2025年8月21日木曜日

オブリヴィオン(USA、2013年作)監督:ジョセフ・コスィンスキー

  本作のストーリー上の現在は、西暦2077年である。今年は2025年であるから、約50年後の近未来の話しである。しかし、本作の制作年は、2013年であったから、この時点から見ると、64年後のストーリーで、しかも、「異星人」Scavengersスカヴェンジャーズ(「街路清掃人」、「ハゲタカなどの屍体を漁る動物」を意味する差別的表現)が地球を侵略し出したのが、2017年のことであるから、制作年の四年後には、エイリアン侵攻が始まって、その侵攻から60年が経った時期のことを描くのが、このディストピア作品である。(因みに、現実の世界で2017年に何が起こったか。第一次トランプ政権が誕生している。)


 Unit49(ユニット・フォー・ナイン)は、男女のチームから成っている。JackとVikaである。ジャック(コードネーム:Tech 49)は、トンボを巨大化したような飛行物体で一帯を見張り、武装したドローンが故障すれば、それを見つけ出して修理する修理屋でもある。一方、ヴィカは、コントロール・タワーから、ジャックにナヴィゲーションを与え、例えば、墜落したドローンの場所を知らせたりするインフォメーション・オフィサーである。


 彼等は、地表から千メートルもあろう高度の高さにあるコントロール・タワーで勤務しており、このタワーは同時に二人のスタイリッシュな住居でもあり、プール付きでもある。ガラス張りの部屋からは、夜には、その一部が破壊された月が見え、月の破壊された部分は、月の周りを回っている。

 月の一部が破壊されたのは、スカヴェンジャー(以下、映画内でも使われている「スカヴ」と略す)が地球に侵攻した時のことで、それにより、地球は、大規模な地殻変動が起こり、大陸は大津波に襲われた。こうして、スカヴは地球上に侵攻してきた訳であるが、この侵攻を食い止めるために、人類側は最後の手段として、核兵器を使用せざるを得ず、地球は放射能汚染で人類が住めない区域が出来たため、生き残った少数の人類は、土星の惑星タイタンに移住した。しかし、この核兵器使用により地球はスカヴの侵攻を食い止めることが出来、それでも生き残っている一部のスカヴがゲリラ戦を続けている。彼等は、ドローンを撃ち落し、それに使われている核燃料を、文字通り、「掠め取り」、それを今度は、タイタンに住んでいる人類のためのエネルギー供給に設置されているhydro rigハイドロ・リグ(海水から重水素を生成し、それを貯蔵する巨大プラント)を破壊したりするのに使うのである。

 Unit49は、Sallyという司令官から指示を受けて、活動しているが、Sallyは、地球の軌道を回っている「Tet」という黒い物体の中にいるらしい。「Tet」とは、tetrahedronというギリシャ語から来ており、tetra-が「四」を、hedronが「座、面」を意味して、「四面体」を指す。この言葉の最初の三文字を採って、「Tet」と名付けられた物体である。「四面体」は、別名、「三角錐」ともいい、円錐の底面が円であるのに対して、角錐の底面が三角形で、角錐として、最も面数が少ない四面で、三角形が四枚合わさって四面体を形成するので、tetrahedronという言い方も可能なのである。この三角錐の底辺の三角形を上部にし、尖った錐の部分を下にして、Tetは地球の軌道を回っている。そして、重水素採取用プラントからエネルギーの供給を受けているのである。

 このTetにいると思われるSallyから、Unit49は司令を受け、任務を遂行しているのであるが、外で働くTech 49に特に当てはまることがある。それは、スカヴに囚われて、情報がUnit49からスカヴ側に流れないように、ジャックもヴィカも過去の記憶は消されていることである。そこから、本作の題名『Oblivion』が採られており、この言葉は、英語で、「忘却」を意味する。さて、Unit49は、何を忘却しているのであろうか。そして、対スカヴ闘争はTet側の勝利に終わるのであろか。

 本作の撮影監督は、Claudio Mirandaで、チリ出身でUSAで活躍している人物である。デイヴィット・フィンチャーの『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年作)で、デジタル式映画撮影作品としては、初めてアカデミー賞と全米撮影監督協会賞にノミネートされた実績を持つ。故に、本作での、モード・グラビア雑誌の写真のようにスタイリッシュな映像に本作は冴えている。

 一方、ストーリーはどうであろうか。原作は本作の監督でもあるJoseph Kosinskiが共同制作した、ある未公開のグラフィック・ノヴェルであるそうであり、確かに、SF娯楽作品としては十分に観るに堪える作品である。しかし、ストーリーとしては、これまでのSF作品のいいところを取ってきて、継ぎはぎしたような感じである。まずは、題名『忘却』から、1990年作の『トータル・ルコール』が思い出される。核戦争による地球の荒廃と人類の存在位置という点では、1968年作の『猿の惑星』のストーリー展開に何か似ている。黒い壁面のTetの存在とその役割という点では、『2001年宇宙の旅』に本作がオマージュしているのではないかとも思われるが、実際、『2001年宇宙の旅』の英語原題は、『A Space Odyssey』で、本作のJackが元々船長であった宇宙船は、Odyssey号というのである。更に、クローン人間の問題は、SF作品としては、山ほどあるであろう。

 とは言え、次の点を、ストーリーの展開上、本作の序盤で上手く組み入れている。つまり、イギリス人Thomas Macaulayトーマス・マコーリー男爵が19世紀前半に書き上げた詩編『Lays of ancient Rome古代ローマの歌物語』の第XXVII章が引用される部分である:

Then out spake brave Horatius,
The Captain of the Gate:
"To every man upon this earth
Death cometh soon or late.
And how can man die better
Than facing fearful odds,
For the ashes of his fathers,
And the temples of his Gods.“

 この歌物語は、古代ローマにいた独眼の勇敢なホラティウスが、エトルリア人の大軍が攻めてきた時に、テヴェレ川に掛かっている橋を戦友二人と三人で守りきった英雄譚で、自分たちの後ろにある橋の土台を壊させながら、この間にエトルリア兵と戦い、頃を見計らって、戦友二人を退却させ、自分は鎧を身に付けたままテヴェレ川に飛び込んで、一説には神々のご加護により助かった、一説にはそのまま溺れ死んだという内容のものである。

 この一節が、本作最後のクライマックスに効いてくるのは、流石にニクイ演出と言える。


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