日本映画史上最上の喜劇、古典落語がまた聞きたくなる
道の真ん中に置いたキャメラ目掛けて二頭の馬が走ってくる。その後ろを侍数人が追い駆けてくる。中に入れたショットで、所は品川宿と分かるが、時代は題名から幕末と分かっている。こうして、ハナの噺でイントロが入ると、『幕末太陽傳』と題字が出る。しかし、驚いたことにその背景は現代、即ち1956/7年当時である。中々粋な出だしである。
スタッフ・ロールに重ねて、時事ニュース的な名調子の解説が入る。すると、キャメラは、品川駅を出る電車に合わせて右から左に振られ、止まったところが陸橋、それを受けて、今度は京浜国道を走る、中々いかす車に合わせてキャメラは、今度は左から右に頭を振り、止まって、品川の街の一角を捉える。その止まったところから、キャメラはさらに品川の街に入り込み、「実用旅館・さがみホテル」の前で立ち止まる。
このキャメラの動きは、品川宿の歴史的発展をしっかり踏まえたものである。この映画の冒頭を飾るナレーター、俳優の加藤武が言う:「東海道線の下り電車が品川駅を出るとすぐ、八ツ山の陸橋の下を通過する...京浜国道にやや並行して横たわる狭苦しい街。これが東海道五十三次、第一番目の親宿、品川宿の今の姿だ...」と。
ナレーター氏は、1956年成立の売春防止法によって所謂「特殊飲食店」が非合法化されることにより、品川遊郭も350年を誇るその歴史を1958年には閉じることを告げる。(この辺の事情は、川島監督自身の1956年の作品『洲崎パラダイス赤信号』や溝口健二の同年の作品『赤線地帯』が参考になる。)
江戸時代には、日本橋から二里の距離にある品川宿では「旅籠」屋は宿泊施設というよりも、遊興施設として存在しており、旅籠屋の大方は、役人や大名が泊まる「本陣」や食料持参でただ泊まるだけの「木賃宿」と異なり、食売女(めしうりおんな、飯盛女とも)を置いている「食売旅籠」と言われた。この「食売女」が女郎・遊女の役目を果たしたのである。こうして、「北国」(ほっこく)と呼ばれた北の吉原と並び、「南国」または「南蛮」と呼ばれた遊里となったのが、品川遊郭であると言う。
ナレーターの話が終わるとともに、「さがみホテル」のネオンがフェード・アウトし、妓楼「相模屋」の行灯が浮かび上がってくる。こうして、ストーリー世界は再び文久二年(1862年)に戻る。この絶妙に滑らかな映画的語り口を以って、本作のストーリーがさらに展開していくのである。
ストーリー自体は、幾つかの落語を土台にしてあるそうであるが、まずは元々は北国吉原の噺『居残り佐平治』を軸に、それに何本かの噺を付け足し、このフィクションの世界に、歴史的事実としての、文久二年に起こった、長州藩士高杉晋作らが企て・実行した「英国公使館焼き討ち事件」を盛り込んでいる。実際に、この事件は品川で起こった事件であり、高杉たちは、この「相模屋」に逗留していたとのことである。監督川島も参加し、今井昌平及び田中啓一が練りに練った脚本である。
中でも、小沢昭一と名女優左幸子が繰り広げる心中物のパロディーは滑稽味の極上品、それにフランキー堺が演じる左平治の、江戸っ子振りも中々スパッとして気持ちがいい。しかし、これだけでは底の浅い喜劇だが、そこは川島監督、左平治を労咳病みで、あのヘボン式ローマ字のヘボン先生から自己治療の方法を授けられているとする。左平治が時々見せる、その性格の陰影は、この良質の喜劇に、さらに重厚感を与えている。いつもは機転の利く「都会人」左平治が、映画終盤で杢兵衛大尽が体現するところの田舎者の実直さには最後には歯が立たなくなって逃げ出すというのも、中々のオチである。
最後に、題名が何故「太陽傳」なのかであるが、それは、日活が本作の前年に製作した『太陽の季節』(古川卓巳監督)や『狂った果実』(中平康監督)が大ヒットし、時代の風俗としての、既成の道徳観念を何とも思わない「太陽族」が出現していたことに関係がある。本作の主演の一人南田洋子は、『太陽の季節』のヒロインであり、高杉を演じている石原裕次郎も同じ映画『太陽の季節』を切っ掛けに映画界入りするのである。蓋し、高杉ら勤皇の志士を幕末の「太陽族」と見なしたのは、川島監督らの、ストーリー上の、極めて極上の「冴え」であろう。
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