2023年12月5日火曜日

ハクソー・リッジ(USA、2016年作)監督:メル・ギブソン

 本作の監督が、作品を観てから、Mel Gibsonと知り、否定的な意味で、「なるほどな」と思った。

 USA生まれであるが、事情があって、オーストラリアで育ったM.ギブソンは、ご存知の通り、『マッド・マックス』(オーストラリア製作、1979年作)で有名になった俳優である。三作続いた「マックス」役が1985年に終わると、『レーサル・ウィポンLethal Weapon』(1987年作)で慣れないコメディアン役を演じ、これが、今では四作も撮られている「シリーズもの」になる。そうこうしている最中の、1995年、自ら共同製作し、監督もし、しかも主演を演じた『ブレイブハート』で、M.ギブソンは、米アカデミー賞監督賞を「まぐれで」受賞してしまう。

 その約10年後の2004年には、自らが共同製作し、共同で脚本も書き、監督した作品『パッション(受難)』を発表したが、この作品は、史実に忠実に、登場人物がアラム語、ラテン語、ヘブライ語を話すという、興味ある点を除き、カトリック派原理主義的観点から描かれたキリスト受難の物語りであり、ストーリーには、典型的に反ユダヤ主義の要素を含んでいる点で問題があるものである。さらには、キリストの磔をリアリスティック過ぎに描いて、これまた当時は、物議をかもしたものであるが、このリアリズムは、本作における戦場での死や負傷を描くリアリズムに通じるものであり、なるほどなと思える。

 一方、M.ギブソンは、戦争映画において、「英雄譚」を好む。アメリカ独立戦争における一エピソードを描く『パトリオット(愛国者)』は、「悪」の大英帝国軍に対する、アメリカ植民地入植者の民兵軍の「愛国者」ぶりを強調する。さらに、ベトナム戦争の初期の時期の戦闘を描く『ワンス・アンド・フォーエバーWe Were Soldiers』では、品行方正なアメリカ軍兵士が、共産主義勢力軍たるベトナム人民軍の兵士と戦う。人海戦術で押し寄せてくるベトナム軍兵士の攻撃を、M.ギブソン中佐が率いる米軍は、自分の陣地にナパーム弾を落とさせることで辛うじて、阻むことができたのである。さて、この米軍対アジア人兵軍隊の構図をそのまま本作に置き換えると、正に同じ構図であり、日本軍の兵士は、二人の例外を除いては、単なる戦う「人もどき」に描かれている。

 確かに、本作は、実際にあったという、「本当の」話しを映画化したものであるが、すべてが史実に忠実であるか、疑う必要があるのではないか。

 本作の主人公となるDesmond Dossデズモンド・ドスは、実際に存在した人物であり、実際に太平洋戦争で衛生兵として従軍している。しかし、沖縄戦がその戦闘参加の最初ではなく、彼は、すでに、「グアムの戦い」、「フィリピン諸島の戦い」に臨んでおり、その負傷兵の救護活動により、ブロンズ・スター・メダルを受賞していた衛生兵であった。この点が、沖縄戦での「武勇伝」を強調するために、本作では、省略されている。

 本作の前半を語る、いかにD.ドスが、上官・戦友の「いじめ」を乗り越えて、第77歩兵師団第307歩兵連隊第一大隊B中隊第二小隊の衛生兵になったかは、確かに、辛い道のりではあったが、本人の「セブンス・デー・アドヴェンティスト」教会の信徒としての「良心の自由」は、全くの従軍を忌避するものではなく、敵兵を殺すために銃を携行することは忌避するが、必ずしも衛生兵として従軍することを忌避するものではない。ゆえに、この時期に良心的兵役「全面」忌避者がどういう運命を辿ったかを考えてみるべきであろう。

 また、主要テーマとなる、沖縄戦での、1945年四月下旬から五月上旬の「前田(高地)の戦い」で、米軍より「Hacksaw Ridge(弓鋸尾根)」と名付けられた高地の断崖が、本当に映画で示されるように高かったのかも疑問である。と言うのは、「前田の戦い」は、米軍が沖縄本島に上陸してからの戦闘であるからである。

 さて、その「沖縄の戦い」であるが、ウィキペディアによると、その開始は、1945年3月26日で、終結は、同年9月7日になっている。東京での無条件降伏の調印が9月2日であるから、それよりも五日間遅いことになるが、米軍の沖縄本島上陸が4月1日であるから、その数日前から、沖縄の戦いは、前哨戦が戦われており、沖縄防衛軍たる第32軍の指揮官牛島満中将が自決した6月23日を以って、沖縄の戦いは、それ以降、米軍による残存日本兵の掃討作戦となり、この段階で多くの沖縄の民間人が戦禍の巻き添えをくって亡くなっていると言う。

 米軍の上陸地点は、沖縄本島の西側中部で、米軍は、本島北部と南部を分断する形で、上陸後は、島の東側に突破し、まずは、本島北部を制圧し、本島南部を順次に攻略していこうという作戦であった。が、その南部攻略戦は、太平洋戦争中、最も凄惨な激戦となる。

 日本軍側は、現那覇市の一部となっている首里地域を第32軍の本部陣地とし、この本部陣地から北側に首里戦線防衛陣地が構築され、さらにその外側に幾重もの首里戦線前衛陣地が築かれていた。陣地は、高台、高地に置かれたので、激戦は、高地を守る、落とすという形で行なわれ、本作のストーリーの基になっているHacksaw Ridgeも、この首里戦線前衛陣地があった「前田高地」の米軍側の名称である。この「前田の戦い」が、南部攻略・防衛戦の前段をほぼ締めくくる。その後、日本軍側の総攻撃が中段の中核となるとすれば、南部攻略・防衛戦の後段は、首里戦線防衛陣地を巡る戦いとその陥落となる。

 なぜ、沖縄の戦いが「激戦」となったかは、色々な要因があるが、一つには、日本軍がペリリュー島と硫黄島での防衛戦で、制空権を失った時に、如何に戦うかを学び、その学んだことを実行に移したからであった。

 まず、日本軍は、サイパンの戦いなどで失敗した水際防御の戦術を放棄して、敵を内陸部に誘い込んで持久戦に持ち込むことを基本方針としたことである。そして、持久戦に持ち込むために、「縦深(じゅうしん)防御」の方策を採る。「縦深防御」とは、防御拠点を何重にも作って、攻撃側の前進を遅らせ、次の防衛線の立て直しをするための時間を稼ぐとともに、一方で、攻撃側の「犠牲」を増加させる作戦である。これが、地表面での多重性であるとすると、「縦深」という文字通りに、地中深くに縦穴を掘って陣地を構築することも手法としてあることなる。さらに、その深く掘った縦穴を横穴で縦横に結びつけることで、日本軍を神出鬼没に動員することができ、しかも、敵に一つの縦穴が攻められれば、そこから退いて、別の場所に移動することができる。この手法の、もう一つの長所は、制空権がないところから来る、敵の爆撃、砲撃、艦砲射撃に脅かされことなしに、補給物資を補充することができることである。(このことは、時事的に言えば、2023年12月現在時点における、ガザ地区へのイスラエル軍の進攻にも当てはまる。制空権を持ち、装備が絶対的に優勢な軍隊・イスラエル軍に対抗する、ハマスの「戦術」ということになる。)

 また、日本軍は、敵の、初期の爆撃・砲撃に耐え得るように、「反斜面陣地」を構築した。つまり、敵と相対する斜面に陣地を作ってしまうと、攻撃側の砲撃で自陣が破壊されやすい。これに対して、敵と相対する斜面と反対側の斜面に陣地を構築すれば、敵の砲撃には曝されず、さらに、進攻してくる敵をやり過ごせば、これを背後から攻撃できる仕掛けである。

 また、意外なことに、兵器装備の点でも、日本軍が米軍を上回る点があった。ウィキペディアによると、「日本軍が沖縄戦で主に使用した九九式軽機関銃の一分間の発射速度は約800発で、(これは、)M1918自動小銃やアメリカ軍の主力機関銃ブローニングM1919重機関銃の約二倍の発射速度であり、九九式軽機関銃の甲高い発射音はアメリカ軍兵士に女性の叫び声のように聞こえて恐れられた」と言う。また、日本軍は、簡易迫撃砲とでも言える「擲弾筒」を随所に効果的に使用して、米歩兵を苦しめたと言う。この擲弾筒の攻撃と、上述の機銃掃射を使われて、味方米兵が後退させられた後は、米軍のシャーマン中戦車も日本歩兵の直接攻撃に曝されることとなり、しかも、いわゆる、日本軍の「肉弾」攻撃で多くが破壊されたと言う。

 日本軍の第62師団は、4月上旬・中旬に行われた激戦「嘉数(かかず)の戦い」を戦った後、後退して陣を立て直して、「前田高地」に布陣した。そして、北から攻めてくる米軍・第96歩兵師団と「衝突」する。それは、4月25日のことであった。

 高地を巡る一進一退の戦況の下、四日経った4月29日、映画でも描かれたように、米軍第96歩兵師団隷下の第381歩兵連隊は、第77歩兵師団の、主人公が所属する第307歩兵連隊と交代する。第381歩兵連隊の「損耗」が激し過ぎたからで、ウィキペディアによると、「連隊は戦闘能力60%を失い、死傷者も1,021名に上っており、中には通常40人の定員に対し、4人しか残っていない小隊もあるほど」であったと言う。

 4月30日以降は、前田高地を米軍側が占拠し、これに対して、日本軍側が奪回しようとして攻撃を仕掛けるという展開となり、5月5日の夜から翌日に掛けて、日本軍による夜襲・斬り込み攻撃が敢行されるも、日本軍側の多大な損害を以って、この「前田の戦い」は、終結する。

 以上の戦いの展開の中で、D.ドスの衛生兵としての「英雄的」活躍が本作で語られる訳であるが、さて、映画の中で、D.ドスが戦地に着いたところで、第381歩兵連隊の衛生兵が彼に語ったエピソードは、本当であったとすれば、これは、日本人としては、信じたくないことである。日本軍側の狙撃兵が、米軍の衛生兵を、まるで賭け事でもしているように、狙い撃ちにしていると。であるから、衛生兵用のヘルメットも被らず、衛生兵の腕章も付けるなと。将校は、目印になるものがあると、狙撃兵に狙われたとは、ウィキペディアには書いてあるのであるが、これが、衛生兵に該当したとは、どうも、信じがたい。この点でも、M.ギブソンを信用してよいものであろうか?

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