2026年6月30日火曜日

ノスタルジア(イタリア/ソ連合作、1983年作)監督:アンドレイ・タルコフスキー

 白黒写真が年月を重ねると、段々セピア色になっていくように、そのような色の映像で本作は始まる。映像の構図は、画面のこちら側は丘になっているようで、その丘から、画面の奥をゆったりと流れている川を見下ろす構図である。丘の中腹には、人や牛の姿が、17世紀の伝統的な風景画のStaffageスタファージュのように、点景として配置されている。この風景は、恐らくは、ロシア人であるアンドレイ・タルコフスキーが育ったロシアの古里とも言える原風景を映像化したものであろう。画面の奥を流れている川は、彼の生地の近くを流れていたヴォルガ川であるかもしれない。正に、題名通りのノスタルジーの映像である。

 本作の発表が、1983年で、A.タルコフスキーがソ連当局の帰国要請を無視して、西側に事実上亡命したのが1984年であったから、彼が既に望郷の念で以って本作を撮り上げた想いの強さが感じられる。それだけに、本作制作時には彼が内面的には「亡命」を、遅くとも83年段階で決意していたものと想像される。本作の製作は、一応「イタリア・ソ連合作」となってはいるものの、資本はソ連側からは出ていなかったと言われている事実からも、当時の事情の在り様(よう)が推察される。

 モチーフとしての「水」の存在にA.タルコフスキーがどのような意味の象徴性を与えていたかは筆者が詳らかに知るところではないが、水のないところに生命が存在し得ないことからも生命の源泉としての意味を、四大種(仏教用語で、「しだいしゅ」と読む。地、水、火、風の四要素を言う)の元素である「水」が持っていたのではないか。

 であれば、同じく四大種の一要素である「火」もまた「水」の対立項の意味を持つ。こうして考えれば、本作の主人公たるロシア人作家アンドレイ・ゴルチャコフの精神的ドッペルゲンガー・ドメニコが世界の救済を願って焼身自殺をした、その自殺の方法の必然性も理解できる。そして、映画の中盤で、アンドレイ(奇しくも、A.タルコフスキーと同じ名前)が水のひたたる洞穴で望郷の念に駆られて詠みあげた後、持参していたロシア語の詩集の手帳が、彼が泥酔して眠っている間に、自然に焼けたことの神秘も理解できる。尚、詠まれたロシア語の詩は、A.タルコフスキー本人と彼の母親を捨てて別の家庭を築いたウクライナ人の父親Arseni Tarkowskiの作品であることも、これまた、象徴的であろう。

 さて、映画の前半では、イタリア人の女性通訳Eugeniaに連れられてアンドレイは、イタリア・トスカーナ地方で、18世紀にこの地にやって来たロシア人作曲家Pawel Sosnowski の足跡を辿っていた。彼は、イタリアで成功を収めていたのにも関わらず、この作曲家は、望郷の念に駆られて不自由な帝政ロシアに戻り、そこで不幸な恋愛をすることになって自殺を遂げた人物である。アンドレイは、無神論のソ連社会から来ている人物である。その彼が、カトリック教国のイタリアにやってきて、嘗ての同胞の足跡を辿ることの政治・宗教的意味は大きい。同時に、Eugenia(字義的には「優生」の意)の自分への愛を拒むアンドレイの心理の複雑さも深い。この点、Eugeniaのみが、ある教会の地下納骨堂で、イタリア・ルネサンスの代表的な画家の一人ピエトロ・デラ・フランチェスカのMadonna del Parto(「妊婦のマドンナ」)を祀る、無数の蝋燭(元素・火!)に点された祝祭に立ち会う点も、象徴的な意味を持つ。因みに、アンドレイがEugeniaと泊まるホテルで時々、子犬を連れた婦人が登場するが、果たして、これは、A.タルコフスキーがロシアの文豪チェホフに捧げたオマージュであろうか。

 A.タルコフスキーは、「映画作家」ではなくて、「映像作家」である。何故に筆者がそう規定するかと言うと、それは、本作の終盤での映像の構成の仕方から言えるのである。主人公のアンドレイは、恐らく死者として、ある修道院教会の廃墟を訪れているのであろう。廃墟は、何かシトー派修道院の禁欲的な建築構想を思わせる、壁は高いが、装飾は少ない清楚な建築である。(撮影場所は、トスカーナ地方のシエナから南西に35km程行った所にあるSan Galgano修道院教会である。)ゆっくりと動く映像は、廃墟の建物を舐めるようにして写す。その、静かではあるが、何かの激情を内に秘めた映像は、次第に建物の全体を写すように廃墟からの距離を取っていく。すると、教会堂の回廊の中にあるはずの、今は屋根がないためにただの地面となっている場所に水溜まり(元素・水!)がある。その左脇にはアンドレイが寝そべり、水溜まりの右脇には、ドメニコが飼っていたシェパード犬が腹這いに座っている。そこに何と、小雪が静かに降りそそぐのである。この静謐な映像構成は、正に、冒頭の望郷の念を搔き立てる映像に対応するものであろう。ソ連が生んだ世界的映像作家が初めてソ連以外の地で撮った初めての作品には、誠に相応しいラストシーンである。

 脚本には、A.タルコフスキーの名前に連ねて、イタリアを代表する脚本家Tonino Guerraトニーノ・グェッラの名前が出ている。ミケランジェロ・アントニオーニ、フランチェスコ・ロージー、フェデリコ・フェリーニなど、イタリア映画の代表格的監督の作品を手掛けている彼が、A.タルコフスキーの描いた大筋に沿って、それにイタリアのロケーションで肉付けしたものと想像される。

 撮影監督は、ローマ人のGuiseppe Lanciジュゼッペ・ランキである。彼は1970年後半以降チーフ・キャメラマンとして活動をし始め、抒情的な場面や詩的で幻想的な場面の撮影において冴えた腕を見せると評価されている撮影監督である。本作は、その評価を裏付ける彼の仕事振りを見事に示している作品であると言える。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ノスタルジア(イタリア/ソ連合作、1983年作)監督:アンドレイ・タルコフスキー

 白黒写真が年月を重ねると、段々セピア色になっていくように、そのような色の映像で本作は始まる。映像の構図は、画面のこちら側は丘になっているようで、その丘から、画面の奥をゆったりと流れている川を見下ろす構図である。丘の中腹には、人や牛の姿が、17世紀の伝統的な風景画のStaffag...