2024年4月29日月曜日
ミーン・ストリート(USA、1973年作)監督:マーティン・スコアセスィ
本作の冒頭からは、ハーヴェイ・カイテルが登場し、役柄のイタリア人らしく、教会で自問する場面が出たりしてきて、彼が主人公なのであろうと思い込んで、エンディング・ロールを見ていると、助演であると思い込んでいたロベルト・デ=ニーロの名前がH.カイテルより先に出てくるので、意外の感があるのであるが、そのR.デ=ニーロもまた、リトル・イタリーで育ったと言う。つまり、本作は、脚本も共作しているリトル・イタリー育ちの監督が、同郷の俳優を使って1970年代初頭のリトル・イタリーを描いた、地誌的ドキュメンタリー性を持った作品であると言えるのである。
さて、1942年生まれのM.スコアセスィは、1960年代後半にニューヨーク大学で映画学を学び、その修士課程の卒業制作を基に制作した初の長編映画が、『ドアをノックするのは誰?』(1969年作)であった。この作品にM.スコアセスィは、実は、既にH.カイテルを主演に使っていたのである。あるイタロ・アメリカンの宗教的生活感をテーマとしたこの映画は、インディペンデント映画界で注目されることとなり、こうして、ある女性Hoboホーボー、つまり1930年代の渡り鳥労務者の運命を描いた次作『明日に処刑を…』(1972年)を監督することになるが、この作品が期待した程の評価を得られなかったことから、M.スコアセスィは、「原点回帰」として本作『ミーン・ストリート』(1973年)を監督し、本作に再びH.カイテルを出演させる。本作は、ウィキペディアによると、映画批評家から大絶賛を受け、興行的にも製作費を上回る成功を収めた言う。こうして、本作が機となり、M.スコアセスィとR.デ=ニーロとの共作が始まることになる。この三年後に二人の活動は実を結ぶ。つまり、R.デ=ニーロが主演した『タクシー・ドライヴァー』である。映画『Mishima』を後に撮ることになるポール・シュレイダーが脚本を書いたこの作品は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞するのである。
さて、本作の冒頭では、H.カイテルやR.デ=ニーロらの一応の人物紹介が行なわれるが、本作は、その後のストーリー展開としては、余り起伏がなく、むしろ、マフィア組織の下っ端のH.カイテルが友人として面倒を見ている奔放で殆んどアナーキーなR.デ=ニーロが博打絡みで首が回らなくなり、追いつめられていく過程を、リトル・イタリーを背景として描くもので、観ている方がR.デ=ニーロの自堕落さに嫌気がさして、映画の中盤では中だるみ感がする作品である。M.スコアセスィ映画の特徴的な動くカメラは、ここでも発揮されているが、それにしても、この映画が映画批評家から大絶賛を受けた理由が筆者には中々理解できない。恐らくは、イタロ・アメリカンの人口が現在ではより縮小し、この地域が「リトル・チャイナ」化しているらしいので、消えつつある、かつてのリトル・イタリーのイメージへの郷愁が、本作の地誌的な記録性と相まって、映画評論家達を喜ばせたのかもしれない。実際、ウィキペディアによると、本作は1997年に、「文化的、歴史的、ないしは美学的に」重要な作品として、アメリカ議会図書館にあるNational Film Registryアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
2024年4月3日水曜日
十戒(USA、1956年作)監督:セシル・B.・デミル
Cecil B. DeMilleセシル・B.・デミルは、1881年にUSAで生まれた映画監督、映画プロデューサーで、1910年代から監督作品を発表し、アメリカの初期の映画史に影響を与えて、「史劇の巨匠」と言われいる。その名声に相応しく、1956年制作の、聖書史劇とでも言える本作が、撮影当時75歳であった彼の遺作となった。実は、デミルは、本作の約30年前に撮った『十誡』(1923年作)を自分でリメイクしたことになる。
その名称からすぐ分かる通り、本作は、旧約聖書の『Exodus出エジプト記』をハリウッド的に映画化したものであるが、エジプトでのロケーション撮影も行なわれ、撮影機材がMitchell VistaVisionカメラで、撮影素材がTechnicolorと来れば、是非、映画館でのリバイバル上映で観たいものである。映画史上有名な紅海が割れて、ヘブライ人が紅海の底を渡る場面は、以下の『出エジプト記』第十四章の引用部分に対応する。
「21モーセ、手を海の上に伸(のべ)ければ、ヱホバ、よもすがら強き東風をもて海を退(しりぞ)かしめ、海を陸地(くが)となしたまひて、水、遂に分れたり。 22イスラエルの子孫(ひとびと)、海の中の乾ける所を行くに、水は彼等の右左に墻(かき)となれり。 23エジプト人(びと)等パロ(ファラオ)の馬車(むまくるま)、騎兵みな、その後にしたがひて海の中に入(い)る。 24暁にヱホバ、火と雲との柱の中(うち)よりエジプト人の軍勢を望み、エジプト人の軍勢を惱まし。 25其の車の輪を脱(はづ)して行くに重くならしめたまひければ、エジプト人言ふ:我儕(われら)、イスラエルを離れて逃(にげ)ん。其はヱホバ、かれらのためにエジプト人と戰へばなりと。 26時にヱホバ、モーセに言ひたまひける:汝の手を海の上に伸(のべ)て水をエジプト人とその戰車(いくさぐるま)と騎兵の上に流れ反らしめよと。 27モーセすなはち手を海の上に伸(のべ)けるに夜明けにおよびて海、本(もと)の勢力(いきほひ)にかへりたれば、エジプト人之に逆(むか)ひて逃たりしが、ヱホバ、エジプト人を海の中に擲(なげう)ちたまへり。 28即、水、流れ反りて戰車(いくさぐるま)と騎兵を覆ひ、イスラエルの後にしたがひて海にいりしパロの軍勢を悉く覆へり。一人も遺れる者あらざりき。 29然(され)どイスラエルの子孫(ひとびと)は海の中の乾ける所を歩みしが、水はその右左に墻(かき)となれり。 30斯くヱホバこの日イスラエルをエジプト人の手より救ひたまへり。イスラエルはエジプト人が海邊に死にをるを見みたり。 31イスラエル、またヱホバがエジプト人に爲したまひし大いなる事(わざ)を見みたり。是(ここ)に於いて民、ヱホバを畏れ、ヱホバとその僕(しもべ)モーセを信じたり。」
この年のアカデミー賞では、本作は、作品賞、撮影賞、美術賞他、七部門でノミネートされ、担当のJohn P. Fultonが特殊効果部門で受賞した。
しかし、俳優陣もそうであるが、アカデミー賞に七部門もノミネートされる作品で、脚本賞がノミネートもされなかったのは、意外と言えば、言える。とは言え、私見、テーマに関連する著作を参照しながらも、『出エジプト記』を土台として書かれた本作の脚本には、なるほどよく練ってあると思わせる部分がある。モーゼの出生の秘密とその生い立ち、そして、それに絡む、「異母兄弟」たるラムセスと、そのラムセスの第一王妃となるNefretiriネフェルタリとモーゼとの関わりである。
そこで、後にラムセスII世となるラムセスの存在にフォーカスを絞って、古代エジプト歴史を簡単に復習してみよう。
紀元前3100年頃から紀元前4世紀までの約三千年の間の長い、古代エジプトの歴史は、初期と末期を除くと、古王国、中王国、新王国、その間に中間期が同じく三回入り、この中間期の王朝も通算すると、最初から最後までで31の王朝があった。
その内の、第18王朝から第20王朝までが、新王国時代の王朝で、紀元前16世紀から紀元前11世紀までの合計約500年間の統治期間を指す。この新王国時代に古代エジプト文明は最も栄えたと言われるが、その中でも、第18王朝の最後のファラオの下その宰相であったラムセスI世が第19王朝を創始した後、その次代のSethiセティI世を経て、第19王朝第三代のファラオとなったラムセスII世の統治下に、古代エジプトは対外的にも最も繫栄し、それ故に、ラムセスII世こそは古代エジプト史最大のファラオと言われている。本作の、モーゼと並ぶ、Yul Brynner演じるところの主役の一人となるRamessesラムセスである。
ラムセスII世は、24歳頃で即位した紀元前1279年頃から紀元前1213年頃までの66年間にファラオとして在位し、90歳前後で没したと言われている。「Ramessesラムセス」という誕生名は、ウィキペディアによると、「ラーは彼に生を与えた者」という意味の「ra-mes-sw」のギリシア語読みで、即位名の「ウセルマアトラー・セテプエンラー(User maat Ra-Setep en Ra)は、「ラーのマアト(正義、真理、宇宙の秩序の意)は力強い。(彼は)ラーに選ばれし者」を意味すると言う。正に、神に愛でされし者として、古代エジプト人の平均寿命の約二倍の長命であり、体格は、古代エジプト人の平均身長が165㎝程であったのと較べると、約180㎝と異常に高かった。実際に、彼のミイラが現在も保存されており、現代科学の分析によると、彼は、赤毛であったと言う。
さて、この古代エジプトの最盛期を築くファラオとなるラムセスは、紀元前1303年頃、ファラオ・セティI世の王子として生まれた。この王子ラムセスはセティI世の長男ではなく、実は、彼には名前不明の王太子の兄がいたとされるのである。しかし、ある時点でその王太子の記録が全部消されて、壁画自体も弟の姿に変えられたということであり、この不明な部分にモーゼの出生の秘密と王族としてモーゼが成長したというプロットを創り上げたのは、本作の脚本家グループの上手いところである。
しかも、これに、ラムセスの最初の王妃となるネフェルタリを絡ませる。即ち、ラムセスは、実は、既に彼が十歳代の前半の時期に政略結婚により、上エジプトを代表するネフェルタリと結婚したのである。これを脚本家グループは、後ろにずらし、Anne Baxterアン・バクスター演じるところのネフェルタリが、ラムセスよりはむしろモーゼに心を寄せる、メロドラマに必要な存在としたのである。こうして、本作の前半は、メロドラマ的緊張感を伴なって展開する。
尚、本作製作当時の教会史家は、『出エジプト記』に登場するファラオがラムセスII世であったと推定していたが、現在では、ラムセスII世の次のファラオ・メルエンプタハであった可能性が高いとされていて、ラムセスII世を旧約聖書中のファラオと同一視する見方は少なくなっていると言う。
青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己
冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる: 「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...
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