女主人公Évelyneエヴリンは、本作の題名たる「ガラスの城」に眠れる、恋に恋する「眠り姫」である。だが、彼女は、既に十歳程の男児を持つ人妻でもある。それでも、彼女は、スイスのベルンから保養に来ていたイタリアのコモ湖での休暇の最中に、夫Laurentロランと一緒に来ていたのにも関わらず、コモ湖の高級ホテルで、パリジャンのRémiレミーと知り合い、彼との恋に恋してそれに酔う。本当のところ、彼でなくてもよかったのであるが。
一方、男主人公のRémiレミーは、全ての女に恋せるが故に、どの女も本気では愛せない、大人には成りきれていない子供男である。パリにいる一応の愛人のMarionマリオンとは、恋の戯れを遊ぶ関係であり、彼女との「爛れた」関係は今のところ持ってはいるが、それは、レミーにとっては、いくらでも代替え可能な「大人の」関係である。
そんな恋の駆け引きを愉しむマリオンに焚き付けられたレミーは、ベルンにいるÉvelyneにパリから国際電話を掛ける。そして、彼は彼女にパリに遊びに来ないかと誘惑する。本心ではÉvelyneには来ては欲しくなかったミレーの許を、千々に乱れながらも、結局は訪れるÉvelyneであった。しかし、ベルンからの夜行列車で翌日の午前中にパリに着いたÉvelyneは、日中に見るレミーに違和感を抱き、一旦は彼が居住する同じホテルの一室に赴くものの、恐れを感じて、ベルン行きの帰りの列車に乗り込もうとする。が、彼女はそれに乗り遅れてしまう。
パリのある郵便局で国際電話を掛けようとしていたÉvelyneを、偶然に電話ボックスで見付けたレミーは、彼女をパリの見物に誘い、ベルン行きの夜行列車が夜九時に出発するまで、パリの散策を楽しもうということにする。この、恋人の街パリを散策するロマンティックな雰囲気の中、Évelyneは、結局は、夜行列車を乗り過ごして、情熱の一夜を過ごすことになるが、さて、この有閑マダムの不倫の結末は如何なる結末を迎えることになるか。
本作の原作は、Vicki Baumヴィッキー・バウムというウィーン生まれのユダヤ人女性が1935年にUSAで書いた作品である。この原作のストーリーの大枠を、本作の脚本は概ね踏襲してはいるが、原作では愛人がアメリカ人であるところが本作との大きな違いであろうか。本作の脚本は、監督であるRené Clément ルネ・クレマンも共同執筆しているが、間大戦期に心理描写に長けた作家として有名になったPierre Bostピエール・ボストが担当しており、独白部分が劇中の対話部分に巧みに織り込まれており、ストーリーの内面性が強調された、センスのよい展開は彼の文学的手腕に負うところが大きいのであろう。R.クレマンとP.ボストは、二年後に発表される『禁じられた遊び』でも脚本を共作している。
また、撮影監督は、パリ生まれのRobert Lefebvreロベール・ルフェーヴルで、その職人気質の白黒撮影は、鳥瞰図的に、1950年という年のパリの街々を捉えて、今となっては、歴史的価値さえ持っていると言える。センスのよい白黒の陰影が印象的な画面構成もまた本作では楽しみたい。
フランス・イタリア合作映画である本作にはイタリア語版とフランス語版があり、イタリア語版では、Évelyneの夫役Laurentをイタリア人の俳優が、フランス語版では、同じ役をベルギー出身の名優Jean Servaisジャン・セルヴェが演じている。ベルンの地方裁判所か州裁判所の長官を務め、勤務に熱心であり、丁度手掛けている刑事事件では、冷徹にその本質を見抜いて、自分の夫の母親殺しの罪を被って裁きを受けようとする女に、如何に真実を裁判中に語らせるかに頭を悩ませている。彼は、妻を愛しているのではあるが、Évelyneが望むほどにはその愛情を示すタイプではなく、その不満がÉvelyneを結局は不倫に走らせることになる。
そのÉvelyneに、彼女を取り巻く家庭生活内で不満を募らせる、もう一つの理由は、家族ぐるみで付き合っているElenaエレナの存在である。ベルンの近郊に住んでいるようなのであるが、よくベルン市内にあるÉvelyne夫婦の家に遊びに来るElenaは、Évelyneの悩みも理解しているようなのであるが、一方では、Laurentとチェスに興じたり、三人で休暇も伴にする関係でもある。そんな飽き足らない生活感を持つÉvelyneは、チェスで夫を負かすElenaこそが夫に相応しい女性であるとさえ思うほどなのである。この微妙な役柄を、イタリアはトリノ生まれの女優Elisa Ceganiエリーザ・セガーニが好演している。
同じく脇を固めているのは、Rémiのパリでの愛人Marion役のÉlina Labourdetteエリーナ・ラブルデットである。1919年にパリに生まれた彼女は、最初は、プリマ・バレリーナになることを目指してバレエの練習に励んでいたが、結局、健康上の理由でその夢を諦めざるを得なくなり、女優になることに決心する。彼女が19歳の時の1938年に映画界でのデビューを飾る。第二次世界大戦直後の45年、Robert Bressonロベール・ブレソン監督の『ブローニュの森の貴婦人たち』に、元々踊り子であるが、生活の資を稼ぐために娼婦もしている若い女性役で出演したことで、彼女は、フランスでの女優としての地位を獲得する。本作が撮られた50年には、演劇界にも進出している。本作では、自分のアパルトマンを持っているようであるが、生計はどうやって立てているのか分からない存在で、レミーとの恋の駆け引きは立派にやり遂げる勝気はあるものの、やはり、本当の愛を求めている心境の複雑さを上手く演じ分けていて、本作で筆者の印象に強く残った女優である。
原作を書いたV.バウムは、1920年代における女性の社会進出のアヴァンギャルドを走った女性の一人である。その彼女が書いた原作を読んでいないので、断定は出来ないが、そのモダン性は、本作で描かれる公共交通網の密度さに表現されているように思われる。まず、冒頭のコモ湖でのハイ・ソサイエティの存在である。そのコモ湖から、Elenaが運転し、Évelyneが同乗する高級自動車でRémiがミラノ駅のプラットフォームまで直接乗り付けると、Rémiは、コンパートメントでÉvelyneと熱い接吻を重ねた後、一人でパリに夜行列車で旅立つ。こうして、ミラノ・パリ間の鉄道の連結が登場すると、今度は、パリ・ベルン間の国際電話の繋がり、更には、スイスの首都ベルンとフランスの首都パリを結ぶ、一日に二回はある鉄道の往復路線が、ストーリーに上手く組み込まれ、その時間が刻まれていることによる主人公達の心の緊張と高揚が観る者に説得性を与える。そして、最後は、意外な展開で、パリ・チューリッヒ間の飛行機による航路が登場する。実に、粋なストーリー展開である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
リバティ・バランスを射った男(USA、1962年作)監督:ジョン・フォード
西部劇の「古典」をストーリー的に捉えると、北アメリカ大陸の西部を舞台として、ピストルの威力にものを言わせて、無法者や北米「インディアン」と闘って、正義と秩序を維持する構図と言えるであろうか。これを古典的西部劇と名付けるとすると、北米先住民の観点に立って、ストーリーを語ろうとした...
-
まず画像に、「この一篇を雲の彼方に散った若人のために捧ぐ」と流れる。 すると、早速、当時の実写の場面が写し出され、恐らくマリアナ沖海戦か、沖縄戦における神風特攻作戦の場面が一部特撮を混ぜて見せられる。(特撮:日活特殊技術部;やはり、戦前からの東宝・特撮部、円谷英二班のものには...
-
本作、画面の構図と色彩感覚がいい。画面の構図は、監督・是枝裕和の才能であろう。色彩感覚は、むしろ撮影監督・中堀正夫の持ち味であろうか。 原作は、神戸出身の作家・宮本輝の1978年発表の同名小説である。筆者は原作を読んでいないので、本作のストーリー(脚本:荻田芳久)が原作のそれ...
-
グローバル・プレイヤーとしての製薬・生命維持産業がその社会を支配しているというプロットは、SF映画でよく聞く話しで何も目新しくない。ただ、それが、社会の多数派を占める吸血鬼人間に、人血を供給するという点は、中々面白い。 とは言え、その人血の製造が、人間の生命を維持する形で、し...
0 件のコメント:
コメントを投稿