ジャン・ルノワール監督作品と言えば、1937年作の『大いなる幻影』であろう。この映画は、第一次世界大戦が持った社会的影響、すなわち、歴史上初めての総力戦が貴族階層の社会的な「没落」を決定的なものとしたことの、一部メランコリーを含ませた「確認」であった。筆者にとっては、この作品は、蓋し、J.ルノワール監督の最高傑作である。
この『大いなる幻影』や、その二年後に発表された本作を含めて、1930年代の、J.ルノワール監督の作品は、いわゆる「詩的レアリスム」の美意識を担うものとして、戦後イタリアの「ネオ・レアリズモ」にも影響を与えたと言われるものであり、この時期にJ.ルノワール監督が映画史に果たした役割は、誇張できない程、大きいと言える。
1940年代のJ.ルノワールは、しかし、アメリカ・ハリウッドに亡命したり、そこからさらに、インド、イタリア経由で50年代の始めに祖国のフランスに戻っていることなどもあり、私見、特筆すべき作品を残していない。
恐らく、J.ルノワールが50年代に撮った最良の作品は、『草上の朝食』(1959年作)であろうが、自分の父、有名な印象派の画家ピェール=オギュスト・ルノワールの南フランスにあった別荘で撮影した、この田園喜劇作品で、J.ルノワールは、ギリシャ神話的な要素を含んで、アムール神に魅了された人間が描く「コメディー」を撮っている。しかも、『エレナと男たち』(1956年作、インリド・ベリマン主演)は、自称「恋愛喜劇」であると言う。
ことほどさように、J.ルノワール監督は、「喜劇」がお好きなようなのであるが、さて、「世紀の名作の一本」と称揚される本作は、批評で言われるが如く、本当に「喜劇、コメディー」なのか。或いは、仮にそうであるとして、本作は、「コメディー」として成功しているであろうか。実は、タイトル・ロールの中で、本作のタイトルが出たところで、本作は、「Fantaisie dramatique」と規定されているのである。「ドラマティックなファンタジー」である。とすれば、これは、「コメディー」的要素はあるにしても、「コメディー」ではないことになる。
ただ、タイトル・ロールに続けては、映画の冒頭に、18世紀フランス宮廷の寵児Beaumarchaisボーマルシェが書いた『フィガロの結婚』の第四幕、第十場からの引用が挙げられている。それを意訳すれば、捧げられた愛があるなら、貞節のためと言って、この愛を受けおかない手はないであろうという、いわば、「恋愛遊戯」の規則の一つがここで述べられているのである。
そして、『フィガロの結婚』と言えば、喜劇オペラであり、上層階層と下層階層の恋愛遊戯が、それぞれ、ほぼ平行して演じられる構造は、本作においても取られている。侯爵夫人と飛行家、侯爵とその貴族の愛人、これに対する、侯爵夫人の侍女と召使いマルソーの関係である。
さらに、この基本構造に、19世紀フランス・ロマン派の作家Alfred Louis Charles de Mussetアルフレッド=ルイ=シャルル・ドゥ=ミュセの戯曲『Les Caprices de Marianneマリアンヌの気紛れ』(1833年作)が、プロットを提供する。ある司法長官クローディオ何某は、若い妻マリアンヌがいつ浮気をするか気が気ではない。そこで、妻の密会現場を押えるために腕利きの剣客を雇っていた。そこへ、マリアンヌに想いを寄せるセリオなる若者が登場する。彼の友人で、しかも司法長官のいとこであるオクターヴが仲立ちの役を頼まれる。オクターヴに「唆され」、また、元々貞淑な自分を執拗に疑う夫に嫌気がさしていたマリアンヌは、セリオとの密会を承諾するが、逢引きの現場では例の剣客が待ち構えており、密会の場に現れたセリオには「災難」が降りかかるという次第である。
マリアンヌが本作での侯爵夫人、セリオが飛行冒険家アンドレー、そして、オクターヴは、正に本作でJ.ルノワール監督自身が演じる同名の役柄である。
こうして制作された本作がパリで初上映されたのは、1939年7月7日であった。第二次世界大戦勃発につながる、ナチス・ドイツのポーランド侵攻は、同年の9月1日であるから、それは、そのほぼ、二ヶ月前である。確かに、38年9月末のミュンヘン会談では、チェコスロヴァキアのズデーテン地方帰属問題で戦争の危機が高まったものの、英仏の対独宥和政策がその危機を回避させた。しかし、それは、戦争の勃発を延期させはしたものの、戦争の危険を除いた訳ではなかった。ヴェルサイユ体制からの「自由」を唱えるナチス・ドイツは、着々と、戦争の準備を重ねていたのであり、38年10月以降の表面上の平和は、軍靴の足音が益々高くなる中、その存続を脅かされた存在であった。そんな国際情勢の危うさを敢えて無視する形で、恋愛遊戯を楽しんでいる、上層・下層も含めた、フランス人の「無頓着さ」を、J.ルノワール監督は、本作の発表を以って、フランス人にその自画像を見せつけるために、「鏡」として掲げたかったと言う。
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