制作が2006年であるから、約30年ぶりのオリジナル題名の同名作品の制作であるが、このリメイクの制作には、本家本元のWes Cravenウェス・クレイヴン監督が製作者として参加している。このホラー・スプラッター映画の、知的な「教皇」W.クレイヴンが元々のオリジナルの脚本を書いており、また、彼自身が、1984年と1995年に『The Hills Have Eyes II』と『The Hills Have Eyes III』とを撮っているので、本作では、先祖返り的に、元となる1977年作品のストーリーに沿った形でストーリーが展開する。カメラの撮りようも、1970年代のセンスに合わせたような、少々濃い目の色彩ディザインであり、本作の初めの方に登場するガソリンスタンド「Gas Haven」の名は、本家Wes Cravenの名前をもじっていると言う。
監督は、Alexandre Ajaアレクサンドル・アジャというフランス人で、本作の3年前に撮った作品『ハイ・テンションHaute tension』で一躍ホラー映画界のスター監督になった人物である。ゆえに、21世紀版の『The Hills Have Eyes』は、より戦慄度では過激化した、テロル・ショッカーとなっている。
しかし、本作は、単なる「ショッカー」で終わっていないところが見どころである。つまり、ヨーロッパの知識人から見ての、USA批判が本作には「内臓」されているからである。
まず、映画のタイトル・ロールである。ここでは、いくつもの核実験が連続的に描写される。それも、大気圏内の核実験である。USAは、とりわけ1950年代に331回もの、そのような核実験を繰り返し、それによって、井伏鱒二の「小説」の題名で有名になった『黒い雨』などの放射性降下物が、つまり、英語で「Fallout」と呼ばれる放射性物質が、地上に降り注ぐ。この放射能物質が人体に遺伝子的に影響がないはずがないのであるが、アメリカ合衆国政府は、そのようなことはないと言い張っているのである。これに対して、本作の冒頭では、防護服を着た調査員が襲われて殺害されるという場面が展開される。そうして、映画の終盤になると、かつての核実験場に建てられた町が、ミュータント、つまり、「突然変異者たち」が住んでいる場所として、明らかになる。(一方、原作では、突然変異者は、洞窟に居住する生き物として表象される。)
また、映画のタイトル・ロールには、「奇形」の写真が示されるが、それは、ベトナム戦争における、アメリカ軍の枯葉剤散布による被害者の、本物の写真が示されるのである。核兵器問題を、ここでは、空爆による民間人被害にも繋げているとも読める。
一方、主人公となる、USAに典型的な中産階級たるCarter家の在り様である。つまり、家長であるBig(!) Bobを中心にCarter家は構成されており、家長たる夫Big Bobは、妻の反対を押し切って、銃を旅行に隠し持ってきていたのである。
恐らく共和党支持者のBig Bobに対し、銃器の使用を嫌い、恐らく都市部居住者である、義理の息子は、確固たる民主党支持者である。このコントラストが妙を得ている。と言うのは、突然変異者に捕えられ、挙句は、十字架に架けられて、焼け死ぬBig Bobは、アメリカ国旗を頭に刺されたまま死ぬのに対し、銃器による暴力の否定を主張していたDougダグは、自分の幼い娘を取り返すために、結局、暴力を揮い、銃をぶっ放す。これでは、まるで、共和党主義者である。その意味で、随分と本作には政治的皮肉が込められていると言えよう。
まず、映画のタイトル・ロールである。ここでは、いくつもの核実験が連続的に描写される。それも、大気圏内の核実験である。USAは、とりわけ1950年代に331回もの、そのような核実験を繰り返し、それによって、井伏鱒二の「小説」の題名で有名になった『黒い雨』などの放射性降下物が、つまり、英語で「Fallout」と呼ばれる放射性物質が、地上に降り注ぐ。この放射能物質が人体に遺伝子的に影響がないはずがないのであるが、アメリカ合衆国政府は、そのようなことはないと言い張っているのである。これに対して、本作の冒頭では、防護服を着た調査員が襲われて殺害されるという場面が展開される。そうして、映画の終盤になると、かつての核実験場に建てられた町が、ミュータント、つまり、「突然変異者たち」が住んでいる場所として、明らかになる。(一方、原作では、突然変異者は、洞窟に居住する生き物として表象される。)
また、映画のタイトル・ロールには、「奇形」の写真が示されるが、それは、ベトナム戦争における、アメリカ軍の枯葉剤散布による被害者の、本物の写真が示されるのである。核兵器問題を、ここでは、空爆による民間人被害にも繋げているとも読める。
一方、主人公となる、USAに典型的な中産階級たるCarter家の在り様である。つまり、家長であるBig(!) Bobを中心にCarter家は構成されており、家長たる夫Big Bobは、妻の反対を押し切って、銃を旅行に隠し持ってきていたのである。
恐らく共和党支持者のBig Bobに対し、銃器の使用を嫌い、恐らく都市部居住者である、義理の息子は、確固たる民主党支持者である。このコントラストが妙を得ている。と言うのは、突然変異者に捕えられ、挙句は、十字架に架けられて、焼け死ぬBig Bobは、アメリカ国旗を頭に刺されたまま死ぬのに対し、銃器による暴力の否定を主張していたDougダグは、自分の幼い娘を取り返すために、結局、暴力を揮い、銃をぶっ放す。これでは、まるで、共和党主義者である。その意味で、随分と本作には政治的皮肉が込められていると言えよう。
2000年代初頭には、もはや、アメリカ中産階級的な「お花畑」は、すでに崩れ掛けていたのである。現在は、この状況は、共和党対民主党の構図ではなく、今や、トランプ主義とリベラル派に取って代わられており、こうした点を鑑みれば、2020年代に入ったUSAにおいては、その民主主義自体の存在が脅かされている段階に達していると言えよう。
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