1955年前後に映画産業がその繁栄の頂点を迎えたとすると、それ以降は、映画産業の発展は、下降線を辿り、60年代には次第に「斜陽産業」となっていくという映画史の歴史を考えると、本作の制作年が1957年であることから、この頃は、未だ映画製作会社が強気でいられた時代であり、本作のような娯楽時代劇にしても、とりわけ美術部門ではまあまあしっかりした作りをしていると言える。 マキノ撮影所で「鍛えられた」監督の並木鏡太郎は、時代劇・剣戟映画の「職人」と言える人物である。ストーリーは、善玉対悪玉がはっきりしている、言わば、何も考えなくても、ポップコーンを頬張りながら、観ていられる作品内容であり、観て楽しんだら、忘れてしまってもいい消費性向の強いものになっている。(とは言え、時々の名言でハッとさせられることがある:「そこもとの誠実には打たれ申した。誠実には誠実を以って応えるのが武士の道...」)
色に溺れる主君に諫言し、岡崎藩五万石を乗っ取ろうとする主君の妾腹の弟・松平玄蕃には「破邪の剣」を振るう忠臣は、善玉中の善玉である。その、剣に強いが恋には野暮な忠臣に「ほの字」の柳橋芸者が、藤純子ばりに刺青の入った玉の肌を見せながら、義賊の女首領として、忠臣の「正義の刃」に加担する、その颯爽とした姿は、フィクションとは言え、やはり、観ていて気持ちがよい。
この「天人」ならぬ天女の柳橋芸者玉龍(筑紫あけみ)に対するお絹(若杉嘉津子)は、主君の妾腹の弟・玄蕃と結託する「悪女」であり、その妖婦ぶりは、映画の序盤でこれでもかと示される。映画の始めの、女の湯の場面では、観衆にその匂うような玉の肌の背中を惜しげもなく見せてくれるし、獄中に入ってはいるが、やくざ者の夫(未だ端役の天地茂)がいるにも関わらず、「芸は売っても身体は売らない」柳橋芸者玉龍(たまりゅう)とは違い、お絹は悪の巨頭・玄蕃と簡単に寝てしまう「節操」のなさなのである。
実は、この「妖婦」たる「お絹」には、実在の人物がおり、その名を「おきぬ」といった。本作の題名に「毒婦夜嵐お絹」とある通り、男をその色香で籠絡する「妖婦」は、男を次から次へと滅亡させていく「毒婦」とも言い換えられているが、その実在の「おきぬ」は、自分を囲っている旦那を毒殺した罪で断頭・晒し首の刑に処せられたのであり、正に、文字通りの「毒婦」であった。その「おきぬ」に「夜嵐」と異名が付くのは、彼女が刑の執行の前に以下のような辞世を詠んだからであると言われている:「夜嵐のさめて跡なし花の夢」
実名・原田きぬは、弘化元年(1844年)頃に三浦半島城ヶ島の漁師の娘として生まれたと言われている(一説には武家の娘とも)。16歳の時、両親と死に別れ、江戸で芸妓になることになるが、その美貌で江戸中の評判になったと言う。その美貌からか、ある三万石城主に見初められて、その「お部屋様」、つまり側室となり、世継ぎまでも生んだのであったが、城主に早死にされて、仏門入りを強制される。若い身空でそのような生活を送るうちに鬱病になったおきぬは、箱根に転地療養をすることとなるが、その療養中に、おきぬは、日本橋の呉服商の息子・角太郎と知り合う。二人は、相思相愛の関係となるが、江戸に戻った後も、おきぬの許に角太郎が通い、その「不行跡」が主家の知るところとなる。こうして、おきぬは主家から追い出され、元の芸者の生活に戻ると、東京府に住む士族で金貸し業の小林金平なる者に囲われる身となる。それは、江戸時代も終わって、元号も変わった明治二年のことであったが、おきぬは、その内に、役者買いにのめり込み、その役者と連れ添うことを望んで、旦那を毒殺してしまう。その犯行が世に知れるところとなり、おきぬは断頭・晒し首の刑に処せらたのであった。
このようなスキャンダラスな事件は、当時の新聞錦絵で誇張して報道され、1870年代には彼女の運命を内容とする小説が書かれた。当然、映画界でもこのような話しを捨てておく訳がなく、1913年には最初の映画化がなされ、その後、27年と36年にも再三映画化されている女性像であった。
その「おきぬ」像と本作の「毒婦お絹」を比較すると、映画の「お絹」は、京都の商人の娘で、上方歌舞伎の役者・中村仙三郎と江戸に出奔する途中、仙三郎に裏切られて女衒に売られるという、女の儚くも暗い運命を背負った女として描かれる。「仙三郎」には、実在の「おきぬ」の運命の中に登場する「角太郎」と役者買いの歌舞伎役者が重ねてあるのであろう。
しかし、五万石の藩主のお部屋様となった「お絹」と人気な大阪歌舞伎の女形となった仙三郎が再会すると、この打算に満ちた男女関係は、一挙に「純愛」へと昇華する。しかも、この、お部屋様と男妾の「不倫」の関係は、その純愛によって、公けにも許されるという意外な展開になるのである。このようなストーリー展開が許されるのもまた、戦後民主主義の「恩恵」なのかもしれない。
更に言えば、興味深いのは、ラストシーンで、晴れて許されて、恐らく三浦半島のどこかの海岸沿いを道行く、「お絹」と仙三郎の二人の姿である。町人姿ではあるものの「お絹」にかしずくようにして手を引く「仙三郎」は、女形の姿で女歩きをしているのである。はたから見れば、女同士のカップルとも見えなくもない。このカップルが手に手を取って海岸沿いを歩いて行く。しかも、10mの高さもあろうかと言う小島が綺麗に三つも並んでいる絶景を背景とする「道行き」なのである。新東宝も、ロケーションにはここでは少々資本を投じたのであろう。
という訳で、本作は、観ていて時間を無駄にする娯楽作品かと思いきや、終盤は意外な「発見」が楽しめた作品であった。
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