2025年3月24日月曜日

潜水艦イ-57降伏せず(日本、1959年作)監督:松林 宗恵

大日本帝国海軍の潜水艦内を走る白いスカートの曳光線


 潜水艦内と言えば、「男の世界」、そこに白いスカートとは、考えられない組み合わせであるが、本作では、この組み合わせがキーポイントの一つとなっている。と言うのは、本艦イ-57潜水艦は、太平洋戦争の戦局も押し迫った1945年6月、ある外交官をマレー半島にある大日本帝国海軍基地ペナンから、スペイン領カナリア諸島に運ぶ任務を帯びたからであった。例のポツダム宣言が出る前に、日本に有利な停戦条件を引き出すためであると言う。

 この某国外交官は、Bergerというが、ベルジェールとは、フランス語系の名前であり、その「某国」とは、スイス国であると思われる。フランス語系スイスの出身なのであろう。そして、ジュネーヴに住んだことがあるらしい、この外交官Bergerに同行しているのが、その娘のMileneミレーヌであり、彼女こそ、白いスカートを履いた姿で潜水艦内を駆け抜けた本人なのであった。

 彼女を乗せたイ-57潜水艦の航路は、ペナン基地を出て、マラッカ海峡を通り、インド洋に出て、マダガスカル沖へ向かい、更に、喜望峰沖経由で、東部大西洋をアフリカ大陸に添う形で北上し、スペイン領カナリア諸島に到達すると言うものである。(映画内での台詞によると、10000海里の行程であると言う。)

 何故スペイン領かと言うと、ナチスの軍事的援助を受けたファシスト・フランコ将軍は、賢明にも第二次世界大戦中は中立の立場を取っていたからであり、ナチス・ドイツと同盟関係にあった日本としては、当然ナチス・ドイツには好意的なスペイン経由で、ヨーロッパに入り、ポツダム宣言の内容に影響を与えるかもしれないスイス外交官を遣欧したという訳であった。

 本作は、その原作小説を読んでいないので、最終的な判断はできないが、多分に戦時海洋冒険映画の体裁を備えており、本作のストーリーの感触からして、脚本はそれに乗っ取ったものであると想像する。故に、上述の「白いスカートの、二十歳の我儘な天使」も登場するという仕掛けである。冒険映画には、必ずヒロインが必要であるからである。

 とは言え、本作における、上述の航行ルートは、全くのフィクションではなく、実は、実例がある。このルートを更に北に延ばすと、1944年半ばまでは(つまりノルマンディー上陸作戦までは)、ドイツ占領下のフランス大西洋岸にあるUボート基地ブレストに着くことになる。そして、このぺナンからブレスト港乃至ロリアン港への、約70日間掛かる航路こそが、いわゆる「遣独潜水艦作戦」の航路なのである。

「遣独潜水艦作戦」とは、第二次世界大戦中、普通の通商船では不可能になっていた独日間の物資・技術交換を隠密裏に潜水艦を使って行なおうというもので、1942年から44年まで五次に亘って行なわれた。ペナンからフランスまでの往路に関しては、1942年、43年3月、43年12月の遣独作戦は成功しているが、復路では、42年と43年12月で失敗しており、往復路で成功したのは、43年3月の第二次遣独潜水艦・伊号第八潜水艦であった。この時の作戦で、復路で、駐独大使館付海軍武官であった、ある海軍少将を無事に日本に連れて帰っている。

 一方、ドイツからの「遣日潜水艦作戦」も二回あり、44年の二回目は失敗したが、43年の一回目は成功して、UボートU511がペナンに到着し、この艦が日本海軍に無償譲渡されて、呂号第五百潜水艦と命名された。

 それでは、呂号とか伊号とかという名称が何を意味するか、ここで少々説明しておくと、これは、水上基準排水量による違いである。大日本帝国海軍では、1923年以降(つまり、ワシントン海軍条約以降)、1000トン以上の潜水艦を伊号、1000トン以下、500トン以上のものを呂号、500トン以下のものを波号と冠称した。

 呂号・波号潜水艦は、基本的には日本近海を守備範囲とし、特定の用途のために設計された潜水艦であったと言ってよい。一方、伊号潜水艦の中では、とりわけ、艦隊行動に適した、つまり、艦隊に同行できる速度を満たす潜水艦があって、この型式を「海軍大型潜水艦」(略して、「海大型」)といい、これに対して、伊号潜水艦の中で、「巡洋潜水艦」(略して、「巡潜」)とも言われて、長距離の外洋航行能力を保持し、敵方の通商を破壊する目的で建造された潜水艦型式もあった。故に、本作のような長距離の特殊任務に対応できる潜水艦とすれば、「伊号巡潜」が選択されなければならなかったはずである。

 「伊号巡潜」クラスには、その開発年代や設計変更によって、更に、11の艦級があった。1920年代後半から就役し始めた「巡潜1型」を皮切りに、「巡潜甲型」(伊号第九以降)、「巡潜乙型」(伊号第十五以降)、「巡潜丙型」(伊号第十六以降)、更に、これらの改良型という具合であった。

 本作で言うところの「潜水艦イ-57」は、「伊号第五十七潜水艦」として実在した潜水艦名ではあるが、この艦の型式は、「海大III型b」で、42年6月のミッドウェー海戦参加直前に、「伊号第百五十七潜水艦」と改称され、終戦まで生き延びた艦である。

 参考に、第五次遣独潜水艦作戦でのフランスへの往路、大西洋にて44年6月に米軍空母艦載機により沈没させられた伊号第五十二潜水艦は、巡潜丙型改の艦級であり、航続距離は、水上16ktで21000海里であった。

 この型とは別ではあるが、同じく「伊号第五十」の番号代の潜水艦には、第五十四、第五十六、第五十八の三艦がある。これは、艦級は、「乙型改二」であり、本作の冒頭にも登場する「人間魚雷・回天」を搭載するために設計し直されたものである。故に、本作に登場する「イ-57」は、この型に近いものと判断してよいであろう。第五十四艦と第五十六艦は44年、45年にそれぞれ太平洋で戦没したが、第五十八艦は、本作のストーリーとも関係のある、ある「戦績」を上げている。

 本作のラストシーンには、字幕として八月五日が登場する。つまり、広島への原爆投下の前日である。時は前後するが、伊号第五十八潜水艦は、同年七月末、マリアナ近海で米海軍重巡洋艦一隻を捕捉し、魚雷六本を発射した。その内三本が命中して、この重巡洋艦は、あっと言う間に艦前方から沈没した。これが帝国海軍による連合国側艦船撃沈の最後となったのであるが、戦後になって、この撃沈された重巡洋艦は、インディアナポリスであり、この艦が、広島・長崎に投下された原子爆弾をテニアン島に輸送した後、レイテ島に移動途中に撃沈されたことが分かったのである。終戦まであとほぼ二週間前のことであった。

 ポツダム会談中に行なわれた日本側の無条件降伏への要求、つまりポツダム宣言(45年7月26日)は、確かに、大日本帝国にとって回避すべき事柄ではあったが、対日戦争における終戦への道筋は、実は、ポツダム会談の前の、ヤルタ会談でほぼ決められていた訳で、このヤルタ会談での、いわゆる「極東密約」は、既に45年2月に結ばれていたのであった。故に、本作で言うところのポツダム会談に特使を送れば、日本の終戦に有利な条件が未だ引き出せるという判断は始めから無理筋のことであった訳で、この点でも、本作のストーリーの枠組みには説得力がないものであったと言える。これもまた、本作の原作が戦時海洋冒険小説でないかという推理の傍証の一つではなかろうか。

 本作の監督は、松林宗恵(しゅうえ)で、彼は戦前は映画に「仏心を注入したい」と考え、東宝の撮影所の助監部に入った後、海軍第三期兵科予備学生となり、1944年には海軍少尉に任官されて、部下150名を連れて南支那廈門島の陸戦隊長なったという経歴を持つ人物である。故に、海軍式敬礼、「帽振れ」、軍装については本作では安心して観られる。本作の前には、『人間魚雷回天』(新東宝、1955年作)を、本作後には、『太平洋の翼』(東宝、1963年作)、『連合艦隊』(東宝、1981年作)などの戦争映画を撮っている。

 東宝は、戦前では国策プロパガンダ映画を比較的多く撮っており、また、特撮では、円谷英二を起用していた映画会社で、戦後も、本作のような戦争映画で製作していた。こうして、松林監督と円谷特撮監督とが本作のような潜水艦もので協働することになった訳である。

 画面アスペクトは、シネマスコープに似せた「東宝スコープ」のワイドスクリーンで、本作はこのシステムによる第一作目となる。また、本作は白黒映画であるが、ウィキペディアによると、円谷の要請により、特撮にはブルーバック合成を導入し、その合成画面用に、白黒映画であるにも関わらず、カラーフィルムを使用したと言う。それは、カラーフィルムをモノクロに変換することにより、とりわけ、ラストの戦闘場面での潜水艦艦上の戦闘員の姿、彼等を覆う水柱などをクリアーでシャープに映像化できるからであったと言う。

 尚、本作の撮影に当たっては、創立後五年も経っていない海上自衛隊が全面協力し、撮影当時唯一の潜水艦であった「くろしお」が本作に使われた。この潜水艦は、米国からの貸与艦で、元々はガトー級潜水艦USS Mingo(SS-261)であったものである。艦船に詳しくない筆者ではあるが、それでも、観ていて、外観から何か伊号潜水艦らしくないなとは感じられていたのであるが。

 知的でスマート、しかも英語を上手く操る海軍少佐役を池辺良が好演しており、この池辺艦長を補佐する女房役・先任士官を三橋達也が演じている。また、一般水兵と士官の間に立ち、水兵達の気持ちも代弁できる立場の竹山上曹役を漫才師・南道郎(みちろう)が演じており、悪辣な下士官をやらせれば最適な役者であろうが、本作では、そのしゃがれ声と独特なユーモア感がとりわけ印象的で、善き下士官役を演じている。

2025年3月4日火曜日

ジョン・ウィック:パラベラム(USA、2019年作)監督:チャド・スタエルスキー

 本作は、John Wickシリーズの第三作目であるが、第二作目が第一作目よりよかった分、同じ脚本家Derek Kolstadが他の脚本家と共同で書いている割には、本作は、その質を落としているように見える。第一作目以来の「殺戮の乱舞」は、三作目になると、やはりマンネリ化して、詰まらなくなる。それがあったのか、今回のモロッコでの銃撃戦シーンには、JohnにSofia(Halle Berryハル・ベリー)を加えて、更に三匹の格闘犬を入れた「乱舞」になっている。さて、見応えがあるか。筆者にはなかった。

 また、ジョン・ウィック・ワールドも、今回、「会長会」乃至「上座会」の上に更に「最長老」が存在すること、また、「会長会」は、「裁定人」なる者を送り、これによって掟を守らなかった者に処罰を下すことが出来ることなどが、今回の見るべき展開であるが、ストーリー展開のインパクトとしては弱いように思われる。

 さて、副題にある「Parabellumパラベルム」とは、ラテン語の警句「Si vis pacem, para bellum 汝、平和を欲さば、戦への備えをせよ!」の最後の二文字を採って、それをつなぎ合わせたものである。誰の言葉からの引用なのかはっきりしないと言うが、ローマ帝国時代末期の紀元後四世紀に書かれた軍事書によるのではないかと言われている。何れにしても、「平和」であるためには、それなりの戦備が整っていなければならないと解釈される警句であると言う。正に、ストーリーの内容に当てはまる警句であり、実際、映画内でも「コンティネンタル・ホテル」ニューヨーク支店のオーナーが、裁定人が送った部隊とホテル内で戦闘を繰り広げる前に、この警句が引用されるのである。

 因みに、ドイツの兵器産業DWM社(DWMデー・ヴェー・エム社:ドイツ武器弾薬製造社)が使った社訓が上記の格言であり、日本で「ルガー拳銃」と呼ばれている、DWM社製拳銃が、「パラベラム拳銃」と呼ばれている。また、同社が開発した拳銃用弾薬も「パラベラム弾」と言われている。

 参考:DWMデー・ヴェー・エム社とは、Deutsche Waffen- Munitionsfabrik AGの略で、ドイツ武器・弾薬製造工場・株式会社の略である。1871年にドイツ第二帝国が成立し、ドイツの産業革命が第二段階を迎えて本格化するのが、1870年代で、この時期に多くの企業が起業された。その中には、もちろん、武器産業、火薬製造企業、金属薬莢製造企業も存在し、1880年代末までに幾つかの企業の合併・併合が繰り返され、この過程を通じて、1896年にDWM株式会社がベルリンを本社として設立された。

 実は、DWM社の設立に際しては、ドイツ西南部、ネッカー川沿いにあるMauser社(本来「マウザー」と発音するが、日本では「モーゼル銃」の名で知られている会社)も参画しており、1898年にドイツ帝国陸軍に正式採用された小銃Gew98は、基本設計はMauser社による。Gewehrゲヴェアは、小銃の意味で、「98」は正式採用された1898年から来ている。五発を一度に装填できる装填クリップが使われたのが、この小銃の特徴の一つで、第一次世界大戦中は、ドイツ歩兵は、この小銃を使って戦った。

 一方、拳銃では、このDWM社の武器開発技師Georg Lugerゲオルク・ルーガーが改良を重ねて製作した自動装填式拳銃P08が有名である。日本では「ルガー拳銃」として知られているこのPistole(ピストーレ:拳銃)は、1908年にドイツ帝国軍に正式採用され、手作りで製造されたこの拳銃が野戦では故障しやすいことから、将校用の拳銃として使われた。この拳銃は、第二次世界大戦が始まる直前の1938年まで使用され、この年にP.38が新式の拳銃として、ナチス国防軍に正式採用される。故に、この拳銃が「P.38」と呼ばれる訳であるが、この拳銃の開発は、Walther有限会社によるものであった。尚、Waltherは、ドイツ語では、「ヴァルター」というので、この拳銃は、正しくは、「ヴァルター・ペー・38」と発音したいところである。この拳銃の銃弾も、「9㎜パラベラム弾」であった。

ジョン・ウィック:チャプター2(USA、2016年作)監督:チャド・スタエルスキー

 第二作目が、例外的に、第一作目より上手くでき上っているケースがある。例えば、『ターミネーター』シリーズであろう。この幸福なケースは、本シリーズにも当てはまる。何故か?


 第一作目が単なる「殺戮の乱舞」であったのに較べると、第二作目では、「ジョン・ウィック・ワールド」と言える世界の重層的な構造がはっきりしてくるからである。これは、前作同様の脚本家Derek Kolstadの功績である。

 D. コルスタッドは、1974年生まれのアメリカ人で、大学では経営学を勉学したが、卒業後、思うところがあり、映画脚本家になろうとして、彼が24歳の時、カルフォルニア州に移住する。それ以来約15年ほど努力を続けて、2012年に初めてアクション映画の脚本を採用してもらう。その二年後、K.リーヴスの提案により、自分が持ち込んだ、ある脚本の名称を「John Wick」と変えることになるが、この名前は、K.コルスタッドの母方の祖父の名前であると言う。こうして、前作と本作の脚本も担当することになったという経緯がある。因みに、2021年制作の映画で、意外にヒットした作品『Mr.ノーバディ』の脚本を書いているのも、このD.コルスタッドである。

 それでは、「ジョン・ウィック・ワールド」とはどんな世界であろうか。まず、第一作目から分かっていたことは、裏社会では、殺し屋達が多数存在し、犯罪組織に雇われて殺しを執行するのであるが、その殺し屋達の稼業をサポートする「コンティネンタル・ホテル」という組織があることである。

 この「コンティネンタル・ホテル」は、裏世界ではそれなりの権力を持っており、ホテル内では殺しは行なってはならないとする「掟」を殺し屋達に課すことが出来るのである。そして、本作により、「コンティネンタル・ホテル」には、ニューヨーク店だけではなく、ローマ本店も存在し、恐らく、世界的なチェーンを組んでいる組織であることが分かる。

 一方、「ジョン・ウィック・ワールド」には、ニューヨーク市マンハッタン区南部にあるBowery(バウワリー)地区のホームレス達を組織する犯罪・情報地下組織が存在し、そのKingの地位に収まっているのが、バウワリ―・キングである。(Bowery King;『マトリックス』で顔が売れた役者ローレンス・フッシュバーンが演ずる。)18世紀前半にイギリスで上演された『乞食のオペラ』のストーリーを思い出させるセッティングである。あそこでも、ロンドンの乞食達が「乞食王」ピーチャム氏に統率されている。

 これに対し、以上の勢力に隠然たる力を振るっているのが、12の席あるというHigh Tableハイ・テーブルと呼ばれる存在で、これは、犯罪組織の中でもより強力な上部組織で、言わばCrime Lordクライム・ロードとでも言えるボス中のボス達が構成する「上級役員会」のようなものである。カモラ、ラシアン・マフィア、チャイニーズ・マフィアなどのボスがこの会長会に入っていると言う。High Tableの名称は、恐らく、アーサー王伝説に登場する「円卓の騎士」にあやかってのものであろうが、「円卓」とは、13の席(13席目はいつも空席)がある「Round Table」のことである。本作の日本語版のHigh Tableの訳が「首長連合」となっているのは、筆者としては不満がある。内容的には関係がないのではあるが、仏教用語に「上座部:じょうざぶ」というのがあり、この「上座」が「High Table」に字義的に上手く適合するので、これを「上座会」としては、如何であろうか。

 主人公John Wickはユーモアがない人間であるが、本作では気の利いた場面がある。Johnは、宿泊先であるコンティネンタル・ホテル・ローマ本店で、「仕事」をするために、武装用の銃器を取り揃えることにする。このホテル内の部署の専門員は。「ソムリエ」と呼ばれており、「オードブル」から「メイン」を経て、「デザート」に至るまで、それぞれの「料理」に合う「ワイン」、即ち、銃器をこの「ソムリエ」がサジェスチョンする場面は、中々「薬味」が効いていて、「美味しい」のである。因みに、このローマ本店のオーナー兼支配人役を演じているのが、Franco Neroで、往年の「マカロニ・ウエスタン」(蓋し、日本の映画興行師達が考え出した傑作の映画用語)のスターの一人であり、筆者は、この配役の妙に敬意を表するものである。

 カモラの女ボス殺害の場面、カモラがイタリアの犯罪組織であることから、そのイタリアらしい、絵画が掛けられた室内空間での銃撃・乱闘戦、そして、鏡張りの部屋での決闘と、本作では、その美的センスが至るところに表象されており、観る者の目を楽しませてくれる。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...