本作の制作は2015年であるが、その前年の14年には、『ドローン・オブ・ウォー』という訳の分からない邦題のUSA作品が既に発表されていた。この映画の監督は、その脚本も書いたAndrew Niccolで、主役は、US空軍少佐を演じるEthan Hawkeである。原題が『Good Kill』と、その主題を的確に突いていて、自らはその場にはいないのであるが、それでも、攻撃型ドローン「Reaperリーパー」(「草刈り鎌」の意)を使って、敵のアフガン人テロリストを爆殺していくUS空軍少佐の内面の空虚と葛藤を描いたものであった。本作も同型のドローンMQ-9 Reaperが登場し、そのストーリーは、ケニアのナイロビに潜伏する英国人テロリストを如何に「中立化」するかを巡るものではあるが、その立て付けは、個人の内面の問題ではなく、軍事・政治・倫理の枠組みでテロリストを間接的にKillすることの意味を政治スリラー映画として制作したものである。本作のラストシーンの情緒性はいただけないが、そのテーマの政治性は大きく取り上げられるべき問題であり、評価したい。脚本は、Guy Hibbertガイ・ヒパートで、本作により、2016年度英国映画賞で脚本賞を獲得している。監督は、Gavin Hoodギャヴィン・フッドという白人系の南アフリカ人で、本作では、US空軍中佐Ed Walshとしても台詞付きで登場している。主演の一人は、鉄血の英国軍人キャサリーン・パウエル大佐を演じるHelen Mirrenヘレン・ミレンである。
第二次世界大戦において、制空権を持たない者は戦争に負けることがはっきりした。そして、戦略的空爆は、第一次世界大戦で明確になった総力戦において、敵方の戦争遂行能力に打撃を与えるために肝要・不可欠のものとなる。さて、1960年代から70年代に掛けてヴェトナム戦争で米兵を現地投入して、「痛い目」にあったUSAは、軍事的対立には、出来るだけアメリカ兵の海外派兵をせずに、これを解決しようとする。となると、戦略的空爆により大きな意味が置かれるようになる。その典型が、1990年代のユーゴスラヴィア内戦におけるNATO軍の行動の在り方で、NATO軍は、現地には歩兵を派兵せずに、空爆により内戦とジェノサイドを終わらせようとしたのであった。こうした戦争の在り方の変化に対応して、攻撃型ドローンの開発も急速に行なわれるようになったのであろうし、しかも、ジェット戦闘機であれば、有人でもあり、経費も嵩むところが、UCAV(unmanned combat air vehicle無人戦闘航空機)であれば、パイロットを失う危険もなく、軍事衛星の整備のためのコストを除けば、兵器自体の経費もより安く済む。こうして、USA軍のUCAVたるMQシリーズが開発され、現在では改良型のMQ-9まで来ている。MQ-9 Reaperは、既に2007年より運用されているが、2001年の同時多発テロ事件以来、国際テロリスト集団との「War」が国際政治上の焦眉の的となっており、この関りでも、上述の『Good Kill』のようなテーマが映画でも取り上げられることとなる。因みに、本来的に言って、国家対テロリスト集団という構図を「戦争」と呼ぶことに疑問があるのではあるが。
MQ-9 Reaperの仕様は、以下の通りである:
長さ:11 m、翼幅:20 m、最高高度:15.200m、運用高度:7.600m、滞空時間:14〜28時間、航続距離:5.926km、最高速度:482 km/h、巡航速度:276-313km/h、ハードポイント(ミサイル固定装置):6である。
遠隔操作員は二名で、パイロットが一名、センサー員が一名となる。本作では、この要員がUSAネヴァダ州にある地上誘導ステーションでドローンを操作している。作戦本部はイギリスであり、作戦地は、ケニアのナイロビという「国際性」である。しかも、ナイロビ現地のケニア情報部の要員は、鳥型ドローン(Ornithopterオーニソプター)や昆虫型ドローン(Insectothopterインセクトソプター)を使用するという手の入れようである。(-pterとは、ギリシャ語で「~の翼」を意味し、Helicopterヘリコプターとは、「回転翼」を意味する。)
イギリスの作戦本部は、二箇所に別れており、パウエル大佐が勤務しているイギリス軍常設統合指令部は、大ロンドンの北部に接してある地域に存在しているノースウッド・ヘッドクォーター内にあって、実働部隊である。常設統合指令部は、もちろん、文民統制下にあることから、イギリス政府が構成する「緊急事態対策会議」の下に置かれている。この「緊急事態対策会議」は、イギリス政府・内閣府内に置かれている。その正式名称は、Cabinet Office Briefing Rooms(内閣府ブリーフィング・ルーム)で、その頭文字を採って「COBR」と略するが、これでは、発音するのに座りが悪いので、このルームの内、A会議室を多く使うことから、略称として「COBRAコブラ」と言いやすい方を取っているようである。
COBRAは、議長となる内閣総理大臣乃至は担当大臣が、更に、関連の諸大臣、閣外大臣、関連の警察上級職員などが入って構成される。本作では、実働部隊への指揮命令系統の上位の者として、イギリス海軍中将Bensonが海軍国防副長官として会議体に入って、会議体の決定事項をパウエル大佐に指揮する。更に、パウエル大佐が、アメリカ軍のReaperパイロットやケニア情報部に指示するという具合である。(尚、ある場面では、Reaper操縦者であるUS空軍中尉が、Collateral damageを巡って、パウエル大佐に抗して、ロケット発射を逡巡する箇所がある。軍事行動もまた規則に則ってなされなければならない。その「ブレーキ装置」が如何に軍隊内で機能しているかが、その国の軍隊の民主主義度の計測機となることを本作は見せてくれる。)
COBRAには、Benson中将以外に、法務長官(Attorney General:検事総長のような地位で、法務大臣と同格かそれ以上の地位にある、歴史ある役職)、外務省副大臣、外務省アフリカ担当の政務次官(女性)など四人が参加しているが、必要があれば、通信連絡で、外務大臣などもその決定を促されることになる。邦題として追加されている「世界一安全な戦場」は、この女性政務次官の言葉をその趣旨に則って言い換えたもので、蓋し、本作の核心を突いた「銘題」である。
こうして、本作では、イギリス国籍の二人とUSA国籍の一人のテロリストをナイロビで 逮捕するつもりであったものが、事態の展開により、彼等をドローンからのロケット攻撃で殺傷することに替わり、その際に、どれだけのCollateral damageが赦されるのかという政治上、倫理上の問題がCOBRAで議論されることになる。これが、映画中盤のクライマックスとなるが、さて、その議論の結果は如何なるものになるか?
さて、筆者はこの文章を2025年10月下旬に書いているが、この数週前から、アメリカ海軍がコロンビア乃至ヴェネズエラの海岸から出航した小型船を空爆によって乗組員もろともに爆砕するという軍事行動に出ている。それは、それらの小型船がUSAに麻薬を持ち込もうとする犯罪行為であるからであると唱えている。テロ行為を戦争行為であると見做すことには意見が別れるところであろうが、麻薬持ち込みは、明らかな犯罪行為であり、これに対抗するのは、本来は警察組織の役割である。しかも、ある軍隊が犯罪者を裁判なしで「処刑」するのは、 国際法に違反する明確な違反行為であろう。このように、いわゆる、「Targeted Killing」には、法律上、政治上、倫理上の問題がある。
そして、空爆には、誤爆やCollateral damage(巻き添え損害)もあり得るのであり、本作は、Collateral damageが60%の可能性であるかを結局45%までに、殆んど故意に下げるという問題も浮き彫りにされている。
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