2025年12月10日水曜日

MEMORIES(日本、1995年作)総監督:大友 克洋

 本作は、筆者がこのコメントを書いている2025年から振り返ると、丁度30年前の1995年に発表されたオムニバス・アニメ劇場作品である。題名『MEMORIES』に相応しく、日本の「失われた」30年で日本の何が失われたのかを考えるのに最適な作品かもしれない。

 原作コミックを提供し、製作総指揮、企画、総監督、そして、第三話「大砲の街」の監督を務めたのが、アニメ・漫画界の巨匠・鬼才たる大友克洋である。幻惑的なSFサスペンスたる第一話「彼女の想いで」の監督は、森本浩司で、ギャグ漫画的なドタバタ・パニックストーリーたる第二話「最臭兵器」の監督は岡村天斎である。

 音楽には疎い筆者ではあるが、作品を観ていながら、それぞれのオニムバスのストーリーに合わせて、独自のコンセプトで音楽制作がなされたのであろうと想像して、ウィキペディアで調べてみると、以下のような箇所が出てきた:

 ・・・・・・ 音楽は、「彼女の想いで」をクラシカルであると同時に先鋭的な菅野よう子、「最臭兵器」をジャズからポップス現代音楽民族音楽など、ジャンルを横断して活動する三宅純、「大砲の街」を寺井昌輝との電子音楽ユニット・Dowserとしても活動する長嶌寛幸が担当し、3本それぞれに異なるコンセプトの音楽がつけられている。そして、全体のオープニングとエンディングの音楽には、「『MEMORIES』というタイトルが懐古的な印象を与えるので、オープニングとエンディングには『今の音楽』を持ってきたかった」(大友克洋)という理由で、テクノバンド・電気グルーヴ石野卓球が起用された ……

 という訳で、本作は、画面もさりながら、音楽も十分に楽しみたい作品であり、一度目はストーリーを追うだけで余り音楽のことを考える余裕がないはずであるので、是非、二度、三度と鑑賞して、映像、ストーリーに対する音楽の関りを感じ直したいものである。

 さて、第一作目の「彼女の想いで」の映像を見て、アニメのことを少しでも知っている人であれば、誰でもそうであろうと思うが、「あっ、これは今敏のタッチ!」と気付くであろう。それは、実際そうで、アニメ界の逸物であった今敏が第一作目の脚本と設定を担当している。ここでは、大友の関りが一番少ないと言える。一方、第二作目では、大友が脚本とキャラクター原案も担当している。

 大友監督作品たる第三作目は当然大友が大きく関わっているが、それは、原案、監督のみならず、脚本、キャラクター原案、美術も担当しているという、相変わらずの完璧主義者ぶりである。子供が主人公なので、何か童話的なキャラクター創造なのであるが、ストーリーはデストピア的で、どこかの軍事独裁国家での話しを思わせ、色彩も粗く暗い感じである。

 とりわけ、二十分弱のこの第三作目に関して特筆すべきは、これがワンカット作品であることである。最初の第一場面から画像は切れることなく、流れるようにして、最終場面まで進行する。一部はCGが使用されていると言うが、基本的には、アナログ作業によるもので、作画監督の小原秀一、撮影監督の枝光弘明の職人技的な技量をここでは十二分に堪能したものである。

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