白樺派は、明治末から大正期に掛けて日本の文壇の一主流となった傾向であり、その文学創作の思想的背景には、理想主義、人道主義、個人主義があったと言われている。その代表的文学者は、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などである。
何故ここで白樺派のことを持ってくるかと言うと、高峰三枝子の兄役で、大学の東洋哲学の助教授をやっている山村聰が、小暮実千代のことについて、自分は彼女と結婚するつもりであることを妹・高峰に告白した時に、次のような言説を以ってその理由付けをしているからである:(映画の40分台以降)
まず、山村が高峰に小暮の名前を言わずに、小暮のことを説明する。小暮は、「世間が何か意味ありげに見たがるグループに属している人」であり、「世間的な垢にまみれて、もみくちゃにされ通してきたというような人」である。だからと言って、「その人に憐れみを掛けている訳ではない」のであるが、自分は、「どんなに汚されてもまだ残っている、その人の美しさを愛している。」そして、山村は言う:「僕は、本当に幸福な結婚は、必ずしも世間的な常識の上に立たなくても出来るということを証明してやるつもりだよ。」
この人間の心根の美しさ、そして善意を信ずる態度は、正に、白樺派がその創作の土台とした、理想主義と人道主義であると言える。故に、こうは言えなくないか。この白樺派の精神が、未だ進駐軍に占領されている戦後日本であっても、戦後の民主主義精神と結び付いて、本作を以って復活したと。しかも、その復活は、民主主義を唱導する進駐軍の本国、USAのハリウッド映画の映像美を借りる形で、示されたことから、筆者としては、表題の如く、「白樺派 ミーツ ハリウッド映画」と本作を特徴づけたのである。本作の最初の15分を、背景はそのままにして、俳優だけ、アメリカ人俳優にすげ替えたら、それはそのままアメリカ映画と通せそうなくらいである。最初の教会の場面、新婚旅行で泊るホテル、正に、外国映画を思わせる。という訳で、本作の最初のストーリー展開を、ここでなぞってみよう。
タイトル・ロールの背景に朧気ながら教会の輪郭が見えており、本作のファースト・シーンは、キリスト教会の外観である。車が数台乗り付けるが、カメラは教会の中は写さずに、すぐにフォト・スタジオでの結婚の記念撮影となる。恥ずかし気にカメラを覗き込めない、ウエディングドレス姿の高峰に、写真屋が顔を少し上げて欲しいと頼んで、写真が撮られると、すぐに場面は移って、電車が走っている場面がワンショット入る。語りのテンポがいい。すると、恐らく合成写真なのであろう(合成技術:天羽四郎)。画面の右下から左に向かう坂道があり、その画面の右は崖、左は大きな針葉樹で、画面の奥には海が見える。入り江なのであろう、村の灯りも見える。その坂道を上ってくる車がある。新婚旅行に、東京から伊豆の海岸沿いのある場所に電車と車で来たのであろう。「Hotel Minami」というネオンサインが映し出され、カメラは、思わせぶりに「Hotel」を大写しにする。すると、回転ドアがホテルの中から写し出され、ホテルの従業員が客が入ってくるのを待ち受けている。画面の右奥から、ホテルのボーイを先頭に高峰達一行が回転ドアを左(!)から入ってくる。すると、カメラは左に首を振って、ホテルの奥にある階段を写す。その階段を降りて来る、黒のアフターヌーンのドレスを着た女がいる。ハリウッド映画を思わせる、意外とさまになる画面構成である(撮影:小原譲治;美術:河野鷹思)。降りて来る女は小暮で、彼女は左手に白い薔薇を持っている。階段に向けてやってくる新婚カップルを待ち受けているようであるが、どうも新郎(役:細川俊夫)とは因縁があるようであり、新郎が、小暮をわざと無視しながら階段を上って小暮の側を通り過ぎようとすると、小暮は新郎に向けて、白い薔薇を投げつける。もちろん、新郎の後ろを若干遅れて階段を上がっていた新婦・高峰も小暮の不可思議な挙動に気付く。新郎新婦がホテルの部屋に入ると、当然、高峰は細川に階段の女が誰であるのかを問い質すが、細川は女は自分が知っている女であるが、銀座のカフヱーUna Copa(スペイン語で「グラス一杯」の意)の女給で、自分にしつこく付きまとって、困っていると言うのである。色々と説明する細川に、信じてはいるが、潔癖過ぎる自分にはどうしても納得が行かないと言って、同じホテル内に別の部屋を取る高峰であった。結局、彼女は結婚の初夜を拒否し、翌朝早く、一人でホテルを発つ。彼女は小暮が勤めているという銀座のカフヱーに向かった。カフヱーの入口で高峰が待っていると、小暮が朋輩と三人でやってくる。女給達の着替え室で、高峰が小暮の朋輩からどんなに小暮が細川に入れ込んでいたか聞かされると、煙草を吸い終えた小暮が高峰に場所を変えて直接話しをする。小暮に、「わたくしを憎いと思っているでしょ?」と聞かれた高峰は、「あたくし、自分が哀しいんです。」と答える。その答えに胸を打たれたように、小暮は、「お可哀そうな方」と言う。嫌味で言っているのではないと補足する小暮に、「今日のこと、お気を悪くなさらないでね。」と少々顔を和ませて言う高峰。二人の間には、心無い男に痛めつけらた心の痛手を舐め合うような、同性同士の共感が生まれていた。ここに「女の戦ひ」は、「女同士が共闘する、心無い男に対する戦い」となる。小暮と別れて、高峰がカフヱーから出てきたところで、後を追いかけてきた細川は、車を降りて、道の反対側に渡ろうとした。しかし、丁度通り過ぎようとしたトラックに轢かれて細川は呆気なく死んでしまう。細川の葬式を終えた高峰は、たとえ初夜はなくとも結婚をしていたことから、細川の実家に、心優しく上品な義理の母(役:瀧花久子)と二人で、未亡人として住むことになる。こうして、ストーリーは新たな展開を迎える(脚本:八住利雄)。
亡き夫の実家に義理の母と一緒に住む高峰は、無為に時を過ごしていたが、元々好きであった絵画を描くために、義理の母の許しを得て、パリー帰りの気障な画家小谷(役:河津清三郎)の自宅兼アトリエに通うことにする。この悪役小谷・河津が、実は、映画の終盤になって、高峰と小暮の運命にも大きく関わって来ることになるのであるが、山村聰が高峰の兄であること、小谷・河津と小暮が実は因縁深い関係にあったことなどが、可成りストーリーが展開した後に観ている者に明かされる。故に、ストーリー展開が強引であるかのようにも思われ、脚本がよくこなれていない感じがあるのは否めない。
脚本家・八住(やすみ)は、東宝の前身の一つとなるP.C.L.映画製作会社に1936年に、つまり日中戦争が始まる前年に入社して、本格的に映画脚本家としての道を歩む。戦時中は、東宝の国策映画(例えば、43年作の、帝国海軍予科練の生活を描く『決戦の大空へ』など)の脚本を書いたりする。そのこともあってか、八住は、戦後も『戦艦大和』(本作同様の新東宝製作の1953年作品)などの戦争映画の脚本も書くが、娯楽映画から文芸映画(例えば、新東宝製作の1950年作品『細雪』など)までの脚本を扱う日本映画界の重鎮・脚本家として、とりわけ、1950・60年代を通じてその健筆を振るうことになる。本作は、その八住が戦時国策映画から民主主義キャンペーン映画制作への路線転換を自ら以って遂げる過程の一本であったとも言えるが、本作のストーリー展開のぎこちなさは、民主主義プロパガンダが八住には未だ慣れていなかったところから来ているのかもしれない。
とは言え、小暮が勤める「カフヱー」に絡む描写は、戦前との連続性があり、1940年代末の日本における風俗営業がどんなものであったかが分かって、興味深い。戦前の「カフヱーの女給」と言えば、「それなりの」社会的評価を受ける存在であった。つまり、「エロ・グロ・ナンセンス」が横行する1930年代に入って、彼女達は、当世風「娼妓」として扱われていたのである。
永井荷風が1931年(昭和六年)に「女給・君江」ついて描いた作品『つゆのあとさき』にはここらの辺の事情が明確に言語化されている:
「西洋文明を模倣した都市の光景もここに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。この悲哀は街衢(がいく)のさまよりもむしろここに生活する女給の境遇について、更に一層痛切に感じられる。君江のような、生れながらにして女子の羞耻と貞操の観念とを欠いている女は、女給の中には彼一人のみでなく、まだ沢山あるにちがいない。君江は同じ売笑婦でも従来の芸娼妓とは全く性質を異にしたもので、西洋の都会に蔓延している私娼と同型のものである。ああいう女が東京の市街に現れて来たのも、これを要するに時代の空気からだと思えば時勢の変遷ほど驚くべきものはない。」(『つゆのあとさき』第七章から)
女給は、元々は「カフヱー」なるものの給仕、ウェートレスであった。カフヱーとは、もちろん、西洋文明、とりわけフランス文化から導入されたもので、1910年代以降、文化人が集まる、言わば、「サロン」としての趣きを備えたものであった。映画でも、山村が小暮と知り合う切っ掛けとなるのは、ある「肉体派文学」の文筆家が、「ウナ・コーパUna Copa」(スペイン語で「グラス一杯」の意)というカフヱーに連れてきたことによる。つまり、このカフヱーは、「カフヱー」文化の草創期の趣きも引きずっていたことになる。
当初の「カフヱー」には、フランス系で、酒も飲ませるものもあったが、同様に、西洋料理を提供する「カフヱー」もあった。その料理を運ぶ「女ボーイ」ということで、1915年以降から、着物に白いエプロンを掛けた女給がテーブルの近くに立って、お客にサービスをしたのである。更に、「カフヱー」と言っても、純粋にコーヒーのみを提供するものもあり、これが、「純喫茶」という名称として今日も残ることになる。
これらの系統に加えて、大阪の業者が考え出した「カフヱー」では、「接待要員」を置いた、今で言う風俗営業がなされるようになる。1929年にあるジャーナリストがこの大阪から広まった現象を以下のように説明している:
「東京の女給が、未だ上品に白のエプロン姿凛々しく、客席を離れてつつましやかに、客の指図を待って佇んでいる時、大阪では、女給が早くもエプロンを外し、惜しげもなく愛嬌を振りまきながら、客の傍に寄り添う如く腰を下ろす」
つまりは、エプロンを外した女給こそは、ホステスである。彼女等が、永井荷風が描く女給「君江」であり、彼女達は、「カフヱー」の経営者から固定給で雇われている被雇用者ではなく、言わば、「自営業者」として、客からのチップと、客が飲み食いしたものからの「報奨金」で稼いでいたのである。このようにして、彼女等の境遇は、永井が描いたような、私娼の生活と紙一重のものとなった訳である。
太平洋戦争の戦況が逼迫すると、カフヱーも含む「高級享楽」は1944年三月に一斉に禁止され、カフヱーは街角から一時的に姿を消すことになるが、敗戦と共に、早速復活したようであり、映画内で、小暮が、山村がけち臭いチップしか寄こさないことに不平を言うように、戦前の「女給システム」も戦後もそのまま復活したようであった。
以上、本作の内容を若干補足しながら述べてきたのであるが、最後に、証明の仕様がないのではあるが、本作の24分台以降数分のシーンを観て思ったことを記しておきたい。それは、高峰が絵画を習い始めた後、そして、小暮が、山村が高峰の兄であることを知らないまま、彼をカフヱー「ウナ・コーパ」で知り合う前のプロットとして挿入されてる場面である。
まず、並木道を画面の奥に向かって歩く女性の、小さな後ろ姿が見える。画面が変わって、カメラは女を正面から写す。小暮である。彼女は、黒色のストールのような物で頭を覆い、それを首の前で結んでストールの両端を胸の前で下に垂らしている。着ているコートは長めで、右肩にショルダー・バッグを掛けている。アングルが変わると、この小暮を今度は斜め前から写す映像となる。すると、高峰が、並木道の脇道の一本から、つまり画面右から前面に向かって小走りに走ってきて、「映子さん!」と呼ぶ。こうして二人の会話が始まるのであるが、実は、この場所は墓地であり、二人は、亡くなった細川の墓を詣でていたのである。寡婦たる高峰は、ここで会ったことを以って、亡夫の愛人・小暮が真面目に細川との関係を考えていた明かしを見たと感じたのであろう。二人は、それぞれの思いを抱きながら、それぞれが別の方向へと更に歩いて行く。カメラは、今度は、高峰の後ろ姿を写しつづける。
筆者は、上述のシーンを観ながら、キャルロ・リード監督作のイギリス映画『第三の男』の有名な映画の冒頭とラストシーンの、墓地の中の並木道を歩く、オーソン・ウェルズの愛人役を務めたAlida Valliアリダ・ヴァリの姿を思い出していた。『第三の男』の制作が、本作制作と同年の1949年であるが、『第三の男』の日本上映は、1952年のことである。最初は、本作が『第三の男』の場面を真似たのではないかと勘ぐったのであるが、制作年、日本上映年から言っても、それはあり得ないことであり、それぞれが独自に同じような場面を撮影していたことについて、本作の監督・千葉泰樹にここで敬意を表したい。
何故ここで白樺派のことを持ってくるかと言うと、高峰三枝子の兄役で、大学の東洋哲学の助教授をやっている山村聰が、小暮実千代のことについて、自分は彼女と結婚するつもりであることを妹・高峰に告白した時に、次のような言説を以ってその理由付けをしているからである:(映画の40分台以降)
まず、山村が高峰に小暮の名前を言わずに、小暮のことを説明する。小暮は、「世間が何か意味ありげに見たがるグループに属している人」であり、「世間的な垢にまみれて、もみくちゃにされ通してきたというような人」である。だからと言って、「その人に憐れみを掛けている訳ではない」のであるが、自分は、「どんなに汚されてもまだ残っている、その人の美しさを愛している。」そして、山村は言う:「僕は、本当に幸福な結婚は、必ずしも世間的な常識の上に立たなくても出来るということを証明してやるつもりだよ。」
この人間の心根の美しさ、そして善意を信ずる態度は、正に、白樺派がその創作の土台とした、理想主義と人道主義であると言える。故に、こうは言えなくないか。この白樺派の精神が、未だ進駐軍に占領されている戦後日本であっても、戦後の民主主義精神と結び付いて、本作を以って復活したと。しかも、その復活は、民主主義を唱導する進駐軍の本国、USAのハリウッド映画の映像美を借りる形で、示されたことから、筆者としては、表題の如く、「白樺派 ミーツ ハリウッド映画」と本作を特徴づけたのである。本作の最初の15分を、背景はそのままにして、俳優だけ、アメリカ人俳優にすげ替えたら、それはそのままアメリカ映画と通せそうなくらいである。最初の教会の場面、新婚旅行で泊るホテル、正に、外国映画を思わせる。という訳で、本作の最初のストーリー展開を、ここでなぞってみよう。
タイトル・ロールの背景に朧気ながら教会の輪郭が見えており、本作のファースト・シーンは、キリスト教会の外観である。車が数台乗り付けるが、カメラは教会の中は写さずに、すぐにフォト・スタジオでの結婚の記念撮影となる。恥ずかし気にカメラを覗き込めない、ウエディングドレス姿の高峰に、写真屋が顔を少し上げて欲しいと頼んで、写真が撮られると、すぐに場面は移って、電車が走っている場面がワンショット入る。語りのテンポがいい。すると、恐らく合成写真なのであろう(合成技術:天羽四郎)。画面の右下から左に向かう坂道があり、その画面の右は崖、左は大きな針葉樹で、画面の奥には海が見える。入り江なのであろう、村の灯りも見える。その坂道を上ってくる車がある。新婚旅行に、東京から伊豆の海岸沿いのある場所に電車と車で来たのであろう。「Hotel Minami」というネオンサインが映し出され、カメラは、思わせぶりに「Hotel」を大写しにする。すると、回転ドアがホテルの中から写し出され、ホテルの従業員が客が入ってくるのを待ち受けている。画面の右奥から、ホテルのボーイを先頭に高峰達一行が回転ドアを左(!)から入ってくる。すると、カメラは左に首を振って、ホテルの奥にある階段を写す。その階段を降りて来る、黒のアフターヌーンのドレスを着た女がいる。ハリウッド映画を思わせる、意外とさまになる画面構成である(撮影:小原譲治;美術:河野鷹思)。降りて来る女は小暮で、彼女は左手に白い薔薇を持っている。階段に向けてやってくる新婚カップルを待ち受けているようであるが、どうも新郎(役:細川俊夫)とは因縁があるようであり、新郎が、小暮をわざと無視しながら階段を上って小暮の側を通り過ぎようとすると、小暮は新郎に向けて、白い薔薇を投げつける。もちろん、新郎の後ろを若干遅れて階段を上がっていた新婦・高峰も小暮の不可思議な挙動に気付く。新郎新婦がホテルの部屋に入ると、当然、高峰は細川に階段の女が誰であるのかを問い質すが、細川は女は自分が知っている女であるが、銀座のカフヱーUna Copa(スペイン語で「グラス一杯」の意)の女給で、自分にしつこく付きまとって、困っていると言うのである。色々と説明する細川に、信じてはいるが、潔癖過ぎる自分にはどうしても納得が行かないと言って、同じホテル内に別の部屋を取る高峰であった。結局、彼女は結婚の初夜を拒否し、翌朝早く、一人でホテルを発つ。彼女は小暮が勤めているという銀座のカフヱーに向かった。カフヱーの入口で高峰が待っていると、小暮が朋輩と三人でやってくる。女給達の着替え室で、高峰が小暮の朋輩からどんなに小暮が細川に入れ込んでいたか聞かされると、煙草を吸い終えた小暮が高峰に場所を変えて直接話しをする。小暮に、「わたくしを憎いと思っているでしょ?」と聞かれた高峰は、「あたくし、自分が哀しいんです。」と答える。その答えに胸を打たれたように、小暮は、「お可哀そうな方」と言う。嫌味で言っているのではないと補足する小暮に、「今日のこと、お気を悪くなさらないでね。」と少々顔を和ませて言う高峰。二人の間には、心無い男に痛めつけらた心の痛手を舐め合うような、同性同士の共感が生まれていた。ここに「女の戦ひ」は、「女同士が共闘する、心無い男に対する戦い」となる。小暮と別れて、高峰がカフヱーから出てきたところで、後を追いかけてきた細川は、車を降りて、道の反対側に渡ろうとした。しかし、丁度通り過ぎようとしたトラックに轢かれて細川は呆気なく死んでしまう。細川の葬式を終えた高峰は、たとえ初夜はなくとも結婚をしていたことから、細川の実家に、心優しく上品な義理の母(役:瀧花久子)と二人で、未亡人として住むことになる。こうして、ストーリーは新たな展開を迎える(脚本:八住利雄)。
亡き夫の実家に義理の母と一緒に住む高峰は、無為に時を過ごしていたが、元々好きであった絵画を描くために、義理の母の許しを得て、パリー帰りの気障な画家小谷(役:河津清三郎)の自宅兼アトリエに通うことにする。この悪役小谷・河津が、実は、映画の終盤になって、高峰と小暮の運命にも大きく関わって来ることになるのであるが、山村聰が高峰の兄であること、小谷・河津と小暮が実は因縁深い関係にあったことなどが、可成りストーリーが展開した後に観ている者に明かされる。故に、ストーリー展開が強引であるかのようにも思われ、脚本がよくこなれていない感じがあるのは否めない。
脚本家・八住(やすみ)は、東宝の前身の一つとなるP.C.L.映画製作会社に1936年に、つまり日中戦争が始まる前年に入社して、本格的に映画脚本家としての道を歩む。戦時中は、東宝の国策映画(例えば、43年作の、帝国海軍予科練の生活を描く『決戦の大空へ』など)の脚本を書いたりする。そのこともあってか、八住は、戦後も『戦艦大和』(本作同様の新東宝製作の1953年作品)などの戦争映画の脚本も書くが、娯楽映画から文芸映画(例えば、新東宝製作の1950年作品『細雪』など)までの脚本を扱う日本映画界の重鎮・脚本家として、とりわけ、1950・60年代を通じてその健筆を振るうことになる。本作は、その八住が戦時国策映画から民主主義キャンペーン映画制作への路線転換を自ら以って遂げる過程の一本であったとも言えるが、本作のストーリー展開のぎこちなさは、民主主義プロパガンダが八住には未だ慣れていなかったところから来ているのかもしれない。
とは言え、小暮が勤める「カフヱー」に絡む描写は、戦前との連続性があり、1940年代末の日本における風俗営業がどんなものであったかが分かって、興味深い。戦前の「カフヱーの女給」と言えば、「それなりの」社会的評価を受ける存在であった。つまり、「エロ・グロ・ナンセンス」が横行する1930年代に入って、彼女達は、当世風「娼妓」として扱われていたのである。
永井荷風が1931年(昭和六年)に「女給・君江」ついて描いた作品『つゆのあとさき』にはここらの辺の事情が明確に言語化されている:
「西洋文明を模倣した都市の光景もここに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。この悲哀は街衢(がいく)のさまよりもむしろここに生活する女給の境遇について、更に一層痛切に感じられる。君江のような、生れながらにして女子の羞耻と貞操の観念とを欠いている女は、女給の中には彼一人のみでなく、まだ沢山あるにちがいない。君江は同じ売笑婦でも従来の芸娼妓とは全く性質を異にしたもので、西洋の都会に蔓延している私娼と同型のものである。ああいう女が東京の市街に現れて来たのも、これを要するに時代の空気からだと思えば時勢の変遷ほど驚くべきものはない。」(『つゆのあとさき』第七章から)
女給は、元々は「カフヱー」なるものの給仕、ウェートレスであった。カフヱーとは、もちろん、西洋文明、とりわけフランス文化から導入されたもので、1910年代以降、文化人が集まる、言わば、「サロン」としての趣きを備えたものであった。映画でも、山村が小暮と知り合う切っ掛けとなるのは、ある「肉体派文学」の文筆家が、「ウナ・コーパUna Copa」(スペイン語で「グラス一杯」の意)というカフヱーに連れてきたことによる。つまり、このカフヱーは、「カフヱー」文化の草創期の趣きも引きずっていたことになる。
当初の「カフヱー」には、フランス系で、酒も飲ませるものもあったが、同様に、西洋料理を提供する「カフヱー」もあった。その料理を運ぶ「女ボーイ」ということで、1915年以降から、着物に白いエプロンを掛けた女給がテーブルの近くに立って、お客にサービスをしたのである。更に、「カフヱー」と言っても、純粋にコーヒーのみを提供するものもあり、これが、「純喫茶」という名称として今日も残ることになる。
これらの系統に加えて、大阪の業者が考え出した「カフヱー」では、「接待要員」を置いた、今で言う風俗営業がなされるようになる。1929年にあるジャーナリストがこの大阪から広まった現象を以下のように説明している:
「東京の女給が、未だ上品に白のエプロン姿凛々しく、客席を離れてつつましやかに、客の指図を待って佇んでいる時、大阪では、女給が早くもエプロンを外し、惜しげもなく愛嬌を振りまきながら、客の傍に寄り添う如く腰を下ろす」
つまりは、エプロンを外した女給こそは、ホステスである。彼女等が、永井荷風が描く女給「君江」であり、彼女達は、「カフヱー」の経営者から固定給で雇われている被雇用者ではなく、言わば、「自営業者」として、客からのチップと、客が飲み食いしたものからの「報奨金」で稼いでいたのである。このようにして、彼女等の境遇は、永井が描いたような、私娼の生活と紙一重のものとなった訳である。
太平洋戦争の戦況が逼迫すると、カフヱーも含む「高級享楽」は1944年三月に一斉に禁止され、カフヱーは街角から一時的に姿を消すことになるが、敗戦と共に、早速復活したようであり、映画内で、小暮が、山村がけち臭いチップしか寄こさないことに不平を言うように、戦前の「女給システム」も戦後もそのまま復活したようであった。
以上、本作の内容を若干補足しながら述べてきたのであるが、最後に、証明の仕様がないのではあるが、本作の24分台以降数分のシーンを観て思ったことを記しておきたい。それは、高峰が絵画を習い始めた後、そして、小暮が、山村が高峰の兄であることを知らないまま、彼をカフヱー「ウナ・コーパ」で知り合う前のプロットとして挿入されてる場面である。
まず、並木道を画面の奥に向かって歩く女性の、小さな後ろ姿が見える。画面が変わって、カメラは女を正面から写す。小暮である。彼女は、黒色のストールのような物で頭を覆い、それを首の前で結んでストールの両端を胸の前で下に垂らしている。着ているコートは長めで、右肩にショルダー・バッグを掛けている。アングルが変わると、この小暮を今度は斜め前から写す映像となる。すると、高峰が、並木道の脇道の一本から、つまり画面右から前面に向かって小走りに走ってきて、「映子さん!」と呼ぶ。こうして二人の会話が始まるのであるが、実は、この場所は墓地であり、二人は、亡くなった細川の墓を詣でていたのである。寡婦たる高峰は、ここで会ったことを以って、亡夫の愛人・小暮が真面目に細川との関係を考えていた明かしを見たと感じたのであろう。二人は、それぞれの思いを抱きながら、それぞれが別の方向へと更に歩いて行く。カメラは、今度は、高峰の後ろ姿を写しつづける。
筆者は、上述のシーンを観ながら、キャルロ・リード監督作のイギリス映画『第三の男』の有名な映画の冒頭とラストシーンの、墓地の中の並木道を歩く、オーソン・ウェルズの愛人役を務めたAlida Valliアリダ・ヴァリの姿を思い出していた。『第三の男』の制作が、本作制作と同年の1949年であるが、『第三の男』の日本上映は、1952年のことである。最初は、本作が『第三の男』の場面を真似たのではないかと勘ぐったのであるが、制作年、日本上映年から言っても、それはあり得ないことであり、それぞれが独自に同じような場面を撮影していたことについて、本作の監督・千葉泰樹にここで敬意を表したい。
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