映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何故か灰色のスカートに黒色の上着を着ている。彼女は、二十歳代末の年齢であり、恐らくは大きな恋愛体験もなく、何か十歳も年上でありそうな、しかも、うだつが上がらなそうな旦那(内藤武敏)と三年の結婚生活を過ごしていた。既婚女性である長女が黒地の服を着ることには、未婚女性が羽織る派手な振袖に対して、既婚女性が身に付けた地味な留袖は黒地が基本という着物着用のマナーがここで働いていたのであろうか。
という訳で、映画の冒頭で羽田「国際」空港(成田空港は未だ存在していない)で四発プロペラ機から降りてくる三人の妹たちは、それぞれ、次女(浅丘ルリ子)が赤い色の服を、三女(吉永小百合)が水色の服を、そして四女(和泉雅子)が黄色の服を着ており、このカラー・コーディネーションに何か「思惑」があるのではないかと筆者は勘ぐりを効かせた。
性格が異常に明るく、本作でのコメディアン役を演じ、所謂「新人類」の先走りとも言える「現金な」四女は、その明るさの故に、黄色なのであろうか。黄色は、黒に対して最も明度の差がある色である。一方、結婚適齢期のど真ん中の次女は、羽田空港で知り合った年下の学生に言い寄られる。この外国車を乗り回す「坊ちゃん」は、にわか成金で下劣な成金趣味のブルジョワ家庭の息子である。その「対抗馬」が、次女の年下の幼馴染で、東京ではTVニュース会社のキャメラマンとして働いている次郎(浜田光夫)である。ブルジョワ対プロレタリアートの二項対立の中で、愛を求める次女は、故に、愛の色・赤を纏う訳であろう。そして、この時未だ19歳の吉永が演じる三女は何故に水色か、この色のシンボライズするものは何か。(映画の終盤の雨の日のシーンでは、次女が赤い傘を、三女が青い傘をさす。)
まず、この映画での吉永のヘアスタイルが、他の三人とも比べて、個性的である。髪の長さは本来は長いのであろうが、こめかみ辺りはそのまま後ろでまとめてあるらしい。とは言え、その髪の一部をカールさせて耳の周りをぐるりと囲むようにもさせてある。一方、額の部分の髪は、額を丸出しにするようにして、ここの部分だけオールバックにし、髪を後ろに束ねている。しかも、その上には黒のリボンを併用して付け髪を載せて、後頭部をより高く見せている。19歳の女性の髪型にしては、古風と言えば、古風と言えるが、何れにしても、本人の複雑な感情を反映したようなヘア・スタイルである。
父親っ子である彼女は、大阪で模型店を営む父(伊藤雄之助:圧倒的存在感あり)を、二年前に母親が亡くなった後は母親代わりに世話してきた。彼女は、このようにして家事を切り回し、店番もし、父親を助けてきた存在であった。その父親に、京都生まれの美人の後妻が来たことから、自らの役割にライバルが登場し、自己の存在意義に疑問を感じたのであろう。これが、彼女が家出をする動機であった。
ここら辺の三女の気持ちの錯綜は、映画の中盤で、今度は父親自身が大阪の家を家出して、東京にやってくるくだりで明確になる。父親は、単なる夫婦喧嘩なのであるが、後妻から「精神的迫害」を受けたと誇大に言って、家出してきたのである。それをただただ喜んで自分を頼りにして父親が東京に出て来たと決め付けた三女しずか(この名前も「静御前」を思わせて古風である)は、東京で父親の面倒を自分が見ると言い張る。「だらしのうたって、我儘かて、女癖がわるかったて、出世せいかって、酒飲み屋かて」、亡くなった妻の枕元で一晩中泣いていたそんな父親をしずかは好きなのである。姉妹と口喧嘩をした後、シーンが変わって、しずかは父親とある埠頭を歩きながら話しを続ける。しずか以外の娘達から諭されて、しずかの説得にも関わらず、自分が好きで一緒になった後妻の元に戻ると言い出す父親に、がっくりするしずか。その二人を捉えながら、カメラは俯瞰位置に駆け上る。これは、しずかの精神的な「親離れ」が決定的になった瞬間であり、それを視覚化したカメラワークである。(撮影監督:板橋梅夫)
結局、大阪にその日の夜行で帰っていった父親を恐らくは見送ったしずかは、自分のアパートには帰るに帰られず、次女の恋人であるが、前から心に留めていた次郎の下宿を訪ねていく。前に志賀高原でスキーをした時に、雪に嵌まって抜け出せなくなっていたしずかを次郎が助けてくれた。その時から、しずかにとって、そういう庇護をしてくれる父親的存在に次郎はなっていたのであり、この感情は、自分が父親を世話したいという気持ちと表裏一体のものであったのであろう。こうして、次女を巡る、学生とニュース・キャメラマンの三角関係から、今度は、ニュース・キャメラマンを巡る次女としずかとの秘められた、しずかから見れば「忍ぶ恋」の三角関係にフォーカスが予想通りに移っていく。なにせ、日活青春映画のゴールデン・コンビと言えば、吉永・浜田である。愛される代償を求める次女に対して、三女しずかは、愛される代償を求めず、ただひたすら自らが愛する「純愛」を体現する存在なのである。どこまでも透明で純情な愛、これを象徴する色は、水色しかないのではなかろうか。彼女は、東京14:00に急行「よど号」で出発した次郎を追いかけて、飛行機で大阪に飛んだ。列車よど号は、大阪に21:30に到着するからである...
このように、本作は1960年代半ばの日活青春映画で、内容もつまらなそうな正月上映用のサービス満点の恋愛映画である。しかし、所々に隠された、当時の日本社会への皮肉を見逃してはならないであろう。脚本は、東宝の専属脚本家である井出俊郎が、日活のためのオリジナル脚本ということで、「三木克巳」と偽名で書いた作物である。
長女の夫の平凡さは、当時のサラリーマン稼業に対する皮肉であろう。次女に言い寄る「ぼんぼん」たる学生の家庭の、誇張された成金趣味は、高度経済成長期ににわか成金になった連中への警鐘であろう。更に、次女の家出の動機は、空気の汚い大阪で鼻の穴をま黒にしてあくせく働いていてもしょうがない、そんな生活に飽き飽きしたからであった。そして、東京に出てからは、窓の外を見て、四女も、東京の空気も汚いわねえと呟く。「四日市ぜんそく」の問題や環境汚染が野放しになっていることの環境問題が未だ一般民衆にははっきりと意識されていなかった時期である。制作年の1964年と言えば、第一回東京オリンピック大会の年でもある。撮影自体は、前年の歳末から翌年の初春頃であろうか。オリンピック大会の開催が同年10月10日からであったから、上映は、これを受けてのものとなり、作中に出てくる、開通したばかりの東京モノレール、出来たばかりの国立代々木競技場、首都高速などのシーンを観衆も「ああ、そうだった。」と改めて見直したことであろう。2025年の現代から見れば、1960年代半ばの、市電が走っている銀座通りや有名デパート・松屋店内の吹き抜けの建物の構造などは、歴史的価値のある映像風俗資料となっている。
また、映像ということであれば、浜田がTVニュース・キャメラマンという役回りでもあり、映像制作の点でも本作は凝っている。回想部分をまず画面の左か右の四分の一位を切り取って出し、それを拡大して回想部分の画面全体に持っていく技術(その他にも画面を半分や四分の一に区切り、その部分に別の画像を入れる技術、次郎が撮影したことになっている場面を映画の画面中央に入れる技術など)、ヘリコプターによる空撮(東京タワーなど)、車上にカメラを載せての移動撮影から始めて、次女がデパートで販売担当しているKodak社の「インスタマチック」の存在(映画内コマーシャル)、更には、次郎が下宿しているのも、D.P.E店であり、カメラ文化がこれ程までに普及していることなどが本作では何気なく語られている。
最後に、映画の序盤、姉達に内緒で四女が勤めているという「アルサロ」という言葉が気になったので、調べてみたことを記して、筆を置こうと思う。「アルサロ」とは、「アルバイト・サロン」の略語であるそうで、「アルバイト」はドイツ語から、「サロン」はフランス語から持ってきた合成語である。「サロン」は、風俗店にも使われる言葉で、「アルバイト」は、「学生アルバイト」などでお馴染みの言葉であろう。つまり、「キャバレー」や「クラブ」にいるプロの接待嬢ではなく、アルバイトで雇われた素人の接待係りをお店に出す、そういう風俗店のことを言うのである。しかも、この言葉は、主に関西で使われたということで、大阪で育ったという四人姉妹には、それが何であるか、すぐに理解できたのである。今でもこの「アルサロ」が存在するのか、筆者には定かではないところである。
Kientopp55 映画批評 硬派で少々辛口
・内容: 劇映画を中心に邦画、洋画を問わず ・頻度: 不定期、二週間に一本を目指す ・対象者: 本当の映画好き、Cineastさん向け
2025年6月29日日曜日
2025年6月18日水曜日
青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己
冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:
「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて運命を城と共にしたのである。(ここでカメラは城を完全に斜め下から見上げるような視角を取り、同時に城は陽が射さして急に明るくなる。)爾来、この城はこの町のシンボルとして三百六十年の歳月を市民と共に生きてきた。」
この口上が終わるや否や、画面は音楽と共に動転して、「青い山脈」の赤い題字が登場する。併せて、背景は後方に山々を見渡す場面となる。そして、あの有名な、敗戦直後のヒット歌謡曲の一曲『青い山脈』が流れ始めるのである。
四番ある歌詞の内、三番は敗戦直後を思い出させるので本作ではカットされてあるが、最初は男女によって交互に歌われるこの主題歌(作詞:西條八十、作曲:服部良一)は、希望や夢を謳い上げる。その中でも二番が本作との関連で内容的に見て面白い。
(二)
古い上着よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
憧れの 旅の乙女に
鳥も啼く
四行目の「憧れ」が「旅」に掛かるか「乙女」に掛かるかは、はっきりしないのではあるが、ここは、旧習を捨てて、バラ色の未来に向けて旅立っているのは、憧れの若き乙女であると理解できなくもない。であれば、この乙女像は、映画の冒頭で語られた「封建的」女性像とは異なるものであり、このようなコントラストに照らし出されて、ストーリーは展開する。
この伝統的城下町には、ある私立の女子高等学校がある。この女子校は、約80年の伝統を誇る女学校であり、その名も「貞淑女子高等学校」という。「貞淑」とは、「貞操が固く、心が清く、しとやかである」という意味であり、まさしく、この伝統に則った女子教育が行なわれている女子校なのである。この学校には、東京の女子大を出たインテリの若い女教師・島崎先生(芦川いづみ)が教職に就いており、三年生のAクラスを担任している。このクラスには高校二年の時に男女共学校から転向してきた寺沢新子(吉永小百合)がいる。男女交際にもオープンで積極的な寺沢は、同じクラスで茶髪の眼鏡っ子・松山浅子(進千賀子)が書いた偽のラブレターをもらい、それを担任の島崎先生に見せて相談する。母校を愛すると言いながらの、人を嬲りものにしようとするこの卑劣な行為を学級ホームルームで問題化した島崎先生に対して、松山を中心とするグループはクラス内で相談し、次のような要求を黒板に書き付けたのであった:
一.私達の愛校の精心を悔辱したことを取り消して下さい。
二.生徒の風記問題は生徒の自治に任せて下さい。
三.母校の伝統を尊長して下さい。
それでは、この三つの要求を読んで、四つの間違いを見つけて下さい。
遅くとも既に1960年代の前半から始まっている生徒の国語能力のレベル低下はさて置き、愛校心と母校の伝統を強調する一方で、生徒の自治が主張されているという点で、これは面白い対照であり、戦後の民主的教育が、敗戦後18年も経つと、ここまで浸透しているのかと、筆者には一つの驚きを禁じ得ない。
本作の同名原作は、通俗大衆作家・石坂洋次郎が『朝日新聞』に連載小説として1947年に発表したものである。同年には、教育基本法と学校教育法が施行されたばかりであり、新制中学一年を除いては、旧制の高等女学校(五年制;原作の寺沢新子は高等女学校五年生で、年齢17歳)と旧制の高等学校(三年制であれば、修了時で二十歳の男子生徒)が未だに存在していた時期である。このような過渡期における高等女学校生徒と旧制高等学校男子生徒との間の男女交際を「新しい民主主義の息吹き」の下、これにフモールを込めて描いた作品がこの原作であった。
日本の「ヌヴェル・ヴァーグ」の旗手の一人大島渚は、ウィキペディアによると、その「通俗的良識の甘さ」を批判しながらも、以下のように、自分が15歳の時にこの作品を読んだ時のことを回想している:
「この戦後最初の新聞連載小説が、私たちに与えた新鮮な感動については、それを実際にあじわった人間以外には、いくら説明しても、それを実感として伝えることはできないだろう。(中略)私は今もなお『青い山脈』の文章のひとつ、ひとつ、ことに登場人物の会話のひとつ、ひとつを昨日の記憶のようになまなましく、生理的に思い出すことができる」
更にウィキペディアによると、文芸評論家の高橋源一郎は、主人公六助の友人で、庭球部のマネージャーであり、しかも、兵役経験者で高等学校一の読書家である「ガンちゃん」こと富永安吉の存在に注目している。この役を本作では、若い高橋英樹が演じている。この「ガンちゃん」は、大学の文学部二年生で、ラグビー部に所属しており、彼は、本作のクライマックスに当たるPTA役員会の席上で、様々な賢人の箴言を引用して、会議の進行に影響を与えようとする、少々ユーモラスな役回りである。後年の高橋には余り予想できない役柄である。
さて、この原作は、既に1949年に一度映画化されており、フォーカスは、島崎先生を演じた原節子に当てられている。1957年版では、島崎先生役を司葉子が、寺沢新子役を雪村いづみが演じている。この版でも、脚本は、49年版同様に、東宝の代表的脚本家であった井出俊郎が書いており、このことは、三度目の劇映画化である本作(但し、製作は日活)においても同様であった。もちろん、井出も時代に合わせて、「吉永小百合と言えば西河監督」と言われるくらい「吉永小百合もの」を1960年代に撮った西河克己監督と共に、ストーリーを「現代化」しなければならない部分(例えば、アマチュア無線によるPTA役員会の実況中継など)があったり、更には、ストーリー自体のフォーカスを、島崎先生ではなく、吉永・浜田の日活青春映画「ゴールデン・コンビ」に当てる必要があったりする違いがあるのではあるが。そして、もちろん、明朗快活な青春映画として、本作も「健康な」ハッピーエンドで終わる。
このように、本作が観てすぐ忘れてもいいような日活青春映画の一本であるように思われるのではあるが、筆者は、上述の、高橋英樹演じる「ガンちゃん」が繰り出す、時には場違いな、時には、当を得た箴言の数々と、彼が学生服を着てわざと真面目くさって行なう、必ずしも理路整然としたものではない演説を聞いていて、これを2025年の現代日本の現状と突き合わせてみなざるを得なくなり、若干暗い気持ちになったのも正直なところである。
既に別の場面でソクラテスや孔子を引用していた「ガンちゃん」は、PTA役員会の席上で、指名もされないのに、すーと立って、次のような箴言をぼっそりと言う:
ゲーテ曰く、新しき真理に最も有害なるものは古き誤りである。
セネカ曰く、思慮深き者はたやすく怒らず。
ピタゴラス曰く、怒りは無謀に始まり、後悔に終わる。
そして、島崎先生が偽のラブレターを学級ホールルームで問題化したことにより生徒達の反発を招いた点で、この彼女の行動が正当であったかをPTA役員会が議論をしている最中、文学部二年生の「ガンちゃん」は次のような演説をぶつ:
「そもそも現代社会における性道徳の混乱と頽廃とは、我々日本人に課せられた必然的、歴史的宿命でありますが、近頃、その一面のみを誇大視して歴史を逆行させようとする動向が見え始めております。世に復古調とか、リバイバル・ムードなどと言って、教育勅語を復活させようとする傾向などは甚だ遺憾であります。かのキンゼイ博士やバン=デ=ベルデ教授の研究を待つまでもなく、アダムとイブの昔より我々男性と女性の健康なる結合こそ、より健全なる社会の発展を齎すものでありまして、感情も意思も生理的欲求も率直に表現できなかった過去の生活に逆行させようとする時代錯誤的思想は絶対に遺憾であります。終わり!」(映画の1:14分代から約70秒間)
原作では旧制高等学校一の読書家と言われた「ガンちゃん」に劣らない読書家ぶりを本作の「ガンちゃん」も発揮している訳であるが、「キンゼイ博士」とは、1940年代末から50年代に掛けてUSAの白人男女を対面調査して「キンゼイ報告」という形でその性生活の在り様を書き上げた、元々は昆虫学者で、この報告を以って、性科学の分野の地平を開拓した人物である。
また、「バン=デ=ベルデ教授」とは、テオドール・ヘンドリック・ファン・デ・フェルデ(Theodor Hendrik van de Velde)のことで、彼はオランダ人産婦人科医として1926年に『完全なる結婚』なる本を発表した人物である。オランダ語で書かれたこの本は、世界中で翻訳され、結婚生活と性生活のマニュアル本となったが、日本においては、ウィキペディアによると、既に1930年に抄訳本が出されたものの発禁となり、戦後すぐの1946年に完訳本が、同年にはまた抄訳廉価版が出版されたことから、この抄訳本が二年連続のベストセラーとなっていた。この本は、更に本作と同年の63年には再刊されている具合で、本作の脚本家井出俊郎も、つとに少なくともこの本の題名は知っていたはずであろう。
何れにしても、教育勅語の復活などという「時代錯誤的思想」復活の問題は現代政治的には2010年代にも政界に上がってきたことであり、教育基本法の「改定」も含めた教育現場での現状を鑑みるに、本作に描かれた女性の自立への賛歌を、憧憬と哀惜の念を以って今更ながらに観たのは筆者のみであろうか。
最後に、映画の冒頭にあった落城の逸話について、調べたことをここに書いて、筆を置こうと思う。本作のロケ地が滋賀県彦根であると知って、彦根市について調べてみると、映画に出てくる海沿いの場面だと思われた箇所は、琵琶湖であることに気付いた。映画に登場する木造の校舎は未だにあるのか定かではないが、彦根市には、城下町としての面影が残っており、木造り平屋の町家が「城町」という地域に今でも保存されているようである。左の口角の下にホクロを付けて南田洋子が演じる気っ風のいい芸者・梅太郎の置き屋があるのもこの「城町」の一角であろう。
映画の冒頭に登場するお城が、彦根城で、ここからは琵琶湖や鈴鹿山脈が見える。「青い山脈」とは本作では鈴鹿山脈のことかもしれないが(或いは伊吹山脈か)、同じく井伊家彦根城から見えるのが、佐和山で、ここには佐和山城があった。映画の冒頭で語られる戦国時代の落城の逸話は、実は、この佐和山城での出来事であった。そこで、手っ取り早いので、佐和山城の戦いをウィキペディアから引用する:
「慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘したが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮戦空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。江戸時代の『石田軍記』では佐和山城は炎上したとされてきたが、本丸や西の丸に散乱する瓦には焼失した痕跡が認められず、また落城の翌年には井伊直政がすぐに入城しているので、これらのことから落城というよりは開城に近いのではないかとする指摘もある。」
これを映画冒頭の口上と比較すると、口上は次の通りである:
「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて運命を城と共にしたのである。(ここでカメラは城を完全に斜め下から見上げるような視角を取り、同時に城は陽が射さして急に明るくなる。)爾来、この城はこの町のシンボルとして三百六十年の歳月を市民と共に生きてきた。」
この口上が終わるや否や、画面は音楽と共に動転して、「青い山脈」の赤い題字が登場する。併せて、背景は後方に山々を見渡す場面となる。そして、あの有名な、敗戦直後のヒット歌謡曲の一曲『青い山脈』が流れ始めるのである。
四番ある歌詞の内、三番は敗戦直後を思い出させるので本作ではカットされてあるが、最初は男女によって交互に歌われるこの主題歌(作詞:西條八十、作曲:服部良一)は、希望や夢を謳い上げる。その中でも二番が本作との関連で内容的に見て面白い。
(二)
古い上着よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
憧れの 旅の乙女に
鳥も啼く
四行目の「憧れ」が「旅」に掛かるか「乙女」に掛かるかは、はっきりしないのではあるが、ここは、旧習を捨てて、バラ色の未来に向けて旅立っているのは、憧れの若き乙女であると理解できなくもない。であれば、この乙女像は、映画の冒頭で語られた「封建的」女性像とは異なるものであり、このようなコントラストに照らし出されて、ストーリーは展開する。
この伝統的城下町には、ある私立の女子高等学校がある。この女子校は、約80年の伝統を誇る女学校であり、その名も「貞淑女子高等学校」という。「貞淑」とは、「貞操が固く、心が清く、しとやかである」という意味であり、まさしく、この伝統に則った女子教育が行なわれている女子校なのである。この学校には、東京の女子大を出たインテリの若い女教師・島崎先生(芦川いづみ)が教職に就いており、三年生のAクラスを担任している。このクラスには高校二年の時に男女共学校から転向してきた寺沢新子(吉永小百合)がいる。男女交際にもオープンで積極的な寺沢は、同じクラスで茶髪の眼鏡っ子・松山浅子(進千賀子)が書いた偽のラブレターをもらい、それを担任の島崎先生に見せて相談する。母校を愛すると言いながらの、人を嬲りものにしようとするこの卑劣な行為を学級ホームルームで問題化した島崎先生に対して、松山を中心とするグループはクラス内で相談し、次のような要求を黒板に書き付けたのであった:
一.私達の愛校の精心を悔辱したことを取り消して下さい。
二.生徒の風記問題は生徒の自治に任せて下さい。
三.母校の伝統を尊長して下さい。
それでは、この三つの要求を読んで、四つの間違いを見つけて下さい。
遅くとも既に1960年代の前半から始まっている生徒の国語能力のレベル低下はさて置き、愛校心と母校の伝統を強調する一方で、生徒の自治が主張されているという点で、これは面白い対照であり、戦後の民主的教育が、敗戦後18年も経つと、ここまで浸透しているのかと、筆者には一つの驚きを禁じ得ない。
本作の同名原作は、通俗大衆作家・石坂洋次郎が『朝日新聞』に連載小説として1947年に発表したものである。同年には、教育基本法と学校教育法が施行されたばかりであり、新制中学一年を除いては、旧制の高等女学校(五年制;原作の寺沢新子は高等女学校五年生で、年齢17歳)と旧制の高等学校(三年制であれば、修了時で二十歳の男子生徒)が未だに存在していた時期である。このような過渡期における高等女学校生徒と旧制高等学校男子生徒との間の男女交際を「新しい民主主義の息吹き」の下、これにフモールを込めて描いた作品がこの原作であった。
日本の「ヌヴェル・ヴァーグ」の旗手の一人大島渚は、ウィキペディアによると、その「通俗的良識の甘さ」を批判しながらも、以下のように、自分が15歳の時にこの作品を読んだ時のことを回想している:
「この戦後最初の新聞連載小説が、私たちに与えた新鮮な感動については、それを実際にあじわった人間以外には、いくら説明しても、それを実感として伝えることはできないだろう。(中略)私は今もなお『青い山脈』の文章のひとつ、ひとつ、ことに登場人物の会話のひとつ、ひとつを昨日の記憶のようになまなましく、生理的に思い出すことができる」
更にウィキペディアによると、文芸評論家の高橋源一郎は、主人公六助の友人で、庭球部のマネージャーであり、しかも、兵役経験者で高等学校一の読書家である「ガンちゃん」こと富永安吉の存在に注目している。この役を本作では、若い高橋英樹が演じている。この「ガンちゃん」は、大学の文学部二年生で、ラグビー部に所属しており、彼は、本作のクライマックスに当たるPTA役員会の席上で、様々な賢人の箴言を引用して、会議の進行に影響を与えようとする、少々ユーモラスな役回りである。後年の高橋には余り予想できない役柄である。
さて、この原作は、既に1949年に一度映画化されており、フォーカスは、島崎先生を演じた原節子に当てられている。1957年版では、島崎先生役を司葉子が、寺沢新子役を雪村いづみが演じている。この版でも、脚本は、49年版同様に、東宝の代表的脚本家であった井出俊郎が書いており、このことは、三度目の劇映画化である本作(但し、製作は日活)においても同様であった。もちろん、井出も時代に合わせて、「吉永小百合と言えば西河監督」と言われるくらい「吉永小百合もの」を1960年代に撮った西河克己監督と共に、ストーリーを「現代化」しなければならない部分(例えば、アマチュア無線によるPTA役員会の実況中継など)があったり、更には、ストーリー自体のフォーカスを、島崎先生ではなく、吉永・浜田の日活青春映画「ゴールデン・コンビ」に当てる必要があったりする違いがあるのではあるが。そして、もちろん、明朗快活な青春映画として、本作も「健康な」ハッピーエンドで終わる。
このように、本作が観てすぐ忘れてもいいような日活青春映画の一本であるように思われるのではあるが、筆者は、上述の、高橋英樹演じる「ガンちゃん」が繰り出す、時には場違いな、時には、当を得た箴言の数々と、彼が学生服を着てわざと真面目くさって行なう、必ずしも理路整然としたものではない演説を聞いていて、これを2025年の現代日本の現状と突き合わせてみなざるを得なくなり、若干暗い気持ちになったのも正直なところである。
既に別の場面でソクラテスや孔子を引用していた「ガンちゃん」は、PTA役員会の席上で、指名もされないのに、すーと立って、次のような箴言をぼっそりと言う:
ゲーテ曰く、新しき真理に最も有害なるものは古き誤りである。
セネカ曰く、思慮深き者はたやすく怒らず。
ピタゴラス曰く、怒りは無謀に始まり、後悔に終わる。
そして、島崎先生が偽のラブレターを学級ホールルームで問題化したことにより生徒達の反発を招いた点で、この彼女の行動が正当であったかをPTA役員会が議論をしている最中、文学部二年生の「ガンちゃん」は次のような演説をぶつ:
「そもそも現代社会における性道徳の混乱と頽廃とは、我々日本人に課せられた必然的、歴史的宿命でありますが、近頃、その一面のみを誇大視して歴史を逆行させようとする動向が見え始めております。世に復古調とか、リバイバル・ムードなどと言って、教育勅語を復活させようとする傾向などは甚だ遺憾であります。かのキンゼイ博士やバン=デ=ベルデ教授の研究を待つまでもなく、アダムとイブの昔より我々男性と女性の健康なる結合こそ、より健全なる社会の発展を齎すものでありまして、感情も意思も生理的欲求も率直に表現できなかった過去の生活に逆行させようとする時代錯誤的思想は絶対に遺憾であります。終わり!」(映画の1:14分代から約70秒間)
原作では旧制高等学校一の読書家と言われた「ガンちゃん」に劣らない読書家ぶりを本作の「ガンちゃん」も発揮している訳であるが、「キンゼイ博士」とは、1940年代末から50年代に掛けてUSAの白人男女を対面調査して「キンゼイ報告」という形でその性生活の在り様を書き上げた、元々は昆虫学者で、この報告を以って、性科学の分野の地平を開拓した人物である。
また、「バン=デ=ベルデ教授」とは、テオドール・ヘンドリック・ファン・デ・フェルデ(Theodor Hendrik van de Velde)のことで、彼はオランダ人産婦人科医として1926年に『完全なる結婚』なる本を発表した人物である。オランダ語で書かれたこの本は、世界中で翻訳され、結婚生活と性生活のマニュアル本となったが、日本においては、ウィキペディアによると、既に1930年に抄訳本が出されたものの発禁となり、戦後すぐの1946年に完訳本が、同年にはまた抄訳廉価版が出版されたことから、この抄訳本が二年連続のベストセラーとなっていた。この本は、更に本作と同年の63年には再刊されている具合で、本作の脚本家井出俊郎も、つとに少なくともこの本の題名は知っていたはずであろう。
何れにしても、教育勅語の復活などという「時代錯誤的思想」復活の問題は現代政治的には2010年代にも政界に上がってきたことであり、教育基本法の「改定」も含めた教育現場での現状を鑑みるに、本作に描かれた女性の自立への賛歌を、憧憬と哀惜の念を以って今更ながらに観たのは筆者のみであろうか。
最後に、映画の冒頭にあった落城の逸話について、調べたことをここに書いて、筆を置こうと思う。本作のロケ地が滋賀県彦根であると知って、彦根市について調べてみると、映画に出てくる海沿いの場面だと思われた箇所は、琵琶湖であることに気付いた。映画に登場する木造の校舎は未だにあるのか定かではないが、彦根市には、城下町としての面影が残っており、木造り平屋の町家が「城町」という地域に今でも保存されているようである。左の口角の下にホクロを付けて南田洋子が演じる気っ風のいい芸者・梅太郎の置き屋があるのもこの「城町」の一角であろう。
映画の冒頭に登場するお城が、彦根城で、ここからは琵琶湖や鈴鹿山脈が見える。「青い山脈」とは本作では鈴鹿山脈のことかもしれないが(或いは伊吹山脈か)、同じく井伊家彦根城から見えるのが、佐和山で、ここには佐和山城があった。映画の冒頭で語られる戦国時代の落城の逸話は、実は、この佐和山城での出来事であった。そこで、手っ取り早いので、佐和山城の戦いをウィキペディアから引用する:
「慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘したが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮戦空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。江戸時代の『石田軍記』では佐和山城は炎上したとされてきたが、本丸や西の丸に散乱する瓦には焼失した痕跡が認められず、また落城の翌年には井伊直政がすぐに入城しているので、これらのことから落城というよりは開城に近いのではないかとする指摘もある。」
これを映画冒頭の口上と比較すると、口上は次の通りである:
「慶長五年八月十八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて運命を城と共にしたのである。爾来、この城はこの町のシンボルとして三百六十年の歳月を市民と共に生きてきた。」
つまり、まず、日付が異なる。「八月十八日」とは、九月十七から十八に掛けてのこと、「敵の数三万八千」は、実は、一万五千、味方の数は、ほぼ同数、しかし、城主、つまり石田三成は、関ヶ原の戦場に出ていて、留守であった。この戦いで石田家は滅亡したと言ってよいであろうが、落城したのは、映画に映っている彦根城ではなく、関ヶ原の戦いの「裏切者」小早川秀秋を先鋒とする徳川勢に攻め立てられた佐和山城であったのである。
と、まあ、我々が本作冒頭で聴いたのは、芸術の自由を謳歌した「創作」講談(或いは、「歴史改竄」)であった訳であるが、筆者にはこの講談、むしろ会津城陥落を思い起こさせていた。
つまり、まず、日付が異なる。「八月十八日」とは、九月十七から十八に掛けてのこと、「敵の数三万八千」は、実は、一万五千、味方の数は、ほぼ同数、しかし、城主、つまり石田三成は、関ヶ原の戦場に出ていて、留守であった。この戦いで石田家は滅亡したと言ってよいであろうが、落城したのは、映画に映っている彦根城ではなく、関ヶ原の戦いの「裏切者」小早川秀秋を先鋒とする徳川勢に攻め立てられた佐和山城であったのである。
と、まあ、我々が本作冒頭で聴いたのは、芸術の自由を謳歌した「創作」講談(或いは、「歴史改竄」)であった訳であるが、筆者にはこの講談、むしろ会津城陥落を思い起こさせていた。
2025年6月10日火曜日
幻の光(日本、1995年作)監督:是枝 裕和
本作、画面の構図と色彩感覚がいい。画面の構図は、監督・是枝裕和の才能であろう。色彩感覚は、むしろ撮影監督・中堀正夫の持ち味であろうか。
原作は、神戸出身の作家・宮本輝の1978年発表の同名小説である。筆者は原作を読んでいないので、本作のストーリー(脚本:荻田芳久)が原作のそれとどれほど異なるのか分からないが、関西出身の筆者の友人の言によると、本作の前半のストーリー展開の地は、兵庫県の尼崎ではないかということで、何れにしても、どうも社会の底辺で生きている人間達が住んでいる地区のようである。ウィキペディアによると、実際、原作者・宮本は1957年から小学校時代を尼崎で過ごしており、土地柄は肌身で感じていたはずである。 そして、本作では、まず、主人公・ゆみ子の少女時代が描かれ、小学生と思しき彼女の体験が語られる。それもあるのか、カメラの視点の高さが、子供の背の高さに近いように思われる。しかも、ここでは、その子供の視点が路地の一方から他方へ抜けるように見ているような画面構成が多用される。この点、筆者には名匠小津の特徴的画面構成を思い出されたが、面白いのは、その路地の出口が、暗い画面の手前に比べて異常に明るのである。正に、トンネルを抜ける所が明るいという、あの「眩しい」感覚である。
このトンネルの構図は、再婚してゆみ子が能登に住むようになり、ゆみ子の息子が相手方の夫の連れ子の娘と一緒に遊んでいる時にも出てくる。カメラはトンネルの手前に据え置かれたまま、血の繋がらない姉弟は、暗いトンネルの中に入っていく。トンネルの奥は明るく、能登の山野の緑色や黄緑色がこちら側からも見え、その色彩の景色は、トンネルの中にある水溜まりにも反射している。ゆみ子の子供時代の構図とは異なり、ここでは色彩に溢れ、しかも、トンネルの奥の自然の景色の一箇所が光っており、そこからトンネルの中を通って、それがカメラまで届き、更に画面を見る者にもまた射通すようである。これもまた、タイトルの通りの「幻の光」であろうか。
もう一つ、構図的に印象的な場面は、同じく姉弟が自然の中で遊んでいる場面である。カメラが山地に段々畑状に整地された田圃を撮っている。田圃には既に水が溜められてあり、その水は鏡のように空を静謐に反射している。その田圃の向こう側は、日本海である。この構図の中に、画面の中央を左から右に抜けるように通っているあぜ道があり、ゆみ子の息子がたどたどしくもスキップするようにあぜ道を通って画面の左から入ってくる。その男の子を追いかけるようにして女の子も付いていく。あぜ道の反対側に男の子が転げ落ちるのではないかとハラハラしながら観衆は見守っているのであるが、二人の姉弟は無事に画面の右に抜けていく。是枝監督は、長編劇映画第一作目から、子役を使うのが上手いのである。
筆者が本作の構図と色彩に圧倒されたのは、本作の終盤の、ある一シーンである。傷心に駆られたゆみ子が外に佇んでいると、ゆみ子が住む村で死者が出たのであろう。その死者を弔う葬列の一行が、小雪が降る中、彼女の近くを通り過ぎてゆく。すると、ゆみ子もその葬列に釣られて、間隔を置いてその後を付いてゆく。時は、既に夕暮れ時であり、空は夕暮れの群青色である。日本海の暗い青色が水平線の所で空の群青色と邂逅する。この大自然の中を葬列の闇が画面の中央の右から左へと水平線に沿うように抜けていくのである。そのうしろを一つの黒い人影が追いながら。壮大な自然の中で人の生の「終着点」を見ながら、ゆみ子は、自らの意識の中で極大化されていた心の傷を相対化できたのであろうか。
是枝監督は、何故、自分の劇場映画デビュー作に、中堀正夫撮影監督を起用したのであろうか。両者の映画人としての経歴を見ても、その接点が見当たらないのではあるが、ここで中堀撮影監督の経歴を簡単に述べておく。
中堀撮影監督は、1943年に東京で生まれたキャメラマンである。父の影響を受けて、写真家になるつもりで日本大学藝術学部に入学するが、その在学中に大学の先輩の誘いを受けて、特撮を手掛ける円谷特技プロダクションの現場に参加することになる。大学卒業後は、就職難であったこともあり、『ウルトラマン』の制作準備に関わることとなり、ちょうど人手を求めていた円谷プロダクションへ撮影助手として入社する。こうして、同じく『ウルトラマン』の制作に関わっていた、「奇才」実相寺昭雄と知り合うこととなり、中堀は、実相寺組撮影監督となるのである。テレビ番組演出、テレビ映画監督畑出身の実相寺監督が、長編劇映画第一作目として1970年に世に問うた作品『無常』は、ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞したが、この作品の撮影を共同担当したのは中堀であった。こうして、中堀は、1970年代、80年代のアヴァンギャルド映画作家の一人たる実相寺監督の奇抜な画面構成に耐え得る撮影技術を磨き、実相寺が亡くなるまで、十数本の作品を撮ることになる。本作が制作された1995年の三年前の1992年に、中堀は、江戸川乱歩原作の『屋根裏の散歩者』を実相寺監督と撮っているが、ウィキペディアの経歴には、彼と是枝の「交差点」は見え出せず、中堀が本作の撮影に関わることになる。そして、本作により、中堀は、ヴェネツィア国際映画祭における特別賞に当たるオゼッラ金賞(Osella d'oro:現在は存在しない賞)の撮影賞を受賞する。
それでは、是枝裕和監督の映画人としての経歴を見てみよう。1962年に東京で生まれた是枝は、物書きになろうと、早稲田大学第一文学部文芸学科に入学し、ここを卒業する。母親譲りの映画好きから在学中から映画館に足繁く通い、卒論は創作脚本であった。大学卒業後の1987年に番組制作会社テレビマンユニオンに入社し、ここでテレビ番組制作の下積み生活を過ごす。こうして、是枝は、フジテレビのドキュメンタリー番組『NONFIX』(命名は、「ノンフィクション」からではなく、「固定されていない」という意味)で番組を担当するようになり、1991年に『しかし…福祉切り捨ての時代に』を制作する。生活保護を打ち切られた女性と、水俣病和解訴訟で患者と国の板挟みとなったある厚生官僚の、二つの自死をテーマとしたこの番組は早くもギャラクシー賞優秀作品賞を受賞し、是枝は、同じ番組の枠組みで、『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』(1991年)、『公害はどこへ行った…』(1991年)、『日本人になりたかった…』(1992年)、『映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン』(1993年)、『彼のいない八月が』(1994年)と立て続けに発表する。
是枝は、これ以外にも別の放送局の別の番組の枠組みでドキュメンタリー映画を制作するのであるが、テレビマンユニオンに在籍のまま、映画監督してデビューすることを決め、本作を制作することになる。ここで、とりわけ注目したいのは、恐らく是枝がデビュー作品を何にするかを思案していたであろう時期の、本作発表の二年前に出された『映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン』である。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と楊德昌(エドワード・ヤン)は、台湾ニューシネマの代表的監督の二人である。本作の音楽を担当しているのが、 陳明章と同じく台湾人音楽家であり、是枝自身、家族の縁で台湾とは関係があるのである。是枝の祖父は、奄美生まれで、そこから台湾に渡り、是枝の父はその関係で台湾で生まれている。そう言う背景を是枝が持っている訳で、その彼が、1980年代、90年代の台湾ニューシネマの動向に映画人として興味を持たない方が可笑しい程である。そして、ウィキペディアの日本語版での「台湾ニューシネマ」の特徴を読んでみると、正に、本作を含む是枝監督の映画作りの方針がここにまとめられているように筆者には思われる。それ故、少々長いのであるが、それをここに引用しようと思う:
「台湾ニューシネマに属する作品群とそれまでの台湾映画とで最も異なる点は、その写実性にある。従来の台湾映画が政治宣伝的色彩国策映画や、現実社会とは遊離したいわゆるヒーローもの中心だったのに比べ、台湾ニューシネマの作品には、台湾人の日常生活や台湾社会が抱える問題などに直接向き合い、それを丹念に追うことを通じて、ときには台湾社会の暗部にまで光をあてるといったような内容の作品が多い。
また、黄春明など、いわゆる郷土作家の文芸作品を積極的に題材に取り上げていること、それまで公共の場での使用が禁じられてきた台湾語などの方言を台詞に使用するなど、画期的な手法を取り入れていることなども大きな特徴である。
その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども特徴として挙げることができる。」
という訳で、台湾ニューシネマの特徴を箇条書きにすると、①写実性、②日常性、③社会問題との関り、④郷土性、⑤方言の使用、⑥ストーリー展開の曖昧性、⑦スローテンポの語り の七つの特徴をここで拾い上げることが出来る。そして、面白いことにこのすべての特徴が、少なくとも本作における作品の特質と合致するのではないか。
写実性は、是枝がドキュメンタリー映画畑出身である点で、その制作態度の前提中の前提と言っていい点であろう。幼馴染同士が結婚して子供をもうけるという日常性は、夫の理由が分からない自殺で以って一挙にドラマ化する。こうして、自殺という社会問題がストーリー展開に関わってくる。しかも、関西弁を話す主人公が後妻に入って、日本海側の能登に行くことで、別の風土の中で、自殺された妻が自分の心の傷を見直すことになる。自然の中で遊ぶ子供達の姿を入れたり、能登の風物詩を描いたりしながら、ゆっくりとストーリーは展開する。しかし、物語りは、主人公ゆみ子が自殺された者の心の痛みにどのような決着を付けたかは観ている者にははっきりと分からないままで、彼女の、義理の父親との何気ない会話で終わる。
是枝は、本作以降、自作の劇映画には自ら脚本を書く姿勢を貫く。編集も2023年制作の最近作『怪物』以外は、自分で担当している。そして、彼は、長編劇映画第二作目『ワンダフルライフ』(1999年作)で自分の組の撮影監督を見つけたようであった。山崎裕(ゆたか)である。しかし、作品賞、監督賞を数々受賞している是枝作品で、撮影賞(日本アカデミー賞)を獲得することになるのは、本作以来、『万引き家族』(2018年作)と『怪物』(2023年作)の二作を待たなければならない。この二作の撮影監督は、近藤龍人(りゅうと)である。故に、劇場映画デビュー作に、中堀正人を人選したことは、誠にラッキーであったとも言えるのである。
映像素材は、Fujiフィルムで、自然の風景の撮影に適した素材であり、撮影機材は、Arriflex 535, Zeiss Super Speed Lensesである。さすがは、Zeissレンズで、本作の映像は、誠に鮮やかに撮られている。
その他、ストーリー展開がはっきりしないこと、スローテンポで、抑揚を抑えた展開のものが多いことなども特徴として挙げることができる。」
という訳で、台湾ニューシネマの特徴を箇条書きにすると、①写実性、②日常性、③社会問題との関り、④郷土性、⑤方言の使用、⑥ストーリー展開の曖昧性、⑦スローテンポの語り の七つの特徴をここで拾い上げることが出来る。そして、面白いことにこのすべての特徴が、少なくとも本作における作品の特質と合致するのではないか。
写実性は、是枝がドキュメンタリー映画畑出身である点で、その制作態度の前提中の前提と言っていい点であろう。幼馴染同士が結婚して子供をもうけるという日常性は、夫の理由が分からない自殺で以って一挙にドラマ化する。こうして、自殺という社会問題がストーリー展開に関わってくる。しかも、関西弁を話す主人公が後妻に入って、日本海側の能登に行くことで、別の風土の中で、自殺された妻が自分の心の傷を見直すことになる。自然の中で遊ぶ子供達の姿を入れたり、能登の風物詩を描いたりしながら、ゆっくりとストーリーは展開する。しかし、物語りは、主人公ゆみ子が自殺された者の心の痛みにどのような決着を付けたかは観ている者にははっきりと分からないままで、彼女の、義理の父親との何気ない会話で終わる。
是枝は、本作以降、自作の劇映画には自ら脚本を書く姿勢を貫く。編集も2023年制作の最近作『怪物』以外は、自分で担当している。そして、彼は、長編劇映画第二作目『ワンダフルライフ』(1999年作)で自分の組の撮影監督を見つけたようであった。山崎裕(ゆたか)である。しかし、作品賞、監督賞を数々受賞している是枝作品で、撮影賞(日本アカデミー賞)を獲得することになるのは、本作以来、『万引き家族』(2018年作)と『怪物』(2023年作)の二作を待たなければならない。この二作の撮影監督は、近藤龍人(りゅうと)である。故に、劇場映画デビュー作に、中堀正人を人選したことは、誠にラッキーであったとも言えるのである。
映像素材は、Fujiフィルムで、自然の風景の撮影に適した素材であり、撮影機材は、Arriflex 535, Zeiss Super Speed Lensesである。さすがは、Zeissレンズで、本作の映像は、誠に鮮やかに撮られている。
2025年5月15日木曜日
あにいもうと(日本、1953年作)監督:成瀬 巳喜男
DVDのカバーのスチール写真の構図に何故か惹かれて本作を見てしまった。普段着の和服の京マチ子が、身体の左側を下にし、両足を揃えてちょっと折った姿勢で直に畳の上に寝ている。左肘を立て、左手に頭を載せて、京マチ子は横になっているのであるが、その顔はふくれっ面であるようである。そのすぐ後ろには、森雅之が見える。彼は、何か大工職人のような服装で、頭には、よく労働者が被るキャスケット帽(レーニンが好んで被っていたので「レーニン帽」とも、乃至は、中国人民解放軍兵士が被っていたので、「人民帽」とも呼ばれる帽子)を被って、大股を開いてちゃぶ台に腰掛けている。
この二人が兄・妹なのであるが、実は、このスチール写真のシーンは本作には出てこないので、本作を観おわって、若干、裏切られたような気もしないのではないが、この二人の京・森が、筆者にはミスマッチのキャスティングであったので、余計に残念な感じが強くなったのである。
まず、本人二人が与える年齢と演技上の年齢が合わないように見える。室生犀星の同名原作によると、兄・伊之助は、28歳で、妹・もんは、23歳であると言う。演じている森は40歳代に、京は、少なくとも30歳代初めに見える。更に、演じている職業柄からして、京はまあまあ納得できても、森に関しては、墓石を彫る石工職人という感じではない。どっかのホワイトカラーの人間が、無理やりブルーカラーの人間をわざと「べらんめえ調」に演じている感じが滲み出てくるからである。
そして、何よりも、室生犀星の同名原作を読んでいないので、何とも判断が付きかねるのであるが、本作の脚本を書いている女性脚本家水木洋子の手になる脚本における「あにいもうと」の「確執」の度合いに何かすっきりと来ないのである。
川(ロケ地は多摩川)を越えて東京に働きに出たもんが、いいところの家のある坊ちゃん・大学生(堀越英二)に孕まされて里に戻ってくる。それに対して、父親でもない兄の伊之助が過剰反応する。兄自体、どこかの女給と関係があるようであり、仕事をやらせれば、いい仕事をするタイプの職人であるが、普段からまともに仕事をしているようには見えないタイプなのである。そんな彼が、妊娠して戻ってきた妹に「ふしだら」であるとは言える立場ではない。
「いもうと」が「女」として戻ってきたことへの心理的屈折が「あに」の方にあるとすれば、親がいない家庭環境とか、親がいても兄・妹を強く結び付ける出来事とかがあったなどの、とりわけ、兄側の心理的な前提条件が本作で描かれていないと説得力がない。それ故、この兄の妹に対する過剰反応が不可解過ぎるのである。
とは言え、他の配役はよい。伊之助ともんの父親たる赤座(山本礼三郎)は、嘗ては川仕事の人夫頭で鳴らした男ではあったが、今は、コンクリートを使って護岸工事をやる会社に仕事を取られて、近くの飲み屋で嘗てを懐かしんでくだを巻くだけである。であるから、妊娠して戻ってきた娘に説教する意気もなくなっている。ここは、この現代を描いて、それが家族に与える影響を描いて秀逸である成瀬監督の得意技であろう。
この夫にかしずく妻・りき(浦辺粂子がいつものように好演)は、川沿いの茶店を切り回し、冬はおでんを、夏はかき氷を川沿いを歩く人々に提供し、物の仕入れには、嘗て自分の子供を育てた時に使った乳母車を使用するといった具合である。その、人生の荒波にも何か飄々とそれを受け流す、雑草のような生命力を秘めた、りきの生活力に、尊敬の念さえ起きる存在である。
もんとは対照的な、もんの妹のさん(久我美子)は、東京で看護学校に通っており、着実に生活設計を立てて、自分の目的に邁進するタイプの「やり手」である。このもんとさんの二人の姉妹の性格の対照も本作の面白いところである。
さて、本作の同名原作小説であるが、こちらの方は、室生犀星が1934年に書いて『文芸春秋』に発表したものである。ウィキペディアによると、主人公の赤座もんは、室生犀星の養母・赤井ハツをモデルにしていると言う。筆者には、養母ハツの姿が伊之助の妹もんに投影されていることに、意外感を持つ。投影の対象が、伊之助の母りきではないのである。
そこで、室生犀星の複雑な父母関係をここで照らし出してみようと思う。
室生は、1889年に金沢市で生まれた。金沢市内には犀川が流れており、その西側に住んでいたところから、また、国府犀東という漢詩人がおり、それへの対抗心もあってか、「犀西」に、これを更に書き換えて、「犀星」とメルヘンチックにしたと言う。犀星の生まれと生立ちは、ウィキペディアに上手くまとめられているので、それを以下に引用する:
「加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種と、その女中であるハルの間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗)住職だった室生真乗の内縁の妻、赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この時から室生照道を名乗ることになった。」
この二人が兄・妹なのであるが、実は、このスチール写真のシーンは本作には出てこないので、本作を観おわって、若干、裏切られたような気もしないのではないが、この二人の京・森が、筆者にはミスマッチのキャスティングであったので、余計に残念な感じが強くなったのである。
まず、本人二人が与える年齢と演技上の年齢が合わないように見える。室生犀星の同名原作によると、兄・伊之助は、28歳で、妹・もんは、23歳であると言う。演じている森は40歳代に、京は、少なくとも30歳代初めに見える。更に、演じている職業柄からして、京はまあまあ納得できても、森に関しては、墓石を彫る石工職人という感じではない。どっかのホワイトカラーの人間が、無理やりブルーカラーの人間をわざと「べらんめえ調」に演じている感じが滲み出てくるからである。
そして、何よりも、室生犀星の同名原作を読んでいないので、何とも判断が付きかねるのであるが、本作の脚本を書いている女性脚本家水木洋子の手になる脚本における「あにいもうと」の「確執」の度合いに何かすっきりと来ないのである。
川(ロケ地は多摩川)を越えて東京に働きに出たもんが、いいところの家のある坊ちゃん・大学生(堀越英二)に孕まされて里に戻ってくる。それに対して、父親でもない兄の伊之助が過剰反応する。兄自体、どこかの女給と関係があるようであり、仕事をやらせれば、いい仕事をするタイプの職人であるが、普段からまともに仕事をしているようには見えないタイプなのである。そんな彼が、妊娠して戻ってきた妹に「ふしだら」であるとは言える立場ではない。
「いもうと」が「女」として戻ってきたことへの心理的屈折が「あに」の方にあるとすれば、親がいない家庭環境とか、親がいても兄・妹を強く結び付ける出来事とかがあったなどの、とりわけ、兄側の心理的な前提条件が本作で描かれていないと説得力がない。それ故、この兄の妹に対する過剰反応が不可解過ぎるのである。
とは言え、他の配役はよい。伊之助ともんの父親たる赤座(山本礼三郎)は、嘗ては川仕事の人夫頭で鳴らした男ではあったが、今は、コンクリートを使って護岸工事をやる会社に仕事を取られて、近くの飲み屋で嘗てを懐かしんでくだを巻くだけである。であるから、妊娠して戻ってきた娘に説教する意気もなくなっている。ここは、この現代を描いて、それが家族に与える影響を描いて秀逸である成瀬監督の得意技であろう。
この夫にかしずく妻・りき(浦辺粂子がいつものように好演)は、川沿いの茶店を切り回し、冬はおでんを、夏はかき氷を川沿いを歩く人々に提供し、物の仕入れには、嘗て自分の子供を育てた時に使った乳母車を使用するといった具合である。その、人生の荒波にも何か飄々とそれを受け流す、雑草のような生命力を秘めた、りきの生活力に、尊敬の念さえ起きる存在である。
もんとは対照的な、もんの妹のさん(久我美子)は、東京で看護学校に通っており、着実に生活設計を立てて、自分の目的に邁進するタイプの「やり手」である。このもんとさんの二人の姉妹の性格の対照も本作の面白いところである。
さて、本作の同名原作小説であるが、こちらの方は、室生犀星が1934年に書いて『文芸春秋』に発表したものである。ウィキペディアによると、主人公の赤座もんは、室生犀星の養母・赤井ハツをモデルにしていると言う。筆者には、養母ハツの姿が伊之助の妹もんに投影されていることに、意外感を持つ。投影の対象が、伊之助の母りきではないのである。
そこで、室生犀星の複雑な父母関係をここで照らし出してみようと思う。
室生は、1889年に金沢市で生まれた。金沢市内には犀川が流れており、その西側に住んでいたところから、また、国府犀東という漢詩人がおり、それへの対抗心もあってか、「犀西」に、これを更に書き換えて、「犀星」とメルヘンチックにしたと言う。犀星の生まれと生立ちは、ウィキペディアに上手くまとめられているので、それを以下に引用する:
「加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種と、その女中であるハルの間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗)住職だった室生真乗の内縁の妻、赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この時から室生照道を名乗ることになった。」
つまり、犀星は、女中の私生児として生まれ、すぐに里子に出され、養母・赤井ハツの私生児として育ち、更には七歳の時に、ハツの内縁の夫である寺の住職の養子に入ったという生立ちである。インターネットの「青空文庫」で適切な作品を見つけたので、その一部を更に引用する:
...母は小柄なきりっとした、色白なというより幾分蒼白い顔をしていた。私は貰われて行った家の母より、実の母がやはり厳しかったけれど、楽な気がして話されるのであった。
「お前おとなしくしておいでかね。そんな一日に二度も来ちゃいけませんよ。」
「だって来たけりゃ仕様がないじゃないの。」
「二日に一ぺん位におしよ。そうしないとあたしがお前を可愛がりすぎるように思われるし、お前のうちのお母さんにすまないじゃないかね。え。判って――。」
「そりゃ判っている。じゃ、一日に一ぺんずつ来ちゃ悪いの。」
「二日に一ぺんよ。」
私は母とあうごとに、こんな話をしていたが、実家と一町と離れていなかったせいもあるが、約束はいつも破られるのであった...
...母は小柄なきりっとした、色白なというより幾分蒼白い顔をしていた。私は貰われて行った家の母より、実の母がやはり厳しかったけれど、楽な気がして話されるのであった。
「お前おとなしくしておいでかね。そんな一日に二度も来ちゃいけませんよ。」
「だって来たけりゃ仕様がないじゃないの。」
「二日に一ぺん位におしよ。そうしないとあたしがお前を可愛がりすぎるように思われるし、お前のうちのお母さんにすまないじゃないかね。え。判って――。」
「そりゃ判っている。じゃ、一日に一ぺんずつ来ちゃ悪いの。」
「二日に一ぺんよ。」
私は母とあうごとに、こんな話をしていたが、実家と一町と離れていなかったせいもあるが、約束はいつも破られるのであった...
生母ハルは、相方が亡くなると、結局、小畠家から追い出され、その行方が分からなくなってしまう。故に、犀星は、母ハルには永遠の憧憬を持ち続けたようである。これに対して、養母の赤井ハツについては、同じ作品『幼年時代』(大正八年:1919年発表)で以下のように犀星は記している:
...私は養家へかえると、母がいつも、
「またおっかさんところへ行ったのか。」とたずねるごとに、私はそしらぬ振りをして、
「いえ。表で遊んでいました。」
母は、私の顔を見詰めていて、私の言ったことが嘘だと言うことを読み分けると、きびしい顔をした。私は私で、知れたということが直覚されると非常な反感的なむらむらした気が起った。そして「どこまでも行かなかったと言わなければならない。」という決心に、しらずしらず体躯が震うのであった。
「だってお前が実家(さと)へ行っていたって、お友達がみなそう言っていましたよ。それにお前は行かないなんて、うそを吐つくもんじゃありませんよ。」
「でも僕は裏町で遊んでいたんです。みんなと遊んでいたんです。」
私は強情を張った。「誰が言い附けたんだろう。」「もし言い附けたやつが分ったらひどい目に遭わしてやらなければならない。」と思って、あれかこれかと友達を心で物色していた。
「お前が行かないって言うならいいとしてね。お前もすこし考えてごらん。此家(ここんち)へ来たら此処(ここ)の家のものですよ。そんなにしげしげ実家へゆくと世間の人が変に思いますからね。」
こんどは優しく言った。優しく言われると、あんなに強情を言うんじゃなかったと、すまない気がした。
「え。もう行きません。」
「時時行くならいいけれどね。なるべくは、ちゃんとお家(うち)においでよ。」
「え。」
「これを持っておへやへいらっしゃい。」
母は私に一と包みの菓子をくれた。私はそれを持って自分と姉との室へ行った。
母は叱るときは非常にやかましい人であったが、可愛がるときも可愛がってくれていた。しかし私はなぜだか親しみにくいものが、母と私との言葉と言葉との間に、平常の行為の隅隅に挟まれているような気がするのであった...
つまり、犀星は、ここで、養母ハツに対して「しっくりこない」心のしこりがあったことを告白している。このことを本作に当てはめると、もんがこの心のしこりを起こさせる存在として、もんに養母ハツを投影したのではないか。そこには、あくまでも憧憬の対象としての生母ハルをもんの母りつに重ねていた心理的機微もあったのではないか。そうして、犀星自身はもんの兄の視点を取って、その自らの心のしこりを、もんの妊娠を契機として、もんの兄・伊之助の心のしこりとして発現させたのではないか。このように、伊之助のもんに対する「過剰反応」が解釈できるかもしれない。何れにしても、犀星の原作『あにいもうと』を筆者は一度読んでみたいと思う。
原作の雑誌上での発表は1934年で、単行本に所収されたのはその翌年である。36年には、木村荘十二監督下、『兄いもうと』という題名で原作の最初の映画化がなされる。故に、本作は、劇映画化の二回目(53年作)に当たり、監督は、溝口健二とは別の意味での「女性映画」監督である成瀬巳喜男である。尚、二回目の映画化の前年の52年には水谷八重子らが大阪歌舞伎で原作を上演している。
成瀬は、私見、1951年作の『めし』で、自らの監督としての特長の「方程式」、すなわち、女性を主人公にした現代劇を、原作は女性作家のものとし、その脚本を女性脚本家に書かせて撮るというやり方を確立している。本作では、この「方程式」からは若干外れて、男性の犀星が書いた原作を、女性脚本家水木洋子に脚本化させ、兄と妹とを主人公にしている。但し、もんとさんとの絡み、さんが体現する現代女性としての、より自立的な生活設計への志向を描いているところは、本作がさすがは「女性映画監督」成瀬の手によるものであることを肯けさせてくれる。
...私は養家へかえると、母がいつも、
「またおっかさんところへ行ったのか。」とたずねるごとに、私はそしらぬ振りをして、
「いえ。表で遊んでいました。」
母は、私の顔を見詰めていて、私の言ったことが嘘だと言うことを読み分けると、きびしい顔をした。私は私で、知れたということが直覚されると非常な反感的なむらむらした気が起った。そして「どこまでも行かなかったと言わなければならない。」という決心に、しらずしらず体躯が震うのであった。
「だってお前が実家(さと)へ行っていたって、お友達がみなそう言っていましたよ。それにお前は行かないなんて、うそを吐つくもんじゃありませんよ。」
「でも僕は裏町で遊んでいたんです。みんなと遊んでいたんです。」
私は強情を張った。「誰が言い附けたんだろう。」「もし言い附けたやつが分ったらひどい目に遭わしてやらなければならない。」と思って、あれかこれかと友達を心で物色していた。
「お前が行かないって言うならいいとしてね。お前もすこし考えてごらん。此家(ここんち)へ来たら此処(ここ)の家のものですよ。そんなにしげしげ実家へゆくと世間の人が変に思いますからね。」
こんどは優しく言った。優しく言われると、あんなに強情を言うんじゃなかったと、すまない気がした。
「え。もう行きません。」
「時時行くならいいけれどね。なるべくは、ちゃんとお家(うち)においでよ。」
「え。」
「これを持っておへやへいらっしゃい。」
母は私に一と包みの菓子をくれた。私はそれを持って自分と姉との室へ行った。
母は叱るときは非常にやかましい人であったが、可愛がるときも可愛がってくれていた。しかし私はなぜだか親しみにくいものが、母と私との言葉と言葉との間に、平常の行為の隅隅に挟まれているような気がするのであった...
つまり、犀星は、ここで、養母ハツに対して「しっくりこない」心のしこりがあったことを告白している。このことを本作に当てはめると、もんがこの心のしこりを起こさせる存在として、もんに養母ハツを投影したのではないか。そこには、あくまでも憧憬の対象としての生母ハルをもんの母りつに重ねていた心理的機微もあったのではないか。そうして、犀星自身はもんの兄の視点を取って、その自らの心のしこりを、もんの妊娠を契機として、もんの兄・伊之助の心のしこりとして発現させたのではないか。このように、伊之助のもんに対する「過剰反応」が解釈できるかもしれない。何れにしても、犀星の原作『あにいもうと』を筆者は一度読んでみたいと思う。
原作の雑誌上での発表は1934年で、単行本に所収されたのはその翌年である。36年には、木村荘十二監督下、『兄いもうと』という題名で原作の最初の映画化がなされる。故に、本作は、劇映画化の二回目(53年作)に当たり、監督は、溝口健二とは別の意味での「女性映画」監督である成瀬巳喜男である。尚、二回目の映画化の前年の52年には水谷八重子らが大阪歌舞伎で原作を上演している。
成瀬は、私見、1951年作の『めし』で、自らの監督としての特長の「方程式」、すなわち、女性を主人公にした現代劇を、原作は女性作家のものとし、その脚本を女性脚本家に書かせて撮るというやり方を確立している。本作では、この「方程式」からは若干外れて、男性の犀星が書いた原作を、女性脚本家水木洋子に脚本化させ、兄と妹とを主人公にしている。但し、もんとさんとの絡み、さんが体現する現代女性としての、より自立的な生活設計への志向を描いているところは、本作がさすがは「女性映画監督」成瀬の手によるものであることを肯けさせてくれる。
2025年5月13日火曜日
めぐりあう時間たち(USA、2002年作)監督:スティーヴン・ダルドリー
自分の誕生日にあんなバースデー・ケーキを作ってもらってうれしいと思うであろうか:恐らくはチョコレートがたっぷり入った黒に近い焦げ茶色のケーキ、それに、飾りとして円形のケーキの縁取りにホイップ・クリームが載せられてあるのであるが、その色が濃い青色なのである。筆者には合わない色彩感覚である。
このケーキを幼い息子のリッチーと一緒に作ったのは、1951年のロスアンジェルスに住んでいる中流家庭の主婦Mrs. Brownであった。蜂蜜色のフィルターを掛けて撮られているこの1950年代初頭のUSA社会は、第二次世界大戦が終わって六年が経ち、物質的には恵まれているはずである。第二次世界大戦から復員して再び職に就いたMr. Brownは、恐らく高校時代に知り合ったMrs. Brownに、他の女の子とは異なった雰囲気の彼女に惹かれていて、復員してすぐに求婚したのであろう。息子のリッチーは五歳位の年齢である。そして、Mrs. Brownは、二人目の子供を妊娠中である。つわりが強いのか、やさしい夫Danが仕事で出掛けようとしている時も寝室にいる。どういう訳か手にしている本は、イギリスの女流作家Verginia Woolfの作品『Mrs. Dalloway』で、Mrs. Brownは、この小説の一行目を読み始めた: "Mrs. Dalloway said she would buy the flowers herself."
こうして、1951年のロスアンジェルスと、1923年の、ロンドン市街から南東に15km程離れた嘗ての宮殿都市リッチモンドとに時間的架け橋が掛けられたのである。1923年のある朝、Verginia Woolfは、目が覚めて思い付いた上述の第一文をペンで書き留めた。こうして書き始められたV. Woolfの新作は1925年に、彼女自身とユダヤ人の夫Leonardが1917年以来経営している出版社「Hogarth Press」から出されることになる。装丁の表紙絵(装画)は、V. Woolfより三歳年上の姉Vanessaが描いており、VerginiaとVanessaが如何に緊密な関係にあったかが想像される。作家Clive Bell(クライヴ・ベル)と結婚したところからBellと名乗るVanessaは、Cliveとの間に、本作にも登場する長男と次男を儲けるが、本作にも登場する娘Angelicaは、Cliveが同性愛関係にあった画家Duncan Grantとの間の子供である。(この点、興味のある方は、「Bloomsberries」と呼ばれた知識人グループのことを調べてみるとよいであろう。)
小説『Mrs. Dalloway』は、James Joyceジェームズ・ジョイスが『ユリシーズ』(1922年発表)で使った手法、即ち、「意識の流れ」を基底においた叙述法を早速用いた実験小説であり、主人公の51歳のMrs. Dalloway夫人がその日の晩に催す社交会を準備するためにウエストミンスター界隈の花屋に出掛ける、1923年6月のある水曜日の朝からの一日を描くものである。ウエストミンスターにはBig Benがあり、ここから定刻に鐘の音が刻まれていく。(このBig Benが刻む時の鐘の音から、本作の題名「The Hours」が出てくるのであり、V. Woolfも自分の作品をそのように名付けようと思っていた。)
こうして、Mrs. Dallowayが外界から受ける印象が更に彼女の連想や思い出を呼び起こす。それがまた他の登場人物の意識の流れとも混ざりあっていく。こうして、Mrs. Dallowayの一日が描かれるのである。彼女は、信頼がおけ、社会的にも成功はしているが、知的にはつまらない夫Richardと結婚しており、この日の夜会には、自分に嘗てプロポーズしたことのある、そして、今インドから一時帰国しているPeterも来ることになっていた。(Peterは、映画中のLouisのように、予定の時間より早く夜会に現れる。)そして、嘗て一度熱い接吻を交わしたことがある女友達のSally(映画中に同名の役あり)も今晩来る予定である。
このMrs. Dallowayの日常の生活に対して、ほぼ並行して別のストーリーの筋が描かれる。第一次世界大戦からの復員兵Smithが、戦争で受けたトラウマを解消できずに、神経症を患っている筋である。1923年6月のある水曜日、とうとうこの神経症に耐えられなくなったSmithは、ある精神病院を訪れるのであるが、即同日、入院しなければならないとされ、それに絶望した彼は病院の窓から身を投げて自殺をする。
このSmithの運命をMrs. Dallowayの夜会に招かれた精神科医が夜会で話題にすることで、Mrs. Dallowayも知ることになり、こうして、それまで、並行して流れていた二本のストーリーの筋が繋がるという展開で、『Mrs. Dalloway』の物語りは終わるのである。
さて、Mrs. Dallowayの名前は、Clarissaというが、1951年から半世紀経った2001年のニュー・ヨークで出版社に勤めるClarissa Vaughan(クラリッサ・ヴォーン)は、Sallyという恋人と同棲をしている。テレビ局の仕事か何かで朝帰りしてきたSallyに起こされたClarissaは、自分で花屋に花を買いに行くと言う。と言うのは、この日、自分の嘗ての恋人で詩人のRichard(小説『Mrs. Dalloway』ではMrs. Dallowayの夫の名前)が名のある文学賞を取ったので、自分のアパートで授賞パーティーを催そうというのである。花を買ったついでにエイズにかかっているRichardのロフトに行く。この日の晩にパーティーがあることをRichardに告げて、彼に心の準備をさせるためである。文学者であるRichardには、Clarissaの名前と、夜会ということで、『Mrs. Dalloway』が思い出されたのであろう。早速、Richardは、Clarissaのことを「Mrs. Dalloway」と呼ぶのである。
こうして、1923年にV. Woolfが描くMrs. Dalloway、1951年のMrs. Brown、そして、2001年のClarissaが、時代と空間を越えて重層的に繋がり、本作のストーリーは展開していく。
この三層の時代を技巧豊かに組み合わせた、流れるように澱みもなく構築されたストーリー展開の妙は、アカデミー賞ものである。脚本は、イングランド出身の劇作家David Hare(ヘアー)による。彼は、映画『Wetherby(ウェザビ―)』(1985年作)という作品で監督も務め、この作品でベルリン国際映画祭銀熊賞を授賞している。本作では、米・英アカデミー脚本賞でノミネートはされたが、授賞しなかったものの、全米脚本家組合賞を授賞しており、このことは、如何にこの脚本がよいものであるかの証左であろう。
本作には原作があり、原作がV. Woolfの『Mrs. Dalloway』をどのように使って、ストーリーを構築しているのか、更に、脚本家のHareがその原作を映画にアダプトするためにどのように改変したのかは誠に興味あるところである。原作者Michael Cunningham マイケル・カニングムは、自作の題名を『The Hours』として、V. Woolfが『Mrs. Dalloway』に元々付けようとした題名を採る。そして、その時間層を1923年、1949年、1999年とする。原作の発表が、1998年であるから、ニュー・ヨークでの時間層を一年だけ先送りし、その半世紀前ということで、ロスアンジェルスの時間層が1949年となった訳である。1923年の時間層は移動のさせようがないのは当然である。映画脚本では、今度は本作の上映が2002年であるので、一年だけ早めて2001年とする。何れにしても、そうすることによりニュー・ヨークの時間層は、21世紀のものとなる。その50年前は1951年であり、21世紀において、それを20世紀の半ばの世相と較べてみると、如何に性的志向の問題で21世紀初頭のUSA社会が解放されているかが分かるであろう。(その約四半世紀後の2025年のUSAの状況を鑑みると、USAの現況が政治も含めて如何に後退したものであるかが肯ける。)
1923年のMrs. Dallowayは、上層階層の婦人であり、少なくとも家事からは自由な存在である。これは、Mrs. Dallowayを描く作者V. Woolfの存在形態とも同様のものである。彼女達は、一般庶民と比較すれば、「恵まれた」存在である。それに対して、1949年乃至は1951年のMrs. Brownは、中流家庭の存在で、主婦として完全に夫に経済的に依存している。とすれば、主婦としてだけの存在に空虚感を感ずる女性にとっての「閉塞感」は、如何ばかりであったか。筆者としては、V. Woolfを演じたニコール・キッドマンよりも、Mrs. Brownを演じたジュリアン・ムーアにアカデミー賞主演女優賞を授与したいところである。そして、Mrs. Brownの隣人として急に彼女を訪れ、自分の子宮腫瘍の悩みを打ち明けるKittyの存在も興味深い。子供を産めなくなることで、自己の妻たる存在意義を否定されるかもしれないと慄くKittyに感情を動かされたMrs. Brownは、自然の成り行きで思わずKittyの唇に自分の唇をやさしく重ねたのであった。しかし、Kittyは、自分の問題にのみ関心が振り向けられているから、Mrs. Brownの口付けが何の意味を持つのか理解できずに、その場を去ってしまう。この何気ない役であるKittyを演じたToni Colletteには注目すべきであろう。尚、「Mrs. Brown」という名前は、V. Woolfが1924年にある文学評論で使った名前であり、彼女によれば、「Mrs. Brown」とは、普通の庶民の女性一般を代表させた名前であると言う。
最後に、本作の音楽を担当したPhilip Glassである。ユダヤ系アメリカ人の作曲家である彼は、クラシック音楽のみならず映画音楽にも関わっており、本作における、ある程度水量の嵩んだ渓流の流れのような、連続的に動的な背景音楽を作曲している。彼の音楽が、特徴的で印象的であるところから調べてみると、Paul Schraderが監督した『ミシマ:4章からなる伝記』(1984年作)の音楽を担当していた人物である。同じ日本人として興味ある情報であると思う。
2025年5月7日水曜日
源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶(日本、1962年作)監督:伊藤 大輔
物語りの終盤に入り、刺青者・初音の鼓は追手に追われていることに気付く。そこで、股旅者の姿から着替えて、今度は白色の着流しに身を包んだ侍姿は、逆に追手を待ち、自分の前に宿敵の追手が現れたところで、決め台詞を吐く:
「故なくして虐げられる者、正しき者、弱き者が、救いを求めて我が名を呼べば、白い揚羽の蝶が羽ばたく。(ここで、懐に入れてあった両手を袖からさっと出し、左手を小刀の柄に、右手を大刀の柄に、両手を交差させて掛け、両刀を一気に抜く。そうして、万歳をするようにして両刀を上段に構えて、つまり、アゲハ蝶が二枚の羽根を上に揚げ揃えたようにして、更に台詞を続ける。)冥途の土産に覚えておけ!姓は源氏、名は、九郎!」
他者を思う正義のヒーローの存在が未だ信じられていた幸福な時代の作品である。
原作は、柴田錬三郎が書いた同名の作品である。柴田と言えば、「眠狂四郎」であり、「眠狂四郎」と言えば、「円月殺法」である。大刀で円弧を描き、その間に相手を催眠に掛けて敵役を倒す剣法が「円月殺法」であれば、源義経の末裔・九郎の剣法は、「揚羽の蝶」の二刀流で、上段・中段に構えた大刀・脇差を左右から次々と振り出して、相手を追いつめる「秘剣」である。
本作の制作の前には、既に1957年、58年に二本撮られており、その時代設定は、1840年代末、1854年開国直後となっている。これに対して、同東映時代劇シリーズ『源氏九郎颯爽記』の第三作目は、時代設定が天保年間後期の1840年頃である。となると、両人とも架空の人物ではあるのであるが、「源氏九郎」も「眠狂四郎」と同じ時期に活躍した二枚目剣士ということになる。
眠狂四郎がニヒルな美男剣士であるのに対して、源氏九郎は、任侠を知る熱血漢剣士で、その同じ任侠道を知る「遠山の金さん」とは、本作では、意気が通じる「仲」と言えよう。水野忠邦が推し進めた「天保の改革」は、1841年から43年までのことで、眠狂四郎は、その水野と間接的に関りがあり、その施策に影で協力する。現実の遠山金四郎景元(かげもと)も1840年に北町奉行所奉行に任ぜられており(43年までで、45年から52年までは南町奉行所奉行)、その翌年の41年からは「天保の改革」の施策の、江戸での実行者として協力させられることになる。
ただ、本作に登場する、「淫乱の将軍」とは、第11代将軍家斉であるはずであるが、この将軍は、1841年に死んでおり、この将軍の死により、天保の改革も可能になったのであった。家斉の治世は50年にも及び、この間、少なくとも16人の妻妾を持ち、歴代徳川将軍中最多の53人の子女を儲けたと言う。但し、歴史上の最後の子が生まれたのは、1827年のことである。
家斉が将軍の座にあった時期は、「化政文化」と言われた江戸文化の二度目の興隆期であったが、それは、寛政の改革を第八代将軍吉宗の曾孫として若い時に経験した家斉がそれで政治嫌いになったことにその一つの遠因であったとも言われる。この政治嫌いの家斉は、「俗物将軍」と渾名されたが、それは、幕政は幕閣に任せ、自分は大奥に入り込んでばかりいたからであると言われる。とすれば、歴代将軍中最多の子女を儲けたというのも頷ける。
同時に、この家斉の「放任主義」は、幕政の規律が効かなくなることも意味し、とりわけ、本来老中の管轄下にあった御側側用人(おそばそばようにん:上級旗本が就ける側衆の中の筆頭)に権勢を与えることになり、その中でも「御側御用取次」に親任された数名が陰然たる政治力を発揮したと言う。そういう「御側御用取次」の一人に家斉の贔屓でなったのが、水野忠篤(ただあつ)で、彼は、林忠英(ただふさ)、美濃部茂育(もちなる)とともに「天保の三侫人(ねいじん:口先が上手く、媚びへつらう人)」の一人と呼ばれたと言う。この三人は、天保の改革により、処断される。本作に登場する高見沢内匠頭(たくみのかみ:内匠寮の長官で、今で言えば、土木建築局の局長)もこの類の「侫人」である。
本作の監督は、「時代劇の父」と言われた伊藤大輔で、その監督としての活躍は、無声映画時代の1924年から、白黒のトーキー映画時代を経て、カラー映画の時代の1970年までの長きに亘る。さすがに年季の入った監督であるから、スター/スタジオ・システムながら、映画産業の斜陽の翳りが見えてきた1960年代に入っても自分の脚本で映画が撮れたのである。移動レールに載せたカメラによる撮影はもちろんのこと、映画の冒頭では、宿場町の通りをそぞろ歩いて長唄を聞かせる、悪玉のお仙の後ろを追うカメラが、そぞろ歩きに同じく視点が揺れ動く趣向を見せて中々粋である(撮影は、松井鴻)。そして、夜陰の中を動く御用提灯の集団的動きは、美的・詩的でさえある。
この夜陰の中を集団で動く御用提灯のモチーフは、実は、伊藤作品の初期から見られるもので、彼の長編劇映画作品として唯一と言っていい程に貴重な無声映画作品『御誂次郎吉格子』(1931年作)でも使われているのである。改めてこの作品の配役を調べてみると、本作に登場する「お仙(長谷川裕見子)」と「喜乃(北沢典子:聾唖者役)」の役名が、こちら作品でも見えるのである。大河内傅次郎が演ずるところの次郎吉に激しい恋慕を抱き、彼のために川に身投げするのが、「おせん」、それに対して、浪人の娘で清純な「お喜乃」に惹かれる次郎吉と、時代劇に人情・恋沙汰の恋愛映画の深みを入れ込んだこの作品の脚本を書いたのは、もちろん、伊藤であった。約30年後に撮った本作に同じ名前が登場することに、伊藤監督の何かの思いを感じる。
「故なくして虐げられる者、正しき者、弱き者が、救いを求めて我が名を呼べば、白い揚羽の蝶が羽ばたく。(ここで、懐に入れてあった両手を袖からさっと出し、左手を小刀の柄に、右手を大刀の柄に、両手を交差させて掛け、両刀を一気に抜く。そうして、万歳をするようにして両刀を上段に構えて、つまり、アゲハ蝶が二枚の羽根を上に揚げ揃えたようにして、更に台詞を続ける。)冥途の土産に覚えておけ!姓は源氏、名は、九郎!」
他者を思う正義のヒーローの存在が未だ信じられていた幸福な時代の作品である。
原作は、柴田錬三郎が書いた同名の作品である。柴田と言えば、「眠狂四郎」であり、「眠狂四郎」と言えば、「円月殺法」である。大刀で円弧を描き、その間に相手を催眠に掛けて敵役を倒す剣法が「円月殺法」であれば、源義経の末裔・九郎の剣法は、「揚羽の蝶」の二刀流で、上段・中段に構えた大刀・脇差を左右から次々と振り出して、相手を追いつめる「秘剣」である。
本作の制作の前には、既に1957年、58年に二本撮られており、その時代設定は、1840年代末、1854年開国直後となっている。これに対して、同東映時代劇シリーズ『源氏九郎颯爽記』の第三作目は、時代設定が天保年間後期の1840年頃である。となると、両人とも架空の人物ではあるのであるが、「源氏九郎」も「眠狂四郎」と同じ時期に活躍した二枚目剣士ということになる。
眠狂四郎がニヒルな美男剣士であるのに対して、源氏九郎は、任侠を知る熱血漢剣士で、その同じ任侠道を知る「遠山の金さん」とは、本作では、意気が通じる「仲」と言えよう。水野忠邦が推し進めた「天保の改革」は、1841年から43年までのことで、眠狂四郎は、その水野と間接的に関りがあり、その施策に影で協力する。現実の遠山金四郎景元(かげもと)も1840年に北町奉行所奉行に任ぜられており(43年までで、45年から52年までは南町奉行所奉行)、その翌年の41年からは「天保の改革」の施策の、江戸での実行者として協力させられることになる。
ただ、本作に登場する、「淫乱の将軍」とは、第11代将軍家斉であるはずであるが、この将軍は、1841年に死んでおり、この将軍の死により、天保の改革も可能になったのであった。家斉の治世は50年にも及び、この間、少なくとも16人の妻妾を持ち、歴代徳川将軍中最多の53人の子女を儲けたと言う。但し、歴史上の最後の子が生まれたのは、1827年のことである。
家斉が将軍の座にあった時期は、「化政文化」と言われた江戸文化の二度目の興隆期であったが、それは、寛政の改革を第八代将軍吉宗の曾孫として若い時に経験した家斉がそれで政治嫌いになったことにその一つの遠因であったとも言われる。この政治嫌いの家斉は、「俗物将軍」と渾名されたが、それは、幕政は幕閣に任せ、自分は大奥に入り込んでばかりいたからであると言われる。とすれば、歴代将軍中最多の子女を儲けたというのも頷ける。
同時に、この家斉の「放任主義」は、幕政の規律が効かなくなることも意味し、とりわけ、本来老中の管轄下にあった御側側用人(おそばそばようにん:上級旗本が就ける側衆の中の筆頭)に権勢を与えることになり、その中でも「御側御用取次」に親任された数名が陰然たる政治力を発揮したと言う。そういう「御側御用取次」の一人に家斉の贔屓でなったのが、水野忠篤(ただあつ)で、彼は、林忠英(ただふさ)、美濃部茂育(もちなる)とともに「天保の三侫人(ねいじん:口先が上手く、媚びへつらう人)」の一人と呼ばれたと言う。この三人は、天保の改革により、処断される。本作に登場する高見沢内匠頭(たくみのかみ:内匠寮の長官で、今で言えば、土木建築局の局長)もこの類の「侫人」である。
本作の監督は、「時代劇の父」と言われた伊藤大輔で、その監督としての活躍は、無声映画時代の1924年から、白黒のトーキー映画時代を経て、カラー映画の時代の1970年までの長きに亘る。さすがに年季の入った監督であるから、スター/スタジオ・システムながら、映画産業の斜陽の翳りが見えてきた1960年代に入っても自分の脚本で映画が撮れたのである。移動レールに載せたカメラによる撮影はもちろんのこと、映画の冒頭では、宿場町の通りをそぞろ歩いて長唄を聞かせる、悪玉のお仙の後ろを追うカメラが、そぞろ歩きに同じく視点が揺れ動く趣向を見せて中々粋である(撮影は、松井鴻)。そして、夜陰の中を動く御用提灯の集団的動きは、美的・詩的でさえある。
この夜陰の中を集団で動く御用提灯のモチーフは、実は、伊藤作品の初期から見られるもので、彼の長編劇映画作品として唯一と言っていい程に貴重な無声映画作品『御誂次郎吉格子』(1931年作)でも使われているのである。改めてこの作品の配役を調べてみると、本作に登場する「お仙(長谷川裕見子)」と「喜乃(北沢典子:聾唖者役)」の役名が、こちら作品でも見えるのである。大河内傅次郎が演ずるところの次郎吉に激しい恋慕を抱き、彼のために川に身投げするのが、「おせん」、それに対して、浪人の娘で清純な「お喜乃」に惹かれる次郎吉と、時代劇に人情・恋沙汰の恋愛映画の深みを入れ込んだこの作品の脚本を書いたのは、もちろん、伊藤であった。約30年後に撮った本作に同じ名前が登場することに、伊藤監督の何かの思いを感じる。
2025年4月30日水曜日
沈黙の艦隊(日本、1995/1998年作)監督:高橋 良輔
「SeaBatシーバット:海の蝙蝠」とは、日米が隠密裏に共同開発した原子力潜水艦のコードネームで、この日本初の原潜の完成後は、この原潜は、名目上はハワイを基地とするUSA第七艦隊所属の艦艇であった。この最新鋭の潜水艦(水中排水量:9000t;全長:120m;最大水中速力:55kt、最大潜行進度1250m;兵装:核武装可能なMk48魚雷及びハープーンUSM計50発)には、米軍のオブザーバーの将校一名が同乗したが、それ以外は、艦長も乗組員・総員76名も手練れの日本人潜水艦乗りである。処女航海が始まるとまもなく、海江田艦長は、世界に対して、自身を元首とし、潜水艦SeaBatを唯一の領域とする独立国家建国を宣言し、SeaBatを「やまと」と名付けた。こうして、「やまと」は、USA第七艦隊(漫画版では通常空母「ミッドウェー」旗艦、OVA版では、原子力空母「エンタープライズ」旗艦)を含め、USA原潜、ロシア原潜などとも戦い、やがて、戦局の天王山とも言える「北極海潜行海戦」が始まる。
この海戦で「やまと」に対抗するのは、「シーウルフ」級USA原潜である。ウィキペディアによると、漫画版では、「シーウルフ」級とされているが、作画時点では、性能諸元が公表されていなかったことから、原作者かわぐちかいじの想像が多分に入って描かれており、1995年から98年にかけてのアニメ・OVA版では、これが、実在の「シーウルフ」級ではなく、「やまと」と同型となる「シーバット」級同型艦とされた。因みに、現実の「シーウルフ」級原潜の性能を記しておくと、水中排水量:9150t、全長:107m、最大水中速力:35kt、潜行深度:610m、兵装:Mk48魚雷、ハープーンUSM、トマホーク、各種機雷計53発であると言う。
この「海の蝙蝠」対「海の狼」の戦いでは、「アップトリム90」という、現実にはありえない操艦が出てくるが、それでも、意外な作戦展開が見られ、「やまと」ソナー員対「シーウルフ」ソナー員の対決あり、碁盤上での格闘の如き、後手を予想して先手を打っておく魚雷戦のスリルもあり、さすが当時の先進的なメディアとしてのOVA版の「潜水艦もの」の面白さを実写作品以上に見せてくれる。
さて、かわぐちかいじの原作漫画の掲載時期は、1988年から1996年のことである。1989年には昭和が終わって、平成が始まり、この同じ年には、ベルリンの壁が「落ちて」、東西冷戦も理念上は終わる。しかし、日本は、1993年頃から約十年間続く、バブル崩壊後の「平成不況」に入る。正にこの時期に、この原作漫画が発表され、日米安保の軍事同盟を含めた日本の安全保障の問題の在り方が問われたと言える。「国連の依頼を受けての」という制約が付くものの、本来国内での防衛任務だけに携わるはずの自衛隊が海外派兵させられる事態がまもなく到来する。
この時代的背景を頭に入れながら、この原作によるOVAのアニメを改めて観ると、この中で唱えられた考えは部分的には革新的なものもあり、面白い。「世界政府」の発想は、既にSF作品でよく言われていることであり、この点では目新しくはない。また、国連軍の創設は、原作で唱えられた「政軍分離」の考えと通じるものであり、以前からあるものである。しかし、現実の軍事戦略においても核武装された原子力潜水艦の軍事的な意味が高まっていたこの時期に、「政軍分離」の世界的体制の構築と、それを保障するものとしての、SSSS (Silent Security Service from the Sea) 、また、これを経済的に補完するものとしての、「やまと保険」のアイディアは独創的であるとさえ言える。
「やまと保険」とは、何か、ウィキペディアからその一部を引用すると以下のようなものである:
「英国大手保険会社『ライズ』を介して日本政府が[原子力潜水艦]やまとに保険をかけ、理念に同意した各国政府を保険の引受人、国連を受取人とする。これにより軍産複合体のように戦争が利益を生む構造ではなく、平和が利益を生む構造へシフトさせ、結果的に軍事バランスとも条約とも無関係に平和関係が成立する、新しい安全保障体制である。国連の沈黙の艦隊実行委員長となった、[民自党のハト派派閥である鏡水会の幹事である]大滝曰く『平和を金で買う』保険であり、彼は世界市民一人一人に1ドルからの株主を募り、配当として世界の核兵器廃絶と軍備永久放棄を目指す株式会社を設立することを提唱した。」
国連が核武装をした原子力潜水艦部隊を就役させ、「やまと保険」で世界市民一人一人を参与させてその経済的担保とするというのは、喩えそれがマンガチックであっても、アイディアとしてはオリジナルティーがあり、これは、日米間の二国間軍事同盟という枠組みと、核兵器に絡む、現在の日本の状況、即ち、核拡散防止条約には批准していながら、唯一の核被爆国としては核兵器禁止条約には参加していない矛盾した政治状況を越える政治的選択肢になり得る。何れにしても、この原作漫画は、『攻殻機動隊』と並んで、読者の政治的好奇心を十二分に満足されてくれる作品であろう。
この海戦で「やまと」に対抗するのは、「シーウルフ」級USA原潜である。ウィキペディアによると、漫画版では、「シーウルフ」級とされているが、作画時点では、性能諸元が公表されていなかったことから、原作者かわぐちかいじの想像が多分に入って描かれており、1995年から98年にかけてのアニメ・OVA版では、これが、実在の「シーウルフ」級ではなく、「やまと」と同型となる「シーバット」級同型艦とされた。因みに、現実の「シーウルフ」級原潜の性能を記しておくと、水中排水量:9150t、全長:107m、最大水中速力:35kt、潜行深度:610m、兵装:Mk48魚雷、ハープーンUSM、トマホーク、各種機雷計53発であると言う。
この「海の蝙蝠」対「海の狼」の戦いでは、「アップトリム90」という、現実にはありえない操艦が出てくるが、それでも、意外な作戦展開が見られ、「やまと」ソナー員対「シーウルフ」ソナー員の対決あり、碁盤上での格闘の如き、後手を予想して先手を打っておく魚雷戦のスリルもあり、さすが当時の先進的なメディアとしてのOVA版の「潜水艦もの」の面白さを実写作品以上に見せてくれる。
さて、かわぐちかいじの原作漫画の掲載時期は、1988年から1996年のことである。1989年には昭和が終わって、平成が始まり、この同じ年には、ベルリンの壁が「落ちて」、東西冷戦も理念上は終わる。しかし、日本は、1993年頃から約十年間続く、バブル崩壊後の「平成不況」に入る。正にこの時期に、この原作漫画が発表され、日米安保の軍事同盟を含めた日本の安全保障の問題の在り方が問われたと言える。「国連の依頼を受けての」という制約が付くものの、本来国内での防衛任務だけに携わるはずの自衛隊が海外派兵させられる事態がまもなく到来する。
この時代的背景を頭に入れながら、この原作によるOVAのアニメを改めて観ると、この中で唱えられた考えは部分的には革新的なものもあり、面白い。「世界政府」の発想は、既にSF作品でよく言われていることであり、この点では目新しくはない。また、国連軍の創設は、原作で唱えられた「政軍分離」の考えと通じるものであり、以前からあるものである。しかし、現実の軍事戦略においても核武装された原子力潜水艦の軍事的な意味が高まっていたこの時期に、「政軍分離」の世界的体制の構築と、それを保障するものとしての、SSSS (Silent Security Service from the Sea) 、また、これを経済的に補完するものとしての、「やまと保険」のアイディアは独創的であるとさえ言える。
「やまと保険」とは、何か、ウィキペディアからその一部を引用すると以下のようなものである:
「英国大手保険会社『ライズ』を介して日本政府が[原子力潜水艦]やまとに保険をかけ、理念に同意した各国政府を保険の引受人、国連を受取人とする。これにより軍産複合体のように戦争が利益を生む構造ではなく、平和が利益を生む構造へシフトさせ、結果的に軍事バランスとも条約とも無関係に平和関係が成立する、新しい安全保障体制である。国連の沈黙の艦隊実行委員長となった、[民自党のハト派派閥である鏡水会の幹事である]大滝曰く『平和を金で買う』保険であり、彼は世界市民一人一人に1ドルからの株主を募り、配当として世界の核兵器廃絶と軍備永久放棄を目指す株式会社を設立することを提唱した。」
国連が核武装をした原子力潜水艦部隊を就役させ、「やまと保険」で世界市民一人一人を参与させてその経済的担保とするというのは、喩えそれがマンガチックであっても、アイディアとしてはオリジナルティーがあり、これは、日米間の二国間軍事同盟という枠組みと、核兵器に絡む、現在の日本の状況、即ち、核拡散防止条約には批准していながら、唯一の核被爆国としては核兵器禁止条約には参加していない矛盾した政治状況を越える政治的選択肢になり得る。何れにしても、この原作漫画は、『攻殻機動隊』と並んで、読者の政治的好奇心を十二分に満足されてくれる作品であろう。
登録:
投稿 (Atom)
若草物語(日本、1964年作)監督:森永 健次郎
映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何...
-
主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されているこ...
-
中編アニメ『言の葉の庭』(2013年作)で大人のアニメへの展開を予想させた新海アニメ・ワールドは、次の、長編アニメ『君の名は。』(2016年作)以降、『天気の子』(2019年作)を経て、本作(2022年作)へと三年毎に作品が発表され、『言の葉の庭』とは別の歩を辿る。『君の名は。...
-
本作、画面の構図と色彩感覚がいい。画面の構図は、監督・是枝裕和の才能であろう。色彩感覚は、むしろ撮影監督・中堀正夫の持ち味であろうか。 原作は、神戸出身の作家・宮本輝の1978年発表の同名小説である。筆者は原作を読んでいないので、本作のストーリー(脚本:荻田芳久)が原作のそれ...