2025年5月7日水曜日

源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶(日本、1962年作)監督:伊藤 大輔

 物語りの終盤に入り、刺青者・初音の鼓は追手に追われていることに気付く。そこで、股旅者の姿から着替えて、今度は白色の着流しに身を包んだ侍姿は、逆に追手を待ち、自分の前に宿敵の追手が現れたところで、決め台詞を吐く:


 「故なくして虐げられる者、正しき者、弱き者が、救いを求めて我が名を呼べば、白い揚羽の蝶が羽ばたく。(ここで、懐に入れてあった両手を袖からさっと出し、左手を小刀の柄に、右手を大刀の柄に、両手を交差させて掛け、両刀を一気に抜く。そうして、万歳をするようにして両刀を上段に構えて、つまり、アゲハ蝶が二枚の羽根を上に揚げ揃えたようにして、更に台詞を続ける。)冥途の土産に覚えておけ!姓は源氏、名は、九郎!」

 他者を思う正義のヒーローの存在が未だ信じられていた幸福な時代の作品である。

 原作は、柴田錬三郎が書いた同名の作品である。柴田と言えば、「眠狂四郎」であり、「眠狂四郎」と言えば、「円月殺法」である。大刀で円弧を描き、その間に相手を催眠に掛けて敵役を倒す剣法が「円月殺法」であれば、源義経の末裔・九郎の剣法は、「揚羽の蝶」の二刀流で、上段・中段に構えた大刀・脇差を左右から次々と振り出して、相手を追いつめる「秘剣」である。

 本作の制作の前には、既に1957年、58年に二本撮られており、その時代設定は、1840年代末、1854年開国直後となっている。これに対して、同東映時代劇シリーズ『源氏九郎颯爽記』の第三作目は、時代設定が天保年間後期の1840年頃である。となると、両人とも架空の人物ではあるのであるが、「源氏九郎」も「眠狂四郎」と同じ時期に活躍した二枚目剣士ということになる。

 眠狂四郎がニヒルな美男剣士であるのに対して、源氏九郎は、任侠を知る熱血漢剣士で、その同じ任侠道を知る「遠山の金さん」とは、本作では、意気が通じる「仲」と言えよう。水野忠邦が推し進めた「天保の改革」は、1841年から43年までのことで、眠狂四郎は、その水野と間接的に関りがあり、その施策に影で協力する。現実の遠山金四郎景元(かげもと)も1840年に北町奉行所奉行に任ぜられており(43年までで、45年から52年までは南町奉行所奉行)、その翌年の41年からは「天保の改革」の施策の、江戸での実行者として協力させられることになる。

 ただ、本作に登場する、「淫乱の将軍」とは、第11代将軍家斉であるはずであるが、この将軍は、1841年に死んでおり、この将軍の死により、天保の改革も可能になったのであった。家斉の治世は50年にも及び、この間、少なくとも16人の妻妾を持ち、歴代徳川将軍中最多の53人の子女を儲けたと言う。但し、歴史上の最後の子が生まれたのは、1827年のことである。

 家斉が将軍の座にあった時期は、「化政文化」と言われた江戸文化の二度目の興隆期であったが、それは、寛政の改革を第八代将軍吉宗の曾孫として若い時に経験した家斉がそれで政治嫌いになったことにその一つの遠因であったとも言われる。この政治嫌いの家斉は、「俗物将軍」と渾名されたが、それは、幕政は幕閣に任せ、自分は大奥に入り込んでばかりいたからであると言われる。とすれば、歴代将軍中最多の子女を儲けたというのも頷ける。

 同時に、この家斉の「放任主義」は、幕政の規律が効かなくなることも意味し、とりわけ、本来老中の管轄下にあった御側側用人(おそばそばようにん:上級旗本が就ける側衆の中の筆頭)に権勢を与えることになり、その中でも「御側御用取次」に親任された数名が陰然たる政治力を発揮したと言う。そういう「御側御用取次」の一人に家斉の贔屓でなったのが、水野忠篤(ただあつ)で、彼は、林忠英(ただふさ)、美濃部茂育(もちなる)とともに「天保の三侫人(ねいじん:口先が上手く、媚びへつらう人)」の一人と呼ばれたと言う。この三人は、天保の改革により、処断される。本作に登場する高見沢内匠頭(たくみのかみ:内匠寮の長官で、今で言えば、土木建築局の局長)もこの類の「侫人」である。

 本作の監督は、「時代劇の父」と言われた伊藤大輔で、その監督としての活躍は、無声映画時代の1924年から、白黒のトーキー映画時代を経て、カラー映画の時代の1970年までの長きに亘る。さすがに年季の入った監督であるから、スター/スタジオ・システムながら、映画産業の斜陽の翳りが見えてきた1960年代に入っても自分の脚本で映画が撮れたのである。移動レールに載せたカメラによる撮影はもちろんのこと、映画の冒頭では、宿場町の通りをそぞろ歩いて長唄を聞かせる、悪玉のお仙の後ろを追うカメラが、そぞろ歩きに同じく視点が揺れ動く趣向を見せて中々粋である(撮影は、松井鴻)。そして、夜陰の中を動く御用提灯の集団的動きは、美的・詩的でさえある。

 この夜陰の中を集団で動く御用提灯のモチーフは、実は、伊藤作品の初期から見られるもので、彼の長編劇映画作品として唯一と言っていい程に貴重な無声映画作品『御誂次郎吉格子』(1931年作)でも使われているのである。改めてこの作品の配役を調べてみると、本作に登場する「お仙(長谷川裕見子)」と「喜乃(北沢典子:聾唖者役)」の役名が、こちら作品でも見えるのである。大河内傅次郎が演ずるところの次郎吉に激しい恋慕を抱き、彼のために川に身投げするのが、「おせん」、それに対して、浪人の娘で清純な「お喜乃」に惹かれる次郎吉と、時代劇に人情・恋沙汰の恋愛映画の深みを入れ込んだこの作品の脚本を書いたのは、もちろん、伊藤であった。約30年後に撮った本作に同じ名前が登場することに、伊藤監督の何かの思いを感じる。

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