2023年4月10日月曜日

大反撃(USA、1969年作)監督:シドニー・ポラック

文化論としての奥の深さがある、「変則」戦争映画。一度、ご覧あれ。


 アメリカの知識人にはよくヨーロッパ文化への賞賛から、そして、その底の浅いアメリカ文明自体への嫌悪感からか、歴史あるヨーロッパ文化に対するコンプレックス、乃至は、劣等感を持つ者がいる。本作に登場する、アメリカ歩兵部隊のベックマン大尉(パトリック・オニール)は、美術専門家でもあり、ヨーロッパ芸術に限りない尊敬を抱いている人物である。そのような人間の目から見れば、霧に包まれた冬のアルデンヌ地方の森の中にある、由緒ある城館の、伯爵夫人を「もの」にしているFalconerファルコナー少佐(バート・ランカスター)は、文化の花を踏みにじる「野蛮人」である。(因みに、少佐の階級の将校が、大隊ならばまだ分かるのであるが、小隊/分隊八人を率いているのも、アンバランスで不思議である。)

 一方、伝統的権威をものともせず、傍若無人に振舞う「アメリカ人」に、ある種の生命のバイタリティーを感じているのが、ヨーロッパ人なのかも知れない。隠花植物のように日陰にぼんやりと、か弱く棲息しているものが、頽廃、そして没落を予言され、その没落を自覚しているのであり、それが西欧文明なのである。アメリカ人のそのバイタリティーの前には、歴史の覇権者としての席を譲らざるを得ないと見たのか、de Maldoraisドゥ・マルドレ伯爵(フランス人俳優ジャン=ピエール・オモン)は、自分より随分と若い伯爵夫人、実は自分の姪テレーズとファルコナー少佐の睦言を敢えて容認する。

 このように、頽廃するヨーロッパ文化対「野蛮な」アメリカ文明の間の「文化・文明」論風に解釈できる戦争映画というのも珍しいのではないか。本作の原作を読んでいないので、その内容には寡聞であるが、さすがは純文学作品(William Eastlakeの、本作の英題名と同名の『Castle Keep』)を映画化しているからであろう、中々奥が深い。浅薄な邦題『大反撃』では、全く当てる的が異なっており、困ったものである。せめて、『城塞死守』ぐらいには命名してもらいたかったものである。

 本作の前半における、この「文化・文明」論に「色合い」を添えるのが、ファルコナー少佐が率いる小部隊を構成する兵隊たちの顔ぶれである。上述の、美術専門家のベックマン大尉、宣教師志望の中尉、シャバではパン職人の軍曹、ドイツ車Volkswagen狂いの伍長、そして、小説家志望の二等兵で本作のナレーターを務めるベンジャミンなどである。このベンジャミンは、恐らくは、原作の作者Eastlakeの姿が引き写されている存在であろう。彼は、映画の終盤、ファルコナー少佐から、ある重要な「任務」を追わせられることになる。しかも、彼は、黒人であることも、気に掛けておいて点であろう。本作の制作が1969年であれば、60年代前半の公民権運動の展開、68年からの学生運動の高揚を背景にしていることは間違いない。

 と、ドイツ軍の機甲師団が、突如、城に攻めてくる。時は、1944年冬である。アルデンヌの森からのドイツ国防軍の、西部戦線における最後の「大」反撃が始まったのであった。城を死守するとなぜか決断したファルコナー少佐の命令の下、防衛線を敷くアメリカ軍分隊である。壕に囲まれた城の屋根に50㎜機関銃座と迫撃砲を据えさせ、彫刻とバラに埋もれた庭に塹壕が掘られる。

 こうして本作の前半とは全く異なるストーリー展開と後半はなる。攻めてくるドイツ軍と死守するアメリカ軍との戦闘の中、庭にある彫刻群は無残に打ち砕かれ、バラは踏み躙られ、城館は砲火の下、焼け落ちる。ベックマン大尉やファルコナー少佐も壮烈に戦死してゆく中、この映画の、殆んどシュールな大団円は、戦争とは、文化も文明をも破壊する「狂想曲」であることを表現している。最後の死の「狂宴」は、砲火の下、詩的でさえある。恰も、その死の灰の中から、不死鳥フェニックスが生き返るが如く、新しい文化が生まれてくるとでも言いたげである。


追記:

 原作者William Eastlakeについて、ウィキペディアで調べたものを簡単に記する。

 Eastlakeは、1917年にニューヨークはブルックリンで、イギリス生まれを両親の許で生まれた。その後ニュージャージー州で育った彼は、40年代の初めに、ロスアンジェルスで、本屋の店員として勤める。42年にアメリカ陸軍に入隊し、数か所の基地を移動する。1941年12月7日(アメリカの現地時間)の真珠湾奇襲攻撃以降、アメリカ軍に所属していた日系アメリカ人兵隊は、カルフォルニア州にあるCamp Ordに一時集められていた。Eastlakeは、ここの監視兵として、日系アメリカ人と接触することになる。彼は書いている:「私は、これらの日系アメリカ人兵より、アメリカ寄りで、アメリカ愛国主義のグループを知らない。」これらの日系アメリカ人兵は、日系人部隊に編成されて、ヨーロッパ戦線に送られる。後に、Eastlakeは、この経験を元に、『Ishimoto's Land』という作品を彼の最初の作品として書くのであるが、ある出版社がこのような作品を出版するには時期尚早であるとして、この作品は、この時に発表されていないままであった。

 Eastlakeは、彼がイギリス生まれの両親の許で生まれたという経歴であろう、イギリスに駐屯するアメリカ軍兵士がイギリスに早く馴染めるために世話をする部署に付くためにイギリスに送られる。その世話をした部隊と共に、Eastlakeは、ノルマンディー上陸作戦で「オマハ・ビーチ」に上陸。続けて、フランスからベルギーへと進攻する。こうして、本作のストーリーに反映される体験を彼自身がする。小隊長としてアルデンヌ地方にいた彼は、アメリカ軍のいう「バルジの戦い」、ドイツ軍のいう「アルデンヌの反攻」に遭遇し、右肩を負傷することになる。

 終戦後は、スイスやパリに行き、文学活動を行なう。パリ滞在中に発行した雑誌『Essai』に、上述の作品『Ishimoto's Land』が初めて発表されることになる。本作の原作となる『Castle Keep』は、1965年に発刊された。

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