2022年11月23日水曜日

ディア ドクター(日本、2009年作) 監督:西川 美和

ラスト・シーンの、女優八千草薫の、大いなる笑みが光る


 無医村という現代日本の社会問題をコメディー・タッチとして描くのは、重い問題を重いものとして物語る気合が無くなった現代では、その商業主義的方策にも合致した手であり、また、人間的悲劇を「喜劇」として見るA.チェホフ的立場から言えば、なくもない。

 しかしながら、本作冒頭のシーン、偽医者が逃亡してからの村人のドタバタと、このシーンに直後に続く、研修医と偽医者の、交通事故一歩手前の「邂逅」とは、如何にも笑いを誘おうというわざとらしさが何となく感じられて、いただけない。

 とは言え、コメディー・タッチ路線のその一貫性ということでは、本作の主人公を演じる役者を落語家にしたことは、当然と言えば当然と言う感も無きにしも非ずである。この意味で、作中に落語の話が出てくるのも頷けるし、ラスト・シーンは、これまた落語必須の「オチ」と見なすことも可能であろう。

 但し、主役を演じている笑福亭鶴瓶の個性に監督が呑まれて、果たして監督自身の演出が効いているのか、キャスティングの妙と言えば、それはそれで収まるかもしれないが、監督が本来的には脚本家出であることを勘案すると、疑問とする面も多々ありである。

 しかし、である。ストーリー全体を人間喜劇として一括りにし、冒頭の事件ばりの描き出しで物語の現在軸を出し、これに回想場面を適宜入れていき、この展開を以って、「偽医者」の人間像を描こうとする、この女流監督の、原作者・脚本家としての手腕は並々ではないものを感じさせる。

 とりわけ、無くてもよかったのではないかと巷で取り沙汰されているというラスト・シーンは、蓋し、偽医者が、村で関わった病人八千草に、失踪後もう一度関わっていくということで、偽医者が持つ人間性の深みを強調するものであり、ストーリーの全体像に真実味を持たせる上で絶好のエピソードである。

 また、このラスト・シーンでの八千草の演技は、絶妙である。最初は、気が付かずにいたものが、不意に気が付き、事の次第に驚く。しかし、すぐに事情を察知し、これに笑顔で応える。この笑顔がまた複雑な笑いを込めており、わずか10秒にも満たない演技でありながら、それまでの90分前からのストーリー展開を凝縮させる力を持っているのである。

 自分の娘に知らせたくない病いを持ち、それでも自分の病気がどう進行しているのか、不安で知りたくて、結局は、偽医者に診察させる八千草。そして、その病状を偽る嘘を偽医者にも頼む八千草。元々嘘の身分の偽医者が、患者に嘘を頼まれるという、謂わば人生の「皮肉」である。そして、この事情を頭に入れてラスト・シーンの八千草の笑みを読むと、そこに、嘘がバレないようにという遊び心の「共犯者」の笑みが紛れ込んでいるのではないか。この複雑なる笑みを体現した八千草薫という女優の演技力に筆者は脱帽するものである。

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