2024年7月29日月曜日

クロッシング・デイ(USA、2008年作)監督:ブライアン・グッドマン

 学校のあの「道徳」の時間に語られるエピソード、人徳のある人や高潔な人の伝記を聞かされたり、読まされたりした時の、あの「気まずさ」がこの映画にはある。或いは、こう言ったらよいであろうか。あることを悟った人間に、未だ悟ってはいないこちらに、悟ったらこうなのであると伝道された時の、こちらとあちらの「隔たり」感である。逆に、「ああそうですか。それで?」と言いたくなる「反抗心」がむらむらと湧いてくる。そんな感覚である。

 確かに、Brianブライアンが辿った、犯罪の泥沼から抜け出した、その道は正しい。逆に、ブライアンの竹馬の友Paulie(「ポール」と読むようである)が突き進んだ悪の道はその好対照をなす。それでも、観ている者としてそこに何か突き放された感覚が、筆者には残るのである。

 主人公と名前が同じ監督Brian Goodman(苗字がまた人徳を示す「good man」)は、脚本も共同で書いており、また、本作の一役(主人公二人を手下としてこき使う小悪党Pat Kelly役)で出ているという、思入れようで、ウィキペディアによると、実は、本作は、彼が「悔いて」俳優になる前の、彼の半生をほぼ実話的に描いたものであると言う。故に、ストーリーの舞台も、監督自身が生まれ育ったボストン市南部の地域で、カトリック教徒が多いところであると言う。これが、ニューヨークであったら、同じ反社組織でももっと「イタリア臭」がして、恐らく、Brianも犯罪の泥沼から逃れられなかったかもしれない。

 さて、本作の日本上映に当たって製作されたポスターの、謳い文句の「嘘さ加減」はかなりひどいと言わなければならない。まず、「全てを賭けて、のし上がる男たちの挽歌!」である。主人公二人は死なないことから、本作は、「挽歌」ではない。また、組織の中で「のし上がる」つもりのない二人は、ただのチンピラの雑魚である。次に、「アウトローアクション大作」とは、ただの暴力場面の誇大宣伝である。そして、「壮絶なクライマックス」とはお世辞でも言えない現金輸送車襲撃の顛末である。大体、邦題の『CrossingDay』とは、原題『What Doesn't Kill You』のどこをどうやって捻ると出てくるのか、甚だ疑問である。

2024年7月28日日曜日

ターミネーター:新起動/ジェニシス(USA、2015年作)監督:アラン・テイラー

 『ターミネーター(1)』(1984年作)は、G.オーウェルの小説の表題『1984』からそのイメージだけは取ったのか、1984年と製作年と同じ年がストーリーの時間軸になっている作品で、A.シュヴァルツェネガー演じるT-800型はこの作品に登場する、連続女性殺人魔の悪玉である。

 元作より上出来という『ターミネーター2』(1991年作)ではT-800型は善玉となり、悪玉が液体合金で出来たT-1000となる。1997年の「最後の審判の日」を阻止するために、母親のサラとその息子のジョン・コナーが活躍する。

 『ターミネーター3』(2003年作)では、1997年に起こるはずの、マシーン側が人類殲滅のために引き起こすことになっていた核戦争は阻止されたかに思われたが、二十歳の青年になったジョン・コナーは、2004年、2032年のマシーン軍から送られてきた女性型ターミネーターT-X型にしつこく襲われながらも、T-800型の改良型T-850に守られ、かつ、後に妻となる女性獣医ケイトと知り合い、彼女と伴に「最後の審判の日」をアメリカ軍の地下壕で迎える。制作年の翌年に起こった核戦争は、やはり阻止できなかったのである。

 これをストーリー的に受けた『ターミネーター4』(2009年作)では、人類軍の指導者となったジョン・コナー(Chr.ベール)が、「最後の審判の日」から14年経った2018年になっても抵抗運動を続けていたが、自分の父となる、孤児少年のカイルをマシーン軍から奪回しようとする中、サイボーグである、元重犯罪者たるマーカス・ライトに助けれて生き延びるというストーリー展開となる。という具合に、ターミネーター・ワールドの存続にはここに至ってストーリー的には袋小路に入った感がある。

 こうして、「ターミネーター」のリブートの必要性が製作者側に強くあったのであろう。「ターミネーター5」とでも言える本作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(2015年作)では、ジョン・コナーが生まれる前のストーリーが再度描かれ、しかも、ストーリー上、もう一本の時間軸が導入される。即ち、これまでの1984-1997-2004-2018-2029/2032という時間軸に対して、1984-1997-2017-2029という、言わば、カイルの視点から見た時間軸が本作では描かれる。そして、この時間軸上における1984年には善玉・悪玉両方のT-800型と、既にT-1000が存在し、2017年にはT-3000なるものが、驚くべき存在として送り込まれていたのである。事程さように、本作は、どんでん返しを含んだ、かなり手の込んだストーリー展開であるが、そこに何かご都合主義の「臭い」が感じられ、筆者にはしっくり行かないものが残る作品である。

 結局、本作では「新起動」とはならず、その次回作(2019年作)でも「再起動」は起こらなっかったのである。「ターミネーター・ワールド」、これで終わっては欲しくないのであるが、さて、「起死回生」はあるのであろうか。

2024年7月21日日曜日

潜水艦クルスクの生存者たち(フランス/ベルギー/ルクセンブルク、2018年作)監督:トマス・ヴィンターベア

 本作は合作映画で、フランス、ベルギーそしてルクセンブルクが資本を出して撮られた作品である。ストーリーがロシア連邦の原子力潜水艦Kurskクルスク沈没がテーマであるから、ロシア連邦も製作に関わってもいい訳ではあるが、ことは、「今は時めく」ウラディミール・プーティンの初めての大統領時代のことでもあり、製作者側は、そのストーリー展開において、「忖度」したようである。本作には、プーティンの「プの字」も出てこない。実は、プーティンは、1999年から2000年まで連邦首相をやった後、2000年5月に彼の履歴では初めての大統領職に就く。その約三ヶ月後にクルスク沈没事件が起きたが、その時の彼の対応の冷たさに一時的にその人気が下がったという、曰く付きの事件であるからである。作中、クルスク乗員の家族を入れた二回目の「説明会」で、この会を取り仕切っていたのはロシア連邦海軍ペトレンコ大将(スェーデンの名優Max von Sydow)ではなく、ウィキペディアによると、プーティン本人であったという。

 しかし、問題の本質は、製作者側の「自己検閲」にあるのではなく、国家秘密、とりわけ軍事秘密の秘匿のためには、助けられる23名の人命をも犠牲にする、所謂「国家理性」の冷血さにあると言うべきである。映画の終盤の遭難者の追悼の儀式において、ペトレンコ海軍大将が行なった追悼の辞は、欺瞞に満ちたものであり、それを見逃さないぞと睨めつける、主人公アヴェリン海軍大尉の息子ミーシャの目こそ、本作のクライマックスであると言える。これがあってこそ、同じ場でミーシャが、ペトレンコ海軍大将の握手のために差し出された手を拒む行為に出たことのストーリー上の説得性があるのである。そして、それを受けて、ペトレンコ海軍大将を演じる、スェーデン人の名優Max von Sydowが、欺瞞を見抜かれた者の羞恥心とそれを隠そうとする内面的葛藤を少しの顔の動きで殆んど天才的に表現したことへ、筆者は万雷の拍手を送るものである。von Sydowは、本作を撮った二年後にフランスで亡くなる。享年90歳であった。

 さて、この秘匿されなければならなかった軍事秘密とは何であったか。それは、原潜Kurskが、ロシア連邦海軍の現役の最新鋭潜水艦であったことである。ソヴィエト・ロシア或いは単にロシアの潜水艦には、その兵装において、魚雷原潜と有翼ロケット原潜があり、有翼ロケット原潜には弾道ミサイル潜水艦と巡航ミサイル潜水艦の二つの型式がある。この巡行ミサイル潜水艦の内、その第三代原潜に当たるのが、949型(NATO側からは「オスカー型」と呼ばれる)が建造された。この949型式は、多数の巡航ミサイルを一度に発射して仮想敵国の空母打撃群を逆に打撃するための対水上艦打撃潜水艦として特化したものである。949原型型は、一番艦が既に1980年に就役しているが、この型は二隻建造されたのみで、この原型型の改良型「949A」は、1986年から就役が開始され、11隻が竣工した。この11隻の内の一隻がKurskで、その艦番号はK-141である。「K」とは、ロシア海軍では「潜水巡洋艦」たることを示す。

 K-141艦は、ソ連崩壊後の1992年に建造が開始され、94年5月に進水、同年12月に就役した。つまり、949A型の10隻目としてロシア海軍北方艦隊に配属された。という訳で、949A型は、ソヴィエト時代に設計・承認された、ソヴィエト連邦の原潜設計技術の極致を体現している潜水艦であり、潜水艦建造の歴史から言っても、全長154m、最大幅18,2mの史上最大の攻撃型潜水艦であった。ここにどうしても守りたいロシア側の軍事機密があったのであり、それは、23名の乗組員を犠牲にしてでも守りたいものであったのである。

 本艦の兵装は、巡航ミサイル24発、魚雷24発、艦首にある魚雷発射管六本である。乗員は、士官44名、下士官・兵68名の112名であり、Kurskの遭難時には乗員111名、司令部要員5名、便乗者2名の、合計118名が乗船していた。

 就航してから運用された約五年間の間に、Kurskが完遂した任務は、僅かに一度だけであり、それは、1999年にコソボ紛争に対応するためにこの地域に派遣されたUSA第六艦隊の動静を監視するために、同艦がほぼ六ヶ月に亘り監視行動を担ったものであった。それ以外は、乗り組み員は地上勤務が多かったと言い、このことが事故が起きる遠因になっているとも言う。

 事故の原因は、映画で描かれている通り、そして、ロシア政府ののちの事故調査報告が述べる通り、過酸化水素を推進燃料とする65㎜魚雷(別の説もあるが、「ウェーキ・ホーミング魚雷」と呼ばれた魚雷)が爆発したことによる。これは、高濃度過酸化水素HTPが不完全な溶接個所から漏れ出たことに因るものであった。この魚雷の爆発が魚雷発射管から外に向かったのではなく、艦内に向かったこと、更に、爆風が換気ダクトを通じて戦闘司令部区画(第二区画)に及び、ここにいた将校達36名を行動不能にしたことで、緊急浮上の措置が全くなされず、また、二分後の更に大きな魚雷数発の誘爆発により、少なくとも第三区画、場合によっては、第四・五区画までが被害を受け、これにより、原子炉発電部が停止し、更に魚雷発射室の真下にあったという非常用バッテリーまでが使えなくなったことにより、艦からの外部への連絡が不能になるという事態が、第二次爆発を辛うじて生き延びて第九区画(艦尾タービン室)に逃げた23名の生き残りには致命的であった。

 事故原因をUSA潜水艦との衝突と主張するロシア海軍側は、独自の救助艇を一隻派遣するが、救助は成功せず、8月12日の事故発生後、9日経った8月21日にロシア側の要請に基づき、イギリス・ノールウェーが送った救助艇から潜水夫が緊急脱出用のハッチを開けることに成功して、約110mの海底に沈んだ艦内に入ることが出来たが、時すでに遅し、乗り組員全員の死亡が確認された。(素人考えではあるが、Kurskの全長が約160mであるから、艦体を艦首を頭にして海底から逆さに立てたら、艦尾側は50m水上から出る計算である。)

 のちの検証に拠ると、一時的に生き延びた23名は、室内の酸素不足による窒息死であり、溺死ではないことが確認されたと言う。本作が描くような、二酸化炭素を除去し、酸素を発生させるカートリッジの取り扱いの誤りにより、室内に火災が生じ、これにより、室内の酸素が急速に奪われたことによる、窒息死があったと言う。その23名の中にドミトリー・コレスニコフKolesnikow海軍大尉(本作中の主人公アヴェリン海軍大尉)がおり、彼こそが暗闇の中、手探りで23名の名前を書き上げた本人であった。

2024年7月3日水曜日

眼下の敵(USA、1957年作)監督:デック・パウエル

 ナチスドイツのUボート艦長von Stolbergフォン・シュトルベルクの名前の一部になっている「von」から、この艦長の出身階層が貴族であることには間違いがないであろう。海軍将校であることから、恐らくはドイツ北部の黒海沿岸やバルト海沿岸、或いはその近くの内陸部の出身であろうと推察できる。そして、自らが、士官学校時代からの戦友である第一当直士官Schwafferシュヴァファー海軍中尉に(名前は「Heinieハイニー」で、von Stolberg艦長はSchwafferのことを名前で呼んでいる)、自分は軍人の家の出身であり、自分の息子達二人も軍人に育て上げたが、一人は飛行機乗りとして戦死し、一人は、同じく潜水艦乗りとして、海の藻屑となって海の底に沈んでいるという身の上話しをしているところから推察すると、von Stolbergは、場合によっては、ドイツ東部にあるElbeエルベ河以東の下層の土地貴族層Junkerユンカー層出身かもしれない。Otto von Bismarckを代表とする彼らこそ、プロイセン王国軍隊の屋台骨を将校連として支えた社会階層であるからである。

 von Stolbergは、Heinieハイニーに誇らしげに言う:『俺は、息子達に教えたものだ。「闘う、義務を遂行する、そして、質問はしない。」と。』自らもそのように叩き込まれたプロイセン軍人精神を、自らの息子達にも叩き込んだ訳であるが、それは、前近代的な「騎士道精神」にもつながることになり、このことが、彼がUボートを浮上させて、魚雷に被弾した駆逐艦にUボートの艦砲砲撃で沈没させようした、戦場における「栄誉礼」の動機であった。このことは、von Stolbergの「驕り」ではなかったのであり、アメリカ人のMurrell艦長がそれをvon Stolbergの「失敗」と評価している点で、独米間の価値観の違いもまた見られて、本作のストーリーにより深みを与えている。

 何れにしても、本作は、第二次世界大戦中の潜水艦と駆逐艦との戦いを描いた古典的作品であるが、それは単なる戦争アクションものに終わっておらず、最後には戦時におけるヒューマニズムを詠う佳作となっている点で一見の価値ある作品となっている。

 Uボート艦長von Stolbergを演じるのが、当時のドイツ映画界を代表する男優Curd Jürgensクルト・ユルゲンスであり、これに対するUSA海軍護衛駆逐艦艦長Murrell艦長を演じるのが、R.ミッチャムで、両男優の演技も本作の見どころであろう。

若草物語(日本、1964年作)監督:森永 健次郎

 映画の序盤、大阪の家を飛行機(これがコメディタッチ)で家出してきた、四人姉妹の内の、下の三人が、東京の一番上の姉が住んでいる晴海団地(中層の五階建て)に押しかけて来る。こうして、「団地妻」の姉が住む「文化住宅」の茶の間で四人姉妹が揃い踏みするのであるが、長女(芦川いづみ)は、何...