元必殺仕留め人 meets タクシードライバー
本作の監督はアントワーン・フークアAntoine Fuquaという人間で、アフリカ系アメリカ人映画監督である。彼は、本作の成功もあったのか、結局、『The Equalizer』シリーズ三作すべてを撮ることになる。
A.フークア監督は、D.ワッシングトンとは既に2001年作の刑事ものの『トレーニング デイ』で共作しており、D.ワッシングトンは、この作品で初めての悪役を演じて、USアカデミー主演男優賞を獲得した。そういう経緯もあったのか、D.ワッシングトンが共同製作者でもある本作では、A.フークア監督は、D.ワッシングトンをフューチャーするアクションものを撮っている。元々ミュージック・ヴィデオ制作畑から来ているところからなのか、スタイリッシュな映画作りが得意なようで、本作でもその感覚が強い。ストーリー展開の背景となっている都市も、ニューヨークやロスアンゼルスではなく、アメリカ東海岸、ニューイングランド地方の「首都」で、大学町であるBostonであることも中々「憎い」。
撮影監督は、イタリア系アメリカン人キャメラマン、マウロ・フィオーレMauro Fioreである。彼は、A.フークアとは2001年作の『トレーニング デイ』でも共作しており、J.キャメロン監督の『Avatar』(2009年作)でUSアカデミー撮影賞を授賞している撮影監督である。本作ラストシーンの明るいボストンの街並みをきれいに撮っているシーンと好対照をなして、殺人が行なわれるシーンは、色調を少々暗めに押え、メタリックなものにしている。この画面のタッチに、有能なイギリス人作曲家ハリー・グレッグソン=ウィリアムズHarry Gregson-Williamsの、D.ワッシングトンが意を決して登場する場面で流れる、バスを効かせた「テーマ・ミュージック」が加わると、A.フークア監督が醸しだすスタイリッシュ性は更に高まると言える。
本作は、あるテレビ映画シリーズが元ネタになっており、その原作ストーリーがどれほどのものかは見当が付かないが、本作の脚本自体は、筆者の目では、よく練られており、映画序盤の、D.ワッシングトンと少女娼婦TeriことAlinaとの交流は、『タクシードライバー』のストーリーを思わせる。このAlinaがロシアン・マフィアに搾取され、むごい暴力を振るわれたことから、D.ワッシングトンは、最初は意図したものではなかったのであるが、期せずして、ロシアン・マフィアとの暴力的抗争にはまり込んでいく。
D.ワッシングトンは、「昔取った杵柄」なのであろうか、一度殺ると決めたら、私的制裁としての殺人にも躊躇はしない。自分が手を掛けて断末魔にある人間の眼を覗き込む仕草は、悪魔的でさえある。一方、普段勤めているホームマートでは、同僚とも気さくに対応し、自分の素性を探られると、ユーモアであしらうが、同僚が困っていれば、彼等を助ける心を忘れないタイプなのである。その人間性と、殺人の際の「悪魔性」のギャップに整合性が付かないのではあるが、この点が観る者を更に本作を観させる魅力ともなっており、この不整合性のせいなのか、D.ワッシングトンは、眠れなくて、毎晩近くのダイナーに出掛けては、本を読むのである。少女娼婦Alinaもここの常連であり、D.ワッシングトンが丁度読んでいるヘミングウェイの『老人と海』が二人の間柄を近づける切っ掛けでもあった。亡くなった妻を想い、自分のそれまでの人生を悔いて、今は、ひっそりと夜な夜な本を読みふける生活を送っているD.ワッシングトンではあったが、彼は、実は、日本語版で元CIA要員とされているのとは異なり、元DIA特殊工作員であった。DIAとは、Defense Intelligence Agencyの略で、日本語訳では「国防情報局」である。ここは、USAに16あるインテリジェンス機関の一つで、アメリカ国防省傘下にある四つのインテリジェンス機関の内、陸・海・空軍の各軍の情報機関から上がってくる軍事情報を整理・統括する部署として設置されたものである。
このD.ワッシングトンに対抗するのが、ロシアン・マフィアに雇われている「問題解決屋」ニコライ・イチェンコである。こちらも、元はロシア軍の「スペルツナズ・特殊要員」である。その冷血さではD.ワッシングトンに引けを取るものではなく、ここに両者の「悪魔性」が対峙される。この意味で、本作中盤でのロシア料理レストランにおける二人の対話こそ、そこにアクション性はないものの、正にスリルに満ちた両者の対決であり、圧巻である。これがあって、本作終盤の、全く日常的なホームマートでの両者の「決闘」が生きてくる。本作の脚本を書いたのが、リチャード・ウェンクRichard Wenkであり、彼が、結局、『The Equalizer』シリーズ三作の脚本すべてを引き受けたのも納得できる。
2024年11月25日月曜日
2024年11月24日日曜日
フューリー(USA、英国、2014年作)監督:デイヴィッド・エアー
時は、1945年4月である。と言うことは、ナチス・ドイツと西側連合軍との間に無条件降伏条約が結ばれる同年5月8日(ソ連邦軍とは5月9日)までにもう一ヶ月もない時期のことであろう。場所は、主人公達がアメリカ軍戦車部隊所属であるから、当然、西部戦線で、もう既にドイツ帝国内に侵攻しているはずであるが、それがどこら辺なのかははっきりとは分からない。この主人公達の戦車乗員チームを率いるのがBrad Pittが演じるM4シャーマン戦車車長である。
さて、アメリカ軍の「Sergeant」という軍曹・曹長階級には、Sergeant majorまではSergeantという階級名それ自体を入れると6階級あり、下から仮に「Sergeant三等軍曹」、「Staff Sergeant二等軍曹」、「Sergeant First Class一等軍曹」と訳すと、その上が、「曹長」であろう。であるから、「Master Sergeant」を「二等曹長」とすれば、その上の「First Sergeant」は、丁度「一等曹長」で訳が上手く当てはまる。その上がSergeant Majorなので、これを「上級曹長」と訳せば、それ以上は、「最先任上級曹長」として、アメリカ陸軍内の下士官としての最高位に当たる階級「Sergeant Major of the Army」に上手く当てられる。Brad Pittが演じるCollierは、ウィキペディアの英語版によると、「一等曹長」であると書かれてあるが、ドイツ語版と写真で確認すると、「Staff Sergeant二等軍曹」である。筆者には、この階級は歴戦の「勇士」にしては階級が低すぎるような感じがする。
映画内でのCollier本人の言によると、彼は、既にナチス・ドイツのRommel将軍が率いるアフリカ戦車軍団と戦うことになるアフリカ戦線以来、つまり、1943年以来、戦争に従軍しているという「強者(つわもの)」である。恐らく一兵卒からコツコツと積み上げて「二等軍曹」まで昇りつめた人間なのであろう。戦争の「現実」を嫌と言う程、体験している人物であり、その綽名「Wardaddy」が示す通り、戦禍の中を生き延びる生活の知恵を身に付けた人間なのである。その彼の下に、階級はPrivate First Class(「上等兵」相当)ではあるが、軍行政のタイピストとして軍役に就いていたNormanが前線に送られてくる。故に、彼には戦争が何であるのかが理解できておらず、この「父ちゃん」たるCollierに「新兵」Normanは、戦場での「作法」を厳しく「躾られる」ことになる。この意味では、本作は、新兵が戦場にやってきて、戦場の場数を踏むことで、次第に「成長」していくという、言わば、戦場版の「教養小説Bildungsromanビルドゥングス・ロマーン」の、典型的例と言ってよい。そういう点から考えれば、Normanとドイツ人娘Emmaとの睦言も、彼が「一人前の男」になるためには必要な「通過儀礼」としての性格を帯びる。しかも、その後朝(きぬぎぬ)の朝、Emmaには悲惨な運命が待ち受けているのではあったが...
さて、アメリカ軍の「Sergeant」という軍曹・曹長階級には、Sergeant majorまではSergeantという階級名それ自体を入れると6階級あり、下から仮に「Sergeant三等軍曹」、「Staff Sergeant二等軍曹」、「Sergeant First Class一等軍曹」と訳すと、その上が、「曹長」であろう。であるから、「Master Sergeant」を「二等曹長」とすれば、その上の「First Sergeant」は、丁度「一等曹長」で訳が上手く当てはまる。その上がSergeant Majorなので、これを「上級曹長」と訳せば、それ以上は、「最先任上級曹長」として、アメリカ陸軍内の下士官としての最高位に当たる階級「Sergeant Major of the Army」に上手く当てられる。Brad Pittが演じるCollierは、ウィキペディアの英語版によると、「一等曹長」であると書かれてあるが、ドイツ語版と写真で確認すると、「Staff Sergeant二等軍曹」である。筆者には、この階級は歴戦の「勇士」にしては階級が低すぎるような感じがする。
映画内でのCollier本人の言によると、彼は、既にナチス・ドイツのRommel将軍が率いるアフリカ戦車軍団と戦うことになるアフリカ戦線以来、つまり、1943年以来、戦争に従軍しているという「強者(つわもの)」である。恐らく一兵卒からコツコツと積み上げて「二等軍曹」まで昇りつめた人間なのであろう。戦争の「現実」を嫌と言う程、体験している人物であり、その綽名「Wardaddy」が示す通り、戦禍の中を生き延びる生活の知恵を身に付けた人間なのである。その彼の下に、階級はPrivate First Class(「上等兵」相当)ではあるが、軍行政のタイピストとして軍役に就いていたNormanが前線に送られてくる。故に、彼には戦争が何であるのかが理解できておらず、この「父ちゃん」たるCollierに「新兵」Normanは、戦場での「作法」を厳しく「躾られる」ことになる。この意味では、本作は、新兵が戦場にやってきて、戦場の場数を踏むことで、次第に「成長」していくという、言わば、戦場版の「教養小説Bildungsromanビルドゥングス・ロマーン」の、典型的例と言ってよい。そういう点から考えれば、Normanとドイツ人娘Emmaとの睦言も、彼が「一人前の男」になるためには必要な「通過儀礼」としての性格を帯びる。しかも、その後朝(きぬぎぬ)の朝、Emmaには悲惨な運命が待ち受けているのではあったが...
2024年11月11日月曜日
毒婦夜嵐お絹と天人お玉(日本、1957年作)監督:並木鏡太郎
1955年前後に映画産業がその繁栄の頂点を迎えたとすると、それ以降は、映画産業の発展は、下降線を辿り、60年代には次第に「斜陽産業」となっていくという映画史の歴史を考えると、本作の制作年が1957年であることから、この頃は、未だ映画製作会社が強気でいられた時代であり、本作のような娯楽時代劇にしても、とりわけ美術部門ではまあまあしっかりした作りをしていると言える。 マキノ撮影所で「鍛えられた」監督の並木鏡太郎は、時代劇・剣戟映画の「職人」と言える人物である。ストーリーは、善玉対悪玉がはっきりしている、言わば、何も考えなくても、ポップコーンを頬張りながら、観ていられる作品内容であり、観て楽しんだら、忘れてしまってもいい消費性向の強いものになっている。(とは言え、時々の名言でハッとさせられることがある:「そこもとの誠実には打たれ申した。誠実には誠実を以って応えるのが武士の道...」)
色に溺れる主君に諫言し、岡崎藩五万石を乗っ取ろうとする主君の妾腹の弟・松平玄蕃には「破邪の剣」を振るう忠臣は、善玉中の善玉である。その、剣に強いが恋には野暮な忠臣に「ほの字」の柳橋芸者が、藤純子ばりに刺青の入った玉の肌を見せながら、義賊の女首領として、忠臣の「正義の刃」に加担する、その颯爽とした姿は、フィクションとは言え、やはり、観ていて気持ちがよい。
この「天人」ならぬ天女の柳橋芸者玉龍(筑紫あけみ)に対するお絹(若杉嘉津子)は、主君の妾腹の弟・玄蕃と結託する「悪女」であり、その妖婦ぶりは、映画の序盤でこれでもかと示される。映画の始めの、女の湯の場面では、観衆にその匂うような玉の肌の背中を惜しげもなく見せてくれるし、獄中に入ってはいるが、やくざ者の夫(未だ端役の天地茂)がいるにも関わらず、「芸は売っても身体は売らない」柳橋芸者玉龍(たまりゅう)とは違い、お絹は悪の巨頭・玄蕃と簡単に寝てしまう「節操」のなさなのである。
実は、この「妖婦」たる「お絹」には、実在の人物がおり、その名を「おきぬ」といった。本作の題名に「毒婦夜嵐お絹」とある通り、男をその色香で籠絡する「妖婦」は、男を次から次へと滅亡させていく「毒婦」とも言い換えられているが、その実在の「おきぬ」は、自分を囲っている旦那を毒殺した罪で断頭・晒し首の刑に処せられたのであり、正に、文字通りの「毒婦」であった。その「おきぬ」に「夜嵐」と異名が付くのは、彼女が刑の執行の前に以下のような辞世を詠んだからであると言われている:「夜嵐のさめて跡なし花の夢」
実名・原田きぬは、弘化元年(1844年)頃に三浦半島城ヶ島の漁師の娘として生まれたと言われている(一説には武家の娘とも)。16歳の時、両親と死に別れ、江戸で芸妓になることになるが、その美貌で江戸中の評判になったと言う。その美貌からか、ある三万石城主に見初められて、その「お部屋様」、つまり側室となり、世継ぎまでも生んだのであったが、城主に早死にされて、仏門入りを強制される。若い身空でそのような生活を送るうちに鬱病になったおきぬは、箱根に転地療養をすることとなるが、その療養中に、おきぬは、日本橋の呉服商の息子・角太郎と知り合う。二人は、相思相愛の関係となるが、江戸に戻った後も、おきぬの許に角太郎が通い、その「不行跡」が主家の知るところとなる。こうして、おきぬは主家から追い出され、元の芸者の生活に戻ると、東京府に住む士族で金貸し業の小林金平なる者に囲われる身となる。それは、江戸時代も終わって、元号も変わった明治二年のことであったが、おきぬは、その内に、役者買いにのめり込み、その役者と連れ添うことを望んで、旦那を毒殺してしまう。その犯行が世に知れるところとなり、おきぬは断頭・晒し首の刑に処せらたのであった。
このようなスキャンダラスな事件は、当時の新聞錦絵で誇張して報道され、1870年代には彼女の運命を内容とする小説が書かれた。当然、映画界でもこのような話しを捨てておく訳がなく、1913年には最初の映画化がなされ、その後、27年と36年にも再三映画化されている女性像であった。
その「おきぬ」像と本作の「毒婦お絹」を比較すると、映画の「お絹」は、京都の商人の娘で、上方歌舞伎の役者・中村仙三郎と江戸に出奔する途中、仙三郎に裏切られて女衒に売られるという、女の儚くも暗い運命を背負った女として描かれる。「仙三郎」には、実在の「おきぬ」の運命の中に登場する「角太郎」と役者買いの歌舞伎役者が重ねてあるのであろう。
しかし、五万石の藩主のお部屋様となった「お絹」と人気な大阪歌舞伎の女形となった仙三郎が再会すると、この打算に満ちた男女関係は、一挙に「純愛」へと昇華する。しかも、この、お部屋様と男妾の「不倫」の関係は、その純愛によって、公けにも許されるという意外な展開になるのである。このようなストーリー展開が許されるのもまた、戦後民主主義の「恩恵」なのかもしれない。
更に言えば、興味深いのは、ラストシーンで、晴れて許されて、恐らく三浦半島のどこかの海岸沿いを道行く、「お絹」と仙三郎の二人の姿である。町人姿ではあるものの「お絹」にかしずくようにして手を引く「仙三郎」は、女形の姿で女歩きをしているのである。はたから見れば、女同士のカップルとも見えなくもない。このカップルが手に手を取って海岸沿いを歩いて行く。しかも、10mの高さもあろうかと言う小島が綺麗に三つも並んでいる絶景を背景とする「道行き」なのである。新東宝も、ロケーションにはここでは少々資本を投じたのであろう。
という訳で、本作は、観ていて時間を無駄にする娯楽作品かと思いきや、終盤は意外な「発見」が楽しめた作品であった。
色に溺れる主君に諫言し、岡崎藩五万石を乗っ取ろうとする主君の妾腹の弟・松平玄蕃には「破邪の剣」を振るう忠臣は、善玉中の善玉である。その、剣に強いが恋には野暮な忠臣に「ほの字」の柳橋芸者が、藤純子ばりに刺青の入った玉の肌を見せながら、義賊の女首領として、忠臣の「正義の刃」に加担する、その颯爽とした姿は、フィクションとは言え、やはり、観ていて気持ちがよい。
この「天人」ならぬ天女の柳橋芸者玉龍(筑紫あけみ)に対するお絹(若杉嘉津子)は、主君の妾腹の弟・玄蕃と結託する「悪女」であり、その妖婦ぶりは、映画の序盤でこれでもかと示される。映画の始めの、女の湯の場面では、観衆にその匂うような玉の肌の背中を惜しげもなく見せてくれるし、獄中に入ってはいるが、やくざ者の夫(未だ端役の天地茂)がいるにも関わらず、「芸は売っても身体は売らない」柳橋芸者玉龍(たまりゅう)とは違い、お絹は悪の巨頭・玄蕃と簡単に寝てしまう「節操」のなさなのである。
実は、この「妖婦」たる「お絹」には、実在の人物がおり、その名を「おきぬ」といった。本作の題名に「毒婦夜嵐お絹」とある通り、男をその色香で籠絡する「妖婦」は、男を次から次へと滅亡させていく「毒婦」とも言い換えられているが、その実在の「おきぬ」は、自分を囲っている旦那を毒殺した罪で断頭・晒し首の刑に処せられたのであり、正に、文字通りの「毒婦」であった。その「おきぬ」に「夜嵐」と異名が付くのは、彼女が刑の執行の前に以下のような辞世を詠んだからであると言われている:「夜嵐のさめて跡なし花の夢」
実名・原田きぬは、弘化元年(1844年)頃に三浦半島城ヶ島の漁師の娘として生まれたと言われている(一説には武家の娘とも)。16歳の時、両親と死に別れ、江戸で芸妓になることになるが、その美貌で江戸中の評判になったと言う。その美貌からか、ある三万石城主に見初められて、その「お部屋様」、つまり側室となり、世継ぎまでも生んだのであったが、城主に早死にされて、仏門入りを強制される。若い身空でそのような生活を送るうちに鬱病になったおきぬは、箱根に転地療養をすることとなるが、その療養中に、おきぬは、日本橋の呉服商の息子・角太郎と知り合う。二人は、相思相愛の関係となるが、江戸に戻った後も、おきぬの許に角太郎が通い、その「不行跡」が主家の知るところとなる。こうして、おきぬは主家から追い出され、元の芸者の生活に戻ると、東京府に住む士族で金貸し業の小林金平なる者に囲われる身となる。それは、江戸時代も終わって、元号も変わった明治二年のことであったが、おきぬは、その内に、役者買いにのめり込み、その役者と連れ添うことを望んで、旦那を毒殺してしまう。その犯行が世に知れるところとなり、おきぬは断頭・晒し首の刑に処せらたのであった。
このようなスキャンダラスな事件は、当時の新聞錦絵で誇張して報道され、1870年代には彼女の運命を内容とする小説が書かれた。当然、映画界でもこのような話しを捨てておく訳がなく、1913年には最初の映画化がなされ、その後、27年と36年にも再三映画化されている女性像であった。
その「おきぬ」像と本作の「毒婦お絹」を比較すると、映画の「お絹」は、京都の商人の娘で、上方歌舞伎の役者・中村仙三郎と江戸に出奔する途中、仙三郎に裏切られて女衒に売られるという、女の儚くも暗い運命を背負った女として描かれる。「仙三郎」には、実在の「おきぬ」の運命の中に登場する「角太郎」と役者買いの歌舞伎役者が重ねてあるのであろう。
しかし、五万石の藩主のお部屋様となった「お絹」と人気な大阪歌舞伎の女形となった仙三郎が再会すると、この打算に満ちた男女関係は、一挙に「純愛」へと昇華する。しかも、この、お部屋様と男妾の「不倫」の関係は、その純愛によって、公けにも許されるという意外な展開になるのである。このようなストーリー展開が許されるのもまた、戦後民主主義の「恩恵」なのかもしれない。
更に言えば、興味深いのは、ラストシーンで、晴れて許されて、恐らく三浦半島のどこかの海岸沿いを道行く、「お絹」と仙三郎の二人の姿である。町人姿ではあるものの「お絹」にかしずくようにして手を引く「仙三郎」は、女形の姿で女歩きをしているのである。はたから見れば、女同士のカップルとも見えなくもない。このカップルが手に手を取って海岸沿いを歩いて行く。しかも、10mの高さもあろうかと言う小島が綺麗に三つも並んでいる絶景を背景とする「道行き」なのである。新東宝も、ロケーションにはここでは少々資本を投じたのであろう。
という訳で、本作は、観ていて時間を無駄にする娯楽作品かと思いきや、終盤は意外な「発見」が楽しめた作品であった。
2024年11月6日水曜日
俺たちは天使じゃない(USA、1955年作)監督:マイケル・カーティス
USAの1930年代以降、トーキー映画がサイレント映画を次第に駆逐する中で、会話に重きを置くことが出来ることから展開したトーキー映画の一ジャンルがある。いわゆる、「スクリューボール・コメディ」である。その初期の代表的作品が、C.ゲーブル、C.コルベール主演、F.キャプラ監督作品『或る夜の出来事』(1934年作)である。基本的には、恋愛喜劇(ロマンティック・コメディ)なのであるが、そこに、「スクリューボール」の変化球の意外性と、男女間の洒落た会話の、丁々発止のテンポのよさが加わったものが、スクリューボール・コメディであると言える。
本作も喜劇は喜劇であるが、上述のスクリューボール・コメディの魅力に重点を置くものではなく、本作のストーリーの底に流れているのは、ブラック・ユーモアである。しかも、USA作品とは言え、原作は、元々フランス人作家Albert Hussonアルベール・ユソンが1952年に発表した演劇『La cuisine des anges天使達の料理』であることから、普通のアメリカ映画とは雰囲気が若干異なっている。このフランス語の演劇の台本を、あるアメリカ人作家夫婦が英語に訳し、『私の三人の天使達』の題名で本を出したところ、これが、ブロードウェイに演劇として、53年から約一年間掛かり、その成功を見て、映画会社がこの舞台作品の映画化権を取得した次第であった。という訳で、本作も基本的には舞台劇的な、場面の大きな移動が少ないシーン構成になっている。
監督は、あの『カサブランカ』(1942年作)を撮ったMichael Curtizマイケル・カーティスであり、H.ボガートとは、本作が1937年以来の六本目で、最後の共作となるものである。しかも、H.ボガードとしては、珍しい喜劇である。
ハードボイルドやフィルム・ノワールで鳴らしたH.ボガードが喜劇を演じるその意外性に既に「喜劇性」が出ており、本人も喜劇役者たらんとして無理な演技をしていないところに筆者は好感が持てる。
このH.ボガードの脇を、元々は素人であったが、スカウトされて喜劇作品で顔がこの頃ようやく知れらるようになったAldo Rayと、ユダヤ系イギリス人名優Peter Ustinovの二人が固めている。尚、輸入雑貨品店を営むDucotelデュコテル一家の一人娘Isabelleイザベル役を演じたGloria Talbottグロリア・タルボットは、本作を撮って以降は、B級ホロー映画に出演するようになり、1950年代後半の「絶叫クィーン」として有名になることになる。
ストーリーの舞台は、ブラジルの北に位置するフランス領ギアナの中心地Cayenneカイエンヌである。この地に、大西洋の沖合にある、全島が流刑地となっている「悪魔島」から逃げてきた囚人の三人組が、「三賢人」よろしく、クリスマス・イヴにやってきて、図らずも、そして毒蛇Adolpheアドルフの「助け」も借りて、その善人ぶりを発揮するという、クリスマスには持って来いの作品となっている。因みに、悪魔島は映画『パピヨン』(1973年作)のストーリーの舞台となったことで知られている島である。
さて、本作は「Technicolorテクニカラー」で撮られた作品であり、しかも撮影方式が「VistaVision」という、1954年に初めて実用化された技術で撮られたものである。1930年代以降のテクニカラー自体が、被写体像をプリズムに通して、三色法の赤・緑・青に分解し、そのそれぞれをモノクロ・フィルムで撮影記録するという、極めて贅沢な撮り方をする技術である。その分、撮影時の情報量が多い訳で、当然、画像の質が高くなる方式である。(という訳で、デジタル・リマスタリングの際には、このテクニカラー方式で撮影された作品は、修復のやり甲斐が大いにあると言う。)
一方、VistaVisionは、本作の製作会社パラマウント映画社が、20世紀フォックス社の「シネマスコープ」に対抗して開発した方式で、通常縦駆動のカメラを横駆動とし、しかもスタンダード・サイズであれば、4パーフォレーションを使うところを、この方式では8パーフォレーションと二倍も取るところから、その分、また画質もよくなる訳で、画面アスペクト比が1,66:1の横長の画面サイズになる方式であった。(スタンダード・サイズの画面アスペクト比の、いわゆる「アカデミー比」は、1,375:1である。)
こうして、テクニカラーとVistaVisionの二つの豪華な方式で撮影された本作は、初期の、イーストマン・コダックやアグファと比べ物にならない程、豊かで深い色彩であり、正に、「総天然色」映画の名に恥じない画質である。この良質の画像を楽しむだけでも本作は観る価値があると言える。
とりわけ、輸入雑貨店の娘イザベルがある時着て登場するドレスの、黄色味がより強い薄い黄緑色や、これも恐らくは楽屋の「ご愛敬」程度と見るべきものであろうが、苦み走ったH.ボガードが、普段はイザベルが付けるというエプロンを着て、クリマスマス・イヴのために、鵞鳥の丸焼きをオーヴンを使って焼いている場面の、そのエプロンのサーモン・ピンクの色彩は、是非、本作で堪能したいものである。しかも、このエプロンは、フリル付きであるのも、「ミソ」であろう。こうして、三人の「天使」がクリマスマス・イヴの晩餐のために料理を作るという、正に、原作の題名『天使達の料理』が生きてくるという訳である。
本作も喜劇は喜劇であるが、上述のスクリューボール・コメディの魅力に重点を置くものではなく、本作のストーリーの底に流れているのは、ブラック・ユーモアである。しかも、USA作品とは言え、原作は、元々フランス人作家Albert Hussonアルベール・ユソンが1952年に発表した演劇『La cuisine des anges天使達の料理』であることから、普通のアメリカ映画とは雰囲気が若干異なっている。このフランス語の演劇の台本を、あるアメリカ人作家夫婦が英語に訳し、『私の三人の天使達』の題名で本を出したところ、これが、ブロードウェイに演劇として、53年から約一年間掛かり、その成功を見て、映画会社がこの舞台作品の映画化権を取得した次第であった。という訳で、本作も基本的には舞台劇的な、場面の大きな移動が少ないシーン構成になっている。
監督は、あの『カサブランカ』(1942年作)を撮ったMichael Curtizマイケル・カーティスであり、H.ボガートとは、本作が1937年以来の六本目で、最後の共作となるものである。しかも、H.ボガードとしては、珍しい喜劇である。
ハードボイルドやフィルム・ノワールで鳴らしたH.ボガードが喜劇を演じるその意外性に既に「喜劇性」が出ており、本人も喜劇役者たらんとして無理な演技をしていないところに筆者は好感が持てる。
このH.ボガードの脇を、元々は素人であったが、スカウトされて喜劇作品で顔がこの頃ようやく知れらるようになったAldo Rayと、ユダヤ系イギリス人名優Peter Ustinovの二人が固めている。尚、輸入雑貨品店を営むDucotelデュコテル一家の一人娘Isabelleイザベル役を演じたGloria Talbottグロリア・タルボットは、本作を撮って以降は、B級ホロー映画に出演するようになり、1950年代後半の「絶叫クィーン」として有名になることになる。
ストーリーの舞台は、ブラジルの北に位置するフランス領ギアナの中心地Cayenneカイエンヌである。この地に、大西洋の沖合にある、全島が流刑地となっている「悪魔島」から逃げてきた囚人の三人組が、「三賢人」よろしく、クリスマス・イヴにやってきて、図らずも、そして毒蛇Adolpheアドルフの「助け」も借りて、その善人ぶりを発揮するという、クリスマスには持って来いの作品となっている。因みに、悪魔島は映画『パピヨン』(1973年作)のストーリーの舞台となったことで知られている島である。
さて、本作は「Technicolorテクニカラー」で撮られた作品であり、しかも撮影方式が「VistaVision」という、1954年に初めて実用化された技術で撮られたものである。1930年代以降のテクニカラー自体が、被写体像をプリズムに通して、三色法の赤・緑・青に分解し、そのそれぞれをモノクロ・フィルムで撮影記録するという、極めて贅沢な撮り方をする技術である。その分、撮影時の情報量が多い訳で、当然、画像の質が高くなる方式である。(という訳で、デジタル・リマスタリングの際には、このテクニカラー方式で撮影された作品は、修復のやり甲斐が大いにあると言う。)
一方、VistaVisionは、本作の製作会社パラマウント映画社が、20世紀フォックス社の「シネマスコープ」に対抗して開発した方式で、通常縦駆動のカメラを横駆動とし、しかもスタンダード・サイズであれば、4パーフォレーションを使うところを、この方式では8パーフォレーションと二倍も取るところから、その分、また画質もよくなる訳で、画面アスペクト比が1,66:1の横長の画面サイズになる方式であった。(スタンダード・サイズの画面アスペクト比の、いわゆる「アカデミー比」は、1,375:1である。)
こうして、テクニカラーとVistaVisionの二つの豪華な方式で撮影された本作は、初期の、イーストマン・コダックやアグファと比べ物にならない程、豊かで深い色彩であり、正に、「総天然色」映画の名に恥じない画質である。この良質の画像を楽しむだけでも本作は観る価値があると言える。
とりわけ、輸入雑貨店の娘イザベルがある時着て登場するドレスの、黄色味がより強い薄い黄緑色や、これも恐らくは楽屋の「ご愛敬」程度と見るべきものであろうが、苦み走ったH.ボガードが、普段はイザベルが付けるというエプロンを着て、クリマスマス・イヴのために、鵞鳥の丸焼きをオーヴンを使って焼いている場面の、そのエプロンのサーモン・ピンクの色彩は、是非、本作で堪能したいものである。しかも、このエプロンは、フリル付きであるのも、「ミソ」であろう。こうして、三人の「天使」がクリマスマス・イヴの晩餐のために料理を作るという、正に、原作の題名『天使達の料理』が生きてくるという訳である。
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主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されているこ...
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中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で大人のアニメへの展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の、長編アニメ『君の名は。』(2016年作)以降、『天気の子』(2019年作)を経て、本作(2022年作)へと三年毎に作品が発表され、『言の葉の庭』とは別の歩を辿る。『君の名は。...
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映画の出だしで、白黒で「東映」と出てくる。もちろん、本作の配給が東映なので、そうなのであるが、しかし、『カツベン!』という題名から言えば、「日活」が出てほしいところである。「日活」とは、 1912 年に成立した、伝統ある映画会社であり、その正式名称が、 「 日本活動冩眞株式...