アイルランドをイギリスの同君連合の下に置くことを望む政治勢力があった。それは、君主制のためであるから、これを「ロイヤリスト」と、また、大英帝国内の「連合」のためであるから、これを「ユニオニスト」と、呼称できる。ここに「ロイヤリスト」対「レパブリカン」、「ユニオニスト」対「ナショナリスト」の構図が出来上がるが、これに、宗教的対立の「プロテスタント」対「カトリック」の構図が交差し、この対立が先鋭化していたのが、同じアイルランド島内にありながら、プロテスタント派が住民の多数を占めるアルスター地方なのであった。
アイルランドにおけるナショナリズムの振興に危機感を抱いていたアルスター地方のプロテスタント派は、第一次世界大戦が始まる直前の1912年に武装組織・アルスター志願兵部隊を結成する。この翌年には、これに対抗するように、アイルランド共和主義者同盟(IRB)がアイルランド志願兵(IV)を、アイルランド労働組合がアイルランド市民軍を設立する。
反英武装組織は、元々、19世紀中頃からあったと言われるが、上述の「アイルランド志願兵(IV)」を基に、アイルランド共和国の設立宣言と共に、アイルランド共和国軍(Irish Republican Army、略称:IRA)が設立される。しかし、1921年12月の英愛条約での妥協点を巡る路線闘争でIRA自体が分裂し、その多数派はアイルランド国防軍Irish National Armyに吸収されたのであるが、あくまでアイルランド全土の完全独立を希求する武闘派IRA分派は、約一年間に及ぶ凄惨なアイルランド内戦(22年六月から23年五月まで)を展開する。
この内戦を見た北アイルランドのユニオニスト達は、英愛条約の条項に基づいて、アルスター地方の六つのCountyの、アイルランド自由国からの分離を議決する。と言うのは、既に第一次世界大戦中にイギリス政府側で内々に考えられていた北アイルランド分離案は、20年のアイルランド政府法によって「北アイルランド議会」が設立され、この新たに設立された議会がアルスター地方を管理下に置くということで、北アイルランド分離案の準備が、英愛条約締結前に十分に整えられていたからであった。
これと同時に、20年以降は、イギリス政府やイギリス軍の援助を受けつつ、北アイルランドには、アルスター特殊警察隊や「ブラック・アンド・タンズ」という治安警察部隊が置かれる。映画で描かれた、カトリック教徒の家に入り込み、暴力を働きながら、家宅捜索を行なっていた警察官は、恐らく、これらの特殊警察部隊員であると思われる。尚、「Black and Tans ブラック・アンド・タンズ(黒色と褐色)」とは、王立アイルランド警察隊(Royal Irish Constabulary、略称:RIC;「Constabulary」とは、一般警察業務を行なう警官を指す)を補強するために、陸軍の復員兵から採用した警察官の通称である。RICの黒っぽい濃緑色(ライフルグリーン色)の制服と、イギリス陸軍の淡い褐色の野戦服を組み合わせて新採用者が制服を着用したことからこの通称が付いたのであった。
1949年、アイルランド自由国は、イギリス連邦より離脱したことから、北アイルランドがその後の紛争・政争の中心となり、北アイルランドでは、多数派のプロテスタント派が、少数派のカトリック派を抑圧する体制が第二次世界大戦後は続いていた。
1966年に、「イースター蜂起」が50周年を迎えることから、アイルランドと北アイルランド政府が歩み寄る動きを見せる。これを警戒したプロテスタント派は、66年に、アルスター志願兵部隊を再組織して、Ulster Volunteer Force(UVF)、つまり、アルスター志願兵軍を設立する。
1964年以降のUSAでの公民権運動の高まり、1968年以降の学生運動の高揚を受けて、北アイルランドでの「プロテスタント派・ユニオニスト派」と「カトリック派・民族統一派」との間の衝突は次第に過激さを増していく。69年12月には、IRA自体が、政治的闘争を重視するオフィシャルIRA(OIRA)と武闘派のプロヴォス(暫定派)IRA(PIRA)とに分裂したことから、アイルランド「問題」は、その紛争度をより強めることになり、遂に、イギリス陸軍が両派の「緩衝役」を現地で担うことになる。しかし、事実上は、イギリス陸軍は、プロテスタント側に立ちながらも、プロテスタント派のカトリック派への暴力の度合いをコントロールするという役割にはまり込んでいた。
本作はカトリック派居住地地区に置き去りにされたある英国人兵士の逃避行を描くものであり、殆んど何も北アイルランド紛争について知らないまま北アイルランドに投入された新兵のナイーヴさが、英国陸軍の「無実さ」加減を暗示しており、問題があるように思われる。既に1970年には、英国陸軍はIRA暫定派と銃撃戦を演じており、71年夏には、英国陸軍は、IRA暫定派と疑われた人物は手当たり次第に逮捕し、彼等を裁判なしで投獄し、各刑務所では、拷問・虐待を行なったと言われている。英国の諜報機関(国内諜報機関MI5か別の公安組織)が裏で非情な活動を行なっていた点は描かれている本作では、しかし、アルスター防衛同盟の活動にははっきりとは触れておらず、確かに、様々な点を描き過ぎることで、観る者の注意を逸らす恐れはありながらも、この点に関してもある程度の暗示があってもよかったのではないか。
本作は、題名にある通り、1971年の北アイルランドの出来事を描いているのであるが、歴史は、その翌年の72年こそが、北アイルランド紛争の中で最も死者が多かった年であることを知っている。この年に約500人が亡くなったと言われている。そして、その中には14人の死者数を数える、一月の「血の日曜日事件」があった。それは、北アイルランド公民権協会が呼び掛け、OIRAとPIRAもこれに協力して組織された、約二万人も参加した非武装の平和的なデモに対して、英軍の第一パラシュート大隊の兵隊が発砲した事件であった。英国陸軍は、これを以って、国際的な非難に曝されることになる。
1972年七月には、今度は、IRA暫定派が北アイルランドの首都ベルファストで連続爆弾テロ事件を引き起こす。いわゆる、「血の金曜日事件」である。爆弾が22発も仕掛けられて、80分以内に次々と爆発し、九名が死亡し、約130名が負傷したという悲惨な事件であった。
1970年代は、正に、中東も含めた、国際テロリズムの時代であり、北アイルランドにおけるIRA暫定派の活動もこれに連動する動きであったが、無差別テロが結局はカトリック系市民の犠牲者を出したことは、一般大衆のIRA暫定派への支持が次第に離れていく過程でもあった。こうして、80年代・90年年代を通じて、IRA暫定派においても、武装闘争から政治闘争への重点の移動が見られ、IRA暫定派の「政治的な腕」と言われた北アイルランド・シン・フェイン党がより重要な役割を演じるようになり、このプロセスは、結局のところ、1998年のベルファスト合意の調印に至る。合意の内容の一つは、北アイルランドにあるすべての武装組織の将来的な武装解除であった。2005年七月、IRA暫定派の軍事協議会は、武装闘争の放棄を宣言し、同年九月には、国際的に構成された武装解除委員会が武器放棄・武器破壊を確認している。
北アイルランド「問題」は、現実的な妥協の産物として、2005年以降も鎮静化はしているのであるが、IRA過激派は未だ存在しており、また、2020年のイギリスの欧州連合離脱により、北アイルランドとアイルランド共和国との間の「国境」が改めて顕在化したことから、不穏な動きが一部には見られる。本文章を書いているのが、2026年三月であり、来月の四月には、あの「イースター蜂起」が110周年を迎える。アイルランド人、とりわけ、北アイルランドで生きているカトリック教徒は今どんな思いを抱いていることであろうか。
2026年3月18日水曜日
トップ・ガン マーヴェリック(USA、2022年作)監督:ジョセフ・コシンスキー
すると、映画ではシーンが変わって、今度は、一挙に80年程時代が飛んで、極超音速ジェット機となるテスト機「ダークスター」が登場する。これは、マッハ5以上のハイパー・ソニック・スピード(Hypersonic Speed)で飛行するテスト機で、これで以って、マッハ10以上を越えようと言うのである。とすれば、これは、恐らく、いわゆる「第六世代」のジェット機の試作機であるということになろうか。2020年代初頭、ジェット機は、もう、「第六世代」の時代なのである。
何を以って「第六世代」とするのか、2020年代に入っても未だはっきりした定義はないようであるが、その要件の一つとしては、第五世代を上回るステルス性能と超音速巡航能力であると言う。であれば、「ダークスター」は、この超音速巡航能力を試作するための機体であると言える。
現在実用化されている第五世代ジェット機の要件は、ステルス性能が最も核心的なものであろう。という訳で、USA軍と対抗する敵方のジェット戦闘機は、本作では、単に「第五世代戦闘機」と呼称されて登場するが、ウィキペディアによると、それは、どうもロシア製ジェット戦闘機Su-57型機であるようである。この世代に属するUSAジェット戦闘機としては、例えば、F-35がある。
この第五世代ジェット戦闘機に追跡されたF-14機は、何とか危機を切り抜けるが、何と、このF-14機を我等が英雄T.クルーズは、敵方から奪ったのである。どうして、F-14機が敵の手にあったのか、都合がよすぎるのではあるが......
このF-14型は、USA軍のジェット戦闘機としては、第四世代ジェット戦闘機に属する型で、しかも、本作の主役的ジェット機であるF/A-18よりも前の型で、この二つの型の間には、F-15や、その汎用性において名ジェット戦闘機と言われたF-16が存在している。疑問なのは、この第四世代ジェット戦闘機の初期型とも言えるF-14型機が、その世代一つ後のSu-57型機からその追跡を逃れられる可能性は極めて低いのではないかということである。そのストーリー展開に「眉唾もの」が少なからずある本作には、仕方がないことであろうが、それでも、やはり、危機を救うために突如やって来なければならない「騎兵隊」の出番作りは、これで以って、完璧ということであろうか。
それでは、何故に本作ではF-14型やF/A-18型が主役を演ずるのか。どうして、次世代型のF-35型ではないのか。それは、「Top Gun II」としての本作の前作との関わりがあるからである。故に、作戦内容をわざとF-35型では相応しくないものとして、老体に鞭打ったT.クルーズが四機編隊のリーダー役を務められるようにした訳である。
ジェット戦闘機の世代は、第一世代が1940年代の後半から始まり、音速に達しない速度で朝鮮戦争をお互いに戦った世代(F-86対MiG-15)から始まる。音速に達して、第二世代となり、超音速の速さにミサイル弾を装備した第三世代で、ジェット戦闘機の時代は1960年代に入るが、USA軍は、この世代で格闘戦性能を軽視したことで、ヴェトナムの上空でソ連製戦闘機との戦いで苦戦する。その戦訓から、およそ1980年代から運用が始められた第四世代では、大推進力で機敏な運動飛行が可能であり、格闘戦性能、いわゆる「ドグファイト」性が重視されたのである。つまり、ここで格闘戦を戦える、パイロットの技量と闘志が求められた訳で、ここがまた、本作におけるメッセージ「考えるな!(本能に従え!)」に通じる理由でもあった。そして、これは、正に、『Top Gun I』(Tony Scott監督、1986年作)へのオマージュでもあり、この前作での主役戦闘機も、F-14であったのである。この時、この機を駆って、若きT.クルーズは、架空のMiG-28と戦ったのである。
第六世代ジェット戦闘機では、恐らく最早、人間の「闘志」の出る幕はなくなり、AIに制御された、場合によっては無人機の飛行団が制空権を圧することになるであろう。この意味で、本作のラストシーンでのP-51マスタングがゆらりゆらりと飛行する場面は、ご愛敬でもあろうが、同時にジェット戦闘機時代で人間の要素が未だにある役割を演じられた時代へのノスタルギー・哀惜でさえあるのである。
2026年3月16日月曜日
ボーダー 二つの世界(スェーデン、デンマーク、2018年作)監督:アリ・アッバシ
スェーデン映画協会主催のGuldbaggen(ゴールデン・ビートル)賞では、2019年に本作を11部門中、九つの部門でノミネートし、本作は、六部門で受賞した。作品賞、音響編集賞(クリスチャン・ホルム)、視覚効果賞(ピーター・ヨルト;ヨーロッパ映画賞でも受賞)、そして、言わずもがな、主演女優賞(エーヴァ・メランデル) 、助演男優賞(ヴォーレ役のエーロ・ミロノフ)、更に、メイクアップ・ヘア賞(ゴーラン・ルンドストローム、パメラ・ゴールドアンマー、エリカ・スペツィグ)である。同時に、本映画協会は、本作を米国アカデミー賞の最優秀外国映画賞候補に推薦する。米国アカデミー賞では、やはり、最優秀メイクアップ・ヘアスタイル賞にノミネートされた。ウィキペディアによると、ティーナ役のメランデルとヴォーレ役のミロノフは、撮影期間中、毎日四時間、メイクアップのために椅子に座っていなければならなかったと言う。
一方、本作は、カンヌ国際映画祭では、「Un Certrain Regardある視点」部門で本賞を獲得した。受賞の理由は、本作のテーマである、自然界と人間界の狭間を生きる「Trollトロル」という「少数派」の行き様を、現代社会に蔓延る悪である「児童性愛」の犯罪と結び付けた点であったからであろうと思われる。(故に、個人的には、邦題の『ボーダー 二つの世界』は、正しくない題の付け方であり、「ボーダー」は、何も二つだけの世界を区切るだけではなく、また、様々な世界の「狭間」に存在する「もの」をこれでは含意していないからである。)
作品の同名原作は、スェーデン人作家John Ajvide Lindqvistヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストによる。吸血鬼・ゾンビのホラーもので有名になった彼は、本作の原作では、北欧に存在する妖怪・モンスター・妖精的存在であるTrollトロルを扱っており、本作の脚本作成にも参加している。本作の監督のAli Abbasiアリ・アッバシもまた脚本チームに加わり、更に、監督のたっての願いにより、女性監督兼脚本家であるIsabella Eklöfイサベラ・エクルーフが、彼女が犯罪ドラマ部門から来ていることもあり、ミステリー的ストーリーに心理的な現実味を加味するパートを担当したと言う。こうして、ティーナの境界的存在にマッチするように、本作も、単なるミステリー作品に終わらない、ジャンル映画的なミックスが可能となった訳である。
監督のA.アッバシ自身も特異な存在であり、1981年にイランの首都テヘランに生まれた彼は、2002年までテヘランにある工科大学で学んだ後、この年に、ストックホルムに移住して、スェーデン王立工科大学で建築を勉学する。2007年に同大学を卒業すると、この年から、今度は、デンマークの国立映画大学で映画製作を学んで、ここを2011年に卒業して、監督、脚本家となったという、変わった経歴を持つ人物である。2008年から11年までは自らが脚本を書いた短編映画を三本程制作し、16年に長編劇映画の第一作目を発表し、18年作の本作が彼の長編劇映画第二作目となる。22年には『聖地には蜘蛛が巣を張る』で、主演を演じた女優がカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞し、その二年後に伝記映画『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』を撮る。このような監督A.アッバシのフィルモグラフィーを見ると、彼は、ミステリー映画監督系ではなく、社会派映画監督としての傾向がより強い人物であると見ることが出来であろう。その意味でも、本作は、A.アッバシ監督の映画歴から見ると、むしろ、異色作品であると言える。
さて、ティーナと同じような外見を持つヴォーレは、自分達は、Trollトロルであると言う。Trollとは、イギリスの北東にあるシェットランド諸島・オークニー諸島なども含む北欧・スカンディナビア地方の民俗伝承で語られる巨人乃至は小人の精霊・妖精である。キリスト教がこの地域に広まるのに従って、彼等は悪霊乃至悪魔とされてきたが、北欧ゲルマン神話の雷神たるトールにより、Trollはより北の寒冷地に追われたと言うから、Trollは、ゲルマン人よりも更に前にこの地域にいた先住民族であった可能性がある。つまりは、Trollは、ゲルマン人よりも古層の存在だった訳である。
Troll達は、一部には、「醜く」、また、毛むくじゃらであり、ジャガイモに似た鼻は大きく、手の指は四本しかないと言う。彼等は、丘陵地、長塚、土墳などの下に共同体を作って暮らすところから、スェーデンでは「ベルグフォルク(山の人々)」と呼ばれた。デンマークでは、彼等は、北の氷海に面した森の中に住むとも言われている。
人間界との関りでは、Troll達は、人間に幸運も不幸ももたらす存在であるが、金属工芸に秀で、薬草や魔法を使った治療も出来ると言うのである。そして、興味深いことには、映画でもこのような場面が登場するのであるが、Troll達は、洗礼を受けていない乳児を奪い、その代りに、Troll達の「取り替え子」を子供のベットに置いておくというのである。
このTroll達がゲルマン人よりもより古い存在であるとすると、それは、ケルト人であったかもしれないが、寒冷地に生きた先住民族ということで、監督A.アッバシを含む脚本家チームは、更に大胆な仮説を提示したと思われる。つまり、Troll達は、ネアンデルタール人の末裔ではないかというのである。
筆者は、映画に登場するティーナを見て、即、これはネアンデルタール人ではないかと感じた。それで調べてみると、ウィキペディアのネアンデルタール人の項目に出ている写真は、正に、ヴォーレの顔とよく似ているのである。
ウィキペディアによると、2010年にセンセーショナルなある発表がなされた。約四万年前に絶滅したと言われる旧人ネアンデルタール人のDNAの痕跡を現生人類たるホモ・サピエンスも平均すると1から2%程度持っているのであると言う。つまり、ネアンデルタール人(とりわけ男性)とホモ・サピエンス(とりわけ女性)が交雑していたことをこの事実は示すのである。しかも、アフリカ系の祖先を持つ女性のヒトのゲノムにはほぼ見られないネアンデルタール人のゲノムの痕跡が、高い場合には約4%あると言う。仮に、残されたネアンデルタール人のDNAの割合が偶然にも高まる環境が存在するとしたら、Troll的な人種が生まれたかもしれないのである。そして、それは、どうも北欧の寒冷地が好適地であった。
脳の大きさではホモ・サピエンスを上回ったネアンデルタール人は、筋力もあり、狩猟の能力も高く、寒冷地への適応能力がよりあったのである。故に、彼等は毛深かったのであり、皮下脂肪が厚かったのであろう。「胴長短脚」の体型も、寒冷気候に適した体型であった。一説には、高緯度地方で生き延びたことから、ネアンデルタール人は、白い肌で、赤い髪であったとも言われれている。
また、顔が大きく、鼻は鼻根部と先端部共に高く、且つ、幅広く、眉の部分が張り出して、言わゆる、眼窩上隆起が形成されている。ここまで、ネアンデルタール人の体型的特徴を書くと、さて、本作の主人公ティーナの顔立ちと体型が浮かんでくるのは偶然の一致であろうか。
2026年3月9日月曜日
欲望のバージニア(USA、2012年作)監督:ジョン・ヒルコート
本作の原作の著者Matt Bondurantは、本作の主人公ジャックら三人兄弟と同様の苗字Bondurantであり、実は、孫のマットは、祖父のジャックを本作の語り手として、祖父やその兄弟の「行状」と運命、そして、33年には終わる禁酒法時代後の自らの家族の繁栄を描いた。原作名が『The Wettest County in the World』(2008年作)とあるのは、上述の「世界の密造酒首都」と似ているのであるが、この「Wettest」とは、禁酒法に賛成する派を「dry」と呼んだに対して、アルコール容認派を「wet」としたことによる。
Bondurantボンデュラン兄弟の長男ハワードは、第一次世界大戦に従軍し、自分が所属する部隊全員がほぼ戦死する中、一人だけ生き残った元兵隊であり、その心の傷を癒すべく、アルコールを手から離せなくなっていた。また、次男のフォーレストは、兄弟の両親が亡くなったスペイン風邪に罹患し、重体であったのにも関わらず、それを生き延びた男であった。故に、彼には「不死身」であるという伝説が地元ではまかり通っていたのである。実際、彼は、剃刀で頸を切られても、銃弾を身体に数発受けても、不思議なことにそれを生き延びる。
三男のジャックも不死身なのかは映画では語られないが、何れにしても、この三兄弟は、郡内にある街道沿いのガソリンスタンドとドライブインを表では経営し、裏では、密造酒を作っては、それを町で売りさばいて、金の儲けていた。正に、アルコールが禁止されているが故に、彼等は密造酒で金が儲けられていたのである。そんな中、頭の切れるジャックは、偶然にコネを付けることが出来た町のギャングFloyd Banner(名優Gary Oldman)の助けもあり、密造酒製造所を改良し、馬力のある車を手に入れて、本格的に密造酒の製造と販売に乗り出したのである。
これと前後する時期に、新しく郡の検察官(Attorney)と共にやってきたSpecial Deputy(連邦保安官Marshalを特別に補佐する人物;イギリス人俳優Guy Pearceがその厭らしさを好演)が、密造酒から上がる利益からの分け前を懐に入れようと、郡内の密造酒製造者達に圧力を掛ける。その圧力に屈して密造酒製造の同業者が次々と分け前金を支払うことに妥協していく中、Bondurant兄弟はこれに抵抗することから、彼等と特別補佐官Rakesとの対立は銃撃戦へと発展することになる。さて、その結末は、如何なることになるか?
さて、特別補佐官Rakesレイクスは、禁酒法時代にあのアル・カポーンがその縄張りとしていたシカゴから来ており、恐らくは修羅場をくぐってきた「強者」であった。そして、ボンデュラン兄弟が経営するドライブインの給仕に新たに雇われたマギーも、あのシカゴから逃げてきた元踊り子であった。という訳で、本作の一つのテーマとも言えるのが、「都会」対「田舎」の構図であり、本来、禁酒法がなければ、違法ではない「密造」酒を蒸溜する村の者達は、普通に生活していたはずなのである。そもそも国家(連邦)がアルコール類に税を掛けること自体が、彼等にとっては「国の越権行為」に映っていたのであり、村人と深く関わる地元のシェリフも、結局は、村人側に立つことになり、本作は、村落共同体がある意味で機能する「村の団結」へのオマージュであるとも言えるのである。
このような状況下で、1916年の大統領選挙で民主党の現職ウッドロウ・ウィルソンが再選され、17年一月に米国議会が招集されると、大統領選挙では争点となっていなかった禁酒法問題が突然脚光を浴びることとなる。ウィキペディアによると、この議会では、「ドライ」派が、民主党では140対64、共和党で138対62と、それぞれ「ウェット」派よりも多く、また、同年四月にUSAが対独宣戦布告をしたことから、「ウェット」派の主要勢力の一つであったドイツ系アメリカ人の発言力が失われたこともこれに影響した。しかも、当時のUSAにおける大手ビール製造会社の多くがドイツ系であったこともあり、「ビール=ドイツ=悪」という単純明快なイメージがまかり通ったこともあって、「ドライ」派を勢いづかせることに繋がったと言われている。こうして、1920年に禁酒法は議会で採択される。
このような禁酒法成立の宗教的な背景を鑑みると、本作の23分代から数分に亘り、ある教会内のでミサの様子が描かれたことは、興味深い。
この教会の外には車が止まっており、信者は、馬車にしか乗らないアーミッシュの信仰者よりはラディカルではないようである。教会内には祭壇のようなものはなく、建物の中央には空間を設けて、そこに牧師に当たる人物が立ち、集会者は、この中央の空間に向けて、四方に何列か椅子を並べて座っている。建物の東西方向は分からないが、建物の壁の二面に、女性が座る席が、他の二面には男性が座りっており、座る場所に男女の別が、ユダヤ教のシナゴーグと同様にあるようである。年齢の別は関係がないようであるが、女性に関しては、全員が被り物をしており、女の子が白い被り物をしているところから、未婚の女性は白の、既婚の女性は黒の被り物をするようである。主人公ジャックの意中の女性バーサ(Bertha)も、髪を後ろに撫でて纏め、白色の薄いレースのような被り物を被っている。集会者は、膝に上に置かれた聖書のような本を片手で広げ、もう一本の片腕を、右手か左手かは決まっておらず、肘を軸にして、歌に合わせてゆっくり上下させている。
ミサの儀式の一つに「洗足式(せんぞくしき)」があり、この儀式は、ヨハネによる福音書13:1-17に書かれてある、イエスが弟子の足を洗ったことによる。まず、一つの壁面に座っている四人の男性が立ち上がり、別の面に座っている四人の女性の前に向かう。彼女達の前には既に洗面器のような金盥があり、四人の男性は、跪いて、椅子に座ったままの四人の女性の足を洗う。足を洗われた四人の女性は、今度は、自分達の正面に座っている男性達の足を洗うのである。ある事情で、このミサの場面は別の場面へと急展開するのであるが、この教会の教派は、調べたところによると、Brethrenブレザレン会派という。この会派は、元々はドイツから発祥した、プロテスタント系再洗礼派の会派である。
2026年2月26日木曜日
柳生連也斎 秘伝月影抄(日本、1956年作)監督:田坂 勝彦
これに対し、「尾張柳生」というものもあり、これは宗矩の父で、剣聖と呼ばれた上泉信綱(かみいずみ・のぶつな)から新陰流を伝授された柳生宗厳(むねとし、後の石舟斎)に、宗矩の他に長男・厳勝(としかつ)という子もおり、この厳勝の子・利厳(としとし;つまり宗矩の甥)が、大坂夏の陣の年の元和元年の1615年に尾張徳川家に五百石で出仕し、藩主徳川義直に兵法を伝授し、それ以降、代々藩主の指南役を務めることとなったからである。利厳は、本作では、「柳生兵庫助」という名称で登場し、本作の、市川雷蔵が演じるところの「兵介」は、正式には、「厳包(としかね)」といい、隠居後は、本作の題名の一部になっている「連也斎」と名乗った。「兵介」は、実際に、徳川義直の子・光友(光義)の師範となって、本作でも描かれるように新陰流を伝授しており(新陰流第六世)、後の「連也斎」となる彼は、『御秘書』、『連翁七箇條』などの著書も著わした江戸時代前期の剣術家であった。厳包は、剣術家となると、最早女性を自らに近づけず、それ故に妻子もいなかったと言われている。これが正しいとすると、本作のラストシーンもまんざら嘘ではないことになる。元禄七年の1694年、70歳の時に兄・利方の子たる厳延に印可を相伝して道統を継承させたと言う。有名な赤穂事件が起こるのは、その七年後であった。
兵介の父・柳生兵庫助に対する剣豪・宮本武蔵、余り腕が立つとは見えない兵介(市川雷蔵)に対する、武蔵の弟子で、武蔵より「見切りの秘太刀」を伝授された鈴木綱四郎(勝新太郎)、兵介を想う、武家の娘さんに対する同じく兵介を慕う遊女・美和と、コントラストの構図ははっきりしており、殆んど考えなくともストーリー展開には付いていける。この構図は、兵介に懸想する美和に、何故か綱四郎がぞっこん惚れ込んでいるところから、錯綜し、こうして、幼馴染でもあり、また良きライバルたる剣友・兵介への綱四郎の敵愾心はいやが上にも高まり、結局、この邪恋が、美和も、そして綱四郎自身までも亡ぼすことになる。
原作は、剣豪小説のジャンルを戦後の50年代になって改新したと言われる五味康佑(やすすけ)による。様々な職業に就きながらも、小説を書くことを諦めずにいた五味は、偶々音楽関連で知り合った新潮社の役員に支援を受けながら、ある時聴いたフランス人作曲家クロード・ドビュッシーのピアノ独奏曲「西風が見たもの」(プレリュード第一集より)にイメージを受けて、原稿用紙30枚程の短編『喪神』を書き上げ、これを『新潮』の1952年12月号の「同人雑誌推薦新人特集」に掲載してもらう。これが、翌年の第28回芥川賞を受賞し、五味の小説家としての地位を確固たるものとした。この作品は、53年に早速、大映により『魔剣』(安達伸生監督;大河内傅次郎主演)の題名で映画化される。55年には短編『秘剣』が発表され、これが、『喪神』も含む後の短編集『秘剣・柳生連也斎』の表題作となる。『秘剣』自体は、同名の映画作品として1963年に稲垣浩監督、市川染五郎主演で映画化されることになるが、『柳生連也斎』という作品も55年に世に問われている。これが何故に大映映画の本作の題名の一部となっている「秘伝月影抄」に関係があるのかは、今のところ筆者には未知である。しかも、市川と勝の決闘は、日中に行なわれており、その際、兵介が父から授かる知恵「相手の影を切る」は、勝が太陽を背に受けて投げる影を兵介が踏み続けて間合いを一定にするというものであるから、それであれば、「秘伝日影抄」であろう。
五味は、1956年の『週刊新潮』の創刊号より、『柳生武芸長』を連載し始め、これが人気を博し、剣豪小説、武芸長というジャンルのブームを、同時期の連載もの『眠狂四郎シリーズ』を書いた柴田錬三郎と共に、導いた一人であった。
最後に、本作を観ていて、非業の女・美和の髪型が気になったので、これについて述べておこう。インターネットに「女の髪型、室町時代、遊女」と入れて検索したら、ウィキペディアに「立兵庫(たてひょうご)」という項目が出てきた。映画を観ていて観察できたのは、この髪型は、耳の後ろ辺りは何やら小姓の髪型、髷は、太く結って立ち上げて、銀杏の葉のようにした形に広げたものである。そうして、ウィキペディアの「立兵庫」の説明によると、これは、主に女歌舞伎役者や遊女に好まれた髪型であると言う。安土・桃山時代頃、中国・明の女性の髷を真似て流行り出した髷に「唐輪(からわ)」という髪型があり、これは、兵庫や堺などの港町にいた遊女がよく結ったものである。その結い方は、「前髪を真ん中で分けたのち髷は髪を頭上で纏め上げて二つから四つの輪を作ってから、根元に余った髪を巻きつけて高く結い上げる」ものであると言う。立兵庫の方は、「髪を一つにくくったものを頭上で一つの輪にし、余った毛先を根元に巻きつけて高く結い上げる」のである。頭上で作る輪の数が、複数か一つかで異なるようであるが、この立兵庫の立っている髷を横に広げると「横兵庫」となり、江戸時代の花魁の髷として知られることになる。成程、立兵庫は、「縦」兵庫となり、そのヴァリエーションは、横兵庫となる訳である。
2026年2月17日火曜日
バトルシップ(USA、2012年作)監督:ピーター・バーグ
さて、本作に登場する戦艦は、USS Missouri,BB-63戦艦ミズーリ号である。本艦は、太平洋戦争中の1944年六月に就役し、一時予備役に入ったものの改装され、その後の1990年に勃発した対イラク湾岸戦争でも任務に就き、ようやく1992年三月になって退役したBattleshipである。
戦艦ミズーリ号と言えば、太平洋戦争史の最後を飾る、1945年九月二日に、日本が連合国諸国に対して無条件降伏したことを認める調印式がその艦上で行なわれた戦艦であった。ウィキペディアによると、この日、東京湾にあった本艦艦上の出来事は以下のようであったようである:
「全ての連合国軍高官がミズーリに乗艦した。チェスター・ニミッツ海軍元帥は8:00直後に乗艦した。連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は8:43に乗艦し、日本側全権代表団は8:56に到着した。アメリカ海軍では、乗艦している最先任の海軍将官の将旗のみをメインマストに掲げると規定されているが、降伏調印式では、マッカーサーの要求で例外的に、海軍元帥の将旗だけでなく、陸軍元帥の将旗も掲げられた。9:02にマッカーサー元帥がマイクの前に進み、降伏調印式は23分間にわたって世界中に放送された。式中甲板は2枚の星条旗で飾られた。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(48州の星が描かれた星条旗)、もう1枚は1853年の黒船来航で東京湾に現れたマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物(31州の星が描かれた星条旗)である。」
このペリー艦隊との関連付けは、マッカーサーの演出であったと言われ、ミズーリ号の係留場所は、ペリー艦隊の旗艦Pawhatanポーハタン号が日米和親条約の署名の際に停泊した場所と同じ場所であった。この降伏文書調印式には、USA以外は、中華民国、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、オランダ、フランスにソ連が加わり、日本側からは、天皇及び帝国政府を代表して重光葵外務大臣が、大本営を代表して梅津美治郎参謀総長などが出席した。
この歴史的に由緒ある戦艦ミズーリ号は、US海軍の超弩級戦艦アイオワ級の三番艦として建造された。本作における見ものの一つである、本艦主砲斉射の場面は、ウィキペディアにある、湾岸戦争時の写真でも確認できる。故に、本艦と戦艦大和と比較して、本作での本艦の「活躍」を相対化してみようと思う。各項目の左側の数字がミズーリ号のもの、右側の数字が戦艦大和のものである。
基準排水量 45.000t 64.000t
満載排水量 58.000t 72.800t
全長 270,4m 263,4m
最大幅 33m 38,9m
主砲 50口径40,6cm三連装砲 45口径46cm三連装砲
両艦をこのように比較してみると、全長以外は、大和の方が全て数値が上回っており、当時の戦艦建造技術において日本が如何に優れていたかが垣間見られるのである。
2026年2月7日土曜日
ハンター・キラー 潜行せよ(USA, 2018年作)監督:ドノヴァン・マーシュ
沈黙の艦隊、潜水艦乗りの誇りを持って北極海の海底深く潜行する
本作は、潜水艦ものとしては、『沈黙の艦隊 北極海大海戦』に匹敵する作品である。但し、誤解がないように!『沈黙の艦隊 北極海大海戦』と言っているのは、実写版ではなく、傑作のアニメ版である。
上述の英語文は、主人公G.バトラー(制作者の一人も兼ねる)が映画の冒頭で、新しく自分が艦長となるべき、「Hunter Killer」たるべきUSS最新鋭潜水艦に乗り組む前に、自分のポケットから取り出したコインに書かれてある言葉である。狩りに出るハンターをも殺ってしまえる程、性能がいい、この最新鋭潜水艦は、USSヴァージニア級攻撃型原子力潜水艦の一隻である。『沈黙の艦隊 北極海大海戦』で登場する「シーウルフ」級が建造に経費が嵩み過ぎて殆んど建造されなかったことに鑑みて、その性能は、本作の冒頭で登場し、撃沈されるロサンゼルス級原子力潜水艦より性能はあるが、シーウルフ級よりは廉価である型である。故に、60隻以上の建造が見込まれている、建造が2000年に、就役がその四年後から始まった、2025年現在でも現役のサブマリーンである。
しかし、本作はストーリー展開が早過ぎ、また、潜水艦ものに徹していない作品なので、潜水艦ものに付き物の、あの狭い艦内での閉塞感が殆んど感じられない点で、マイナスである。この潜水艦ものに徹底できない代わり、Navy SEALsネイヴィー・シールズの地上戦のサブ・ストーリーがあり、このサブ・ストーリーは、確かに「損失」があるのではあるが、それでも展開が上手く行き過ぎで、「眉唾物」である。まず、ロシア連邦のドゥ―ロフ国防相がクー・デタを実行し、米露の戦争を勃発させようとするだけの内面的動機が全く本作では説明されていないことに内容の深みのなさがあり、不満が残る。その意味では、本作は、残念ながら、何も考えなくてもよいポップコーン・戦闘アクション映画である。
さて、本作には、ストーリーとしては、もう一つのレベルがあり、それが、国防省(現:戦争省)でのやり取りである。このレベルでのストーリー展開で重要な役割を演じるのが、統合参謀本部議長である。この役を、イギリス人名俳優サー・ゲアリー・ゴールドマンが演じている。善玉たるUSAの側において、好戦的な軍事上の権力者として、緊張を作り出して、ストーリー展開に、言わば、「塩味を効かせる」役である。尚、G.ゴールドマンは、2018年の第90回USAアカデミー賞で、別の作品でのウィンストン・チャーチル役で主演男優賞を獲得しており、本作は、彼がアカデミー賞を受賞した直後の作品となる。
ところで、統合参謀本部議長とは、USAにおける政治・軍事機構の中でどんな位置を占める役職なのであろうか。
これには、まずは、the Joint Chiefs of Staff 統合参謀本部がどんなものであるか知らねばならない。1947年以来存在する、この本部は、米軍の五種類の軍種、つまり、陸軍、海軍、空軍、宇宙軍、そして、海兵隊の長、更に、州兵を管轄する州兵総局のトップ・州兵総局局長がメンバーであり、これに、専任の議長及び副議長が加わって、構成される。つまり、八名で構成される組織である。
この合議体の長がChairman of the Joint Chiefs of Staff統合参謀本部議長となり、議長は大統領が、各軍の最高司令官級の軍人の中から指名し、上院の助言と承認を以って、任期四年で任命される。階級は、大将となり、一般には、「制服組のトップ」と言われる存在である。
統合参謀本部議長が「制服組のトップ」とは言え、シヴィリアン・コントロールのUSAでは、最高指揮権は大統領にあり、統合参謀本部議長は軍事面における助言者であるに過ぎない。故に、各軍への命令は、大統領から戦争省長官を経て、各統合軍の司令官を通じて直接発動されるという経路を辿る。故に、本作で、G.オールドマン演じるところの統合参謀本部議長が直接に命令を下して、米露軍事衝突になり兼ねない軍事行動を発令できないはずであるが、これは、ストーリー展開を盛り上げるための「芸術上の自由」というところであろうか。
本作には2012年に発表された『Firing Point』という原作があり、作者は、Don Keithドン・キースとGeorge Wallaceジョージ・ウォレスである。G.ウォレスは、USA海軍潜水艦の元艦長であり、彼が共作しているからこそ、やはり、本作ラストシーンのテイストが出てくるのであろう。米露の潜水艦艦長同志の「潜水艦乗り魂」が称揚される本作のラストシーンは、対立の中においても人間性を失わないヒューマニズムへの賛歌を感じさせる終わりとなっている。
そうとは思いつつも、ウクライナ侵攻後のロシア、トランプ第二次政権の権威主義的統治を知っている2026年以降の人間には、本作が米ソ協調の古き良き時代の遺物にしか見えなかったのではなかろうか。
2026年2月4日水曜日
ゴジラ(日本、1954年作)監督:本多 猪四郎
このゴジラ映画シリーズの第一作目を記念する東宝特撮映画は、「水爆大怪獣映画」とポスターに銘打たれた。
まず、ここでは、「原爆怪獣」ではなく、「水爆怪獣」となっていることに気を付けたい。冷戦は、遅くとも1950年代に入ると共に、原爆よりも何倍も破壊力がある水爆による「熱戦」の可能性が現実味を帯びていたのである。既に、通常兵器による東西冷戦の代理戦争、つまり、朝鮮戦争は1950年に勃発しており、この日本の近隣での戦争の中で、日本は、西側だけとの一方的平和条約を1951年に締結し、朝鮮戦争による「特需」で、「奇蹟的経済復興」の端緒を掴むことになる。そして、朝鮮戦争が停戦協定により取り敢えず休戦したのが、1953年の七月下旬である。こうした国際環境の中、翌年三月一日に起こったのが、第五福竜丸被曝事件である。これは、USAのビキニ環礁での初の水爆実験で、予想外の爆発力の結果、危険水域外であると言われていた水域にいた数多くの漁船(一説によると1400隻以上)が被曝し、その内の一隻であった遠洋マグロ漁船・第五福竜丸でも、その乗組員23名が水爆爆発後の「死の灰」を浴びた。第五福竜丸は、被曝したものの救難連絡はせずに、三月中旬に自力で静岡県焼津港に帰還する。この事件は新聞にスクープされ、日本は、原爆のみならず、水爆の被害にも曝された国として、また、被曝したマグロは、本作でも言及された通り、「原爆マグロ」と呼ばれて廃棄されたのであった。こうして、第五福竜丸被曝事件は、54年四月以降、日本全国で知られるところとなる。
さて、東宝製作による本作のプロデューサーとなった田中友幸は、これに先立つ1953年八月以降、日本とインドネシアとの合作映画『栄光のかげに』の制作のために奔走し、監督に谷口千吉を、主演に山口淑子、池辺良を招いて、敗戦後も日本に帰還せず、インドネシア独立のために対オランダ独立闘争を闘った元日本兵をテーマとした映画を制作する目的で動いていた。第五福竜丸被曝事件と同月の54年三月には、東宝側はインドネシアに撮影機材を送って、四月からのクランクインに備えていた程であった。しかし、未だ日本とインドネシアの間での国交が回復されておらず、戦後の賠償問題も解決していない中、自国の占領軍であった大日本帝国軍の一員が解放運動の「英雄」となる「虫のよい」話しがインドネシア政府に気に入るはずもなく、三月下旬に急に合作制作の契約が解除される事態となる。田中は、急遽、代替え案を出さざる得なくなる。まずは、監督の谷口には、文芸作品として当時ベストセラーとなっていた三島由紀夫作品『潮騒』の映画化に回ってもらう。そして、二本の戦争もの『太平洋の嵐』(1953年作)と『さらばラバウル』(初上映は54年二月)で、戦中からのプロパガンダ用の特撮映画が戦後もその可能性が大きいことに改めて気付いていた田中は、ウィキペディアによると、「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という特撮映画の代替え企画を、ジャカルタから東京への帰路、立てたと言う。
東京の東宝本社の企画会議で上述の企画に関して一応の了承を取り付けると、田中は文芸部と大まかな方向性を54年五月には決めるが、水爆大怪獣の名称はこの時には既に「呉爾羅」となっていたようである。田中は同月、自らもファンである怪奇幻想・冒険ものの作家である香山滋に原作を依頼し、「G作品検討用台本」が同月末には出来上がった。
既に、田中はプロデューサーとして、『さらばラバウル』(初上映は54年二月)で円谷英二と一緒の仕事をしており、「G作品」の特撮は円谷が担当することは早くから決まっていたが、池辺良主演の『さらばラバウル』の監督が本多猪四郎であったこともあり、田中は本多を「G作品」監督に連投で担当させ、脚本家・村田武雄を、生活感の薄い香山原作の「G作品検討用台本」により人間味を与える目的で選び出し、彼に本多と共同で「G作品準備稿」の作成に当たらせた。本作に漂う平和を願う雰囲気や女子高校生が平和を祈る斉唱のシーンなどはクリスチャンであった村田の存在なしでは考えられないと一部では評されている。こうして、「撮影台本決定稿」が出来上がっていくが、撮影監督には、正攻法で撮るヴェテランカメラマンであった玉井正夫を起用した。玉井は、東宝の女性ものの名監督・成瀬巳喜男の作品を何本も撮った、言わば、成瀬組撮影監督であり、本作本編のしっかりした撮影に相応しい人物であったと言える。玉井は本作の制作年の54年には、成瀬監督の下、『山の音』(川端康成原作)、『晩菊』(林芙美子原作)などの文芸作品を撮っている。
本作制作には、東宝は、本多組の本篇A班、円谷組の特技B班、そして、本編映像と特撮映像の合成加工を担当する合成C班(チーフ:向山宏)の三班体制で取り掛かり、本篇A班は54年八月上旬に、特技B班は同月下旬に撮影入りした。A班は、九月下旬に、B班は、撮影準備に時間が掛かったところから、ようやく十月下旬に撮了した。予定の初上映日の11月3日にようやく間に合った訳である。
このような東宝側の動きに対して、第五福竜丸被曝事件を巡る動静は、水爆大怪獣映画を撮る方向性が決まった五月上旬に新たな運動へと発展した。この時期、東京都杉並区の婦人団体(本作に登場する、菅井きん演ずるところの女性国会議員の態度に見られる日本人女性の行動力を思わせる)、福祉協議会、PTA、労働組合などが音頭を取って、約40人の代表人が、「原水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成し、「杉並アピール」なる声明を発表する。この署名運動は、またたく間に全国に拡がり、その三ヶ月後の八月上旬、つまり本多A班の撮影入りの時期には、「全国協議会」の結成大会が東京都で開催されることになる。これが一年後の55年八月六日に広島で開催された「第一回原水爆禁止世界大会」に繋がる訳である。
A班の撮影が終了するのは、上述したように、九月下旬であったが、同月の中旬の9月24日に本作でも重要な場面となる女子高校生斉唱の撮影が行われた。実は、その前日、第五福竜丸の船員の一人あった久保山愛吉が、当時の東大の医師の診断によれば、「放射能症」が原因で亡くなっていた。久保山の病死は、日本人被曝者の内、半年以内で亡くなった唯一のケースとなったが、このことが日本での原水爆禁止運動の展開に具体的な動機を与えたことは間違いない。
こうして、「水爆大怪獣映画 ゴジラ」は、初上映日の11月3日を迎え、怪獣ものという「ゲテモノ作品」であるのにも関わらず、これがヒット作となった社会的背景には、第五福竜丸被曝という現実の事件、社会的な運動に発展しつつあった原水爆禁止署名運動の存在を抜きにしては考えられないのではないか。
とは言え、もう一方では、科学技術への未来主義的信仰も本作にあることは、見逃せない。本作のキャッチコピーが次のように言っている:
「ゴジラか化学兵器か 驚異と戦慄の一大攻防戦!放射能を吐く大怪獣の暴威は日本全土を恐怖のドン底に叩き込んだ!」
水爆という、地球をも破壊し兼ねない「科学技術の結晶」によって、解き放たれたジュラ紀の恐竜ゴジラに、人類はやはり化学兵器を以って対抗しようと言う。その化学兵器が、オキシジェン・デストロイヤーである。どうも、戦時中からドイツと共同研究をしていたらしいものを、天才科学者芹沢(平田昭彦)が極秘裏に戦後の日本で開発していたのである。右目に黒の眼帯を掛け、自宅の邸宅の地下にある実験室で新兵器を完成させた芹沢は、映画の78分台、ゴジラの大都での暴威を抑え込むために彼が開発した新兵器を使用するように頼みに来た主人公の尾形(宝田明)に次のように言う:
「尾形、若しも一旦このオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ... 必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは科学者として、いや、一個の人間として許す訳にはいかない。そうだろう。」
これに対して若い尾形は、現前としてある不幸を見逃せないし、新兵器の存在は公表しなければいいのではないかと反論する。すると、自己の立場に懊悩する芹沢は言う:
「尾形、人間というものは弱いもんで、一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている... 俺が死なない限り、どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる... ああ、こんなものさえ作らなきゃ。」
芹沢は両手で頭を抱えて側にあった机の上に崩れ落ちる。この時、BGMには葬送曲のような重々しいメロディーが既に流れている。オフから声が聞こえてくる:
「安らぎよ、光よ、とくかえれかし、本日全国一斉に行なわれました平和への祈り。これは東京からお送りするその一コマであります。暫くは命込めて祈る乙女達の歌声をお聞きください。」
どういう訳かスイッチが入っていた、日本国産初のテレビ「ユタカ テレビ」は、まずは東京の廃墟を写し、続けて、看護婦達に看護される被災者、怪我人を捉える。未だ十年も経っていない東京大空襲後の帝都東京を思わせる画面が変わると、ある大講堂の全屋に整列した女子生徒達が歌を斉唱している:
『平和への祈り』
やすらぎよ、光よ とく かえれかし
命こめて 祈る我らの この一ふしの 哀れにめでて
やすらぎよ、光よ とく かえれかし
嗚呼
この曲の作詞は、原作者の香山滋が書いたものであり、作曲は、本作の音楽を担当した伊福部昭である。この女子高生が斉唱する場面は、上述の通り、54年9月24日に撮られたものである。撮影場所は、当時女子中学校・高等学校であった桐朋学園の大講堂であった。撮影時には、女子高校生のみ、約570名を大講堂床面並びにギャラリーにも整列させ、その彼女達の前の講壇に伊福部が自ら立って指揮をしたと言う。映画で聞こえてくる声は、本職の合唱グループが歌ったものをプレスコで場面に合わせて被せたものであるが、台風一五号が近づいていたところから、「うだるような暑さ」の中で、女子高校生達は、暗記した歌詞を真摯に歌っていたと言う。この場面について考察しているある投稿記事(『桐朋教育』第56号;筆者:飯島望)によると、撮影時間は午後一時からの二・三時間のことであり、女子生徒達の多くがその前日に久保山愛吉が死亡したことを知っていたのではないかと推測している。何れにしても、清純な乙女達が真摯に平和への祈りを斉唱するシーンは、本作を単なる怪獣映画に終わらせない、本作の社会的な深みを感じさせる名場面である。
この歌に聴き入っていた芹沢は、ある決心をして、おもむろにテレビのスイッチを切ったのである。
2026年1月31日土曜日
星(ドイツ民主共和国、1959年作)監督:コンラート・ヴォルフ
ブルガリアとの共同製作となることから、助監督にはブルガリア人監督Rangel Waltschanowが起用されていた。女主人公のRuth役には、イスラエル人女優Haya Harareetハイヤ・ハラリートを当てることにして、契約も結んでいたのであるが、彼女に丁度ハリウッドから歴史もの大作『ベン・ハー』(1959年作)での脇役の話しが舞い込んだことから、彼女はUSAに行ってしまう。代わりの女優が中々見つからない中、撮影の日程が迫ってくる。そこで、助監督のR. Waltschanowが、未だ演技を勉強中の自分の妻Sasha KrusharskaをRuth役に提案する。彼女はこの役で一気にスターの座に駆け上がることになる。
撮影は、1958年晩夏、ブルガリアの首都ソフィアから南に行った町Banskoでなされた。DDRでの初上映は、翌年の三月下旬であったが、共同製作国であるブルガリアでは、本作の内容が精神主義的な人道主義を説くばかりであり、とりわけ、ユダヤ人の描き方が労働者層とブルジョア階層との区別をしない曖昧なものであったことが批判されて、上映の認可が中々降りなかった。しかし、本作がカンヌ国際映画祭で審査員大賞を獲得すると、批判はそのままにして、上映はブルガリアでも許されることになる。ソ連及びイスラエルでは本作は上映禁止の措置を受ける。西ドイツBRDでは、ヴァルターがパルチザン活動に組するシーンが検閲されて、60年六月に初上映される。
2026年1月25日日曜日
グエムル -漢江の怪物-(韓国、2006年作)監督:ポン・ジュノ
本作、事前に知識を持たないで、偶然に、観た。最初の30分では、ナマズを巨大に突然変異させ、それに手足と長い尻尾を生えさせたような怪物「グエムル」(韓国語としては「グェムル」、更には「ゲムル」と発音した方が言語に近いと言う)が少々ひょうきんであるのに対して、この怪物に反応する主人公達がドタバタ喜劇的に大げさに描かれていて、「何だこのパトスは!」という感じで、一時観るのを止めたくなったのが正直なところであった。それを乗り越えて、結局最後まで観たのであるが、途中の漢江の流れに沿うソウルの都市景観や橋梁の撮影に撮影監督キム・ヒョングの映像美意識を感じながらも、終盤、どうして、デモ隊が登場し、黄色の煙幕が噴霧されるのか分からず、本作を観終わった。
この冒頭の2000年から、六年経ち、映画のストーリー上の現在は2006年となる。つまり、この映画が公開された年でもある訳である。この現代性は、韓国の観客には「刺さるもの」があったのであろう。故に、当時としては記録的な観客動員数であったと言う。本作を単なる怪獣映画と思う日本人の観客には、韓国でのこの社会的背景を知らないままでは、怪獣の「ダサさ」だけが前面に出て、本作が日本では受けなかったのは、当然と言えば、当然である。
仮に、日本の米軍基地で、このような毒物が近くの川に廃棄されたとしよう。横田基地でも、岩口基地でもいい。日米地位協定により、日本の警察権は、欧州の米軍基地と異なり、基地には立ち入りできないのである。正に、1894年に日本が撤廃したはずの治外法権は、米軍基地に関しては、戦後の1951年以来、復活したまま、現在にも及んでいるのである。
つまり、本作は、軍事政権から民主主義を勝ち取った韓国人の立ち位置で以って、デモ隊も登場するストーリーが語られているのであり、ここら辺の背景を知らない、筆者を含めた日本人観衆には、監督ポンの意図が理解できなかったと言わなければならない。
ホルムアルデヒド(英: formaldehyde)とは、有機化合物の一種で、化学式ではCH₂Oと表記され、その水溶液は、「ホルマリン」として人口に膾炙している。毒性が強く、人体へは、濃度によって粘膜への刺激性を中心とした急性毒性があり、蒸気は呼吸器系、目、喉などの炎症を引き起こす。本物質は、WHOの下部機関たる「国際癌研究機関」により「グループ1」の化学物質に指定され、発癌性があると警告されているものである。とすれば、「グェムル」ようなモンスターが突然変異で出てくることも不思議ではない。
また、本作中に登場する「エージェント・イエロー」という化学兵器は、米軍がヴェトナム戦争で使用した枯葉剤「エージェント・オレンジ」に掛けたものであり、この枯葉剤も、その影響でヴェトナムで環境的要因による二次的奇形を持つ乳幼児が多数生まれた原因であると言われているものである。
更に、本作の公開と同時期、韓国・民主党系の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が推し進めていた在韓米軍から韓国軍への戦時作戦統制権の移譲問題を、本作のストーリー展開と関連付ける報道もあったと、ウィキペディアに書かれてある。
とすれば、本作は単なる怪獣映画ではない訳で、本作のストーリーは、家族的団結の大事さと共に、在韓米軍への、少なくとも皮肉を込めた政治的な気骨のある作品となるものである。改めて、映画鑑賞後に、色々調べてみることの大事さが分かった次第であった。
2026年1月15日木曜日
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(英国、USA、2007年作)監督:ティム・バートン
荘厳なオルガン音楽が映画会社のロゴが見える所から始まる本作は、続いて陰惨なイメージのタイトルロールへと繋がっていく。何かゴシック・ホラー小説の雰囲気を思わせる。そして、映画が始まって登場した船は暗い闇に沈むロンドンに着き、ジョニー・デップ演じる主人公と彼と一緒にロンドンに戻ってきた若い船員アンソニーがそれぞれ別々に暗鬱なロンドンの街中に消えてく。既に船上で二人はその歌唱力を示しているので、本作がミュージカル映画であることが分かったのではあるが、映画を観始める前にそのことは知らなかったので、少々の驚きを以って、歌を聴き、さて、本作を観続けるか、一時、迷った次第であった。筆者は、ミュージカル映画は余り好みではないからである。が、結局は、最後まで観続けた。J.デップが体現する男の怒りがどこから来て、それがどう癒されるのかが知りたくなったからである。
さて、本作は、同名の、1979年に初演されたブロードウェイ・ミュージカルの映画化である。その舞台作品は、この年のトニー賞で、最優秀作詞・作曲賞を含めて八部門で受賞した作品であり、作詞・作曲を担当したのが、USA出身のStephen Joshua Sondheimスティーヴン=ジョシュア・ソンドハイムであった。彼は、本作での音楽も担当している。本作の監督は、1990年作の『シザーハンズ』(J.デップ主演)等で奇才の誉れ高いTim Burtonティム・バートンで、彼は、原作のブロードウェイ作品を既に1980年にロンドンで観ており、彼は80年代末に映画化の話しをSt.ソンドハイムに持ちかけていたと言う。しかし、紆余曲折があって、映画化はイギリス人監督Sam Mendesサム・メンデスが担当することに一旦はなるが、今度はS.メンデスが事情があって降板することとなり、それを受けて、T.バートンが結局は監督として登板することになる。実は、脚本は、S.メンデスの下で、USA出身のJohn Loganジョン・ローガンが担当することになっていたことから、本作の制作においても彼が脚本家として続投する。こうして、T.バートンとJ.ローガンが、舞台劇で三時間あった内容を映画的に濃縮させる方針を取り、本作の音楽担当である原作者のSt.ソンドハイムもその意向を受けて、作中内の歌を改編している。T.バートンは、とりわけ、歌で登場人物の感情の高揚を歌い上げる典型的なミュージカル的展開を嫌い、それを避けて、歌っている最中からどんどんストーリーを展開させる処理方法を取ったのである。これは、ミュージカル映画の冗長さを嫌う筆者に言わせれば、成功していると言える。
本作の冒頭で抱いた「ゴシック・ホラー」感は、確かに、部分的には当たっているが、ゴシック小説とは、イギリス18世紀後半の産業革命が始動し始めた時期に流行りだしたものであった。つまり、それは中世的趣味へ浪漫主義的な懐古なのであり、そこでは貴族達が主役を演じる。そして、それは、中世騎士道物語の延長としてのゴシック・ロマンスものの形成となる。こうして、「迫害される乙女」がそのテーマの一つとなる訳で、それは、本作における、治安判事ターピンの豪邸に、籠の中の鳥のように監禁されているジョアナと船員アンソニーとの恋物語りと相似している。
しかし、主人公ベンジャミン・バーカーは理髪師であり、貴族ではないので、ゴシック・ホラーのジャンルには当てはまらない。と言うのは、イギリスにおけるゴシック小説の流行は19世初頭までで、とりわけ、1837年以降のヴィクトリア女王時代(1901年まで)では、大衆雑誌の興隆の中で、残虐な犯罪ものが、とりわけ、労働者階層の大衆娯楽小説として好まれて読まれるようになり、次第にゴシック・ホラーものに取って代わっていったからである。
ヴィクトリア女王時代にはイギリスの産業革命は更に進行し、それは、鉱山業や機械製造業にも及んだ。また、鉄道網が整備されたことにより、物資の輸送も効率化されたことにより、産業革命の速度は更に高められ、ヴィクトリア女王時代にイギリスはその繫栄を築いたと言える。世界に冠たる大英帝国である。こうしたイギリス社会の繁栄は、出版界にも影響することになり、19世紀の半ば、幾多の出版社、新聞社が興される。実は、本作の題名の一部になっているFleet Streetフリート街は、シティー・オブ・ロンドンの西端にある、テムズ川と平行に東西に走る通り名で、「イギリスの新聞街」の別名がある程、数多くの新聞社が置かれていた通りなのである。
「本」とは、中世では元々高価な物で、一般庶民が手に入れることの出来ない物であったが、17世紀から19世紀にかけてイギリスで発行されたポケット・サイズの本、即ちChapbookチャップ・ブックは、低価格で中間市民階層でも買えるものであった。この巡回文庫Chapbookという名称は、Chapmanチャップマン(行商人)が売り歩いたことによると一般に言われているが、この「文庫本」は、8から24ページ程度の厚さで、挿絵入りの内容は物語から料理、暦など多岐に亘り、価格は1ペニー前後で、そこから、これらの本は「Penny history」とも呼ばれた。
一方、犯罪ものへの大衆の興味は、15世紀頃からの「Broadside balladsブロードサイド・バラッド」という、大判の紙一枚に俗謡(バラッド)を載せ、犯罪・強盗・災害などのセンセーショナルな事件を綴ったものを以って癒されていた。これが町や農村で半ペニーか1ペニーに売られていたのである。
そして、この「スウィーニー・トッド」は、ジャーナリストで音楽家でもあるThomas Peckett Prest(1810年生まれ)が、同僚のJames Malcolm Rymer(1815年生まれ)と共作で、『真珠の首飾り』と呼ばれた作品で1846年に創造したと言われている、連続殺人を犯す理髪師である。
このPrest版のスウィーニーの連続殺人の動機ははっきりはしないが、どうも金銭欲に因るものであったようである。ブロードウェイ作品版では、それは明確に治安判事ターピンに対する復讐劇となっており、その構図は、T.バートン版でも変わっていない。また、おぞましい「ミート」パイ屋を営むミセス・ラヴェットは、三つのヴァージョンで存在しており、彼女を単なる共犯者と見るか、或いは、スウィーニーの愛人と見るかでストーリーの味付けが違ってくる。本作では、名前の中に「Love」が入っている未亡人のラヴェット婦人(イギリス人女優Helena Bohnam Carterが好演)は、復讐の鬼ベンジャミンに報われない片思いをし続け、スウィーニーことベンジャミンは、奪われた、そして、奪われたと思っていた妻ルーシーに、復讐の憤怒の中、永遠の愛を誓っていたのである。復讐、連続殺人、カニバリズムのグロテスクは、血の饗宴の内に終わる。
2026年1月5日月曜日
ダイアモンド・ラッシュ(英国、2007年作)監督:マイケル・ラドフォード
話しは、喫茶店のシーンから一転して、俯瞰図からハイヒールを履いて颯爽とロンドンの通りを歩く、若いと言っても、もう38歳の独身者ミス・クウィンが映し出される。何故か彼女は黒髪で、タイトなスーツを着ている。背景の音楽は、今ではジャズのスタンダードになっていると言っていい『Take Five』である。調べてみると、この曲の発表は、1959年で、2007年乃至その前年から場面転換した時期、つまり、1960年の年とほぼ一致する。上手い選曲であり、USA出身で煙草も吸い、英国オックスフォード大学を出ている才媛たるクィン「老嬢」にもぴったりである。彼女は、勤め先であるLondon Diamond Corporation、略して、「Lon Di ロン・ダイ」という大手のダイヤモンド取り引き商会に向かっていた。商会の建物の前では、「Lon Di 人殺し、ダイヤモンドのためにはもう一滴の血も流させない!」というプラカードを掲げて抗議する人々が集まっていた。小さなデモ隊は、南アフリカ連邦のアパルトヘイト政策にも反対していた。
このLon Diには全世界で「1223」もの支店があるのにも関わらず、女性支店長は一人もいなかった。ミス・クィンの後輩の男性職員が彼女を追い越して、丁度、南アフリカにあるカップ支店の総支配人に任命された。自分の鬱憤を晴らすために、ミス・クィンには、自分の思いを小さいカードに書く癖があり、今回もまた昇進が出来なかった恨みに、「don't give up work harder You will win」と、馬車馬のように働くことを誓って、三行をピリオドなしに書き付ける。そして、それを自分宛ての封筒に入れた。
ある晩、自分の事務室でいつものように「サーヴィス残業」をしていると、夜間に社屋の清掃作業を担当しているMr. Hobbs(Michael Kaineマイケル・ケイン)が部屋にやってくる。スモール・トークをミス・クィンと交わすミスター・ホッブスは、単なる清掃員ではないらしく、聖書の一節を引いたり、南アフリカの件を言及したりする。その翌日、ミス・クィンがいつものように朝一番に出勤して、例の自分宛ての封筒を何気なく開けると、前に書いた「don't give up work harder You will win」の下に一行書き足してある:「No you won't」と。そして、封筒にはある映画館の切符が一枚入っており、切符の裏には「12:40 pm.」と書いてある。さて、誰がこんなことをやったのか。好奇心に駆られたミス・クィンは指定された時間に映画館に赴く。丁度リチャード・アッテンボローが演じている銀行破りの白黒映画が上映されている館内には、何とミスター・ホッブスが待ち受けており、彼は、支店の数は、1224店あり、また、ミス・クィンがここ三年間で六回も昇進のチャンスを逃していることを指摘した後、ソ連とのダイヤモンド取り引きに絡んで、秘密裡にその取引契約をLon Diが延長する策をミス・クィンが進言したのにもかかわらず、商会上層部は、彼女なしで、その策を取ることを決め、そして、彼女自身はまもなく辞めてもらう方針であると警告する。
調べてみると、確かに1960年6月を以って自分が財政上の理由で辞めさせられることになっていることをミス・クィンは掴み出したことから、同じく半年後に定年退職するミスター・ホッブスと会う。彼は言う:夜中じゅう清掃作業をする自分は、地下の大金庫の前の大理石の床を磨く仕事をする。警備員は二人しかおらず、それも別の場所に立っているのみで、大金庫の六桁の暗証番号さえあれば、楽々金庫内に入れて、持参のコーヒーポットに若干の未だ磨いていないダイヤモンドを掠め取れる。それを、それぞれ16年・15年勤続したお互いの退職金代わりにしよう。ミス・クィンは、その暗証番号を自分に教えてくれればよいのであると。
さて、ミス・クィンは、暗証番号を手に入れることが出来るか。また、ミスター・ホッブスは、上手く大金庫に入れて、ダイヤモンドを盗み出すことが出来るか。急遽、防犯カメラが取り付けられるという難易度が高められる中、もちろん、ミスター・ホッブスはダイヤモンド窃盗に成功するのであるが、実は、ミス・クウィンには、二重・三重ものサプライズが待ち受けていた。
確かに、本作は、金庫破りが一つのプロットであるから、ハイスト映画ではあるが、イギリス映画である本作に、銃撃戦も辞さないアメリカン・ハイスト映画を期待しても無理である。否、本作のテーマの主眼は別の所にあり、本作は復讐物語りなのである。今では崩壊しつつあると言われているイギリスの病院医療制度は、嘗ては世界に冠たるものと褒めそやされたものであったが、その十全な病院医療制度が導入される前には、イギリス国民は、自分で健康保険を掛けて病気に備えなければならず、本作のストーリーは、その発端を終戦後の時期にまで遡る。こうして、本作では、女性の社会進出の問題と健康保険制度の問題とが絡むことになり、巨大ダイヤモンド商会の部長クラスの管理職ミス・クィンとその会社の清掃員ミスター・ホッブスという、非対称な組み合わせが可能になった訳である。
しかも、この復讐劇の国際政治的な背景が興味深い。まず、国際的なダイヤモンドの取り引きにこの当時ソヴィエト連邦が関わっており、ソ連はLon Diの大事な顧客であることである。そして、1960年という年である。
1960年とは、世界史的には「アフリカの年」と言われている。この年にアフリカ大陸では、旧宗主国であるフランスから独立した13ヵ国を含む合計17ヵ国が欧州の旧宗主国から独立を達成した年であるからである。既に、1947年にインドとパキスタンが大英帝国から独立した後、1950年代には、他のアジア諸国が植民地の地位から脱していた。1955年には初めてのアジア・アフリカ会議がインドネシアのバンドンで開催されていた。それを受けての1960年以降の反植民地主義運動がこうして世界で展開していた訳で、旧宗主国たる大英帝国は、その国際的地位を、工業力の点ではUSAに、国際政治の点では反植民地主義によって脅かされていたのであった。本作の冒頭でのデモ隊もこのような国際政治状況を反映したものであり、作中で起こるLon Diの会頭の突然の死も、この大英帝国の運命を象徴しているかのようである。
1960年二月初頭に南アフリカのケープタウンを訪れたイギリスの保守党政治家ハロルド・マクミラン首相は、南アフリカ連邦のアパルトヘイト政策を批判しつつ、次のような演説を行なった:
「変化の風がこの大陸を通じて吹いている。我々がそれを好むかどうかに関わらず、このナショナリズムの高まりは政治的な事実である。我々はその事を事実として全て受け入れなければならないし、国の政策においても考慮に入れていかなければならない」(ウィキペディアからの引用)
同年12月には、国際連合総会は、「植民地独立付与宣言」なるものを採択し、この宣言文で、全ての人間が自己決定権を保持しており、外からの圧力によってこの権利が行使できないのであれば、それは人権侵害であると謳っている。この宣言は、反対票無しで可決されたが、七つの国が棄権した。その七つの国の六ヶ国とは、イギリス、フランス、そして、アフリカの植民地に未だ固執するベルギー、ポルトガル、スペイン、更に、アパルトヘイト政策を行使する南アフリカである。最後の一カ国とは、USAであるが、何故、大英帝国に対して独立戦争を戦い、人権宣言を高らかに唱えたこの国がこの付与宣言を棄権をしたのであろうか。筆者は2026年一月五日にこの文章を書いているが、この二日前にUSAがヴェネズエラを攻撃している。USAは、1960年当時既に中南米を自己の影響圏の中にあるものと見做しているのであり、このイデオロギーに従って、USAは、「植民地独立付与宣言」についてこれを棄権したのであった。1960年には流石にこの宣言に反対が出来ない情勢であったが、66年経った今年2026年、果たして、どうであろうか。筆者には、21世紀版帝国主義がその邪悪な本性を現し、再び跳梁跋扈し出したように思える。
2026年1月3日土曜日
ジュラシック・ワールド:炎の王国(USA、2018年作)監督:J・A・バヨナ
ウィキペディアで調べてみると、「ジュラシックもの」は何と、もう七本も撮られているとのこと。『ジュラシック・パーク』の三部作(1993年、1997年、2001年)で完結したものと思いきや、2015年に『ジュラシック・ワールド』が再開されると、本作と2022年作品で、もう一度三部作が一回りし、25年には、少々お太り気味のスカーレット様が主演なさっておられる「リバース版」が飛び出している次第である。
調べて分かったことは、ジュラシック・ワールド三部作では、オーウェン役の主演男優Chris Prattクリス・プラットとクレール役のBryce Dallas Howardブライス=ダラス・ハワードが通しでやり通していることに好感が持てる。Chr.プラットは、男臭くなく、如何にもUSボーイの正義感を持ち、いざとなれば、腕っぷしも効くオーウェン役によくイメージが合っており、また、意志が強く、行動力があり、「古生物愛護運動」の先頭に立つクレールには、ブロンドがかった赤毛と大きな口のBr.ハワードは、適役である。ウィキペディアによると、Dallasという名前は、自分が「出来た」時の場所がダラスであったから、そして、Bryceという名前は、Bryce Canyonブライス・キャニオンという、赤色の岩石で有名な、ユタ州にある国立公園の名称から採ってあると言う。名は正に人を表すとは、このことであろう。
彼女をどこかで見た記憶があり、探してみると、『ターミネーターIV:救い』(2009年作)で、ジョン・コナー(Chr.ベール)の妻となるケイト・コナー役を彼女がやっていた。ケイト役は、女医師であるが、コナーの副官的存在であると、かいつまんで言えるとすると、この役も本作の役柄と似ている。Br.ハワードは、監督Ron Howardの娘であり、その血を引き継ぐのか、2013年以降、監督業にも手を出しており、短編を二本程試した後、2019年に『Dads』というドキュメンタリー映画を発表し、それ以降は、シリーズもののテレビ映画作品を時々撮っている。
他人の顔(日本、1966年作)監督:勅使河原 宏
本作と同名の原作の作者は、安部公房であり、本作の脚本を担当しているのも原作者本人自身である。と言うことは、脚本の内容に原作者も同意しているということであり、本作が発するメッセージに原作者も異論がないという理解でOKであるということになる。 筆者は、原作を読んでいないので、断定...
-
まず画像に、「この一篇を雲の彼方に散った若人のために捧ぐ」と流れる。 すると、早速、当時の実写の場面が写し出され、恐らくマリアナ沖海戦か、沖縄戦における神風特攻作戦の場面が一部特撮を混ぜて見せられる。(特撮:日活特殊技術部;やはり、戦前からの東宝・特撮部、円谷英二班のものには...
-
監督のIlya Naishullerイリヤ・ナイシュラーは、父親がユダヤ系ロシア人で、金持ちの家に育ったところから、子供の頃はロンドンの豪邸に住んでいたと言う。モスクワ生まれの彼は、その後、ロシアに戻り、希望であるロシア映画大学を受験するが、これには受からず、それで、モスクワの...
-
白樺派 ミーツ ハリウッド映画 白樺派は、明治末から大正期に掛けて日本の文壇の一主流となった傾向であり、その文学創作の思想的背景には、理想主義、人道主義、個人主義があったと言われている。その代表的文学者は、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などである。 何故ここで白樺派のことを...