2024年8月4日日曜日

イコライザー The Final(USA、2023年作)監督:アントワーン・フークワ

 本作は、三部作のシリーズもののファイナル版である。シリーズの一作目は、原案が英語の原題では同名の『The Equalizer』という、1980年代にUSAで放映されたテレビ映画シリーズである。このテレビ映画シリーズは、日本では『ザ・シークレット・ハンター』という邦題名で放映されたということをウィキペディアで知って、筆者は早速、ある日本のテレビ映画シリーズを思い出した。『必殺シリーズ』である。

 この『必殺シリーズ』は、1970年代の初めに第一シリーズが放映されたが、その時は、『必殺仕掛人』という題名であった。その後、何シリーズもテレビ用、劇場用に映画化されたが、その中には、『必殺仕事人』、『必殺仕置人』、『必殺仕留人』などという題名があった。この『必殺シリーズ』の基本的なストーリー構造は、ある悪人に痛めつけられた被害者、或いは、その関係者が、「裏稼業」の必殺のプロに頼んで、その復讐のために仇を取ってもらう。そのためには依頼人は依頼金を支払わなければならないという仕組みである。この依頼金の要素を除くと、本作のストーリー構造も『必殺シリーズ』のそれと似ており、それで、筆者は、この日本のテレビ映画シリーズを思い出した次第である。

 ところで、「仕事人」、或いは、「仕掛人」が「仕事」を引き受ける場合、観ている者に道徳的・倫理的「反感」が出ないように、ストーリー上の「仕掛け」があった。ここが「ミソ」であり、本作の倫理的前提と比較するためにも、この「ミソ」を一言述べておこう。まず、単なる勧善懲悪の行為にしない。この大前提の下、「1.晴らせぬ恨みを晴らす」、「2.世のため、人のためにならない殺しはやらない」、「3.合法的には裁くことができない悪人のみを殺める」、「4.殺しに当たり、万が一にも間違いがないように調べ上げる」、「5.あくまで正義の味方ではないので、殺しの代償として依頼金を取る」などの「裏稼業の掟」がある。

 これらの「掟」の内、5番以外は、本作にも当てはまっていると言えよう。4番の事前調査は本作でもはっきりは出ていないが、ストーリーが展開する中で、R.マッコールの行為の対象者が当然の「報復」を受けて妥当である気持ちが高められる。とりわけ、3番の観点が本シリーズでは強いのではなかろうか。悪の行為によって、均衡が失われた状態を「報復」という行為、事実上は私的制裁なのであるが、この行為によって、正義の均衡が取り戻される。この均衡を取り戻す行為、乃至は人間のことをEqualizerイコライザーというのである。あの算数の記号「=」、つまり、「イコール」状態にすることである。

 ところで、「イコライザー」は、音響機器としてもあり、この機器は、ウィキペディアによると、以下のように定義されている:

 『イコライザーの原義は「均一化(equalize)器」で、録音再生環境(例: マイクロフォン・レコーダー・録音スタジオ、スピーカー・再生会場)がもつ周波数特性の歪み補正や、マスタリングにおける曲ごとの音質的差異の平均化などを意図している。』

 という訳で、『The Equalizer』という英語原題を邦訳した場合、『必殺仕掛人』のタイトルにもじって、訳してみると、「必殺均一人」となるであろうが、これでは駄洒落が過ぎるので、「必殺報復人」としてみては如何であろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...