本作の原作者・三島由紀夫は、1951年12月25日に、アジア諸国を除いた「世界」一周旅行のために、まずは、ハワイに向けて船出した。丁度クリスマスであり、彼は初めてタキシードを着て、船上のクリスマス・ディナーに参加する。1951年と言えば、西側の連合国諸国とのみサンフランシスコ講和条約が結ばれ(故に、ソ連と中国などを除く)、同時にまた、第一次日米軍事同盟も署名された年である。未だに日本人の海外渡航は制限されており、三島は、朝日新聞の特別通信員として出航の許可を得る。こうして、52年の元旦をハワイのホノルルで祝い、更に船で、その数ヶ月前に平和条約が結ばれたサンフランシスコ港に入る。そこからは、飛行機も入れた移動となり、三島はニューヨーク、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロなど見て、52年三月にヨーロッパ入りする。パリで偶然に木下恵介や、『潮騒』の初めての映画化の時に音楽を担当することになる黛敏郎とも知り合う。ロンドン滞在後、四月下旬に三島の「眷恋(けんれん:恋焦がれること)の地」たるギリシャに到着する。とは言え、ギリシャ滞在は四日間のみで、4月30日にローマに到着し、ここに5月7日まで滞在した後、帰途につき、5月10日に羽田空港に戻ってくる。通算四ヶ月半に及ぶ三島の初めての、言葉の本当の意味での外遊であった。
三島は、既に旅行中の52年二月から「見聞録」・紀行文を新聞や雑誌に発表していた。四月には『あめりか日記』を、五月に『リオ・デ・ジャネイロ』などを、七月には、パリの滞在が不本意にも一番長かった『憂鬱なヨーロッパ』、そして『希臘・羅馬紀行』などを発表する。同年十月には、これらの紀行文をまとめた単行本『アポロの杯』が朝日新聞社より刊行されている。題名にギリシャ神話の太陽神アポローンが織り込まれていることにここでは注意したい。
この旅行は三島にとって、これまでの自己の作家活動の転機となり、「自己改造」の一つの契機を見つけることになるのであるが、それが、「憂鬱な」西欧の灰色の空に対する、希臘の「青空」であった。つまり、希臘では、真と善は美であり得るのであり、言わば、美しき肉体には善き知性が宿るのである。三島は、「今日も絶妙の青空、絶妙の風、夥しい光。……さうだ、希臘の日光は温和の度をこえて、あまりに露はで、あまりに夥しい。私はかういふ光りと風を心から愛する」と朗唱するが、このギリシャ熱が彼にとって何を意味するかを、本作が撮影された1964年に以下のように記している:
「それはいはば、美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準の発見であり、古代ギリシア人はその鍵を握つてゐたやうに思はれるのだつた。近代ロマンチック以後の芸術と芸術家との乖離の姿や芸術家の孤独の様態は、これから見れば、はるか末流の出来事であつた。(中略)ギリシアは、私の自己嫌悪と孤独を癒やし、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。私はもう、ちよつとやそつとのことでは傷つかない人間になつたと思つた。晴れ晴れとした心で日本に帰つた。」— 三島由紀夫「私の遍歴時代」よりの引用をウィキペディアのサイトより更に引用
この三島のギリシャ熱が昇華し、ギリシャ的に「美しい作品」が、ギリシャのレスボス島で繰り広げられた「山羊に育てられた少年ダフニス」と「羊に育てられた少女クロエ」と間の「健康な」恋物語りに似せて、1954年に書き上げられる。それが、本作の原作となる『潮騒』であり、これがベストセラーになったことから映画化の話しが直下に進行し、同じ年にこの原作の一回目の映画化がなされて上映される。という訳で、本作は原作の二回目の映画化に当たり、一回目の十年後のものとなる。その後は、1971年、75年、85年と映画化されており、この五本の映画化作品の中で、吉永小百合が女主人公・初江を演じた本作と山口百恵が同じ役を演じた75年作品が比較的有名なものであろう。
筆者も原作を読んではいるが、ストーリーはもう思い出せず、ウィキペディアで概略を読むと、本作のストーリー展開とはほぼ一致しているようである。故に、ウィキペディアに出ている、原作上の女主人公・初江をここに引用する:
「海女。健康な肌いろで、目もとが涼しく眉は静か。鄙びた顔立ちで睫の長い美しい少女。無口で愛嬌がないかと思うと急に娘らしく笑い出し、ぼうっとしているようでいて、よく気がつく娘。宮田照吉の末娘で、志摩に養女に出されていたが、兄が死んだために実家に呼び戻された。」
「田舎っぽい顔立ち」とはどんな顔立ちか、筆者にも想像できないが、吉永の顔がそうであるようには見えない一方、その他の描写は、吉永の外見に一応は合っていそうではある。
それでは、原作ではむしろこちらに重点が置かれているように思われる男主人公・新治はどうであろうか。ウィキペディアの同様の箇所から引用する:
「18歳の漁師。背丈が高く、体つきも立派だが、顔立ちはその年齢の稚なさがある。よく日焼けし、形のよい鼻と黒目がちな目。笑うと白い鮮やかな歯列が見える。一昨年に新制中学校を卒業したばかり。学校の成績は悪かったが、歌島を5周できるほど泳ぎが得意。無口な青年で青年会ではいつも子供っぽい笑顔で人の意見を傾聴している。母と弟の三人暮し。」
蓋し、「背丈が高い」以外は、本作でこの役を演じている、日活青春映画での吉永の相方・浜田光夫にぴったり合っているように思われる。
撮影(松橋梅夫)は、基本的に、原作の舞台である三重県神島でなされているが、一部は撮影所撮影でもある。
「鄙ぶる」に対する言葉は、「みやぶる」であり、これを漢字を混ぜて書くと、「宮ぶる」となるが、これが更に「宮び」、「都び」、「雅び」となり、現在の「雅(みやび)」となる。つまり、「鄙」(田舎)に対する「雅」とは、「宮廷風」乃至は「都会風」を意味し、ギリシャ的多神教と同様に、神道の神々が住む神島に、都会からの邪悪を持ち込む男女が、万葉集にも歌われている神島(古名を「歌島」)にやって来る。千代子(松尾嘉代)と安夫(平田大三郎)である。東京の女子大学に行く千代子は、新治に横恋慕をする。一方、標準語を話す安夫は、その内結婚するであろうと思われていた初江を強引に自分のものにしようと夜に井戸の水汲み当番に当たっていた初江を襲う。しかし、自慢の蛍光針付き腕時計に引き寄せられたハチに襲われて、自分の「意図」を達成できずに安夫は退散せざるを得なくなる。この神話的エピソードは、スタジオ撮影である。この安夫が、「ダフニスとクロエ」に登場するダフニスの恋敵ドルコンに当たる。ここで面白いのは、三島が、都会と田舎の対立の構図を価値転倒させて、都会を悪に、田舎の村落共同体を善として描いていることであろう。
その三島が言う:
「辺鄙な漁村などにゆくと、たしかにそこには、古代ギリシアに似た生活感情が流れてゐる。そして、顔も都会人より立派で美しい。私はどうも日本人の美しい顔は、農漁村にしかないのではないかといふ気がしてゐる」。
三島がこう述べているのは、本作が上映された1964年の六月号に出た雑誌『若い女性』の記事「美しい女性はどこにゐる―吉永小百合と『潮騒』」でである。昭和文学史における最も派手な行動派作家三島は、初江を体現する吉永の配役をまんざら悪いとは思ってはいなかったということになろうか。
万葉集歌人・柿本人麻呂は、神島の回りを舟で遊ぶ恋人のことを想って次のように詠んでいる。和歌中の「伊良虞」とは、愛知県渥美半島の先端にある岬の地名である:
「潮騒(しほさゐ)に 伊良虞(いらご)の島辺(しまへ) 漕ぐ舟に 妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を」
2025年12月27日土曜日
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