「コスパ」や「タイパ」の観点から物事が測られる現代日本では、「伝統工芸」とは、これらの基準のどちらも「悪い」、正に、真逆の存在で、美術工芸の国フランスならまだしも、現代日本では、これらが廃れるのも無理はないのであろう。そういう、現代日本社会で「分の悪い」伝統工芸の中でも、更に「割が合わない」のが、津軽塗である。なぜなら、*「塗っては研ぐという大変手間のかかる技法は、40数回の工程と2ヶ月以上の日数を費やして仕上げ」られるからである。こういう「バカ丁寧」に作られる津軽塗であるからこそ、この漆塗製品を作る工程「漆工」は、「バカ塗り」と呼ばれる。本作の表題の一部にこれが出ている理由である。(*印の引用は、青森県漆器協同組合連合会のインターネットのサイトより)
青森県の西部にある、弘前市を中心都市とする津軽郡の伝統産業の一つが津軽塗であるが、津軽塗職人の青木清史郎は、津軽塗の将来を悲観している。経済的に苦しい家計に耐えられずに妻は家から出ていった。長男は美容師になって、家は継がないと言う。娘の美也子はその器ではないと見ている父親は、なぜか津軽塗をやってみたいという娘を信じられない。こうして、本作のストーリーが展開するのであるが、やはり、美也子の心境や意欲に説得性がないので、映画を観ていて、「本当なのか?」と疑問符が何度も湧いてきていたのは、筆者だけではないのではなかろうか。
しかも、映画の終盤が、美也子がグランド・ピアノの外装の塗りをあれほどカラフルに仕上げたことで、それが評価されてパリに呼ばれていくという成功譚になっていることに更に違和感が隠せないのである。今では、塗った面の光沢や強度を高めるために漆にセルロースナノファイバー(CNF)を混ぜる技術が開発されていると言うし、素地(「きじ」)に木地ではなく合成樹脂を使ったり、天然の漆の代わりに合成塗料を用いた「合成漆器」も存在している。美也子が、もしそのようなものを使ったとしたら、これでは、津軽塗の本来の独自性を逆に失わせることになってはいないかと思われるからである。
それでは、「津軽塗の本来の独自性」とは何か?木地には、伝統工芸であるから、青森県産のヒバが使われる。これは、津軽の伝統工芸である限り、当然である。生漆(きうるし)に、セルロースナノファイバーを混入させることは、たとえそれが「伝統工芸」であるとしても、あり得る。例えば、輪島塗では、下地塗の行程で、生漆に米糊、そして焼成珪藻土を混ぜて何層にも厚く塗る。大体、漆自体が、その多くを中国から輸入している状態である。国産の上質の漆は、岩手県二戸(にのへ)市浄法寺町で採れる漆で、その生産量は、日本での漆の総使用量44トン(2016年度)の5%にも満たない2トン以下であると言う。
こう見てくると、津軽塗を津軽塗たらしめているのは何かと言うと、模様の出し方にあるのである。漆器の代表格は、京都の公家を相手とした京漆器であろうが、京漆器は、京都の洗練された公家文化に合わせるように、木地を薄くし、上質の漆を塗った上に、加飾として蒔絵を施すことがその特質である。これに対して、津軽塗では、その技法の一つとして「唐塗」というものがあり、この技法では、蒔絵を施さずに、仕掛けベラを使って凹凸を付けながら漆を盛り上げて塗り、更にその上に別色の色漆(朱漆、黄漆、実は緑色の「青漆」)を何層にも亘って塗っては、その表面を砥石や炭で研いでいき、この四十八の工程の中で、言わば、漆の中から斑点模様を研ぎ出すのである。この技法が「研ぎ出し変わり塗」の技法の一つであると言われ、これこそが、津軽塗を津軽塗たらしめている技法なのである。この津軽塗の特異性が、映画では、はっきりと出されていなかったことを残念に思う。
仮にもっと津軽塗の特異性を強調しようとするのであれば、青森県漆器協同組合連合会がそのサイト上で説明している、唐塗と並ぶ三つの技法、「七々子塗」(或いは、菜種を蒔いて仮飾とするので、「菜々子塗」とも言う)、七々子塗を更に豪奢に加飾した「錦塗」、そして「紋紗塗(もんしゃぬり)」の、三つの技法の内、紋紗塗を使うべきである。なぜなら、この紋紗塗こそが、津軽塗の技法の中では最も独特なものであると言われているからである。黒漆と炭粉を主体とした黒一色の渋い仕上がりは、映画に出てくるピアノの外装の塗装に似合っているのではないか。黒漆で塗り上げた後に、更に黒漆で線描を主とした総模様を描き、それに、津軽地方で「紗」と呼ばれるもみ殻の炭粉を蒔いて塗装する。その上で、更にこれを研いで模様を出し、磨き上げるのが「紋紗塗」の技法である。しかも、この技法に関しては、明治維新以後の作例は少ないと言われている。であれば、美也子はこの技法を現代に復活させるべきではなかったのか。正に、これこそが伝統を守るということであろう。
2024年8月2日金曜日
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