既に中世において一部の植民活動が始まっていたが、イングランドによるアイルランドの植民地化は16世紀半ばになって本格化する。それは、イングランドのテューダーTudor王朝の、文化人でもありながら、権力欲も旺盛なヘンリー八世時代のことであり、彼の下で、名目だけの「アイルランド王国」が1541年に建国される。しかも、ヘンリー八世は、自分が離婚できるように、イングランド国教会をカトリック教会から分離させるような形で成立させたことから、アルプス以北のヨーロッパにいたゲルマン人のキリスト教化の発祥の地とも言えるアイルランドでは、英国教会に対する、宗教的な反発もまた生まれた訳である。
この宗教的対立に拍車を掛けたのが、プロテスタント系の清教徒革命であり、この宗教革命の最中、イングランド内戦で清教徒派と対立していた王党派(ロイヤリスト)と、アイルランド・カトリック同盟が1649年に同盟を結んだことから、これが、オリヴァー・クロムウェル率いるニュー・モデル軍のアイルランド派遣を招き、この「クロムウェルのアイルランド侵略」と言われる事態を以って、アイルランドは、完全にイングランドの支配下に置かれることになる。こうして、アイルランド人は、イングランドによる抑圧的・差別的な支配を受けるようになり、また、プロテスタント系入植者がアイルランド、とりわけ、島の北東部にあるUlsterアルスター地方に入植してくる状況となる。
18世紀半ばになると、しかしながら、アイルランドにもナショナリズム運動が起こり、アイルランド愛国党なるものも生まれ、更に、1783年にアイルランド議会に自治権が与えられる。一方、1789年に勃発したフランス大革命の政治思想的な影響を受けて、イギリス王権からの独立を求め、更には、政体も「共和主義」を希求する政治的な動きがアイルランドにも生まれ、1858年には「アイルランド共和主義者同盟(兄弟団):IRB」なる秘密結社も登場する。
こうした中、1914年に第一次世界大戦が勃発するまでは、大英帝国内に留まって、アイルランドの自治権をより拡大する運動が、アイルランドの完全独立を目指す共和派より強かったのであるが、この自治権拡大運動が大戦の勃発により失速したことから、大戦中の16年四月に共和主義者達による、イースター蜂起が起こる。これが、結局、アイルランド独立戦争に繋がることになり、18年のアイルランド総選挙で、1905年に結党されたシン・フェイン(「我等自身」)党が第一党となったことから、翌年一月にこのナショナリズム政党が第一回国民議会を招集し、アイルランド共和国の独立を宣言するに至るのである。
21年12月に、妥協の産物である休戦協定・英愛条約が締結され、アイルランド共和国は、大英帝国傘下の他の自治国同様に、「アイルランド自由国」(建国自体は22年12月)となり、アイルランド島北東部のアルスター地方を中心とする北アイルランドは、場合によっては自由国から離脱できるものとされた。そして、アイルランド人の、完全独立が達成できなかったことを不満とする反条約派がアイルランド内戦を起したことから、北アイルランドは自由国から離脱し、これが、後の北アイルランド「問題」に発展することになった訳であるが、それでは、何故に北アイルランドは離脱したのか。
既に19世紀のアイルランドの自治権拡大の運動に対して、これに反対して、アイルランドをイギリスの同君連合の下に置くことを望む政治勢力があった。それは、君主制のためであるから、これを「ロイヤリスト」と、また、大英帝国内の「連合」のためであるから、これを「ユニオニスト」と、呼称できる。ここに「ロイヤリスト」対「レパブリカン」、「ユニオニスト」対「ナショナリスト」の構図が出来上がるが、これに、宗教的対立の「プロテスタント」対「カトリック」の構図が交差し、この対立が先鋭化していたのが、同じアイルランド島内にありながら、プロテスタント派が住民の多数を占めるアルスター地方なのであった。
アイルランドにおけるナショナリズムの振興に危機感を抱いていたアルスター地方のプロテスタント派は、第一次世界大戦が始まる直前の1912年に武装組織・アルスター志願兵部隊を結成する。この翌年には、これに対抗するように、アイルランド共和主義者同盟(IRB)がアイルランド志願兵(IV)を、アイルランド労働組合がアイルランド市民軍を設立する。
反英武装組織は、元々、19世紀中頃からあったと言われるが、上述の「アイルランド志願兵(IV)」を基に、アイルランド共和国の設立宣言と共に、アイルランド共和国軍(Irish Republican Army、略称:IRA)が設立される。しかし、1921年12月の英愛条約での妥協点を巡る路線闘争でIRA自体が分裂し、その多数派はアイルランド国防軍Irish National Armyに吸収されたのであるが、あくまでアイルランド全土の完全独立を希求する武闘派IRA分派は、約一年間に及ぶ凄惨なアイルランド内戦(22年六月から23年五月まで)を展開する。
この内戦を見た北アイルランドのユニオニスト達は、英愛条約の条項に基づいて、アルスター地方の六つのCountyの、アイルランド自由国からの分離を議決する。と言うのは、既に第一次世界大戦中にイギリス政府側で内々に考えられていた北アイルランド分離案は、20年のアイルランド政府法によって「北アイルランド議会」が設立され、この新たに設立された議会がアルスター地方を管理下に置くということで、北アイルランド分離案の準備が、英愛条約締結前に十分に整えられていたからであった。
これと同時に、20年以降は、イギリス政府やイギリス軍の援助を受けつつ、北アイルランドには、アルスター特殊警察隊や「ブラック・アンド・タンズ」という治安警察部隊が置かれる。映画で描かれた、カトリック教徒の家に入り込み、暴力を働きながら、家宅捜索を行なっていた警察官は、恐らく、これらの特殊警察部隊員であると思われる。尚、「Black and Tans ブラック・アンド・タンズ(黒色と褐色)」とは、王立アイルランド警察隊(Royal Irish Constabulary、略称:RIC;「Constabulary」とは、一般警察業務を行なう警官を指す)を補強するために、陸軍の復員兵から採用した警察官の通称である。RICの黒っぽい濃緑色(ライフルグリーン色)の制服と、イギリス陸軍の淡い褐色の野戦服を組み合わせて新採用者が制服を着用したことからこの通称が付いたのであった。
1949年、アイルランド自由国は、イギリス連邦より離脱したことから、北アイルランドがその後の紛争・政争の中心となり、北アイルランドでは、多数派のプロテスタント派が、少数派のカトリック派を抑圧する体制が第二次世界大戦後は続いていた。
1966年に、「イースター蜂起」が50周年を迎えることから、アイルランドと北アイルランド政府が歩み寄る動きを見せる。これを警戒したプロテスタント派は、66年に、アルスター志願兵部隊を再組織して、Ulster Volunteer Force(UVF)、つまり、アルスター志願兵軍を設立する。
1964年以降のUSAでの公民権運動の高まり、1968年以降の学生運動の高揚を受けて、北アイルランドでの「プロテスタント派・ユニオニスト派」と「カトリック派・民族統一派」との間の衝突は次第に過激さを増していく。69年12月には、IRA自体が、政治的闘争を重視するオフィシャルIRA(OIRA)と武闘派のプロヴォス(暫定派)IRA(PIRA)とに分裂したことから、アイルランド「問題」は、その紛争度をより強めることになり、遂に、イギリス陸軍が両派の「緩衝役」を現地で担うことになる。しかし、事実上は、イギリス陸軍は、プロテスタント側に立ちながらも、プロテスタント派のカトリック派への暴力の度合いをコントロールするという役割にはまり込んでいた。
こうして、映画でも描かれたような、IRA暫定派がイギリス陸軍兵士を射殺するという事件が71年二月に起こる。カトリック派住民地域は、IRA暫定派の指導の下、要塞化して抵抗するが、このようなカトリック派の組織化に対しては、様々なプロテスタント系「自衛組織グループ」もまた集まって、「アルスター防衛同盟Ulster Defence Association:UDA 」を組織化し、これが後に最大のロイヤリスト準軍事組織となる。71年12月には、カトリック派地区にあったあるバーで爆弾が爆発し、15人が死亡するという、北アイルランド紛争期に起きた最も悲惨なテロ事件が起こる。本作でも描かれた、あるバーでの爆破事件は、恐らく、このテロ事件を指しているのであろうが、映画は、二月の英国兵士殺害事件と十二月のバー爆破事件をほぼ同じ時期の出来事として描いている。
本作はカトリック派居住地地区に置き去りにされたある英国人兵士の逃避行を描くものであり、殆んど何も北アイルランド紛争について知らないまま北アイルランドに投入された新兵のナイーヴさが、英国陸軍の「無実さ」加減を暗示しており、問題があるように思われる。既に1970年には、英国陸軍はIRA暫定派と銃撃戦を演じており、71年夏には、英国陸軍は、IRA暫定派と疑われた人物は手当たり次第に逮捕し、彼等を裁判なしで投獄し、各刑務所では、拷問・虐待を行なったと言われている。英国の諜報機関(国内諜報機関MI5か別の公安組織)が裏で非情な活動を行なっていた点は描かれている本作では、しかし、アルスター防衛同盟の活動にははっきりとは触れておらず、確かに、様々な点を描き過ぎることで、観る者の注意を逸らす恐れはありながらも、この点に関してもある程度の暗示があってもよかったのではないか。
本作は、題名にある通り、1971年の北アイルランドの出来事を描いているのであるが、歴史は、その翌年の72年こそが、北アイルランド紛争の中で最も死者が多かった年であることを知っている。この年に約500人が亡くなったと言われている。そして、その中には14人の死者数を数える、一月の「血の日曜日事件」があった。それは、北アイルランド公民権協会が呼び掛け、OIRAとPIRAもこれに協力して組織された、約二万人も参加した非武装の平和的なデモに対して、英軍の第一パラシュート大隊の兵隊が発砲した事件であった。英国陸軍は、これを以って、国際的な非難に曝されることになる。
1972年七月には、今度は、IRA暫定派が北アイルランドの首都ベルファストで連続爆弾テロ事件を引き起こす。いわゆる、「血の金曜日事件」である。爆弾が22発も仕掛けられて、80分以内に次々と爆発し、九名が死亡し、約130名が負傷したという悲惨な事件であった。
1970年代は、正に、中東も含めた、国際テロリズムの時代であり、北アイルランドにおけるIRA暫定派の活動もこれに連動する動きであったが、無差別テロが結局はカトリック系市民の犠牲者を出したことは、一般大衆のIRA暫定派への支持が次第に離れていく過程でもあった。こうして、80年代・90年年代を通じて、IRA暫定派においても、武装闘争から政治闘争への重点の移動が見られ、IRA暫定派の「政治的な腕」と言われた北アイルランド・シン・フェイン党がより重要な役割を演じるようになり、このプロセスは、結局のところ、1998年のベルファスト合意の調印に至る。合意の内容の一つは、北アイルランドにあるすべての武装組織の将来的な武装解除であった。2005年七月、IRA暫定派の軍事協議会は、武装闘争の放棄を宣言し、同年九月には、国際的に構成された武装解除委員会が武器放棄・武器破壊を確認している。
北アイルランド「問題」は、現実的な妥協の産物として、2005年以降も鎮静化はしているのであるが、IRA過激派は未だ存在しており、また、2020年のイギリスの欧州連合離脱により、北アイルランドとアイルランド共和国との間の「国境」が改めて顕在化したことから、不穏な動きが一部には見られる。本文章を書いているのが、2026年三月であり、来月の四月には、あの「イースター蜂起」が110周年を迎える。アイルランド人、とりわけ、北アイルランドで生きているカトリック教徒は今どんな思いを抱いていることであろうか。
本作はカトリック派居住地地区に置き去りにされたある英国人兵士の逃避行を描くものであり、殆んど何も北アイルランド紛争について知らないまま北アイルランドに投入された新兵のナイーヴさが、英国陸軍の「無実さ」加減を暗示しており、問題があるように思われる。既に1970年には、英国陸軍はIRA暫定派と銃撃戦を演じており、71年夏には、英国陸軍は、IRA暫定派と疑われた人物は手当たり次第に逮捕し、彼等を裁判なしで投獄し、各刑務所では、拷問・虐待を行なったと言われている。英国の諜報機関(国内諜報機関MI5か別の公安組織)が裏で非情な活動を行なっていた点は描かれている本作では、しかし、アルスター防衛同盟の活動にははっきりとは触れておらず、確かに、様々な点を描き過ぎることで、観る者の注意を逸らす恐れはありながらも、この点に関してもある程度の暗示があってもよかったのではないか。
本作は、題名にある通り、1971年の北アイルランドの出来事を描いているのであるが、歴史は、その翌年の72年こそが、北アイルランド紛争の中で最も死者が多かった年であることを知っている。この年に約500人が亡くなったと言われている。そして、その中には14人の死者数を数える、一月の「血の日曜日事件」があった。それは、北アイルランド公民権協会が呼び掛け、OIRAとPIRAもこれに協力して組織された、約二万人も参加した非武装の平和的なデモに対して、英軍の第一パラシュート大隊の兵隊が発砲した事件であった。英国陸軍は、これを以って、国際的な非難に曝されることになる。
1972年七月には、今度は、IRA暫定派が北アイルランドの首都ベルファストで連続爆弾テロ事件を引き起こす。いわゆる、「血の金曜日事件」である。爆弾が22発も仕掛けられて、80分以内に次々と爆発し、九名が死亡し、約130名が負傷したという悲惨な事件であった。
1970年代は、正に、中東も含めた、国際テロリズムの時代であり、北アイルランドにおけるIRA暫定派の活動もこれに連動する動きであったが、無差別テロが結局はカトリック系市民の犠牲者を出したことは、一般大衆のIRA暫定派への支持が次第に離れていく過程でもあった。こうして、80年代・90年年代を通じて、IRA暫定派においても、武装闘争から政治闘争への重点の移動が見られ、IRA暫定派の「政治的な腕」と言われた北アイルランド・シン・フェイン党がより重要な役割を演じるようになり、このプロセスは、結局のところ、1998年のベルファスト合意の調印に至る。合意の内容の一つは、北アイルランドにあるすべての武装組織の将来的な武装解除であった。2005年七月、IRA暫定派の軍事協議会は、武装闘争の放棄を宣言し、同年九月には、国際的に構成された武装解除委員会が武器放棄・武器破壊を確認している。
北アイルランド「問題」は、現実的な妥協の産物として、2005年以降も鎮静化はしているのであるが、IRA過激派は未だ存在しており、また、2020年のイギリスの欧州連合離脱により、北アイルランドとアイルランド共和国との間の「国境」が改めて顕在化したことから、不穏な動きが一部には見られる。本文章を書いているのが、2026年三月であり、来月の四月には、あの「イースター蜂起」が110周年を迎える。アイルランド人、とりわけ、北アイルランドで生きているカトリック教徒は今どんな思いを抱いていることであろうか。
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