2023年12月31日日曜日

デイブレーカー(オーストラリア/USA、2009年作)監督:スピエリッグ兄弟

 グローバル・プレイヤーとしての製薬・生命維持産業がその社会を支配しているというプロットは、SF映画でよく聞く話しで何も目新しくない。ただ、それが、社会の多数派を占める吸血鬼人間に、人血を供給するという点は、中々面白い。

 とは言え、その人血の製造が、人間の生命を維持する形で、しかし、採血は人体に直接採血用の管を繋げることでなされるというのは、どこかで見たような光景である。そう、『マトリックス I』(1999年作)での場面で、キアヌ・リーヴス演ずるところのミスター・アンダーソン達が、AIに電気エネルギーを供給するために、「飼育」されていたのと、これは似ている。

 そして、イーサン・ホーク演じる主人公の人工血液製造プランの研究者が、自分はヴァンパイアであるにも関わらず、人血を飲むことを拒む点も、やはり、どこかで見たことがある。そう、『トワイライト〜初恋〜』(2008年作)のエドワードである。彼は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに克己の徳を自らに課している点で「ヴェジタリアン」ヴァンパイアなのであり、この自己克己の態度は、イーザン・ホーク演じる、奇しくもエドワードと同名の研究員の自制の態度と同様なのである。

 という訳で、どうもそのオリジナリティーが問われる本作ではあるが、一つ興味深いのは、本作のストーリーにおいて、階層社会が構成されていることである。即ち、人血製造・供給会社の上層部を形作る、サム・ニール(悪玉を演じてよい)を代表とする特権階層、その下に、一般吸血鬼人間、さらにその下に、吸血鬼の糧となる「人間」と階層構成されているのであるが、面白いことに、人血を吸わずに、或いは、吸えずに、退化してしまったヴァンパイア、つまり、蝙蝠状化したSubsiderという階層も存在していることである。こうして本作では、単に、「ヴァンパイア対人間」という構図ではなく、ヴァンパイア層内部でも階層分化させることで、ある種の社会的観点を、単なるSF・ヴァンパイア映画の中に取り込んでいるのである。

 そして、このことが、本作の終盤に向けてのストーリー展開に重要な役割を演ずることになる。つまり、自己犠牲を懸けてSubsider化した、サム・ニールの娘が、ある出来事で、エリート部隊の隊員となっているエドワードの弟を「改心」させるのである。

 監督で、脚本も書いているのが、1976年生まれの一卵性双生児マイケル・スピエリッグ(Spierig)とピーター・スピエリッグである。実は、この兄弟は、北ドイツ生まれで、本当の姓名は、ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒ(Spierig)という。

 こうして、本作で肩を慣らした、ミヒャエル&ペーター・シュピーリヒは、2014年作の、ロバート・A・ハインラインの短編小説『輪廻の蛇』を原作とする『プリデスティネーション』で、極めて手の込んだストーリー展開を見せる。この作品でも、主役はイーサン・ホークである。

 E.ホークは、名優W.デフォーを「エルヴィス」役で無駄遣いするという、B級映画の「並み」レベルの本作に嫌気がささずに、シュピーリヒ兄弟の次のオファーを受けたのであった。『プリデスティネーション』は、2015年のオーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞(Australian Academy of Cinema and Television Arts Awards, AACTA Awards)では、9部門でノミネートされ、その内、最優秀主演女優賞、撮影賞、編集賞、そして、美術賞をゲットしたのである。

2023年12月28日木曜日

ゲームの規則(フランス、1939年作)監督:ジャン・ルノワール

 ジャン・ルノワール監督作品と言えば、1937年作の『大いなる幻影』であろう。この映画は、第一次世界大戦が持った社会的影響、すなわち、歴史上初めての総力戦が貴族階層の社会的な「没落」を決定的なものとしたことの、一部メランコリーを含ませた「確認」であった。筆者にとっては、この作品は、蓋し、J.ルノワール監督の最高傑作である。

 この『大いなる幻影』や、その二年後に発表された本作を含めて、1930年代の、J.ルノワール監督の作品は、いわゆる「詩的レアリスム」の美意識を担うものとして、戦後イタリアの「ネオ・レアリズモ」にも影響を与えたと言われるものであり、この時期にJ.ルノワール監督が映画史に果たした役割は、誇張できない程、大きいと言える。

 1940年代のJ.ルノワールは、しかし、アメリカ・ハリウッドに亡命したり、そこからさらに、インド、イタリア経由で50年代の始めに祖国のフランスに戻っていることなどもあり、私見、特筆すべき作品を残していない。

 恐らく、J.ルノワールが50年代に撮った最良の作品は、『草上の朝食』(1959年作)であろうが、自分の父、有名な印象派の画家ピェール=オギュスト・ルノワールの南フランスにあった別荘で撮影した、この田園喜劇作品で、J.ルノワールは、ギリシャ神話的な要素を含んで、アムール神に魅了された人間が描く「コメディー」を撮っている。しかも、『エレナと男たち』(1956年作、インリド・ベリマン主演)は、自称「恋愛喜劇」であると言う。

 ことほどさように、J.ルノワール監督は、「喜劇」がお好きなようなのであるが、さて、「世紀の名作の一本」と称揚される本作は、批評で言われるが如く、本当に「喜劇、コメディー」なのか。或いは、仮にそうであるとして、本作は、「コメディー」として成功しているであろうか。実は、タイトル・ロールの中で、本作のタイトルが出たところで、本作は、「Fantaisie dramatique」と規定されているのである。「ドラマティックなファンタジー」である。とすれば、これは、「コメディー」的要素はあるにしても、「コメディー」ではないことになる。

 ただ、タイトル・ロールに続けては、映画の冒頭に、18世紀フランス宮廷の寵児Beaumarchaisボーマルシェが書いた『フィガロの結婚』の第四幕、第十場からの引用が挙げられている。それを意訳すれば、捧げられた愛があるなら、貞節のためと言って、この愛を受けおかない手はないであろうという、いわば、「恋愛遊戯」の規則の一つがここで述べられているのである。

 そして、『フィガロの結婚』と言えば、喜劇オペラであり、上層階層と下層階層の恋愛遊戯が、それぞれ、ほぼ平行して演じられる構造は、本作においても取られている。侯爵夫人と飛行家、侯爵とその貴族の愛人、これに対する、侯爵夫人の侍女と召使いマルソーの関係である。

 さらに、この基本構造に、19世紀フランス・ロマン派の作家Alfred Louis Charles de Mussetアルフレッド=ルイ=シャルル・ドゥ=ミュセの戯曲『Les Caprices de Marianneマリアンヌの気紛れ』(1833年作)が、プロットを提供する。ある司法長官クローディオ何某は、若い妻マリアンヌがいつ浮気をするか気が気ではない。そこで、妻の密会現場を押えるために腕利きの剣客を雇っていた。そこへ、マリアンヌに想いを寄せるセリオなる若者が登場する。彼の友人で、しかも司法長官のいとこであるオクターヴが仲立ちの役を頼まれる。オクターヴに「唆され」、また、元々貞淑な自分を執拗に疑う夫に嫌気がさしていたマリアンヌは、セリオとの密会を承諾するが、逢引きの現場では例の剣客が待ち構えており、密会の場に現れたセリオには「災難」が降りかかるという次第である。

 マリアンヌが本作での侯爵夫人、セリオが飛行冒険家アンドレー、そして、オクターヴは、正に本作でJ.ルノワール監督自身が演じる同名の役柄である。

 こうして制作された本作がパリで初上映されたのは、1939年7月7日であった。第二次世界大戦勃発につながる、ナチス・ドイツのポーランド侵攻は、同年の9月1日であるから、それは、そのほぼ、二ヶ月前である。確かに、38年9月末のミュンヘン会談では、チェコスロヴァキアのズデーテン地方帰属問題で戦争の危機が高まったものの、英仏の対独宥和政策がその危機を回避させた。しかし、それは、戦争の勃発を延期させはしたものの、戦争の危険を除いた訳ではなかった。ヴェルサイユ体制からの「自由」を唱えるナチス・ドイツは、着々と、戦争の準備を重ねていたのであり、38年10月以降の表面上の平和は、軍靴の足音が益々高くなる中、その存続を脅かされた存在であった。そんな国際情勢の危うさを敢えて無視する形で、恋愛遊戯を楽しんでいる、上層・下層も含めた、フランス人の「無頓着さ」を、J.ルノワール監督は、本作の発表を以って、フランス人にその自画像を見せつけるために、「鏡」として掲げたかったと言う。

2023年12月11日月曜日

キャリー(USA、1976年作)監督:ブライアン・デ・パルマ

 アメリカ合衆国のフィルム・スクール出身で、いわゆる「ニュー・ハリウッド世代」の代表的な映画監督の一人に数えられるのが、1940年生まれのBrian De Palmaブライアン・デ・パルマ監督である。その出身からか、画面構成で、スプリット・スクリーン(分割画面)、長回し、スローモーション、目線アングルなどの手法を使用しており、「デ・パルマ・カット」と呼ばれる映像がこの監督では注目される。その映像効果の技術的確かさは、ソフト・フォーカスを多用した、また、A.ヒッチコックのスリリングの盛り上げ方に学んだ映像展開のリズムなど、本作でも見られるのであるが、その映像効果が表層に止まっており、作品としての「深み」を中々得ていないのは、なぜであろうか。

 さて、B.デ・パルマ監督自身が徴兵忌避者であることから、彼は、戦争・反戦映画を何本か手がけている。時も時、世界中でヴェトナム戦争反対運動が学生運動という形で展開した1968年、彼は、『Greetingsロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』で、ヴェトナム戦争に揺れるアメリカの若者の群像を描く。この作品は、翌年開催された第19回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得し、B.デ・パルマ監督は、世界的にも名を売り出す。この作品系統では、1989年作の、ヴェトナム戦争に絡む『カジュアリティーズ』や、2007年作の、イラク戦争に絡む『リダクテッド 真実の価値』が入る。『リダクテッド 真実の価値』で、B.デ・パルマ監督は、今度は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得する。

 ベルリンで銀熊賞を獲得した後は、一時スランプ気味であったB.デ・パルマ監督は、1970年代に入り、ジャンル変更を行なう。1972年作の『悪魔のシスター』、その二年後の『ファントム・オブ・パラダイス』が、カルト・ムービーとして認めら、これを受けてか、スティーヴン・キングの同名作品を原作とする「青春ホラー映画」たる本作を撮り、これが大ヒットになることになる。

 本作に出演したSissy Spacekシシー・スペイセクとPiper Laurieパイパー・ローリーはそれぞれアカデミー賞にノミネートされたが、セックスのセの字も知らいない、うぶな女子高生役をこなし、これ以降六回もアカデミー賞主演女優賞にノミネートされることになるS.スペイセクの名演技振りはここでは特筆する必要がないであろうが、本作において、自らの性欲を抑圧するために信仰を深め、そのオルガニズム的陶酔感に浸る中で自分の娘を殺そうとする、その母親役を印象的に演じた女優P.ローリーについて、ここでその経歴を述べておく。

 1932年にミシガン州デトロイトで生まれたP.ローリーは、ユダヤ系アメリカ人で、その両親は、父親がポーランド系、母親が、ロシア系のユダヤ人としてUSAに移住してきた経歴を持つ。家族と共にロスアンジェルスに引っ越すと、本作のCarrieと似て、とても内気であった彼女を、両親が発声のレッスンに通わせたことから、彼女は、演技も学ぶようになり、17歳でユニヴァーサル・スタジオから映画界にデビューすることなる。第二次世界大戦後の1949年のことである。

 しかし、男性スターの脇役として、無邪気な若い女性役ばかりをやらされることに嫌気がさして、彼女は、55年にニューヨークに出ることを決心し、そこのアクターズ・スタジオで演技を学び直す。こうして、テレビで上映される、シェークスピアなどの古典的演劇作品の役を得るようになるが、1961年に映画界に戻り、この年に発表された『ハスラー』(ロバート・ロッセン監督、ポール・ニューマン主演)で、アルコール依存症で、P.ニューマン演じる賭けビリヤード師の愛人となる役で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされる。

 しかし、アカデミー賞にノミネートされるという、一応の成功を収めたものの、映画界では彼女の演じたい役に恵まれず、結局、また、舞台演劇やテレビ映画出演に戻る。

 その15年以上後の1976年に再度のハリウッド復帰を果たした彼女は、本作での、ブロンドの狂信的宗教信者の母親役で、今度は、助演女優賞でアカデミー賞にノミネートとされる。

 それ以降、またもや、テレビ映画のシリーズもので役を取るようになり、1986年のテレビ映画『Promise』でプライムタイム・エミー賞助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞し、また、映画部門でも、1986年作の『愛は静けさの中に』で、主人公である聾啞者の母親役で、再びアカデミー賞助演女優賞にノミネートされる。この意味で、1986/87年は、P.ローリーにとって、長年の役者としての活動がその実りを得た年であった。彼女が50歳代の半ばにあった頃である。

 P.ローリーがもう一度の栄光を握るのは、1990年のことであり、この時には、テレビ・ドラマ『ツイン・ピークス』で、彼女が「女狐」のキャサリン・マーテル役を演じたことによる。これにより、ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞した。

 その後は、主に、テレビ映画シリーズのゲスト出演という形でテレビ映画に登場していたが、2011年にほぼ70年にも及ぶ俳優生活を振り返る形で、自叙伝『Learning to Live Out Loud: A Memoir』を発刊した。

 女優P.ローリーは、今年、2023年10月14日、ロスアンジェルス南部にある自宅で老衰が原因で亡くなった。享年91歳であった。その冥福を祈りたい。

2023年12月7日木曜日

ドライブ・マイ・カー(日本、2021年作)監督:濱口竜介

 本作の原作は、村上春樹の同名の短編による。村上が2013年12月から翌年3月まで発表した六篇の連作短編は、『女のいない男たち』と題されて、短編小説集として発刊される。『ドライブ・マイ・カー』は、その一本目の短編で、本作のストーリーは、この短編のストーリーの骨格から採られているが、同短編集の第四編目『シェエラザード』と第五編目『木野』も、本作のストーリーに使われていると言われ、とりわけ、『シェーラザード』からは、印象的なプロットが採用されている。本作にも登場するヤツメウナギの話しである。原作の短編から引用すると、次のように、30歳代半ばの、子持ちの専業主婦は、不倫の相手との性交の後に、『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードの如く、語る:

  「私にははっきりとした記憶があるの。水底で石に吸い付いて、水草にまぎれてゆらゆら揺れていたり、上を通り過ぎていく太った鱒を眺めていたりした記憶が」(ウィキペディアより)

 この短編には、同様に、もう一つの「睦言」があり、それも本作には登場する。高校二年の時に、日本版シェエラザードが、クラスの同級生を好きになり、この男子生徒の部屋に空き巣のように入って彼の持ち物を盗む。そのお返しに、自分のタンポンを机の奥に隠したというエピソードである。彼女は言う:

 「でもただ盗むだけではいけないと思った。だってそれだとただの空き巣狙いになってしまうじゃない。私は言うなれば『愛の盗賊』なのだから」(ウィキペディアより)

 こうして、誠に長い、約40分の前段の話しが終わると、本作のタイトル・ロールが出てくる。 

 村上の原作では、主人公は、妻と寝ていた高槻という若い俳優と、銀座の夜のバーを幾度か訪れて、友達になってしまうのであるが、本作では、原作と異なって暴力性向がある高槻とは、自分の妻を寝取ったのではないかという疑心暗鬼に主人公は囚われながら、その緊張関係は、解消されずに、ストーリーが展開する。一方、自分の赤い愛車Saabを運転してくれることになる女性ドライバー・みさきとの交流に、本作では、ストーリーの重点が置き換わっている。これは、ストーリー建ての妙であると言えるが、本作のストーリー展開のいいところの、もう一つの点は、妻の突然の死の後、主人公が舞台俳優並びに舞台演出家と成功しており、広島での国際演劇祭で、自分もその演技で名声を得た、帝政ロシアの劇作家アントン・チェホフ(Anton Pavlovič Čechov)作の『ワーニャ伯父さん』の演出を担当することになる点である。

 まず、死んだ、脚本家の妻が感情を殺して棒読みして吹き込んだ相手役の台詞を、主人公は、暗記した自分の台詞を以って、これまた大根役者のように、無感動で言いあげる。このような台詞との「対話」を、主人公は、広島で指導する役者にも「強要」する。しかも、それぞれの登場人物は、その役者の母語である言葉を日本語に翻訳しないままで、それぞれの母語で言い合うのである。これを「多言語演劇」と言うようであるが、観客自身は、日本語以外の言語を、翻訳された字幕を目で追いながら、その劇の進行を理解するという寸法である。

 しかも、『ワーニャ伯父さん』の主人公となるソーニャ役には、韓国人の女優がなり、彼女は、耳は聞こえるが、台詞には韓国語の手話を使う俳優なのである。日本語、台湾・中国語など多言語が飛び交う中で、手話が入ることにより、音声が無くなった特殊な空間が突然、舞台上に成立する。脚本も書いている濱口監督が、この点において、自らの力量の限界を感じ取り、脚本共同執筆者に大江崇允(たかまさ)を選んだのは正解であった。と言うのは、大江は、今では映画監督もやっている人物であるが、元々は、舞台俳優、舞台監督として、経歴を積み上げてきた人物であり、彼の、当を得たアイディアが本作における脚本の質を上げることになる。不条理劇のオーソドックスと言われる、S.ベケット作『ゴドーを待ちながら』が、本作の初めに登場するのも、なるほどなと頷ける。

 それでは、なぜ、A.チェホフの演劇『ワーニャ伯父さん』が本作で取り扱われるのか。

 A.チェホフは、1860年生まれの、帝政ロシアの作家であり、古典科中学校卒業後に、医学を勉学し、1884年以降、医師として働くことになるが、彼は、すでに中学校時代から、ものを書き始め、医学を勉強する傍ら、自分の学資を稼ぐために、雑誌にユーモア作品を投稿していた、文才がある人間であった。1886年以降は、本格的な小説、戯曲の執筆に心掛け、その翌年、長編戯曲『イワーノフ』を書き上げ、この作品が、紆余曲折を経て、1889年にサンクト・ベテルブルクで成功を収める。

 ある程度成功をした文学者として、A.チェホフは、1892年にモスクワ郊外に土地を購入して、そこに喜々として移り住むが、その三年後に、チェホフ後期の四大名作戯曲の第一作目に当たる『かもめ』を発表するに至る。96年の初演は惨憺たる失敗であったが、98年のモスクワ芸術座の再演では、大成功を収め、これ以降、チェホフの四大戯曲が次々と発表されることになる。すなわち、99年の、本映画と関係がある『ワーニャ伯父さん』、20世紀に入った1901年の『三人姉妹』、そして、1904年の『桜の園』である。

 1904年と言えば、日露戦争の勃発の年であり、その翌年には、日露戦争のせいで、帝政ロシアに第一次革命が起こる。戯曲『桜の園』では、ある地主が自分の土地を売らざるを得なくなり、その土地にあった桜の木々が無残に伐採されるところから、その題名が来ているのであるが、ここでは、ロシア社会の変動の「嵐」をA.チェホフが感じていたと言える。1914年に勃発した第一次世界大戦が帝政ロシア社会の変化を加速させ、これが、1917年のロシア革命につながる。

 一方、『三人姉妹』は、田舎住まいの高級軍人の三人の娘の生き方を描くことで、新しい20世紀の頭に、社会の閉塞感をいかに乗り越えるかという点で、興味のある作品であるが、一番下の妹が、現実的な結婚を選び、他の土地に引っ越そうとしている矢先に、婚約者が決闘で死んでしまうところで、劇は終わる。ここでも、A.チェホフは、『桜の園』の女地主の娘同様に、若い娘にその淡い希望を託している。

 チェホフの四大戯曲の第一作目『かもめ』とは、希望に溢れた、女優志望の若い娘ニーナの象徴であるが、その「かもめ」は、劇作中で「撃ち落され」、現実に引き戻される。その苦い現実を噛みしめ、耐えながらも、この人生を生きていこうとするニーナの、諦観の混じった「意志」をA.チェホフは描く。

 この『かもめ』と同様のトーンで、『ワーニャ伯父さん』もまた、書かれている。「ワーニャ叔父」とは、本作の主人公とでも言える、余り美人ではないソーニャから見てであり、ソーニャの亡き母の兄である。この二人が、田舎にある荘園を切り盛りしているのであるが、亡き母は、今は退職している老教授との間にソーニャを儲けていた。ソーニャの父親たる老教授は、しかし、ソーニャの母親が亡き後は、年齢の若い後妻と結婚しており、この老教授夫妻二人が、田舎の荘園にやってきて生活することで起こる騒動を描いている。

 その戯曲最後の第四幕目は、ソーニャの独白で終わる:

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…」(ウィキペディアにより)

 本作映画の最後のエピローグは、突然飛んで韓国の地となっている。それは、主人公と女性ドライバーが、お互いの心の「傷」を見せ合ったことで、お互いに心的に近づき、今度は、お互いの心の傷を舐め合って生きていくことにしたということ表象なのである。『ワーニャ伯父さん』のワーニャとソーニャのように。

2023年12月5日火曜日

ハクソー・リッジ(USA、2016年作)監督:メル・ギブソン

 本作の監督が、作品を観てから、Mel Gibsonと知り、否定的な意味で、「なるほどな」と思った。

 USA生まれであるが、事情があって、オーストラリアで育ったM.ギブソンは、ご存知の通り、『マッド・マックス』(オーストラリア製作、1979年作)で有名になった俳優である。三作続いた「マックス」役が1985年に終わると、『レーサル・ウィポンLethal Weapon』(1987年作)で慣れないコメディアン役を演じ、これが、今では四作も撮られている「シリーズもの」になる。そうこうしている最中の、1995年、自ら共同製作し、監督もし、しかも主演を演じた『ブレイブハート』で、M.ギブソンは、米アカデミー賞監督賞を「まぐれで」受賞してしまう。

 その約10年後の2004年には、自らが共同製作し、共同で脚本も書き、監督した作品『パッション(受難)』を発表したが、この作品は、史実に忠実に、登場人物がアラム語、ラテン語、ヘブライ語を話すという、興味ある点を除き、カトリック派原理主義的観点から描かれたキリスト受難の物語りであり、ストーリーには、典型的に反ユダヤ主義の要素を含んでいる点で問題があるものである。さらには、キリストの磔をリアリスティック過ぎに描いて、これまた当時は、物議をかもしたものであるが、このリアリズムは、本作における戦場での死や負傷を描くリアリズムに通じるものであり、なるほどなと思える。

 一方、M.ギブソンは、戦争映画において、「英雄譚」を好む。アメリカ独立戦争における一エピソードを描く『パトリオット(愛国者)』は、「悪」の大英帝国軍に対する、アメリカ植民地入植者の民兵軍の「愛国者」ぶりを強調する。さらに、ベトナム戦争の初期の時期の戦闘を描く『ワンス・アンド・フォーエバーWe Were Soldiers』では、品行方正なアメリカ軍兵士が、共産主義勢力軍たるベトナム人民軍の兵士と戦う。人海戦術で押し寄せてくるベトナム軍兵士の攻撃を、M.ギブソン中佐が率いる米軍は、自分の陣地にナパーム弾を落とさせることで辛うじて、阻むことができたのである。さて、この米軍対アジア人兵軍隊の構図をそのまま本作に置き換えると、正に同じ構図であり、日本軍の兵士は、二人の例外を除いては、単なる戦う「人もどき」に描かれている。

 確かに、本作は、実際にあったという、「本当の」話しを映画化したものであるが、すべてが史実に忠実であるか、疑う必要があるのではないか。

 本作の主人公となるDesmond Dossデズモンド・ドスは、実際に存在した人物であり、実際に太平洋戦争で衛生兵として従軍している。しかし、沖縄戦がその戦闘参加の最初ではなく、彼は、すでに、「グアムの戦い」、「フィリピン諸島の戦い」に臨んでおり、その負傷兵の救護活動により、ブロンズ・スター・メダルを受賞していた衛生兵であった。この点が、沖縄戦での「武勇伝」を強調するために、本作では、省略されている。

 本作の前半を語る、いかにD.ドスが、上官・戦友の「いじめ」を乗り越えて、第77歩兵師団第307歩兵連隊第一大隊B中隊第二小隊の衛生兵になったかは、確かに、辛い道のりではあったが、本人の「セブンス・デー・アドヴェンティスト」教会の信徒としての「良心の自由」は、全くの従軍を忌避するものではなく、敵兵を殺すために銃を携行することは忌避するが、必ずしも衛生兵として従軍することを忌避するものではない。ゆえに、この時期に良心的兵役「全面」忌避者がどういう運命を辿ったかを考えてみるべきであろう。

 また、主要テーマとなる、沖縄戦での、1945年四月下旬から五月上旬の「前田(高地)の戦い」で、米軍より「Hacksaw Ridge(弓鋸尾根)」と名付けられた高地の断崖が、本当に映画で示されるように高かったのかも疑問である。と言うのは、「前田の戦い」は、米軍が沖縄本島に上陸してからの戦闘であるからである。

 さて、その「沖縄の戦い」であるが、ウィキペディアによると、その開始は、1945年3月26日で、終結は、同年9月7日になっている。東京での無条件降伏の調印が9月2日であるから、それよりも五日間遅いことになるが、米軍の沖縄本島上陸が4月1日であるから、その数日前から、沖縄の戦いは、前哨戦が戦われており、沖縄防衛軍たる第32軍の指揮官牛島満中将が自決した6月23日を以って、沖縄の戦いは、それ以降、米軍による残存日本兵の掃討作戦となり、この段階で多くの沖縄の民間人が戦禍の巻き添えをくって亡くなっていると言う。

 米軍の上陸地点は、沖縄本島の西側中部で、米軍は、本島北部と南部を分断する形で、上陸後は、島の東側に突破し、まずは、本島北部を制圧し、本島南部を順次に攻略していこうという作戦であった。が、その南部攻略戦は、太平洋戦争中、最も凄惨な激戦となる。

 日本軍側は、現那覇市の一部となっている首里地域を第32軍の本部陣地とし、この本部陣地から北側に首里戦線防衛陣地が構築され、さらにその外側に幾重もの首里戦線前衛陣地が築かれていた。陣地は、高台、高地に置かれたので、激戦は、高地を守る、落とすという形で行なわれ、本作のストーリーの基になっているHacksaw Ridgeも、この首里戦線前衛陣地があった「前田高地」の米軍側の名称である。この「前田の戦い」が、南部攻略・防衛戦の前段をほぼ締めくくる。その後、日本軍側の総攻撃が中段の中核となるとすれば、南部攻略・防衛戦の後段は、首里戦線防衛陣地を巡る戦いとその陥落となる。

 なぜ、沖縄の戦いが「激戦」となったかは、色々な要因があるが、一つには、日本軍がペリリュー島と硫黄島での防衛戦で、制空権を失った時に、如何に戦うかを学び、その学んだことを実行に移したからであった。

 まず、日本軍は、サイパンの戦いなどで失敗した水際防御の戦術を放棄して、敵を内陸部に誘い込んで持久戦に持ち込むことを基本方針としたことである。そして、持久戦に持ち込むために、「縦深(じゅうしん)防御」の方策を採る。「縦深防御」とは、防御拠点を何重にも作って、攻撃側の前進を遅らせ、次の防衛線の立て直しをするための時間を稼ぐとともに、一方で、攻撃側の「犠牲」を増加させる作戦である。これが、地表面での多重性であるとすると、「縦深」という文字通りに、地中深くに縦穴を掘って陣地を構築することも手法としてあることなる。さらに、その深く掘った縦穴を横穴で縦横に結びつけることで、日本軍を神出鬼没に動員することができ、しかも、敵に一つの縦穴が攻められれば、そこから退いて、別の場所に移動することができる。この手法の、もう一つの長所は、制空権がないところから来る、敵の爆撃、砲撃、艦砲射撃に脅かされことなしに、補給物資を補充することができることである。(このことは、時事的に言えば、2023年12月現在時点における、ガザ地区へのイスラエル軍の進攻にも当てはまる。制空権を持ち、装備が絶対的に優勢な軍隊・イスラエル軍に対抗する、ハマスの「戦術」ということになる。)

 また、日本軍は、敵の、初期の爆撃・砲撃に耐え得るように、「反斜面陣地」を構築した。つまり、敵と相対する斜面に陣地を作ってしまうと、攻撃側の砲撃で自陣が破壊されやすい。これに対して、敵と相対する斜面と反対側の斜面に陣地を構築すれば、敵の砲撃には曝されず、さらに、進攻してくる敵をやり過ごせば、これを背後から攻撃できる仕掛けである。

 また、意外なことに、兵器装備の点でも、日本軍が米軍を上回る点があった。ウィキペディアによると、「日本軍が沖縄戦で主に使用した九九式軽機関銃の一分間の発射速度は約800発で、(これは、)M1918自動小銃やアメリカ軍の主力機関銃ブローニングM1919重機関銃の約二倍の発射速度であり、九九式軽機関銃の甲高い発射音はアメリカ軍兵士に女性の叫び声のように聞こえて恐れられた」と言う。また、日本軍は、簡易迫撃砲とでも言える「擲弾筒」を随所に効果的に使用して、米歩兵を苦しめたと言う。この擲弾筒の攻撃と、上述の機銃掃射を使われて、味方米兵が後退させられた後は、米軍のシャーマン中戦車も日本歩兵の直接攻撃に曝されることとなり、しかも、いわゆる、日本軍の「肉弾」攻撃で多くが破壊されたと言う。

 日本軍の第62師団は、4月上旬・中旬に行われた激戦「嘉数(かかず)の戦い」を戦った後、後退して陣を立て直して、「前田高地」に布陣した。そして、北から攻めてくる米軍・第96歩兵師団と「衝突」する。それは、4月25日のことであった。

 高地を巡る一進一退の戦況の下、四日経った4月29日、映画でも描かれたように、米軍第96歩兵師団隷下の第381歩兵連隊は、第77歩兵師団の、主人公が所属する第307歩兵連隊と交代する。第381歩兵連隊の「損耗」が激し過ぎたからで、ウィキペディアによると、「連隊は戦闘能力60%を失い、死傷者も1,021名に上っており、中には通常40人の定員に対し、4人しか残っていない小隊もあるほど」であったと言う。

 4月30日以降は、前田高地を米軍側が占拠し、これに対して、日本軍側が奪回しようとして攻撃を仕掛けるという展開となり、5月5日の夜から翌日に掛けて、日本軍による夜襲・斬り込み攻撃が敢行されるも、日本軍側の多大な損害を以って、この「前田の戦い」は、終結する。

 以上の戦いの展開の中で、D.ドスの衛生兵としての「英雄的」活躍が本作で語られる訳であるが、さて、映画の中で、D.ドスが戦地に着いたところで、第381歩兵連隊の衛生兵が彼に語ったエピソードは、本当であったとすれば、これは、日本人としては、信じたくないことである。日本軍側の狙撃兵が、米軍の衛生兵を、まるで賭け事でもしているように、狙い撃ちにしていると。であるから、衛生兵用のヘルメットも被らず、衛生兵の腕章も付けるなと。将校は、目印になるものがあると、狙撃兵に狙われたとは、ウィキペディアには書いてあるのであるが、これが、衛生兵に該当したとは、どうも、信じがたい。この点でも、M.ギブソンを信用してよいものであろうか?

2023年12月2日土曜日

ヒルズ ハブ アイズ(USA、2006年作)監督:アレクサンドル・アジャ

 本作は、1977年作のホラー映画『The Hills Have Eyes』(邦題は『サランドラ』で、これは、四大精霊の一つで、火の精霊と言われる「サラマンドル」のラテン語名称から「マ」を取り去って、作り変えたという「超ウルトラC級」の命名)の、21世紀版リメイクである。

 制作が2006年であるから、約30年ぶりのオリジナル題名の同名作品の制作であるが、このリメイクの制作には、本家本元のWes Cravenウェス・クレイヴン監督が製作者として参加している。このホラー・スプラッター映画の、知的な「教皇」W.クレイヴンが元々のオリジナルの脚本を書いており、また、彼自身が、1984年と1995年に『The Hills Have Eyes II』と『The Hills Have Eyes III』とを撮っているので、本作では、先祖返り的に、元となる1977年作品のストーリーに沿った形でストーリーが展開する。カメラの撮りようも、1970年代のセンスに合わせたような、少々濃い目の色彩ディザインであり、本作の初めの方に登場するガソリンスタンド「Gas Haven」の名は、本家Wes Cravenの名前をもじっていると言う。

 監督は、Alexandre Ajaアレクサンドル・アジャというフランス人で、本作の3年前に撮った作品『ハイ・テンションHaute tension』で一躍ホラー映画界のスター監督になった人物である。ゆえに、21世紀版の『The Hills Have Eyes』は、より戦慄度では過激化した、テロル・ショッカーとなっている。

 しかし、本作は、単なる「ショッカー」で終わっていないところが見どころである。つまり、ヨーロッパの知識人から見ての、USA批判が本作には「内臓」されているからである。

 まず、映画のタイトル・ロールである。ここでは、いくつもの核実験が連続的に描写される。それも、大気圏内の核実験である。USAは、とりわけ1950年代に331回もの、そのような核実験を繰り返し、それによって、井伏鱒二の「小説」の題名で有名になった『黒い雨』などの放射性降下物が、つまり、英語で「Fallout」と呼ばれる放射性物質が、地上に降り注ぐ。この放射能物質が人体に遺伝子的に影響がないはずがないのであるが、アメリカ合衆国政府は、そのようなことはないと言い張っているのである。これに対して、本作の冒頭では、防護服を着た調査員が襲われて殺害されるという場面が展開される。そうして、映画の終盤になると、かつての核実験場に建てられた町が、ミュータント、つまり、「突然変異者たち」が住んでいる場所として、明らかになる。(一方、原作では、突然変異者は、洞窟に居住する生き物として表象される。)

 また、映画のタイトル・ロールには、「奇形」の写真が示されるが、それは、ベトナム戦争における、アメリカ軍の枯葉剤散布による被害者の、本物の写真が示されるのである。核兵器問題を、ここでは、空爆による民間人被害にも繋げているとも読める。

 一方、主人公となる、USAに典型的な中産階級たるCarter家の在り様である。つまり、家長であるBig(!) Bobを中心にCarter家は構成されており、家長たる夫Big Bobは、妻の反対を押し切って、銃を旅行に隠し持ってきていたのである。

 恐らく共和党支持者のBig Bobに対し、銃器の使用を嫌い、恐らく都市部居住者である、義理の息子は、確固たる民主党支持者である。このコントラストが妙を得ている。と言うのは、突然変異者に捕えられ、挙句は、十字架に架けられて、焼け死ぬBig Bobは、アメリカ国旗を頭に刺されたまま死ぬのに対し、銃器による暴力の否定を主張していたDougダグは、自分の幼い娘を取り返すために、結局、暴力を揮い、銃をぶっ放す。これでは、まるで、共和党主義者である。その意味で、随分と本作には政治的皮肉が込められていると言えよう。

 2000年代初頭には、もはや、アメリカ中産階級的な「お花畑」は、すでに崩れ掛けていたのである。現在は、この状況は、共和党対民主党の構図ではなく、今や、トランプ主義とリベラル派に取って代わられており、こうした点を鑑みれば、2020年代に入ったUSAにおいては、その民主主義自体の存在が脅かされている段階に達していると言えよう。

若草物語(日本、1964年作)監督:森永 健次郎

 映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何...