2023年8月13日日曜日

TENET(イギリス、USA、2020年作)監督:クリストファー・ノーラン

 アメリカUSAの反ナチ・プロパガンダ映画『カサブランカ』のラストシーンを覚えている方は、本作のラストシーン直前のプロットが、『カサブランカ』へのオマージュであることが直観できるであろう!『カサブランカ』では、フランス・ヴィシー政府との関連からナチに「中立」的なカサブランカの警察署長・ルノーに向かって、カサブランカ駐在のナチ将校・シュトラッサー大佐を射殺したアメリカ人リック(H.ボーガート)が、"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship." と言う場面があり、正に、悲劇的な形で、本作では、ある友情の始まりと終わりが同時に語られるのである。この意味でも、本作の監督Chr. Nolanが書いた脚本はよく出来ている。オマージュという点では、もう一本、フランスの犯罪・スリラーものの傑作『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、1960年作)からの、間接的な引用(ボートに綱で曳かれる遺体の場面)が、本作の終盤に出てくることもここに述べておこう。

 さて、「SATORスクウェア」というものがある。縦・横五つずつのマスを取ると、25の区分が出来る。これに、ラテン文字を一つずつ入れていくのであるが、一番上の段にS・A・T・O・Rの五文字を入れるところから、この名称が付いている。

 さらに、縦の一番左の列にA・T・O・Rの四文字をS字の下から入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A

 T

 O

 R

 今度は、この方形の右下から、S・A・T・Oの四文字を、右読み、上に向けて入れていくと、以下のようになる:

 S A T O R

 A    O 

 T    T

 O   A

 R   O T A S

 SATORとは、ラテン語で「種を蒔く人」で、第五段目を今度は左読みすると、ROTASとなり、これは、「車輪、ホイール」の意味である。ゆえに、意味としては、「種を蒔く人は、車輪を」となる。本映画では、Satorとは、ロシア人武器商人で、未来と交渉のある人間の名前である。一方、Rotasとは、Satorの持っている建設会社の名前で、オスロ空港にある、脱税の目的で輸出入品(絵画などの芸術品)を保管している会社Freeportの所持している建物を建てた会社である。

 次に、SATORスクウェアの二段目に、左からR・E・Pと、四段目には、五列目のA字の左からR・E・Pと三文字を入れてみよう:

  S A T O R

  A    R   E    P    O 

  T                       T

  O   P   E    R     A

  R   O T A  S

 こうして、さらに、左から二列目と四列目の上から三段目にそれぞれE字を入れると、左から二列目には、また、AREPOが、二段目と同様に出来、四列目を下から読み上げると、AREPO、同列を上から読み下げると、OPERAという言葉が、さらに四段目を左読みにすると、同様にOPERAという単語が出来上がる。Arepoとは、恐らく、固有名詞であり、人名であると想像されており、Operaは、ラテン語で「仕事、努力」などの意味である。こうして、上の段から読んでいくと、「種蒔きのアレポは、仕事として(努力して)車輪を...」と解読できる。一方、本作では、Arepoは、フランシスコ・デ・ゴヤの絵を贋作した人物として、名前が挙げられ、本作の、名無しの主人公「Protagonistプロタゴニスト」が、Satorやその妻に接近する切っ掛けとなるものである。また、Operaは、絵画に対する音楽のオペラとして、本作冒頭の、キエフのオペラ・ホールの名称として登場する。

  S A T O R

  A    R   E   P    O 

  T    E         E     T

  O   P    E   R     A

  R   O T A  S

 上の図に、最後に、画竜点睛ではないが、このSATORスクウェアの中心にN字を嵌め込むと、三段目と三列目の左右上下、どのように読んでも、TENETという言葉が出来上がる。この言葉は、ラテン語で「維持する、保持する」の意味であるが、本作では、ある秘密作戦名として登場する。しかも、この言葉は、右から読んでも、左から読んでも同じ言葉になる、いわゆる、Palindrome回文である。そして、N字を二重に取るなら、右から読んで、ten、左から読んでも、tenで、つまりは、数字の10となり、N字が、時空上の結節点となるとすると、本作のクライマックスとなる、旧ソ連邦にある立ち入り禁止地域Stalsk-12での作戦が、昼の12時をN点とすると、それに順行する10分間と、N時点に逆行する10分間の、時間的に挟み撃ちに、つまり挟撃される時空を意味することになる。本作は、正に、監督Chr.ノーランによって、緻密に考え抜かれた、観る者の知的興奮を呼び起こす傑作である。

 量子力学やエントロピーの理論を以って、なぜ時間の逆行、より正しくは運動の逆行が可能なのかの説明が映画中にあることはあるが、Protagonistが映画の序盤で出会う女性科学者ホイーラー(Rotasの言葉と関係ありか?)が言っている通り、それは、見方の問題、感覚の問題であると言う。順行であれば、撃った弾は拳銃から飛び出し、逆行であれば、撃たれた弾を拳銃で受け止めるという、見方の問題なである。

 或いは、こう説明しよう。西部劇などを観ていて、走っている馬車の車輪が逆向きに回っているように見えることがある。この現象を、「ワゴンホイール効果」という。映画撮影では一秒間に24コマずつ静止画を撮り、それを連続再生することで、動画化している。つまり、毎秒二回転している12本スポーク付きのホイールを、毎秒24コマの映画用のカメラで撮影すると、スポークの位置がいつも同じ位置で映り、ホイールの回転が止まっているように見える。このホイールの回転速度が、毎秒二回転より遅くなると、今度は、静止状態から、ホイールが逆回転しているように見える動画になる。運動の逆行の現象も、こう考えると、カメラを目とすると、見方の問題となる訳である。

 であるので、理論的にどうして時間の逆行が可能なのかを推理するよりも、それが可能な映画的世界としてこのことを受け止めてしまうと、観ている者も、抵抗感がなく、ストーリー展開が楽しめるであろう。ゆえに、本作は、二度、三度と観られることをお勧めする。何回かと観ていくうちに、抵抗感が次第に薄められていくからである。

 なお、映像は、素材がIMAX版及び70㎜版であり、やはり、映画館の大画面で観たいものあるが、時間を刻むような音楽(本作より三年後に発表されたChr.ノーラン作の『オッペンハイマー』でも共作することになる、スェーデン人作曲家Ludwig Görranson)と共に、Chr.ノーラン組とでも言える、スイス生まれのオランダ人撮影監督Hoyte van Hoytemaとアメリカ人の女性編集者Jennifer Lameの仕事振りをじっくりと楽しみたいものである。

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