2025年2月26日水曜日

昭和残侠伝--吼えろ唐獅子(日本、1971年)監督:佐伯 清

シリーズ第八作

時:関東大震災の年1923年から8年後というから、1931年
場所:最初は前橋で、小諸経由で、金沢
対立抗争:東京のやくざ組織と関わって、金沢の伝統的組とそれに対抗する悪徳組織の対立
高倉は渡世人であるが、金沢の悪徳組織の客人である。池辺は、金沢の伝統的組の元組員で、今は堅気の男である。
ヒロイン:高倉と相思相愛の仲の女で、今は金沢の伝統的組の組長の妻:松原智恵子

 ある寺の墓地で、既に土葬にされた弟文三とその恋人おつたの墓の前に立つ重吉であった。画面右後ろから秀次郎が画面内に入ってくる。それに気付いた重吉が、秀次郎の顔を見ないまま、「秀次郎さん、二度と持たねえと誓ったドスですが、所詮は染み付いた垢。笑ってやっておくんなさい。」と語りながら、重吉は左回りに身体を回し、若干軸が外れる位置ではあるが、秀次郎と背中合わせになるような形になる。言い終えたところで、重吉は振り返る。すると、秀次郎も振り返って、二人は目と目を合わせる。秀次郎が言う:
「重吉さん、お互い馬鹿が承知の渡世だ。ご一緒さしてもらいますよ。」
顔だけではなく、身体も秀次郎に向けて、重吉は言う:
「あたしたちには、赤い着物か...」

「白(しれ)い着物だ。」と、秀次郎は、重吉の言葉を受けて、言い切る。

 アップにされたままの重吉が、左の口角を若干上げて、苦笑いするようにして、肯く。カメラは逆方向で秀次郎の顔をアップで撮る。無言のままの秀次郎のアップから、カメラが返しでまた重吉の胸までの大きさで重吉を捉える。重吉の顔は右を向いて画面の左方向に歩き出す。二・三歩歩いたところで、BGMで、高倉健が歌う『唐獅子牡丹』の主題歌が流れ出す。朝霧が立ち込めた中である。秀次郎も数歩遅れた形で重吉の後ろに付く。重吉は、黒の着物に白の帯、秀次郎は、灰色の着物に紺か黒の帯である。

 カメラは、一時、正面から二人を写すが、また、後ろに回り、二人が今度は薄野の中を歩いているのが分かる。この道が、仁義の花道である。カメラは、立ち止まって、二人が画面の奥に続けて歩いて行くのを見送る。

 すると、撮影方向が替わり、重吉を画面の左に、秀次郎を画面の右に置いて、二人を横から捉える。歌の一番が終わったところで、アングルは斜め上からのものとなる。画面の手前にはガス燈の灯りがほんのりと見える。再び、横からのアングルに戻り、静かな何か木管楽器のような音のBGMが低く聞こえる。

 カメラは、今度は枯れ木を手前に置いて、正面から奥で二人を捉える。歌の二番が始まる直前、二人は、手に持っている長ドスを包んでいる布をほどき、ほどいた布を道端に放り投げる。二人は、木の前で固定されていたカメラの、観ている方から見て左の方に通り過ぎたところで、画面が替わり、稲葉組の家がある通りとなる。通りの奥から歩いてくる二人は、稲葉組の玄関の少し前で、今までの左右の位置を変えて、今度は重吉が画面の右に、秀次郎が左に立つ。歌が終わるのと共に二人は長ドスを抜く。BGMも消えたところで、秀次郎と重吉は、稲葉組の家の中に斬り込んでいくのである。

 ところで、本作の約16分台から次のような旅人の食事の作法が描かれる:

 まず、「御厚情に預かります。」と挨拶する。座席に着くと、懐から懐紙を取り出し、左側の畳の上にそれを置く。膳の手前・左に山盛りにした茶碗、その右側に味噌汁、膳の左上に沢庵二切れ、膳の右上に焼き魚が置いてある。まずは、飯を一口、そうして、味噌汁をすすると、焼き魚に箸を持って行くが、魚の尻尾は、さっきの懐紙の上に置く。飯一膳だけでは縁起が悪いので、お替りをするが、もう一杯飯が食べきれないと分かっている時には一膳目の茶碗の飯の中央に穴を作り、それにお替り分を盛り足してもらうのが作法に叶った飯のお替りの仕方である。米一粒も残さずに食べるのが作法であり、焼き魚の骨と頭も先程の懐紙に置き、その懐紙を二つ折りにしてそのまま懐に入れる。後で、外に出た時に、その懐紙は目立たないようにして捨てる。「手厚き、御もてなし、ありがとうございました。」と言って、座席を立つ。

 現代と言えども、見習いたい作法である。

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