2023年12月11日月曜日

キャリー(USA、1976年作)監督:ブライアン・デ・パルマ

 アメリカ合衆国のフィルム・スクール出身で、いわゆる「ニュー・ハリウッド世代」の代表的な映画監督の一人に数えられるのが、1940年生まれのBrian De Palmaブライアン・デ・パルマ監督である。その出身からか、画面構成で、スプリット・スクリーン(分割画面)、長回し、スローモーション、目線アングルなどの手法を使用しており、「デ・パルマ・カット」と呼ばれる映像がこの監督では注目される。その映像効果の技術的確かさは、ソフト・フォーカスを多用した、また、A.ヒッチコックのスリリングの盛り上げ方に学んだ映像展開のリズムなど、本作でも見られるのであるが、その映像効果が表層に止まっており、作品としての「深み」を中々得ていないのは、なぜであろうか。

 さて、B.デ・パルマ監督自身が徴兵忌避者であることから、彼は、戦争・反戦映画を何本か手がけている。時も時、世界中でヴェトナム戦争反対運動が学生運動という形で展開した1968年、彼は、『Greetingsロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』で、ヴェトナム戦争に揺れるアメリカの若者の群像を描く。この作品は、翌年開催された第19回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得し、B.デ・パルマ監督は、世界的にも名を売り出す。この作品系統では、1989年作の、ヴェトナム戦争に絡む『カジュアリティーズ』や、2007年作の、イラク戦争に絡む『リダクテッド 真実の価値』が入る。『リダクテッド 真実の価値』で、B.デ・パルマ監督は、今度は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得する。

 ベルリンで銀熊賞を獲得した後は、一時スランプ気味であったB.デ・パルマ監督は、1970年代に入り、ジャンル変更を行なう。1972年作の『悪魔のシスター』、その二年後の『ファントム・オブ・パラダイス』が、カルト・ムービーとして認めら、これを受けてか、スティーヴン・キングの同名作品を原作とする「青春ホラー映画」たる本作を撮り、これが大ヒットになることになる。

 本作に出演したSissy Spacekシシー・スペイセクとPiper Laurieパイパー・ローリーはそれぞれアカデミー賞にノミネートされたが、セックスのセの字も知らいない、うぶな女子高生役をこなし、これ以降六回もアカデミー賞主演女優賞にノミネートされることになるS.スペイセクの名演技振りはここでは特筆する必要がないであろうが、本作において、自らの性欲を抑圧するために信仰を深め、そのオルガニズム的陶酔感に浸る中で自分の娘を殺そうとする、その母親役を印象的に演じた女優P.ローリーについて、ここでその経歴を述べておく。

 1932年にミシガン州デトロイトで生まれたP.ローリーは、ユダヤ系アメリカ人で、その両親は、父親がポーランド系、母親が、ロシア系のユダヤ人としてUSAに移住してきた経歴を持つ。家族と共にロスアンジェルスに引っ越すと、本作のCarrieと似て、とても内気であった彼女を、両親が発声のレッスンに通わせたことから、彼女は、演技も学ぶようになり、17歳でユニヴァーサル・スタジオから映画界にデビューすることなる。第二次世界大戦後の1949年のことである。

 しかし、男性スターの脇役として、無邪気な若い女性役ばかりをやらされることに嫌気がさして、彼女は、55年にニューヨークに出ることを決心し、そこのアクターズ・スタジオで演技を学び直す。こうして、テレビで上映される、シェークスピアなどの古典的演劇作品の役を得るようになるが、1961年に映画界に戻り、この年に発表された『ハスラー』(ロバート・ロッセン監督、ポール・ニューマン主演)で、アルコール依存症で、P.ニューマン演じる賭けビリヤード師の愛人となる役で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされる。

 しかし、アカデミー賞にノミネートされるという、一応の成功を収めたものの、映画界では彼女の演じたい役に恵まれず、結局、また、舞台演劇やテレビ映画出演に戻る。

 その15年以上後の1976年に再度のハリウッド復帰を果たした彼女は、本作での、ブロンドの狂信的宗教信者の母親役で、今度は、助演女優賞でアカデミー賞にノミネートとされる。

 それ以降、またもや、テレビ映画のシリーズもので役を取るようになり、1986年のテレビ映画『Promise』でプライムタイム・エミー賞助演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞し、また、映画部門でも、1986年作の『愛は静けさの中に』で、主人公である聾啞者の母親役で、再びアカデミー賞助演女優賞にノミネートされる。この意味で、1986/87年は、P.ローリーにとって、長年の役者としての活動がその実りを得た年であった。彼女が50歳代の半ばにあった頃である。

 P.ローリーがもう一度の栄光を握るのは、1990年のことであり、この時には、テレビ・ドラマ『ツイン・ピークス』で、彼女が「女狐」のキャサリン・マーテル役を演じたことによる。これにより、ゴールデン・グローブ賞助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞した。

 その後は、主に、テレビ映画シリーズのゲスト出演という形でテレビ映画に登場していたが、2011年にほぼ70年にも及ぶ俳優生活を振り返る形で、自叙伝『Learning to Live Out Loud: A Memoir』を発刊した。

 女優P.ローリーは、今年、2023年10月14日、ロスアンジェルス南部にある自宅で老衰が原因で亡くなった。享年91歳であった。その冥福を祈りたい。

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