2023年8月17日木曜日

ミッドウェー 運命の海(USA、2019年作)監督:マイク・フィリップス Jr.

 本作の主人公Norman Francis Vandivierヴァンディヴィエー(名前からして、フランス系アメリカ人か)は、1942年6月4日(日本時間では、21時間の時差があるので5日)、太平洋戦争における転機点となるミッドウェー海戦において、航空母艦Enterpriseエンタープライズ号より、艦上爆撃機「Dauntlessドーントレス」に搭乗して、日本の航空母艦を撃滅するために発艦した。さて、彼は、その任務を遂行できたのであろうか。

 映画は、しかし、攻撃の在り様を意外とあっけなく済ませた後は、攻撃後のN.F.ヴァンディヴィエーの運命を語り続ける。つまり、本作の意図は、ミッドウェー海戦の展開を綴ることに眼目を置いているのではなく、撃墜された後の、恐らく数日間漂流したであろうN.F.ヴァンディヴィエーの運命を代表させて、この海戦でアメリカ側の飛行搭乗員が舐めたであろう海上漂流の辛さを、N.F.ヴァンディヴィエーの人生の個人的回想を一部交えて、描いたものである。

 本作の監督であるMike Phillips Jr.マイク・フィリップスJr.は、約15年を掛けて実際にあった出来事を映画化しようとしたと言う。脚本は、Adam Kleinアダム・クラインが書いたことにはなっているが、原案はM.フィリップスが、当時の経験者の回想録などを参考にしながら、作っていたものであり、A.クラインはこれを手直ししただけであったと言う。製作もM.フィリップスが関わっており、この彼の拘り方は、尋常のものではなく、調べてみると、やはり、彼の個人的な関心があったのである。

 実は、本作に登場するThomas Wesley Ramsayラムゼイも、N.F.ヴァンディヴィエーと同様に、エンタープライズ号より艦上爆撃機Dauntlessに乗って、空母加賀への攻撃に加わり、その際に撃墜されて、八日間漂流した後、幸運にも、ある偵察・爆撃機用飛行艇PBYカタリーナ(双発で六人乗り)に救助されたのであった。しかも、このカタリーナ機のパイロットは、Th.W.ラムゼイのハイスクール時代のクラスメートであった。Th.W.ラムゼイは、1943年4月に、Navy Cross海軍十字章を授与された。Th.W.ラムゼイと同様に、N.F.ヴァンディヴィエーも、また、本作に名前だけ登場する、エンタープライズ号の航空群司令であったWade McCluskyマクラスキー海軍少佐も、その戦功によりNavy Crossを授与されている。W.マクラスキーの、燃料切れによって母艦に帰れないかもしれない状況の中、さらなる敵・航空母艦捜索に踏み切った「勇敢な」判断が、アメリカ側をミッドウェー海戦における勝利に導いた一つの、人間的要素であった。

 それでは、まず、予備知識として、太平洋戦争前期におけるUSAの、とりわけ空母を中心とする軍艦及び航空部隊の編成を見てみよう。

 USA海軍の部隊編成は、「Fleet艦隊」という上位編成から、Task force任務部隊、Carrier battle group空母戦闘群(略称:CVBG)へと下位に向けて、構成されている。空母の略称が、CVで、それに今度は、それぞれの空母に番号が付けられて、例えば、USS Enterpriseであれば、6番で、CV-6となる。USS Yorktownは3番なので、CV-3となり、このような番号は、恐らく発艦後に戻ってくる艦載機が間違わずに自分の母艦に着艦するように、空母甲板の前方に大きく書かれてある。

 これらの空母に、さらに、空母護衛のための巡洋艦二隻、駆逐艦6隻が加えられて、Carrier battle group空母戦闘群となり、これを単位に、CVBGを数個組み合わせると、Task force(略称TF)レベルの部隊編成となる。こうして、1942年には、エンタープライズ号と空母Hornet(CV-8)号を基幹とするTF16、ヨークタウン(CV-3)号を基幹とするTF17などが存在した。

 一方、空母に載っている航空隊の構成はどうかと言うと、太平洋戦争開戦時の、エンタープライズ号も含めたヨークタウン級空母には、戦闘機、爆撃機、雷撃機、及び偵察機がそれぞれ18機搭載されていた。1943年以降には、エセックス級空母が採用されたので、これには、戦闘機隊36機、爆撃機隊36機、雷撃機隊18機が搭載されることになり、この編成が、Carrier air group空母航空群(大隊)のレベルの部隊編成となるのである。

 そして、それぞれの機種に対して、その載っている空母の番号が付けられる。故に、エンタープライズ号に載っている航空部隊には、6番の番号が付き、戦闘機隊(Fighting)は、VF-6と、爆撃機隊(Bombing)は、VB-6と、雷撃隊(Torpedoing)は、VT-6と、偵察機隊(Scouting)は、VS-6と呼称される。

 因みに、18機の部隊編成数が、航空軍での、いわゆる「Squadronスコードロン」と呼ばれる単位である。故に、1942年時のCarrier air group空母航空群(大隊)は、四つのSquadronで構成されていたということになる。USAの航空軍の部隊編成は、下からFlight、Squadron、Group、Wingとなり(英国空軍では、WingとGroupの順序が逆)、二つのGroupで一つのWing、三つのSquadronで一つのGroup、三つから五つのFlightで一つのSquadronとなる部隊編成である。仮に、Squadronを「航空中隊」と訳するならば、Flightを「航空小隊」、Groupを「航空大隊」、Wingを「航空団」とでも訳せようか。(国防軍時代のドイツでは、飛行機2機が基本的単位であったので、小隊4機、中隊12機となり、これが、Squadronに対応する。)

 以上の部隊編成の知識を以って、それでは、本作の主人公N.F.ヴァンディヴィエーの、1942年6月4日(ミッドウェー現地時間)の動きを見てみると、以下のようになる。

 PBYカタリーナ双発飛行艇から「日本の機動部隊を発見セリ!」との連絡が4日早朝に入り、さらに、「第四の空母、しかも不沈空母」とでも言えるミッドウェー島航空隊基地からの情報もあり、出動していたアメリカ空母部隊は、南雲機動部隊の位置をほぼ確定できた。日本軍の暗号がこの時期に殆んど破られていたこともあり、アメリカ側は、日本帝国海軍の大部隊がミッドウェー島を攻略しようとしていた意図も事前に分かっていたのであった。

 既に艦上に揚げられ、エンジンを回していた各飛行機は、時刻07:30にエンタープライズ号から発艦していった。VF-6の戦闘機隊からはF4F10機、VB-6の爆撃隊とVS-6の偵察隊からは偵察・爆撃用飛行機SBD33機、VT-6の雷撃隊からはTBD14機の、合計57機が飛び立っていった。同じTF16のホーネット号からも合計60機が加わっていたので、TF16 の任務部隊から、総計117機が送り出されたことになる。

 F4Fとは、「Wildcatワイルドキャット」のことであり、TBDとは、ダグラス社の雷撃機で、この頃の主力雷撃機「Devastatorデヴァステイター 蹂躙する者」である。SBDも、「Scout Bomber Douglas」と表記されることから、ダグラス社製の偵察兼爆撃用二人乗り飛行機(後部銃座付き)である。SBDの初期型は、既に1939年4月、つまり、第二次世界大戦勃発の約半年前から生産が始まり、翌年からは、SDB一型が海兵隊に、SBD二型が海軍に部隊配備されるようになっていた。第二次世界大戦開始と伴にドイツ空軍の急降下爆撃機Ju87シュトゥーカの活躍に衝撃を受けると、アメリカ軍側は、SBDの性能向上を要求して、その中期型SBD三型が、同時期に使用された日本の九九式艦上爆撃機と比較して、格段の性能の向上を得て、登場した。SBDの「綽名」は、Dauntless ドーントレス、すなわち、「dauntすることのない」、「怖気させられない、ひるまされない」の意味であり、SBD艦上爆撃機は、恐れずに豪胆にダイヴィングして爆撃を行なう急降下爆撃機である。

 さて、07:30からエンタープライズ号から次々とSBDも含む飛行機が飛び立っていく中、その約25分後の07:55前後に、「不沈艦」ミッドウェー島基地から発進したSBD部隊が、南雲部隊に攻撃を仕掛けた。この時は、日本軍側の直掩戦闘機・零戦が有効に防御したが、アメリカ軍側の攻撃はこれ以降、波状的に続く。

 8:30、第17任務部隊のヨークタウン号からも35機の航空部隊が発進する中、1942年4月に少佐に昇進して、エンタープライズ号に所属する艦載機を総指揮する第六航空群司令になっていたW.マクラスキー少佐率いるSBD部隊は、発艦して一時間も経っていたが、未だに敵艦隊を見つけられずにいた。あと一時間以内に敵を見つけなければ、みすみす母艦に戻るしかない。そして、実際、9:20頃、W.マクラスキー少佐は、母艦に戻れず、途中で海に不時着してでも、さらに、索敵することを決める。この彼の決断が、後になって、ミッドウェー海戦の勝敗を決する重要な契機になるのである。

 奇しくも、その後の09:55、W.マクラスキー少佐達は、日本軍の駆逐艦「嵐」を発見する。この駆逐艦は、本隊に戻るに違いないと判断したW.マクラスキーは、その後を追う。こうして、10:05、彼らは、南雲機動部隊を発見、10:24、その上空に達する。途中三機を失っていたSBD部隊は、30機になっていた。その直前には、ヨークタウン号から発艦していたSBD部隊も戦場に到着しており、両部隊は協同するが如く、攻撃に突入する。

 丁度、日本海軍側は、ヨークタウン号からのTBD雷撃隊の攻撃を迎撃しており、日本側空母の見張り員は、上空の監視を怠って、海面すれすれからくるTBDに目を奪われており、直掩戦闘機もこの対TBD邀撃のために低空に降りて戦っていたところであった。この隙を突いての高空からの不意打ちは、南雲機動部隊所属の空母三隻を一気に撃破・撃沈する形になる。正に偶然のなせる業ではあるが、間の悪い時というものがあるものである。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切って空母「加賀」に突っ込む。自身は命中しなかったのであるが、別小隊の第二派攻撃の爆弾が「加賀」の艦橋付近に着弾、「加賀」の艦長は爆死する。その直後、今度は、ヨークタウン号からのSBD部隊17機が、空母「蒼龍」を襲撃し、これに三発を命中させて仕留めると、さらに、エンタープライズ号のSBD部隊の小隊で、さらに別動隊となっていた数機が、旗艦空母「赤城」を攻撃して、一発を命中させる。「赤城」は、爆弾の当たり所が悪く、一発の被弾で、その後は自己誘爆が続いて、最終的に友軍の魚雷で「雷撃処分」させられることになる。

 W.マクラスキー少佐が先陣を切ってから約六分間の出来事であったが、大日本帝国海軍にとっては、「魔の六分間」であり、これを以って、太平洋戦争は、USAが日本側に攻勢を仕掛けるターニング・ポイントになる。

 W.マクラスキー少佐が指揮したSBD部隊30機の内、艦上戦闘機の護衛なしでの攻撃であったので、爆撃後の離脱の際に、今度は上で待ち受けていた日本側の直掩戦闘機に撃墜されるケースが多くなり、エンタープライズ号のSBD部隊は、30機中14機が撃墜されたと言う。

 VB-6の爆撃隊第三小隊にいたN.F.ヴァンディヴィエー准尉(Ensignエンサン:最下級の将校で、Lieutenantの下位、特任少尉的存在で、兵卒から昇格した予備役将校)は、英語のウィキペディアの説明とは異なり、赤城ではなく、加賀に対する攻撃の第三波ではなかったかと想像される。彼の機の爆弾が当たったかは定かではないが、投弾後、離脱の際に撃墜されたものと思われ、彼と搭乗員Lee Keaney水兵は、もはやエンタープライズ号には帰還することはなかったのである。N.F.ヴァンディヴィエー准尉は、行方不明のまま死亡宣告されて、1942年6月30日に、Lieutenant(junior grade二級少尉)に格上げされ、その戦功を表して、海軍十字章が彼に授与された。

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