1961年上映の本作の原作は、女流劇作家Lillian Hellmanによる舞台劇『The Children's Hour』(1934年作)であり、本作の脚本も、最初は彼女が書いていた。ただ、同年に彼女の約30年来続いていた関係のパートナーであった、ハードボイルド・推理小説家の第一人者の一人Dashiell Hammettダシール・ハメットが亡くなったことがあって、彼女は、本作のための脚本書きから降板したようであった。本作の英語原題も、舞台劇と同じであるが、本作のストーリーの何を以って、「子供達の時間」という題名が付くのか、映画を観終わった後も筆者には見当が付かなかった。
舞台劇の内容は、1809年という時代設定とスコットランドという場所の設定以外は、本作のストーリーとほぼ同じようであるが、ウィキペディアによると、作者のL.Hellmanは、その作意は、ストーリーに登場する女子生徒Mary Tilfordを、生来的に自分に都合がよくなるように事柄を組み合わせて「嘘」をでっちあげて、優位に立とうとする、いわば、「小マキャヴェリ的人間」として、描ききることにあった、と言う。ゆえに、三幕ものの、この舞台劇では、二幕目が終わったところで、Maryは、勝ち誇ったようにその座に安泰に座し、三幕目では、このMaryにおとしめられた二人の女性教員KarenとMarthの、社会的名声の失墜後の情況が淡々と描かれると言うのである。
実は、本作の監督William Wyler(フランス・アルザス地方生まれのドイツ系ユダヤ人)は、上述の舞台劇がブロードウェイでヒットしたのを受けて、同じくユダヤ系アメリカ人のL.Hellmanの脚本化の下、1936年に、この舞台劇を映画化している。ただ、レズビアンのテーマを含んでいる内容を、正教徒主義のUSAでそのまま映画化する訳にもいかず、映画化題名の『この三人』に違わず、Karenの恋人のJoeにMarthaも恋してしまうという「三角関係」のメロドラマに仕立て上げたのであった。尚、この映画化の際には、Martha役を演じたのが、本作でMarthaの叔母Lily役を演じたMiriam Hopkinsであった。中々粋な配役である。
日本語のウィキペディアによると、アメリカ映画史において、同性愛の描写が問題になったのは、1960年作の『スパルタカス』であったと言う。この映画は、カーク・ダグラスが金を出し、自分が主演でスパルタカスを演じるような自己宣伝映画であったが、最初に依頼していたアンソニー・マン監督が、K.ダグラスと衝突して降板すると、当時はそれ程有名ではなかったS.キューブリックが、代役で監督となり、撮影が続けられた。この映画では、トニー・カーティスが演じた、あるシーンについて、これをカットする自己検閲が取り出たされていた。T.カーティスは、この作品では、シチリア人の青年奴隷として詩吟を専門とするアントニウス役を演じており、共和制ローマ時代の権力者の一人で、マルクス・リキニウス・クラッススに促されて、彼といっしょに入浴する場面が撮られていたのである。この場面には、「香油によるマッサージやベール越しの撮影で妖艶さを増し、会話には牡蠣や蝸牛など食のモラルに関するものには同性愛に対するモラルを暗示するものが含まれていた」(ウィキペディアからの引用)と言う。T.カーティス自身も、この点について、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で、この二人の「絡みがある場面がホモセクシュアルを匂わせる為に削除されたことを」語っている。(因みに、本作の中で、女子生徒Maryの寝床の近くの壁には、T.カーティスのブロマイドが飾ってある。)
これを受けて、『スパルタカス』での、この「検閲」に関して、ウィキペディアによると、W.ワイラーも含めた、ハリウッドのプロデューサーや監督から、「これでは同性愛を堂々と描いている外国映画との競争に勝てないとの抗議の声が上がっていた」と言う。こうして、1961年10月3日、アメリカ映画協会は、「現代の文化、風習、価値観に合わせて、慎重・抑制を条件として、同性愛その他の性的逸脱を扱うことを認める」と規則を改正したと言う。本作『噂の二人』は、この性的規制改正後に映画協会のコード・シールを受けた最初の映画であったのである。
本作では何といっても、映画終盤における、Marthaを演じるSh.マクレーンの演技の迫力が圧倒的である。それに対して、もう一人の主役Karenを演じるA.ヘップバーンは、印象としては、Sh.マクレーンの演技力に呑まれた形ではあるが、彼女が持つ生来的な清楚さに、映画ラストにおける「凛とした態度」が加わった演技をしっかりとこなして、好感が持てる。
尚、A.ヘップバーンは、監督W.ワイラーとは、『ローマの休日』以来、八年ぶりの共作であり、この時の白黒映画の撮影監督の一人が、同様に白黒映画である本作での撮影監督F.Planerであった。W.ワイラーとA.ヘップバーンは、本作の撮影後、1966年に、『おしゃれ泥棒』で共作している。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
泣け!日本国民 最後の戦斗機(日本、1956年作)監督:野口 博志
まず画像に、「この一篇を雲の彼方に散った若人のために捧ぐ」と流れる。 すると、早速、当時の実写の場面が写し出され、恐らくマリアナ沖海戦か、沖縄戦における神風特攻作戦の場面が一部特撮を混ぜて見せられる。(特撮:日活特殊技術部;やはり、戦前からの東宝・特撮部、円谷英二班のものには...
-
意欲作ではあるが、残念ながら中途で頓挫 Andy Warholの有名な「格言」„In 15 minutes everybody will be famous.” から本作の題名『15ミニッツ』は採られているのであるが、本作は、謂わば劇中劇、「映画の中の映画」を見せることでストー...
-
本作、画面の構図と色彩感覚がいい。画面の構図は、監督・是枝裕和の才能であろう。色彩感覚は、むしろ撮影監督・中堀正夫の持ち味であろうか。 原作は、神戸出身の作家・宮本輝の1978年発表の同名小説である。筆者は原作を読んでいないので、本作のストーリー(脚本:荻田芳久)が原作のそれ...
-
主人公・平山の趣味が、1970年代のポップスをカセットテープで聴いたり、アナログ・カメラで白黒写真を撮ったりすることなどであること、また、平山が見る夢が、W.ヴェンダースの妻ドナータ・ヴェンダースの、モノクロのDream Installationsとして、作品に挿入されているこ...
0 件のコメント:
コメントを投稿