2023年8月14日月曜日

シャンボンの背中(フランス、2009年作)監督:ステファヌ・ブリゼ

 「直球、ストライク!」、この映画の、内容ではなく、ある「恋」の顛末を語る、その語り口を一言で綴るなら、こう言えるかもしれない。本作は、男の感情の動きを男の視線でエゴイスティックに描いているからである。なるほど、本作では、男性監督が、女性脚本家の助けを借りながらではあるが、自身で脚本を書いているのである。そして、本作の「味噌」は、中年男性の子持ちのピッチャーに、振りかぶるまでに随分時間を掛けさせ、自分に自信のない、未婚の若い代理女性教員には、直球を受けるためのミットを手に中々はめさせなかったというところであろうか。

 フランスの、ある地方都市での出来事である。時代は、未だCDが主に使われている頃である。フランスでの事情がよく分からないので、断言が出来ないのであるが、未だに「Madmoiselleマドモアゼル」という言葉が使われている時代である。既婚であるか、未婚であるかで、女性に対する「さん付け」を変えていた時代と理解するか。英語の、未婚女性に対するmissに対応するドイツ語Fräuleinフロイラインは、ドイツでは今は死語と化している。昔は、年を取っていても教員であれば、しかも、女性教員は未婚であることが前提とされていたことから、女性教員を、「Fräulein何某」と呼んでいたものである。フランスでもこの伝統があることから、本作のセッティングでも、女性の代教をMadmoiselleと未だに呼んでいるのかもしれない。

 さて、本作の原題は、「Madmoiselle Chambon」という。邦題は、『シャンボンの背中』としてあるが、蓋し、これは、天才的命名である。なぜなら、いかに既婚で子持ちのJeanジャンが、Madmoiselle Chambonに恋し始めたかの契機を一言で言い当てているからである。同じくフランス映画で『クレールの膝』(エリック・ロメール監督、1970年作)という作品がある。ある中年男性が若いクレールの膝を見て、彼女に恋するストーリーで、『シャンボンの背中』と名付けた日本の配給会社の担当員は、中々の映画通である。筆者としては、惜しむらくは、Chambonは、苗字であり、Madmoiselle Chambonの名前Véroniqueヴェロニクを使って、『ヴェロニクの背中』としたいところではあるが。

 ここで本作で使われている曲を挙げておくと、Jeanに望まれてMadmoiselle Chambonが自分のアパートで弾くヴァイオリン曲は、ハンガリー人のフランツ・フォン・ヴェチェイ(Vecsey)作曲の『La Valse Triste哀しみのワルツ』、Madmoiselle ChambonがJeanに頼まれてJeanの父親の誕生日で弾く曲は、Edward Elgerの『Salut d'Amour愛の挨拶』、そして、エンディング・ロールで流れてくるシャンソン曲は、シャンソニエBarbaraが歌う『Septembre Quel joli temps九月 なんて素敵な時よ』である。このシャンソンは、Madmoiselle Chambonの心持ちを歌った歌詞内容であるように思われ、夏が終わり、秋が始まる季節に、愛とも別れなければならないが、つばめが、夏が来ることを告げるように、今度の夏には貴方は戻ってくるかもしれないという希望で終わっている。

 最後に一言:

 Jeanを演じたVincent Lindonと、Madmoiselle Chambonを演じたSandrine Kiberlainの二人は、実は、1998年から2008年までの10年間、夫婦であった。本作の上映が2009年であるから、本作の撮影中は、二人は、既に別居中か、家庭裁判所で調停後の関係であり、そんな中でも二人は本作で共演していたことになる。という訳で、お互いの了解で離婚したと言うことであろうが、そんな二人が、出会って恋に落ちるという、恐らくは二人が結婚する前の、10年以上の前の自らの出会いと焦がれる恋を演じた演技力に、流石の俳優業のプロフェッショナル性が感じられるのである。

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