主人公雪子(田中絹代)が雇われマダムをやっている、西銀座にある「バア」の名前は「ベラミイ」である。「Bel Ami」は、フランス語で、「美しき男友達」の意であるが、映画でも言われている通り、フランスの自然主義文学作家Guy de Maupassantの小説である。美貌の、下層階級出の青年ジョルジュ・デュロアが、自分の美貌を使い、上流社会の女性たちを次から次へと「乗り換えて」、19世紀中頃のフランス社会で栄達する姿を描く、この小説の内容が本作のストーリーにどう絡むのかは、謎であるが、現実社会の厭らしさをあまり経験したことがないようである、東北か北陸の良家の「お坊っちゃん」が、このバーの名前を見て、すかさず、de Maupassantに思い当たり、「モパサン」と言う。de Maupassantは、普通は、日本語で「モーパッサン」と表記されていて、「モパサン」と言われると、最初は変な感じを受けるが、確かに言われてみると、「モパサン」の方が、より原語に近い。さらに、銀座のネオンサインの宣伝には、「モンパリ」や、広告には「Vogue」が登場するので、原作者は、フランス文学でも勉強したのではないかと想像して、調べると、その通りであった。原作者井上友一郎は、1930年代に早稲田大学で仏文科を卒業し、一時新聞記者になったりしながら、在学中からの文学活動を続け、戦後は、風俗作家となった人物である。本作の原作は、映画誌連載小説であったので、映画化がしやすかったのであろう。映画の中盤、主人公雪子が、ひょんなことから、田舎出の「坊っちゃん」に銀座を案内するシークエンスがある。1950年当時の銀座や、少し前に埋め立てられた三十間堀川、三原橋、真正な意味での「トルコ風呂」サウナを売り物にした、工事中の「東京温泉」の高層の建物が描かれ、当時の風俗資料を見るようで興味深い。
「終戦」は45年であるから、その5年後である。闇市が蔓延っていたのは、束の間であったのであろう。一様は、「戦後復興」が終わったかの感さえある。特需景気を促す朝鮮戦争が同じ50年に勃発する。日本の、西側諸国一部からの主権回復となるサンフランシスコ平和条約の締結はその一年後、つまり51年で、本作の上映年の年である。こんな時代であれ、主人公雪子が一人息子と住む、戦災にも焼け残ったという、新富芸者で有名な新富町にある借間は、長屋の一軒家にある。この頃未だ来ていた山手の「上客」が寄る繁華街たる、モダンな銀座と好対照をなす新富町である。東京生まれの、職人の息子、監督成瀬は、ここら辺の下町の雰囲気は肌身で感じていたのであろう。ストーリー展開の端々に、チンドン屋や紙芝居屋のシーンを挿入する。とりわけ、二回も出てくる紙芝居屋のシーンは、ファンファーレのような大きなトラペットを吹き鳴らし、その後ろに、ハーメルンの笛吹きよろしく、子供達を引き連れて歩く紙芝居屋の姿はユーモラスでもあり、印象的である。ここに、庶民の日常をさり気なく描く監督成瀬の思い入れが感じられる。
最初は偶然に入社した松竹蒲田撮影所では小道具係りであった成瀬は、約十年の下積み時代を過ごして、1930年に監督となる。まもなく若手監督として注目されるものの、松竹では不遇であり、34年に、東宝の前身であるPCLに移籍する。移籍後の作品『妻よ薔薇のやうに』(1935年)では批評家から高い評価を受け、『キネマ旬報』ベスト・ワンにも選ばれるが、この作品は「Kimiko」という英題で37年にニューヨークで上映された、USAで上映された日本映画の第一作目となる。第二次世界大戦下では、『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など、いわゆる「芸道もの」を、溝口健二同様に、撮り、戦時体制への「協力」を最低限に抑えている。
終戦後は、自分が脚本を書いた作品を撮ったりしていたが、戦時中にプロパガンダ映画を大量に撮っていた東宝で、東宝争議が起こり、これにより東宝撮影所の機能が麻痺したことから、成瀬は、他の監督などとと共に東宝を離れ、「映画芸術協会」を設立し、フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督する。本作は、この時期に成瀬が新東宝のために撮った作品となった。
成瀬巳喜男と言えば、今では、家庭映画の、女性映画の「巨匠」であると言われているが、家庭映画の「巨匠」と言えば、小津安二郎がいる。その意味では、成瀬もいた松竹に、二人の「小津」は必要なく、成瀬がPCL、後の東宝に移籍したのは、必然であった。成瀬は、東宝の「小津」になったのである。
一方、女性映画の「巨匠」と言えば、溝口健二がいる。男に翻弄される、女性としての「業」を背負った「女」を運命的に描かせれば、その右に出る者はいないと言われた溝口である。とりわけ、本作で主演を演じた田中絹代は溝口作品で有名になった女優である。
いわば、成瀬の監督としての立ち位置は、「小津」と「溝口」の間である。その間で、どうやって自らの「特長」を出していくのか。1950年には、成瀬の助監督を一時やっていた黒澤明が、『羅生門』で、ヴェネツィア国際映画祭で「金獅子」賞を取り、日本映画の存在を世界に知らしめたと同時に、黒澤は、「世界の黒澤」になっていた。
こういう中での本作である。「溝口組」の田中を使って、銀座の夜の世界を描いては、「溝口」スタイルと比較される。シングル・マザーとして、かつての旦那に金をせびられながら、一人息子を健気に育てる家庭劇とすれば、松竹・家庭劇の「小津」と比較される。そういう中途半端の立ち位置では、成瀬も立つ瀬がないであろう。
こういった自己の、監督としての存在意義をいかに見出すか、そんな模索の中で、本作と同年に撮られた作品『めし』が、成瀬が「第四の巨匠」となるべき道を開いてくれたのである。時代劇ではなく、現代劇を撮る。そして、女性を主人公にして撮る。原作は女性作家のものとし、その脚本を女性脚本家に書かせる。この「方程式」が成立した時に、成瀬の監督としての「特長」が顕在化したのである。
溝口が亡くなり、女性映画の「巨匠」として成瀬の定評が付く1960年代の、成瀬の脚本家は、主に松山善三となるが、それ以前、成瀬が自分で脚本を書いていない時の脚本家は、長らく東宝専属の脚本家として勤めていた井出俊郎である。それに対し、『めし』(1951年作)の原作者は、林芙美子であり、その原作を脚本化したのは、田中澄江である。こうして、林原作・成瀬監督による、文芸映画作品の第一弾が出来上がったのであり、この作品は、第25回キネマ旬報ベスト・テン第二位となる。この、林原作・田中脚本・成瀬監督のトリオは、さらに、『稲妻』(52年作)、『晩菊』(54年作)、『放浪記』(62年作)と続く。林芙美子の原作作品としては、これ以外に、『妻』(53年作、脚本:井出俊郎)、『浮雲』(55年作、脚本:水木洋子)がある。水木脚本の成瀬作品は、『浮雲』以外にもあり、注目すべき点であろう。本作の翌年に撮られた『おかあさん』(52年作、同じく新東宝)の脚本を書いているのが、水木洋子であり、この作品では、田中絹代が母親役、その娘が香川京子、そして、父親役が三島雅夫という点でも、本作と繋がりがある作品である。
余り目立たない点かもしれないが、本作『銀座化粧』での助演男優陣の良さは、特筆されてよいことであろう。戦前は羽振りがよく、戦後は時勢に乗り遅れた、かつての情人で、今は雪子に小銭をたかりにくる男・藤村役の三島雅夫、雪子が借り住まいする長唄の師匠杵屋佐久の夫・清吉役の柳永二郎、雪子に金を貸すことを口実に彼女に言い寄るスケベ親父・菅野役の東野英治郎、雪子目当てに杵屋に長唄を習いに来ている若い男・白井役の田中春男が中々いい。
2023年4月5日水曜日
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