2022年12月31日土曜日

ダークナイト(GB, USA、2008年作) 監督・脚本・製作:Chr.ノーラン

悪玉が善玉を、その役作りで乗っ取った作品。悪の深遠とはどれだけ深いのか?


 ジョーイ少年は「シェーン!」と呼んだ。その呼び声は広大な山々に木魂のように反響した。しかし、傷つきながらも馬に跨るシェーンは、自らのガンマンとしての業の深さを思いながらも、なおも馬を操って、自分が故郷としようとしたその土地を離れていくのであった。 

 筆者は、この西部劇の名画のラスト・シーンを思い出しながら、本作のラスト5分のシーンを観ていた。

 その時、ゴードン警部補の子供は、「バットマン!」と、走り去ろうとする黒い影の後姿に向かって叫んだ。その無邪気な声は、深く、暗いビルの谷間に木魂していた。復讐の鬼と化していたデント検事に腹部を撃たれ、傷ついたバットマンは、しかし既に、愛用の二輪車に跨ってその場を走り去っていた。その背には、「正義の明るい旗印」となるべきデント検事の、公表されてはならない汚名を、今や「暗黒の騎士」として身代わりになって背負いながら。

 コミックスを実写映画化した、このシリーズの第六弾に当たる本作は、イギリス人名監督Chr.ノーランによって撮られ、コミックとしての、その生まれの素性を裏切るようにそのファンタジー性を否定し、謂わばその現実主義路線をかなり徹底的に追及して出来上がった作品と言える。

 バットマンのトレードマークとも言える、あのマスク、そして夜の闇の中を飛行する蝙蝠の翼、この要素を除けば、それはそのままアクション映画としても通用するタッチである。特に、映画の前半、ブルース・ウェインを演じるクリスチャン・ベールは、そのスマートさから言っても、筆者には「ジェームズ・ボンドではないか」と、見違えたくらいである。この喩えから言うと、モーガン・フリーマン演じる所のLucius Foxルーシャス・フォックスは、ボンド映画の例の技術開発屋Qというところであろうか。

 本作の成功は、この現実主義路線に相応しく、バットマンの敵役となる「Jokerジョーカー」の性格作りにあると思われる。ボンド映画の「悪役」の歴史を辿ることは、ボンド・ガールの歴史的変遷を「美形」が如何に変わってきたかを考察するの役立つのと同様に、考えてみるのに値する、社会学的に見て極めて興味深いことである。これと同様に、本作の「ジョーカー」像による、悪の造形をどう見るか。

 バットマン・シリーズの実写劇映画化第一弾(1989年作)が、この際、上手い比較対象となる。これ以外の作品では、悪役ジョーカーが登場しないからである。奇才T.バートン監督の手になるこの作品では、ジョーカーの役をJ.ニコルソンが演じている。この作品では、ジョーカーの本来の素性や、ジョーカーがどうしてそのような悪の行為に走るかという説明が、ストーリー内でなされており、その犯罪行為の動機は「美」に対する冒瀆行為であると、取り敢えず、その説明が付けられる性格設定であった。しかも、その悪行の数々は、内容的な幼稚性とそのアイロニカルな演じ方とによって中性化されいた。

 今回オーストラリア人俳優Heath Ledgerにより、ほぼ20年後に体現されたジョーカー像は、そのリアル性において他の追随を許すものではない。目の周りは黒に、唇と昔切り裂かれた口角から頬の傷跡を赤に、そしてその他の顔の部分を白に塗る。しかし、そのドーランの塗り様は、完璧ではなく、所々恐らく汗のせいであろう、塗りが剥げている。髪の毛の色は、オリジナルのコミックスでは緑色であるものを、本作では自然の色のままにしている。ジョーカーの本名は何なのか、どのような素性なのかなどは不明であり、突然、悪徳の町に現れ、秩序が崩壊してカオスが生まれるアナーキーな世界への憧憬を持ちながら、神がかった恍惚状態でマスメディアを通じて露出症的に自己顕示するのである。そして、酔った父親によってか自分でそうしたのか、口角の裂けた傷のせいで、舌を時々蛇のようにチョロリと出して、話す時のリズムを整えるのである。

 この、単なるコミックス性を超越した役作りで実在感を持たせられたジョーカー像が、映画史における悪役の歴史の一ページを飾るであろうことは、蓋し、誰も異議を唱えるものではないと思われるが、果たして、如何。

 如何なる事情によってH.レジャーが亡くなったのか、寡聞にして、知る由もないが、その夭逝した才能を悼み、衷心からその冥福を祈るものである。

 そして、さらにその約10年後の2019年には、今度は、Joaquin Phoenixによって体現された「ジョーカー」像が一本の映画となる。この映画は、この悪役が生まれる前史を描くという点で、H.レジャーの「ジョーカー」像をなくしては、考えられないものであることも、ここに付け加えておこう。

2022年12月30日金曜日

幕末太陽傳(日本、1957年作、白黒作品) 監督:川島 雄三

日本映画史上最上の喜劇、古典落語がまた聞きたくなる



 道の真ん中に置いたキャメラ目掛けて二頭の馬が走ってくる。その後ろを侍数人が追い駆けてくる。中に入れたショットで、所は品川宿と分かるが、時代は題名から幕末と分かっている。こうして、ハナの噺でイントロが入ると、『幕末太陽傳』と題字が出る。しかし、驚いたことにその背景は現代、即ち1956/7年当時である。中々粋な出だしである。

 スタッフ・ロールに重ねて、時事ニュース的な名調子の解説が入る。すると、キャメラは、品川駅を出る電車に合わせて右から左に振られ、止まったところが陸橋、それを受けて、今度は京浜国道を走る、中々いかす車に合わせてキャメラは、今度は左から右に頭を振り、止まって、品川の街の一角を捉える。その止まったところから、キャメラはさらに品川の街に入り込み、「実用旅館・さがみホテル」の前で立ち止まる。

 このキャメラの動きは、品川宿の歴史的発展をしっかり踏まえたものである。この映画の冒頭を飾るナレーター、俳優の加藤武が言う:「東海道線の下り電車が品川駅を出るとすぐ、八ツ山の陸橋の下を通過する...京浜国道にやや並行して横たわる狭苦しい街。これが東海道五十三次、第一番目の親宿、品川宿の今の姿だ...」と。

 ナレーター氏は、1956年成立の売春防止法によって所謂「特殊飲食店」が非合法化されることにより、品川遊郭も350年を誇るその歴史を1958年には閉じることを告げる。(この辺の事情は、川島監督自身の1956年の作品『洲崎パラダイス赤信号』や溝口健二の同年の作品『赤線地帯』が参考になる。)

 江戸時代には、日本橋から二里の距離にある品川宿では「旅籠」屋は宿泊施設というよりも、遊興施設として存在しており、旅籠屋の大方は、役人や大名が泊まる「本陣」や食料持参でただ泊まるだけの「木賃宿」と異なり、食売女(めしうりおんな、飯盛女とも)を置いている「食売旅籠」と言われた。この「食売女」が女郎・遊女の役目を果たしたのである。こうして、「北国」(ほっこく)と呼ばれた北の吉原と並び、「南国」または「南蛮」と呼ばれた遊里となったのが、品川遊郭であると言う。

 ナレーターの話が終わるとともに、「さがみホテル」のネオンがフェード・アウトし、妓楼「相模屋」の行灯が浮かび上がってくる。こうして、ストーリー世界は再び文久二年(1862年)に戻る。この絶妙に滑らかな映画的語り口を以って、本作のストーリーがさらに展開していくのである。

 ストーリー自体は、幾つかの落語を土台にしてあるそうであるが、まずは元々は北国吉原の噺『居残り佐平治』を軸に、それに何本かの噺を付け足し、このフィクションの世界に、歴史的事実としての、文久二年に起こった、長州藩士高杉晋作らが企て・実行した「英国公使館焼き討ち事件」を盛り込んでいる。実際に、この事件は品川で起こった事件であり、高杉たちは、この「相模屋」に逗留していたとのことである。監督川島も参加し、今井昌平及び田中啓一が練りに練った脚本である。

 中でも、小沢昭一と名女優左幸子が繰り広げる心中物のパロディーは滑稽味の極上品、それにフランキー堺が演じる左平治の、江戸っ子振りも中々スパッとして気持ちがいい。しかし、これだけでは底の浅い喜劇だが、そこは川島監督、左平治を労咳病みで、あのヘボン式ローマ字のヘボン先生から自己治療の方法を授けられているとする。左平治が時々見せる、その性格の陰影は、この良質の喜劇に、さらに重厚感を与えている。いつもは機転の利く「都会人」左平治が、映画終盤で杢兵衛大尽が体現するところの田舎者の実直さには最後には歯が立たなくなって逃げ出すというのも、中々のオチである。

 最後に、題名が何故「太陽傳」なのかであるが、それは、日活が本作の前年に製作した『太陽の季節』(古川卓巳監督)や『狂った果実』(中平康監督)が大ヒットし、時代の風俗としての、既成の道徳観念を何とも思わない「太陽族」が出現していたことに関係がある。本作の主演の一人南田洋子は、『太陽の季節』のヒロインであり、高杉を演じている石原裕次郎も同じ映画『太陽の季節』を切っ掛けに映画界入りするのである。蓋し、高杉ら勤皇の志士を幕末の「太陽族」と見なしたのは、川島監督らの、ストーリー上の、極めて極上の「冴え」であろう。

2022年12月29日木曜日

ビッグ・アメリカン(USA、1976年作) 監督:ロバート・アルトマン

痛烈な諷刺作品「M★A★S★H マッシュ」(1970年作)を撮った監督の腕がまたもや冴える!


 本作品に登場する、Buffalo BillことWilliam F. Cody (1846-1917), 名優B.ランカスター演じるところの、酒場に入り浸りのジャーナリスト兼作家Ned Buntline(1823-1886), そして、もちろん1866年からの十年間の、北米インディアンの「民族解放闘争」の最大の立役者の一人“Sitting Bull“(1831頃-1890)の、何れも歴史上の実在の人物である。

 さて、「Wild West」を売り物にするショー・ビジネスのアイディアは、実はもう一人の「Bill」が既に1870年代の初めに持っていたものである。この「Wild Bill」の本名はJames B. Hickok (1837-1876)といい、アメリカ史上、ヒーロー・ガンマンとして有名となり、また、バッファロー狩りの名手として勇名を馳せた人物である。その名声を、上述のニューヨーク出身のジャーナリストN. Buntlineが聞き及び、彼とのインタビューを売り出そうと考えてBuntlineは西部に出かる。しかし、彼がWild Billに追い返されて、すごすごとニューヨークに戻ろうとしていたところで、彼が、Wild Billとも知り合いであったBuffalo Billに出会い、この人物に惚れ込んだことで、『辺境の王、Buffalo Bill Cody』という三文小説を書くのである。これがまた世間で意外と当たったのである。しかし、1873年には、BuntlineとCodyの仲は悪くなり、二人は袂を分かつこととなる。

 それでは、この三文作家Buntlineと別れたCodyの方はどうなったか。Codyもまた、元々はWild Billと同様に南北戦争中とその戦後、故に1860年代にスカウトとして働いていた。その傍ら、バッファロー狩りの名手として鉄道会社の建設作業員にバッファローの肉を供給する仕事をし、ここから、通称となるBuffalo Billの渾名が付くのである。

 Buntlineと会う70年代の初めまでは駅馬車の御者として生計を立てていたが、Buntlineとの邂逅が彼の人生を大きく変えることとなり、Buntlineと訣別した後は、下積み時代を過ごした後、1883年に自分のショービジネス「企業」を興すに至る訳である。その「企業戦略」の一環が、例の「悪名高き」Sitting Bullの謂わば「見世物小屋」への呼び込みであったのである。

 では、そのSitting Bullであるが、彼はスー族の酋長として白人の西部侵攻に抵抗し、あの有名な、カスター中佐(正式には「将軍」ではない)の指揮する第七騎兵連隊が殲滅される1876年のリトル・ビッグホーンの戦い(先住民族の呼び名では「Battle of the Greasy Grass」)の、精神的指導者であった人物である。戦いの後は、騎兵隊に復讐の対象として執拗に追われる身となり、一時カナダに逃げたりもするものの、結局インディンの生活の基盤となるバイソンが根こそぎ捕獲されたことで、その生活の道を断たれて、1881年にアメリカ政府側に投降するところとなり、インディアンにとっては屈辱的である「居留区」で生活することを余儀なくされていた。

 そんな中、彼は、1885年にBuffalo Billに雇われることとなり、そのことを通じて、アメリカ政府側の彼ら先住民に対する違約行為を公にしようとしていたようであった。1890年12月半ば、交霊踊りの祭礼行為から発生したいざこざから、官憲当局に捕らわれる身となり、その直後官憲の手によって射殺される。その遺体は冒涜されたという。

 以上、比較的詳しく本作品に登場した人間たちの伝記的関わり具合を書き並べたが、それは、それと映画のストーリーとのギャップを浮かび上がらせることで、確かに元になる演劇作品があるにはせよ、巨匠アルトマンの制作の意図を明らかにしたいからである。

 Wild Billは映画では登場してこないが、彼は長髪であったようで、P.ニューマンの演じるダンディーな「Buffalo Bill」の身なりのモデルになっているようである。Buntlineとの訣別は実際には1873年のこと、Sitting Bullの死は1890年のこと、何れもその時点を演劇効果を高めるために後ろと前にずらしている。

 しかも、ショービジネスの虚飾性を暴露する、この映画の本旨は、(巨匠アルトマンの同様の意図の、1994年の作品『プレタ・ポルテ』を思い出してもらいたいが)一方では、アメリカ西部の「英雄」伝説を作り上げた知識人の「著作権」の主張(作家Buntlineの立場)を排除し、他方では、カスター「将軍」英雄伝説において、「悪玉」たる先住民族の生存権(北米インディアンSitting Bullの立場)が踏み躙られる、白人側の利己的な自己讃美の傲慢さの暴露であった。

 映画のラストシーンのBuffalo Billの倣岸な自己讃美は、しかし、この映画が制作された年代1976年を歴史的文脈に入れて考えると、それはベトナム戦争が終わった翌年のことであり、慢心のアメリカが「原住民族」に敗れたその倣岸さへの痛烈な皮肉であったのである。さすがは、「M★A★S★H マッシュ」(1970)を撮った監督の腕の冴えようだと言える。作中の、あの音程がずれた将来のアメリカ国歌の合唱が更にその感を強めている。原題は、Buffalo Bill and the Indians, or Sitting Bull's History Lessonである。

 抑圧された者たちから見た、歴史から学び取れる「教訓」を大事にしたいものである。

2022年12月23日金曜日

暗殺(日本、1964年作) 監督:篠田 正浩

「奇妙なり八郎」、幕末の策士・清河八郎とは誰だったのか


 アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが黒船で日本に来航した時、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれたと言う。「上喜撰(じょうきせん:上物の緑茶喜撰)」とは、蒸気船をもじったものであり、「四杯」とは、四艘のことである。こうして始まった開国論争は、まもなく幕府の威信を揺るがし、1860年以降の幕末へと、250年の「泰平の眠り」を謳歌した江戸時代は、その最終段階へと突入する。

 さて、その幕末の政治状況を理解する一つの指標としては、「佐幕」か「倒幕・討幕」かという二項対立の軸がある。

 一方、「鎖国」か「開国」かという軸もありそうではあるが、これは1854年以降、開国が実施され、その実害が物価上昇という形で一般庶民にまで及んでいたことを鑑みれば、日本人の誰しもが開国反対であった筈である。問題はそこから、水戸学派的、或いは平田国学的な民族主義としての「攘夷」にまで過激になれるかどうかであっただろう。攘夷論を説く孝明天皇自体が「敬幕」であったことを鑑みれば、攘夷即ち倒幕とは簡単には割り切れないのである。

 そして、この「攘夷論」は、薩英戦争の時点(1863年)までに、現実的な国際政治力学上、実現が無理であることが判明する。これに対して、「尊王・勤王」において、「王」とは、武力の覇道を以ってする支配する覇者に対して、徳を具える王道を以って支配する王者を意味し、幕末の政治文脈では「王」が大王(おおきみ)たる天皇となって「尊皇」となるすれば、「尊王」たることは、一義的には「反幕」とはならないのである。

 「尊王(皇)・佐幕」という立場、朝廷からの大命により征夷大将軍として「大政」を預かっている公儀、即ち幕府があってこそ、「尊王攘夷」も成り立つという考え方もありえたのであった。この立場からは、所謂「公武合体論」への立場も遠くないのであり、「尊皇」が「討幕」に結びつくのは、幕藩体制を批判する社会革命的要素、つまり武士階層の下層にあった、百姓より貧しい郷士層出身の知識人・武士が政治革命を志向することによって可能になったのである。

 本作の主人公、庄内藩郷士・清河八郎(1830-1865)は、正にこの郷士層の出身である、尊皇派であった。文武両道に秀で、江戸で清河塾を経営したが、彼は、尊攘運動を唱道するも、自らの才に溺れた策士でもあった。

 本作でも言及される、約250名の浪士組の手勢で京都で「清河幕府」樹立を夢想するなど、悪く言えば、はったりを利かせた「詐欺師」とも言えなくはない人物である。ここに「佐幕」と「討幕」の間を綱渡りした清河の「不可解さ」があったと言えるだろうし、「奇妙なり八郎」という異名も頷けるものである。

 本作は、この清河の「奇妙さ」を、彼と関わった人間たちに証言させることで、ストーリーを展開する、実に語り口の上手い仕上がりになっている。清河という毒をもって「毒」、つまり反幕の「勤皇志士」を制しようとする松平主税介(名優岡田英次)、清河の妾お蓮(岩下志麻)、幕臣で同志の山岡鉄舟、その妻英子(彼女が暗殺後刎ねられ、奪還した清河の首級を保管した)、清河の弟子たち、そして坂本龍馬などがそれぞれの清河像を語っていく。白黒で、陰影のコントラストを上手く使った映像、映像のぶれることを嫌わないカメラワーク、さらには、一人称の語り口も入れたカメラ・アングル(撮影:小杉正雄)など、本作では、視覚的にも十分耐えうるものを、松竹ヌヴェル・ヴァーグの「三銃士」の一人・篠田正浩監督はものにしている。

 惜しむらくは、坂本龍馬をも後に暗殺したとされる佐々木唯三郎(木村功が好演)が、本作ストーリーにおいて、確かに重要な役割を本作では演ずるものの、しかしながら、ストーリー自体の眼目は、俳優丹波哲郎がその大時代の演技でうまく体現した、清河の「不可解さ」であり、この点、タイトル名とストーリーの主題がずれているということであろうか。

青い山脈(日本、1963年作)監督:西河 克己

 冒頭から立派な天守閣が大きく映し出され、早速、この城にまつわる話しが講談調で語られる:  「慶長五年八月一八日の朝まだき、雲霞の如く寄せる敵の大軍三万八千に攻め立てられ、城を守る二千五百の家臣悉く斬り死に、城主は悲痛な割腹を遂げ、残る婦女子もまた共に相抱いて刺し合い、一族すべて...