本作は、オムニバス形式で、三つの短編からなっており、合計で67分である。一本20分程度の長さの短編アニメを、一つのテーマ「別離」でまとめたものである。『ほしのこえ』も、同様のテーマであり、また25分の短編であった。
ストーリーのセッティングとしては、小学校から中一年生にかけた男女生徒の、出逢いと離別から本作は始まる。年齢の割には「大人」である二人の精神発達のレベルを、少々訝しく思いながらも観る筆者にとってさえ、本作の第一話「桜花抄」は、鉄道の旅も含めて、浪漫的であり、雪景色の中での櫻の木の下でのシーンは、主人公の年齢を無視すれば、一幅の「絵」でさえ、あり得る。
ゆえに、第一話での年齢を引き上げて、両者を高校三年生としてはいかがであろうか。より現実味が増すと思われる。それに合わせて、第二話「コスモナウト」は、大学での片思いのストーリーとしよう。一途に主人公を想う澄田花苗(かなえ)の、みずみずしさと痛々しさは、女子大学生の年齢でも十分に表現できるはずである。
第三話の、櫻の花が地上に落下する速度を表すという題名の「秒速5センチメートル」でのセッティングは、原作同様の、主人公が社会人となっているものでそのまま行けるはずである。同様に、主人公と三年も付き合っていて、それでも、「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」水野理沙の切なさと無残さは、主人公の、第一話での、初期体験の「初恋」の想い入れを強調するためだけの役割を持つとしても、本作を観る者にとっては、極めて印象に残るプロットである。
さて、新海アニメのストーリー展開には、「喪失感」の契機が大きな役割を演じていることに注目すべきであろう。それは、つまり、男女の出逢い、別れ、そして、その喪失感に由来する「想い」の強烈さである。この契機は、新海がアニメ作家としてアニメ界で有名になった、2002年の、ほぼ自作自演の短編アニメ『ほしのこえ』以来、『言の葉の庭』までの新海アニメに、はっきりと通底するものである。そして、物語りの語りの視点は、基本的に男性、否、男子である。この傾向が違ってくるのが、『言の葉の庭』後の、『君の名は。』(2016年作)以降である。ゆえに、『君の名は。』以降を以って、新海アニメ・ワールドは、第二段階に入ったと言えるであろう。
という訳で、『君の名は。』以降、制作形態も変わっているのであるが、本作での制作形態は、新海をアニメ界で有名にした『ほしのこえ』と同様で、無声映画期のチャップリンを思わせる「ワンマンショー」ぶりである。監督、脚本は当然として、メディア・ミックスということで原作も書き、絵コンテならぬ「ヴィデオ・コンテ」を精密に描きあげる。
本作では、さすがにキャラクターデザインと作画監督には、他のアニメーターを持ってきてはいるが、演出は新海であり、新海アニメの「肝」となるべき、フォト・リアリズム・アニメに肝要な、色彩設計、また、とりわけ光効果に大事である撮影のパート、そして、編集(本作では共作)は、新海が担当している。このことを以って、正に、新海が「アニメ作家」たりと呼べる理由である。
ゆえに、第一話での年齢を引き上げて、両者を高校三年生としてはいかがであろうか。より現実味が増すと思われる。それに合わせて、第二話「コスモナウト」は、大学での片思いのストーリーとしよう。一途に主人公を想う澄田花苗(かなえ)の、みずみずしさと痛々しさは、女子大学生の年齢でも十分に表現できるはずである。
第三話の、櫻の花が地上に落下する速度を表すという題名の「秒速5センチメートル」でのセッティングは、原作同様の、主人公が社会人となっているものでそのまま行けるはずである。同様に、主人公と三年も付き合っていて、それでも、「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」水野理沙の切なさと無残さは、主人公の、第一話での、初期体験の「初恋」の想い入れを強調するためだけの役割を持つとしても、本作を観る者にとっては、極めて印象に残るプロットである。
さて、新海アニメのストーリー展開には、「喪失感」の契機が大きな役割を演じていることに注目すべきであろう。それは、つまり、男女の出逢い、別れ、そして、その喪失感に由来する「想い」の強烈さである。この契機は、新海がアニメ作家としてアニメ界で有名になった、2002年の、ほぼ自作自演の短編アニメ『ほしのこえ』以来、『言の葉の庭』までの新海アニメに、はっきりと通底するものである。そして、物語りの語りの視点は、基本的に男性、否、男子である。この傾向が違ってくるのが、『言の葉の庭』後の、『君の名は。』(2016年作)以降である。ゆえに、『君の名は。』以降を以って、新海アニメ・ワールドは、第二段階に入ったと言えるであろう。
という訳で、『君の名は。』以降、制作形態も変わっているのであるが、本作での制作形態は、新海をアニメ界で有名にした『ほしのこえ』と同様で、無声映画期のチャップリンを思わせる「ワンマンショー」ぶりである。監督、脚本は当然として、メディア・ミックスということで原作も書き、絵コンテならぬ「ヴィデオ・コンテ」を精密に描きあげる。
本作では、さすがにキャラクターデザインと作画監督には、他のアニメーターを持ってきてはいるが、演出は新海であり、新海アニメの「肝」となるべき、フォト・リアリズム・アニメに肝要な、色彩設計、また、とりわけ光効果に大事である撮影のパート、そして、編集(本作では共作)は、新海が担当している。このことを以って、正に、新海が「アニメ作家」たりと呼べる理由である。
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