諷刺とは何と難渋な作業であろうか!
近松門左衛門が言ったというその創作論に所謂「虚実皮膜論」というものがある。即ち、「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」と。
別の言葉で言えば、「虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みが有るもの也」。芸術とは虚構と現実との相互関係の中にあるものであり、その違いは紙一重であるべきであろう。フィクションが全く現実から離れてしまえば、それは単なるファンタジーであり、夢物語である。そこには人間の真実を描いて訴えるものがない。現実をそのまま映すだけでは(現実にはそれは不可能であるが、)それはフィクションではないのであり、誇張していえば、それは、つまり芸術ではないのである。現実の混沌を捨象・抽象してそこから現実の真実の姿を抉り出すこと、そこにこそ芸術の芸術たる本質があるのである。
さて、上述の論理が特に厳しく当てはまるのが、諷刺やパロディーである。諷刺やパロディーは、その創作の土台となる元のものから離れすぎると諷刺やパロディーではなくなってしまうからである。
本作は、その制作当時の1970年前後のベトナム戦争という具体的な対象があり、その文脈の中での戦争批判ということでその作品の価値がとりわけ高く評価されたのであるが、筆者の目から言わせれば、その諷刺は誇張されすぎており、その誇張によって戦争の本質がより明確に摘出されているとは残念ながら言いがたいのである。
確かに印象的な場面がいくつかある。双発のB25爆撃機ミッチェル(太平洋戦争中の1942年に東京を初空襲した爆撃機と同機種)の編隊が、イタリアのある歴史的文化都市に向かっている。何故その文化都市フェラーラが爆撃に値する戦略的意味を持っているのか、それを自問した先頭機の爆撃手、つまり名優Alan Arkinアラン・アーキン演ずるところの主人公John Yossariánヨサリアン大尉は、フェラーラの町に爆撃する進入路にあたる海上で爆弾を投下してしまう。すると、僚機もまたそれに倣って爆弾を投下して、爆弾は海上で爆発して、海水の飛沫が遠くの青空とフェラーラの町を背景に高く舞い上がるというシーンである。戦略空爆の非倫理性がここに見事に描かれている。
また、敵のドイツ空軍にそのアメリカ軍航空隊基地が夜間に爆撃されるシーンでは、何とその夜間空襲の誘導をやっているのが、John Voightが演じる、味方のMainderbinderマインダーバインダー中尉で、この軍需物資の配給係を担当している中尉は、敵とも通牒して自分の物資横流しの商売を上手くやり抜こうとしていたのであった。ここに軍需産業に対する痛烈な批判が込められているのは、誰も見逃さないであろう。「死の商人」には、敵・味方の区別はないのであり、どちらも「お客さん」であり、要は、武器を威勢よく使ってくれればいいのである。
このような的をついた諷刺もあることはあるのではあるが、私見、本作においては全般的にはその諷刺は誇張されすぎている感が強く、そのために本作が現実への批判力をかなり失ってしまっていることは残念ながら否めない。改めて、諷刺作品の創作の難しさを思い知らされる。
原作者は、ニューヨーク市生まれのユダ人Joseph Hellerジョセフ・ヘラーで、彼は、そのユダヤ人的ユーモアも以って、自身が体験した経験を作品化した。彼の、長編小説のデビュー作品である。
ウィキペディアによると、彼は、「1942年、19歳の時にアメリカ陸軍航空隊に入った。2年後に第二次世界大戦のイタリア戦線に送られ、B-25の爆撃手として60回出撃した。ヘラーは後に戦争の時のことを回想して『初めは面白かった...そこには何か輝かしいものがあるような気がした。』と語った。戦争から戻ると、ヘラーは『英雄のように感じた...私が飛行機に乗って戦い、60回も出撃したことで、楽な偵察飛行みたいなものだと言ったとしても、人々は目を見張るようなことと考えた。』と言った。」とのことであり、この話から考えると、ヘラー自身はそれ程、戦争に対して批判的であったとも思えない。
原作の題名『Catch-22』は、catch自体が、英語で「陥穽、落とし穴」を意味し、数の22自体は、適当に採った数字であるが、作中では、軍紀第22条を意味し、それは、「狂気に陥った者は、自ら請願すれば、除隊できる。但し、そうであれば、自己の狂気を意識できるのであるから、この程度ではまだ狂っているとは認められない。(故に除隊できない)」というものである。この言葉は、「板挟みの状況」を指し、1960年代のスラングにさえなったと言う。
1961年の発表当時、USAでは、賛否両論の評価が下り、べた褒めするものから、「無秩序で読むに耐えず、粗野だ」というものまであったと言う。USAでの、61年の発表年での販売冊数はそれ程でもなかったが、イギリスでは、爆発的に売れ、発売から一週間でベストセラーとなる。それが、翌年には、ペーパーバック版ということも相まってか、USAに飛び火し、一千万部も売るヒット作となるのである。
本映画の脚本家Buck Henryバック・ヘンリーもまたニューヨーク生まれのユダヤ人である。最初はコメディアンとして活動していたが、傍ら、脚本も書くようになり、映画の脚本としては、彼の処女作品である、青春映画『卒業』(1967年作)で、受賞は出来なかったが、いきなり、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
この映画『卒業』の監督が、本作の監督でもあるMike Nicholsマイク・ニコルズである。彼は、ロシア系ユダヤ人として、1931年にドイツはベルリンで生まれた。父親は医者としてロシア革命から逃れ、さらに、30年代末にナチス政権から逃れて、ニューヨークに移住する。息子のマイクは、最初は心理学を勉学していたが、次第に舞台芸術に惹かれ、50年代にコメディー・デュオ・グループの一員として舞台上に立つ。60年代には、ブロードウェイの舞台監督、劇作家として活動し、映画界には、1966年作品『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』で登場に、このデビュー作品でいきなりアカデミー監督賞にノミネートされる。そして、翌年の発表作『卒業』で、アカデミー監督賞を射止めるのである。この時にいっしょに仕事をした脚本家のB.Henryと、ニコルズは、本作『キャッチ22』でも協働することになるのである。
原作者、監督、脚本家と、ユダヤ的ジョークが分かる人間たちが制作した本作、それが戦争風刺映画として成功したかしなかったか、本批評の最初の方で述べた通り、筆者にはいささか大きな疑問が残る出来であったと言わざるを得ないところである。
2023年1月31日火曜日
2023年1月27日金曜日
キャロル(英国、USA、2015年作)監督:トッド・ヘインズ
本作の原作を書いたP.Highsmithが「Claire Morgan」という別名を使って発表した小説『The Price of Salt』は、女性同士の「性的志向」をテーマとしたもので、その発表された年代である1952年を鑑みると、その内容から言い、その発表された時代と言い、当然「偽名」で出版されなれければならない小説だった。
時は正に「赤」狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れた1950年代前半、公職に就いている男性職員が同性愛であることが「バレれば」、その職場を追われるという時代だったのである。発表当時既にかなりの反響があった、この小説を書いた本人が、ほぼ40年経った1990年に『Carol』と題名を変え、当時の「偽名」を今度はP.Highsmithの名前で再公表したのである。時代の変遷と言ってしまえばそれまでであるが、その変遷のためにどれだけの人間たちがそのために闘ってきたのかを思うと、考えさせらるものがある。
そういう1950年代の時代の制約があればこそ、また、禁断の「罪」を犯すハードルが高ければ高いほど、それを求める「憧憬」は強くなるものでもある。監督のTodd Haynesは、脚本家と共に原作にほぼ忠実にストーリーを追う。但し、テレ-ズがキャロルに接触を取るのは、キャロルが人形ではなく、鉄道模型をクリスマスのプレゼントに買った際に、革の手袋を玩具売り場に忘れていったからであり、また、テレーズは、舞台美術の方面ではなく、女性カメラマンとして自己実現を遂げる意図を持っており、実際にNYタイムズでその意図が満たされる手前まで行っていた点が、原作と異なる点であろう。
丁寧な時代考証(美術監督はJesse Rosenthal)、時代の雰囲気を的確に醸し出す楽曲選択、更に、美しくも切ない映像(撮影はEdward Lachman;映像素材は、スーパー16㎜コダック・フィルム)、どれを取っても、監督Todd Haynesは、この甘美な映画的世界を再現している。監督は、既に2002年に『エデンより彼方に』で、1950年代後半の社会的・人種的偏見を乗り越えた人間同士の触れ合いのあるべき姿を謳った作品を世に問うており、その意味でも的確な仕事をしていると言える。本作は、1950年代のレトロ・タッチで、見ごたえのある映画的世界を久しぶりに堪能したい方には必見の作品である。
米国アカデミー賞6部門でノミネートされた本作は、カンヌ国際映画祭で、テレーズ役を演じたRooney Maraルーニー・マーラが女優賞を獲得した。彼女の、小柄な顔の作り、知的な眼、鼻筋から両端に、少々太めであるが、すっと伸びた眉毛が、極めて印象的であり、これらが、また、金髪のCate Blanchettと好対照をなして、蓋し、適切な配役である。
時は正に「赤」狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れた1950年代前半、公職に就いている男性職員が同性愛であることが「バレれば」、その職場を追われるという時代だったのである。発表当時既にかなりの反響があった、この小説を書いた本人が、ほぼ40年経った1990年に『Carol』と題名を変え、当時の「偽名」を今度はP.Highsmithの名前で再公表したのである。時代の変遷と言ってしまえばそれまでであるが、その変遷のためにどれだけの人間たちがそのために闘ってきたのかを思うと、考えさせらるものがある。
そういう1950年代の時代の制約があればこそ、また、禁断の「罪」を犯すハードルが高ければ高いほど、それを求める「憧憬」は強くなるものでもある。監督のTodd Haynesは、脚本家と共に原作にほぼ忠実にストーリーを追う。但し、テレ-ズがキャロルに接触を取るのは、キャロルが人形ではなく、鉄道模型をクリスマスのプレゼントに買った際に、革の手袋を玩具売り場に忘れていったからであり、また、テレーズは、舞台美術の方面ではなく、女性カメラマンとして自己実現を遂げる意図を持っており、実際にNYタイムズでその意図が満たされる手前まで行っていた点が、原作と異なる点であろう。
丁寧な時代考証(美術監督はJesse Rosenthal)、時代の雰囲気を的確に醸し出す楽曲選択、更に、美しくも切ない映像(撮影はEdward Lachman;映像素材は、スーパー16㎜コダック・フィルム)、どれを取っても、監督Todd Haynesは、この甘美な映画的世界を再現している。監督は、既に2002年に『エデンより彼方に』で、1950年代後半の社会的・人種的偏見を乗り越えた人間同士の触れ合いのあるべき姿を謳った作品を世に問うており、その意味でも的確な仕事をしていると言える。本作は、1950年代のレトロ・タッチで、見ごたえのある映画的世界を久しぶりに堪能したい方には必見の作品である。
米国アカデミー賞6部門でノミネートされた本作は、カンヌ国際映画祭で、テレーズ役を演じたRooney Maraルーニー・マーラが女優賞を獲得した。彼女の、小柄な顔の作り、知的な眼、鼻筋から両端に、少々太めであるが、すっと伸びた眉毛が、極めて印象的であり、これらが、また、金髪のCate Blanchettと好対照をなして、蓋し、適切な配役である。
2023年1月21日土曜日
カポーティ(USA、2005年作)監督:ベネット・ミラー
自分が「冷血漢」だから書けた作品『冷血』
筆者は、1924年にニュー・オリンズで生まれ、1984年にロス・アンジェルスで薬物中毒の結果病死したTruman Capoteトルーマン・カポウティの作品を読んだことがない。だから、その文学的、アメリカ文学史上におけるその意義についてはそれがどうなっているからは知らないし、また、言えない。
しかし、少なくとも映画『ティファニーで朝食を』(1961年作)を観た時、脚本が意外と内容が深く、その、一応ラヴ・コメディー仕立てである内容が、しかし、アメリカの知識人階層の屈折した、ある種の恥部を描きだしているところに、あの当時筆者は、中々感心したものであった。そして、このインデぺンデント映画『カポーティ』(2005年作)を観て、あの清純なヘップバーンが出ていた、殆どコールガールの線の一歩手前にまで入り込んでいたその役柄が、実は、この作家によってその原作が58年に発表されていたことに気付いて、今更ながら、この作家の、その内面の複雑さが納得できた。
さて、カポウティが『冷血』(1965年、公式には66年発表、映画化は67年)という作品で目指そうとした「ノンフィクション・ノベル」とは、実は自己撞着である。「ノベル」とは本来的にはフィクションであり、その虚構性を捨てるとは、それは、即ち、自己否定なのである。正に、この矛盾の領域でカポウティがその創造性を賭けたのは、確かに「勇気ある」冒険ではあるが、それはまた、自己存在の意義を賭けた危険な試みであったと言えるであろう。
それ故、この作品で更に名を成したカポーティが、その後、作品を殆ど書けなくなったといのもまた肯けることなのである。そして、その創作過程が、自分に心を許す犯罪者の心理を操作しながらのものであり、場合によっては欺瞞に満ちた操作によって創作という作業が可能であったことを、この静謐で、真実を見極めようとする映画作品が暴いて見せてくれる。
筆者は、1924年にニュー・オリンズで生まれ、1984年にロス・アンジェルスで薬物中毒の結果病死したTruman Capoteトルーマン・カポウティの作品を読んだことがない。だから、その文学的、アメリカ文学史上におけるその意義についてはそれがどうなっているからは知らないし、また、言えない。
しかし、少なくとも映画『ティファニーで朝食を』(1961年作)を観た時、脚本が意外と内容が深く、その、一応ラヴ・コメディー仕立てである内容が、しかし、アメリカの知識人階層の屈折した、ある種の恥部を描きだしているところに、あの当時筆者は、中々感心したものであった。そして、このインデぺンデント映画『カポーティ』(2005年作)を観て、あの清純なヘップバーンが出ていた、殆どコールガールの線の一歩手前にまで入り込んでいたその役柄が、実は、この作家によってその原作が58年に発表されていたことに気付いて、今更ながら、この作家の、その内面の複雑さが納得できた。
さて、カポウティが『冷血』(1965年、公式には66年発表、映画化は67年)という作品で目指そうとした「ノンフィクション・ノベル」とは、実は自己撞着である。「ノベル」とは本来的にはフィクションであり、その虚構性を捨てるとは、それは、即ち、自己否定なのである。正に、この矛盾の領域でカポウティがその創造性を賭けたのは、確かに「勇気ある」冒険ではあるが、それはまた、自己存在の意義を賭けた危険な試みであったと言えるであろう。
それ故、この作品で更に名を成したカポーティが、その後、作品を殆ど書けなくなったといのもまた肯けることなのである。そして、その創作過程が、自分に心を許す犯罪者の心理を操作しながらのものであり、場合によっては欺瞞に満ちた操作によって創作という作業が可能であったことを、この静謐で、真実を見極めようとする映画作品が暴いて見せてくれる。
この点で、筆者は、監督Bennett Millerと、二人の死刑囚がカポウティ宛に書いた約40通ほどの手紙を基本的に土台として初めての脚本を書いた脚本家Dan Futtermanの、真実に向けた容赦ない態度に敬服するものである。脚本の原作は、伝記作家Gerald Clarkeが書いた、カポウティ自身が「お墨付き」を与えた『カポウティ:ある伝記』(1988年発表)である。
本作は、米国並びに英国アカデミー賞の該当年度に、作品賞、監督賞、最優秀助演女優賞(Catherine Keener)、脚本賞にノミネートされ、最優秀主演男優賞(Philip Seymour Hoffman)を受賞した。
Philip Seymour Hoffmanフィリップ=シーモア・ホフマンは、1967年にニューヨーク州で生まれた性格俳優であった。高校時代から演劇に興味を持ち、1990年代の初めから映画に出演するようになる。その後、2000年代前半までは、とりわけ、インデペンデント系の映画に出演し、批評家の目に止まる演技を見せる。
実は、ホフマンは、本作の監督ミラーと、そして脚本のファッターマンとは、高校時代からの知人・友人の関係であった。同い年のミラーとファッターマンは、中学時代からの親友で、二人は演劇に興味を抱いていた。高校になって、ある演劇のサマーキャンプに参加するが、そこで、彼らは、ホフマンと知り合いになる。
本作は、米国並びに英国アカデミー賞の該当年度に、作品賞、監督賞、最優秀助演女優賞(Catherine Keener)、脚本賞にノミネートされ、最優秀主演男優賞(Philip Seymour Hoffman)を受賞した。
Philip Seymour Hoffmanフィリップ=シーモア・ホフマンは、1967年にニューヨーク州で生まれた性格俳優であった。高校時代から演劇に興味を持ち、1990年代の初めから映画に出演するようになる。その後、2000年代前半までは、とりわけ、インデペンデント系の映画に出演し、批評家の目に止まる演技を見せる。
実は、ホフマンは、本作の監督ミラーと、そして脚本のファッターマンとは、高校時代からの知人・友人の関係であった。同い年のミラーとファッターマンは、中学時代からの親友で、二人は演劇に興味を抱いていた。高校になって、ある演劇のサマーキャンプに参加するが、そこで、彼らは、ホフマンと知り合いになる。
その後、それぞれがそれぞれの道に進むことになるが、1990年代の初めにドキュメンタリー映画を撮り、その後宣伝映画の制作に忙しくしていたミラーのところに、俳優業をしていたファッターマンが、自分が付き合っていた伝記作家のG.クラークから、上述の二人の死刑囚の、カポウティ宛の手紙を見せれら、それに触発されたファッターマンが脚本を書くことを決意し、さらに、この話を親友であるミラーに持っていく。映画制作の構想を二人が練る中で、二人は、直ぐに、カポウティ役は友人のホフマンしかないと思ったと言う。こうして、親友・友人のトリオが、本作を以って、2006年の様々な映画賞にノミネートされたり、映画賞を受賞したりすることになる。
こうして、性格俳優の座を勝ち取ったホフマンではあったが、2014年2月に麻薬・薬物の過剰服用のため急死する。薬物依存には長らく悩んでいたということで、自分が有名になった役T.カポウティと同じ運命を辿るとは、本人も思ってはいなかったであろう。享年46歳であった。黙禱
こうして、性格俳優の座を勝ち取ったホフマンではあったが、2014年2月に麻薬・薬物の過剰服用のため急死する。薬物依存には長らく悩んでいたということで、自分が有名になった役T.カポウティと同じ運命を辿るとは、本人も思ってはいなかったであろう。享年46歳であった。黙禱
2023年1月19日木曜日
ボーン・アイデンティティー(USA、2002年作)監督:ダグ・リーマン
男の「汗臭さ」を嗅ぎたい人にはお勧め
秘密諜報部員が主人公になる映画のストーリーは、大胆に二種類に分類するとすると、こうなる:
ジェームズ・ボンド映画のストーリー展開がそのひとつの典型で、敵陣に何とか潜り込み、そこで諜報活動を行い、相手方の活動を妨害または阻止するというものである。とどのつまりは、ボンドの活躍に脚光を浴びせることになる。この日向を歩くスパイに対して、言わば日陰を歩むスパイの運命を描くタイプがある。
秘密諜報組織の汚い陰謀の一つの歯車となり、その歯車は、やがてその組織に冷酷に闇から闇に葬る形で抹殺されていく。一例を挙げるとすれば、R.バートン主演の1965年の作品『寒い国から帰ったスパイ』がある。
本作もストーリー展開から言えば、後者のタイプに入り、それ自体としては目新しいものがなく、平凡とさえ言える。この作品のよさは、しかし、何と言ってもアクション映画としての「クラシック性」である。
ジェームズ・ボンド映画のストーリー展開がそのひとつの典型で、敵陣に何とか潜り込み、そこで諜報活動を行い、相手方の活動を妨害または阻止するというものである。とどのつまりは、ボンドの活躍に脚光を浴びせることになる。この日向を歩くスパイに対して、言わば日陰を歩むスパイの運命を描くタイプがある。
秘密諜報組織の汚い陰謀の一つの歯車となり、その歯車は、やがてその組織に冷酷に闇から闇に葬る形で抹殺されていく。一例を挙げるとすれば、R.バートン主演の1965年の作品『寒い国から帰ったスパイ』がある。
本作もストーリー展開から言えば、後者のタイプに入り、それ自体としては目新しいものがなく、平凡とさえ言える。この作品のよさは、しかし、何と言ってもアクション映画としての「クラシック性」である。
もちろん、この映画にも飛び道具が出てくるのではあるが、その体を使った格闘場面の迫力にこそ、この映画の真髄があると筆者は言いたい。
『マトリックス』のアクション場面は、それは観ていて圧倒感があるにはあるのであるが、何か薄っぺらで、皮のスーツの下に本物の肉体が、痛みを感じながら、格闘しているという印象が余りない。それに対して、このMatt Damonマット・デイモンが主役になっている作品では、その格闘シーンに骨が軋む「身体性」があり、主人公の、地に足を付けた存在感が観ている者に伝わってくるのである。この地味ではあるが、存在感のある演出に拍手を送りたい。この点をまた、M.デーモンが与える、アメリカ人好青年が持つ、ある種の「真面目な印象」が、よく補完しており、これまた、キャスティングの妙とも言える。
もう一つ、この作品で特筆に価するのは、カメラワークである。大写しではないが、普通の拡大度でカメラはそのシーンに入っていく。であるから、対象が画面からはみ出たりすることがあるが、それがまた、場面に緊張感を与えて中々いい。そして、これを受ける形で、場面の大胆なカットが行われる。このコンビネーションが、上述の迫力ある格闘場面を可能ならしめているのである。(蛇足であるが、初期のボンド映画では、格闘シーンにスピード感と迫力を与えるために、その場面のコマ取りを少なくするという「ずるい」手を使っている。)
こうして、この『Jason Bourneジェイソン・ボーン』シリーズの映画的骨格が出来あっがった訳である。原作者は、アメリカ人ベストセラー作家Robert Ludlumラッドラムで、彼のJ.Bourne三作シリーズがこのシリーズの原作となっている。『Jason Bourne自己同一性』(1980年作)、『Jason Bourne至高権』(1986年作)、そして、『Jason Bourne最後通牒』(1990年作)の三作である。
このシリーズには、スピンオフ作品や、M.デイモンが再度主役となる、原作にはない第四作作品があったりはするのではあるが、2004年作の第二弾を経て、シリーズ第三弾目作品(2007年作)は、2002年の第一作目を方向性を堅持し、さらにその方向性を完璧にこなしているという点で、一見の価値ありである。それが証拠には、第三弾目の作品は、米国アカデミー賞で編集賞、録音賞、音響効果賞を、英国アカデミー賞でも、同様に編集賞、音響賞を、そして、全米映画俳優組合賞でスタント賞を獲得しているのである。
『マトリックス』のアクション場面は、それは観ていて圧倒感があるにはあるのであるが、何か薄っぺらで、皮のスーツの下に本物の肉体が、痛みを感じながら、格闘しているという印象が余りない。それに対して、このMatt Damonマット・デイモンが主役になっている作品では、その格闘シーンに骨が軋む「身体性」があり、主人公の、地に足を付けた存在感が観ている者に伝わってくるのである。この地味ではあるが、存在感のある演出に拍手を送りたい。この点をまた、M.デーモンが与える、アメリカ人好青年が持つ、ある種の「真面目な印象」が、よく補完しており、これまた、キャスティングの妙とも言える。
もう一つ、この作品で特筆に価するのは、カメラワークである。大写しではないが、普通の拡大度でカメラはそのシーンに入っていく。であるから、対象が画面からはみ出たりすることがあるが、それがまた、場面に緊張感を与えて中々いい。そして、これを受ける形で、場面の大胆なカットが行われる。このコンビネーションが、上述の迫力ある格闘場面を可能ならしめているのである。(蛇足であるが、初期のボンド映画では、格闘シーンにスピード感と迫力を与えるために、その場面のコマ取りを少なくするという「ずるい」手を使っている。)
こうして、この『Jason Bourneジェイソン・ボーン』シリーズの映画的骨格が出来あっがった訳である。原作者は、アメリカ人ベストセラー作家Robert Ludlumラッドラムで、彼のJ.Bourne三作シリーズがこのシリーズの原作となっている。『Jason Bourne自己同一性』(1980年作)、『Jason Bourne至高権』(1986年作)、そして、『Jason Bourne最後通牒』(1990年作)の三作である。
このシリーズには、スピンオフ作品や、M.デイモンが再度主役となる、原作にはない第四作作品があったりはするのではあるが、2004年作の第二弾を経て、シリーズ第三弾目作品(2007年作)は、2002年の第一作目を方向性を堅持し、さらにその方向性を完璧にこなしているという点で、一見の価値ありである。それが証拠には、第三弾目の作品は、米国アカデミー賞で編集賞、録音賞、音響効果賞を、英国アカデミー賞でも、同様に編集賞、音響賞を、そして、全米映画俳優組合賞でスタント賞を獲得しているのである。
2023年1月11日水曜日
ブラックホーク・ダウン(USA、2001年作)監督:リドリー・スコット
従軍カメラマンの目で撮られたドキュメンタリー的劇映画
命からがらモガディシュー市内の戦闘区域を撤退してきたアメリカ兵十数人は、駆け足で国連軍の管理下にあるスポーツ競技場を目指していた。そのスポーツ競技場へのゲートに続く道路上、あと200メートルもあるであろうという所である。
命からがらモガディシュー市内の戦闘区域を撤退してきたアメリカ兵十数人は、駆け足で国連軍の管理下にあるスポーツ競技場を目指していた。そのスポーツ競技場へのゲートに続く道路上、あと200メートルもあるであろうという所である。
突然、煙に包まれた中から現地のソマリア人の子供達が数人、笑いながら、そしてアメリカ兵に手招きをしながら、アメリカ兵を先導するように道をいっしょに走り出てくる。この子供達の笑顔を、モガディシュー市内の前日の15時40分以降一昼夜を掛けた市街戦の「地獄」と比べると、それは何という違いであることか。
すると、道路上に、ビジネスマンなのであろう、スーツを身につけたソマリア人が携帯電話を掛けながら何か話している光景が目に入ってくる。今までの異常であるはずの戦闘状態の中に突然表出した日常的行為。しかし、それはアメリカ人の目から見た世界の捉え方であり、内戦状態の中に生きているソマリア人にとっては戦闘状態こそ「常態」であり、その常態の中で、所謂「日常的」生活もまた営まれているのである。沿道には、アメリカ兵を歓迎しているのか、揶揄しているのか、これまた現地のソマリア人達が立ち並んでアメリカのエリート兵士に手を振っている。
このソマリア人の「世界」から隔絶した世界が、実は、国連軍やアメリカ軍のベース・キャンプなのであり、駆け足で、そして疲れきって競技場のゲートをくぐりぬけた、これらアメリカ兵士を出迎えてくれたのは、パキスタン人風の軍属らしき数名で、彼らは、手にお盆を持って、「死地」から逃れてきたアメリカ兵たちにコップに入った水を差し出してくれる。何という違いであろうか。
安心感がどっと溢れ出る。この競技場は、ソマリアという「海」の中の絶海の孤島であり、植民地主義的「地上の楽園」である。こうして、二日間に亘って繰り広げられた「モガディシューの戦い」が事実上終わった。それは、本来一時間で終わるはずであった、アメリカ派遣軍の独断専行の作戦だったのであるが……。
約二時間二十分のうち二時間は戦闘場面に費やされている本作品は、その戦闘場面がまるで従軍カメラマンがその場にいて撮ったような、リアルで迫力のある作品である。ロケット弾が当たって下半身がちぎれた人体や、トラックのドアを突き破ったロケット弾が胴体に突き刺さって即死する兵士、吹き飛ばされた右足の応急処置が上手くいかず大量出血で死ぬ兵士などと、戦場の現実と真実 (「自分が殺られるか、殺られないか、自分が左右することは出来ない」) が余すところなく描かれており、「散花」した18人の(19人ではない)アメリカ兵の戦死の場面をほとんど個々に記録しようとしているかのような印象である。
一方、確かに自分の子供に撃たれて死ぬソマリア人民兵のある父親や、恐らく自分の夫であろう、その殺られた夫の銃を取って仇を討とうとするソマリア女性が撃たれるシーンなどがあることはあるが、基本的にはウンカの如くに押し寄せるソマリア人民兵が機銃掃射で次から次へとなぎ倒されていくという、かつてのベトナム戦争のベトコン兵の無名性とこれは同じレベルの表現である。この「モガディシューの戦い」で、それが、たとえ千人以上の死者をソマリア民兵の側で出したことが本当だとしてもである。結局はアメリカ人の視点で撮られている映画であることを頭に入れて見る必要があるであろう。
ところで、 この映画の製作者は、例の言語道断の駄作、安っぽいCG技術で作られた映像に彩られた、陳腐なメロドラマ・戦争映画『パール・ハーバー』の製作者である。イギリス人監督R.スコットは、あの『パール・ハーバー』の監督よりは才能があるのであろう。映画は中々よく取りまとめられており、ストーリー自体はアメリカ万歳の愛国主義映画には堕してはいない。しかし、突き詰めると、その内容は、個々の兵士の「仁義」、即ち「戦友は置き去りにしない」という極小化されたレベルのストーリーであり、この作品には、『アポカリプス・ナウ』のようなテーマの大局性の次元が欠如している。ジェノサイドの蛮行に国際連合軍が介入することの是非が語られていないのである。
登場人物の一人が映画の中で語っているように、兵隊として考えすぎないことがいいのか。つまるところは、兵隊も「父親」なのであり、「英雄」も「ウォー・ジャンキー」なども本来存在せず、兵隊とはただ戦友を助けるために戦争をしているというのか。これがこの作品のメッセージだとすれば、これでは筆者には物足りない。こう考えると、映画の最初のプラトンの箴言の、中途半端な引用が象徴的である。即ち、「戦争の終わりを見る者はただ死者のみなり」と。では、諸君考えてみよう。戦争に生き残った者はどうするべきであるのか、と。
すると、道路上に、ビジネスマンなのであろう、スーツを身につけたソマリア人が携帯電話を掛けながら何か話している光景が目に入ってくる。今までの異常であるはずの戦闘状態の中に突然表出した日常的行為。しかし、それはアメリカ人の目から見た世界の捉え方であり、内戦状態の中に生きているソマリア人にとっては戦闘状態こそ「常態」であり、その常態の中で、所謂「日常的」生活もまた営まれているのである。沿道には、アメリカ兵を歓迎しているのか、揶揄しているのか、これまた現地のソマリア人達が立ち並んでアメリカのエリート兵士に手を振っている。
このソマリア人の「世界」から隔絶した世界が、実は、国連軍やアメリカ軍のベース・キャンプなのであり、駆け足で、そして疲れきって競技場のゲートをくぐりぬけた、これらアメリカ兵士を出迎えてくれたのは、パキスタン人風の軍属らしき数名で、彼らは、手にお盆を持って、「死地」から逃れてきたアメリカ兵たちにコップに入った水を差し出してくれる。何という違いであろうか。
安心感がどっと溢れ出る。この競技場は、ソマリアという「海」の中の絶海の孤島であり、植民地主義的「地上の楽園」である。こうして、二日間に亘って繰り広げられた「モガディシューの戦い」が事実上終わった。それは、本来一時間で終わるはずであった、アメリカ派遣軍の独断専行の作戦だったのであるが……。
約二時間二十分のうち二時間は戦闘場面に費やされている本作品は、その戦闘場面がまるで従軍カメラマンがその場にいて撮ったような、リアルで迫力のある作品である。ロケット弾が当たって下半身がちぎれた人体や、トラックのドアを突き破ったロケット弾が胴体に突き刺さって即死する兵士、吹き飛ばされた右足の応急処置が上手くいかず大量出血で死ぬ兵士などと、戦場の現実と真実 (「自分が殺られるか、殺られないか、自分が左右することは出来ない」) が余すところなく描かれており、「散花」した18人の(19人ではない)アメリカ兵の戦死の場面をほとんど個々に記録しようとしているかのような印象である。
一方、確かに自分の子供に撃たれて死ぬソマリア人民兵のある父親や、恐らく自分の夫であろう、その殺られた夫の銃を取って仇を討とうとするソマリア女性が撃たれるシーンなどがあることはあるが、基本的にはウンカの如くに押し寄せるソマリア人民兵が機銃掃射で次から次へとなぎ倒されていくという、かつてのベトナム戦争のベトコン兵の無名性とこれは同じレベルの表現である。この「モガディシューの戦い」で、それが、たとえ千人以上の死者をソマリア民兵の側で出したことが本当だとしてもである。結局はアメリカ人の視点で撮られている映画であることを頭に入れて見る必要があるであろう。
ところで、 この映画の製作者は、例の言語道断の駄作、安っぽいCG技術で作られた映像に彩られた、陳腐なメロドラマ・戦争映画『パール・ハーバー』の製作者である。イギリス人監督R.スコットは、あの『パール・ハーバー』の監督よりは才能があるのであろう。映画は中々よく取りまとめられており、ストーリー自体はアメリカ万歳の愛国主義映画には堕してはいない。しかし、突き詰めると、その内容は、個々の兵士の「仁義」、即ち「戦友は置き去りにしない」という極小化されたレベルのストーリーであり、この作品には、『アポカリプス・ナウ』のようなテーマの大局性の次元が欠如している。ジェノサイドの蛮行に国際連合軍が介入することの是非が語られていないのである。
登場人物の一人が映画の中で語っているように、兵隊として考えすぎないことがいいのか。つまるところは、兵隊も「父親」なのであり、「英雄」も「ウォー・ジャンキー」なども本来存在せず、兵隊とはただ戦友を助けるために戦争をしているというのか。これがこの作品のメッセージだとすれば、これでは筆者には物足りない。こう考えると、映画の最初のプラトンの箴言の、中途半端な引用が象徴的である。即ち、「戦争の終わりを見る者はただ死者のみなり」と。では、諸君考えてみよう。戦争に生き残った者はどうするべきであるのか、と。
2023年1月9日月曜日
トワイライト~初恋~(USA、2008年)監督:キャサリン・ハードウィック
清純主義の、ヴェジタリアン・ドラキュラはお好み?
本作は、吸血鬼界と人間界とに隔断されているご両人、エドワードと、美女BellaことIsabellaイザベラの、『ロメオとジュリエット』の恋物語にもまさる、永遠(とわ)を賭けたティーニー・ラブ・ロマンスである。
吸血鬼ものとしては、本作は、内容的には別に何も目新しいものを提供するものではないが、エドワードとその、「パッチワーク」一族は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに「克己の徳」を自らに課している点で、目新しく、誠に興味深い。これは、謂わば、動物的存在が持つ「肉欲」を自制していることにもなるが、また、彼ら自身が、「ヴェジタリアン」と自称しているところに、原作者のウィットを感じるのは筆者だけであろうか。
さて、いつからか、どんな理由でかは知らないが、性の自由主義に対抗して、婚前交渉を拒みながら、結婚にゴール・インしようという「清純主義」の若者たちが2000年代から増えていたという。今もそうなのかは分からないが、この点を鑑みると、この傾向は、上述のエドワードの自己抑制の態度と似ており、実際、映画の中でも、恥じらいながらのファースト・キスの後に、むしろ積極的なベラに対して、その誘惑に負けずに自ら「Stop!」を掛けたのは、エドワードであったことも、注目に値すべき点であろう。この意味で、本作、時代の流れをうまく衝いたことが、本作のヒットの原因ではなかったかと、筆者は密かに察するものである。
スタッフの顔ぶれを見ると、本作では、女性が要所を占めているのが興味深い。まずは、監督がCatherine Hardwicke、脚本がMelissa Rosenberg、同名の原作はもちろん女性作家のStephenie Meyerである。さらに、キャスティングであるが、ツンデレ役で、好奇心の強いBella役にKristen Stewartを、どこかにインテリジェントでシャイなところを見せながらも、野性的な魅力を持つエドワード役にRobert Pattinsonを、少々「とんでる」ピッチャーのアリス役にAshley Greeneをと、その他の役柄でもその妙が冴えている。調べてみると、キャスティング担当は、Deborah AquilaとTricia Woodの女性のお二人である。
という訳で、本作、名作とは言えないまでも、その後の『トワイライト・サーガ』の礎石を築いた作品として、また、2000年代の、ある社会的傾向を反映したものとしても、映画世界史事典に取り上げるべき一項目となった作品であることには間違いないであろう。
吸血鬼ものとしては、本作は、内容的には別に何も目新しいものを提供するものではないが、エドワードとその、「パッチワーク」一族は、人間の血を吸うことを自らの意志で拒む、そして、そこに「克己の徳」を自らに課している点で、目新しく、誠に興味深い。これは、謂わば、動物的存在が持つ「肉欲」を自制していることにもなるが、また、彼ら自身が、「ヴェジタリアン」と自称しているところに、原作者のウィットを感じるのは筆者だけであろうか。
さて、いつからか、どんな理由でかは知らないが、性の自由主義に対抗して、婚前交渉を拒みながら、結婚にゴール・インしようという「清純主義」の若者たちが2000年代から増えていたという。今もそうなのかは分からないが、この点を鑑みると、この傾向は、上述のエドワードの自己抑制の態度と似ており、実際、映画の中でも、恥じらいながらのファースト・キスの後に、むしろ積極的なベラに対して、その誘惑に負けずに自ら「Stop!」を掛けたのは、エドワードであったことも、注目に値すべき点であろう。この意味で、本作、時代の流れをうまく衝いたことが、本作のヒットの原因ではなかったかと、筆者は密かに察するものである。
スタッフの顔ぶれを見ると、本作では、女性が要所を占めているのが興味深い。まずは、監督がCatherine Hardwicke、脚本がMelissa Rosenberg、同名の原作はもちろん女性作家のStephenie Meyerである。さらに、キャスティングであるが、ツンデレ役で、好奇心の強いBella役にKristen Stewartを、どこかにインテリジェントでシャイなところを見せながらも、野性的な魅力を持つエドワード役にRobert Pattinsonを、少々「とんでる」ピッチャーのアリス役にAshley Greeneをと、その他の役柄でもその妙が冴えている。調べてみると、キャスティング担当は、Deborah AquilaとTricia Woodの女性のお二人である。
という訳で、本作、名作とは言えないまでも、その後の『トワイライト・サーガ』の礎石を築いた作品として、また、2000年代の、ある社会的傾向を反映したものとしても、映画世界史事典に取り上げるべき一項目となった作品であることには間違いないであろう。
追記:
映画の中盤で、エドワードとベラとが交わす会話は、ひょっとして後世に残る名言かもしれない:
エドワード:そんなにも獅子は、子羊との恋に落ちた。
ベラ:なんてお馬鹿さんな子羊!
エドワード:なんて病に冒されたマゾヒスティックな獅子!
映画の中盤で、エドワードとベラとが交わす会話は、ひょっとして後世に残る名言かもしれない:
エドワード:そんなにも獅子は、子羊との恋に落ちた。
ベラ:なんてお馬鹿さんな子羊!
エドワード:なんて病に冒されたマゾヒスティックな獅子!
2023年1月7日土曜日
アパッチ砦(USA、1948年作)監督:ジョン・フォード
John Ford監督の古典的西部劇、一度は是非見ておきたいもの!
雄大な自然美、ぎらつく太陽、乾いた砂埃、アメリカ先住民、入植してくる白人、そして、その白人たちを護るべき騎兵隊、これらの要素を組み合わせて「西部劇」は語られる。このUSA特有のジャンル「西部劇」の古典的作品を撮ったのが J.フォード監督(1926年から40年間監督として活動)であろう。
このフォード監督が撮った、所謂「騎兵隊三部作」の一つで、1949年作の『黄色いリボン』、1950年作の『リオ・グランデの砦』の先駆けを取ったのが、本作、『アパッチ砦Fort Apache』(1948年作)である。主演は何れも、言わずと知れたJohn Wayneである。
南北戦争で恐らくは北軍義勇軍で名誉進級を遂げて「Generalジェネラル」と呼ばれたサースデイ(Thursday;Henry Fondaが、役としての傲慢さと人柄の冷たさを名演)は、南北戦後、合衆国正規軍に入り、「Lt.Col.中佐」となっていた。自らを「名将軍」と自負し、軍律と軍階級に厳格な中佐は、自分が何故フォート・アパッチの守備隊の司令官に任命されたのか理解できないでいた。スー族やシャイアン族ならまだしも、名もないアパッチ族に何故自分が当たらねばならないのか。この傲慢さが、結局は、自身の、そしてその命令に従った部下の命取りになるのであるが。
さて、アメリカ史について少し本を読んだことのある人なら、この「サースデイ中佐」が例の、無謀な功名争いの結果、1876年に第7騎兵連隊の数個中隊を壊滅に導き、自らも戦死を遂げたGeorge Armstrong Custer中佐をモデルにしていることを容易に想像できるであろう。
一方、J.ウェイン演ずるところの、Captain Yorkヨーク大尉は、サースデイ中佐の自殺行為的命令に抗議したため、中隊指揮権を剥奪され、ウェスト・ポイントの軍事アカデミーを卒業したばかりの、ほやほやのLt.二級ロイトナント、O'Rourkeオルーク少尉と供に輜重隊に回されたこのにより、この「虐殺」(James Warner Bellahの原作の題名がそうである)を辛うじて逃れえたのである。ラスト・シーンが示すとおり、数年後、連隊長に昇進したヨーク中佐は、アパッチの酋長Cochiseコチーズの後を受けて、ゲリラ戦を展開した「ジェロニモ」ことゴヤスレイの討伐戦へと出発するのであった。ストーリー的にはこれが第三作の『リオ・グランデの砦Rio Grande』につながる訳である。
アメリカ先住民に対するフォード監督の、本作での描き方は、筆者の目には制作年代の割には、ほぼ公平を保っているように見えて、好感が持てた。映画内では、騎兵隊側との会談で、アパッチの酋長コチーズに何故彼らが居留地から出て、メキシコ側に逃れたのかを滔々と語らせている。ただ、本作ではその理由が、あるアメリカ政府から商業権を得た一商人のせいにだけしているのは、さすがにフォード監督の限界であろう。現実には、アメリカ先住民からその生存権を制度的に剥奪していくのは、「偉大なる白い男」を頭に置くアメリカ政府であったのである。
最後に一言、 「英雄」伝説について。本作のラスト・シーンの直前にヨーク連隊長がジャーナリストの数人とインタヴューをする場面がある。
サースデイ中佐の戦死の理由を知っている者は、彼が真の英雄ではないことを知っている。一方、ジャーナリストたちは、逆に、その「英雄」ぶりを強調していて、連隊長とジャーナリストたちの両者の、その意識の開きを生み出させている。これによって、フォード監督は「英雄」というものは、「捏造」されるものであることを、正しくも提示している。
他方では、連隊の伝統としては、嘘でも「英雄伝説」が必要であり、その英雄のために犬死した部下たちを記憶に留める者たちも連隊の人間であると、ヨークに言わせている。その意味で、連隊、ひいては軍隊こそがTrooperたちの「家族」なのだという発想が出てくるのである。
退役する、ある騎兵大尉の悲哀を描く次作『黄色いリボン』も、この観点から言えば、ストーリーとしては当然と言えば当然の帰結でもあったのである。
この点、三作ともにイギリス人俳優Victor McLaglenが作り出した、何か「黒澤明流」を思わせる、ユーモアある軍曹像(本作では、Mulcahy軍曹役、その後の二作では、Top Sergeant乃至はSgt. Major Quinncannonあ役)に拍手を送るものである。(本作中の、新兵の乗馬訓練の、あのドタバタ喜劇的なシーンにご注目あれ!)
このフォード監督が撮った、所謂「騎兵隊三部作」の一つで、1949年作の『黄色いリボン』、1950年作の『リオ・グランデの砦』の先駆けを取ったのが、本作、『アパッチ砦Fort Apache』(1948年作)である。主演は何れも、言わずと知れたJohn Wayneである。
南北戦争で恐らくは北軍義勇軍で名誉進級を遂げて「Generalジェネラル」と呼ばれたサースデイ(Thursday;Henry Fondaが、役としての傲慢さと人柄の冷たさを名演)は、南北戦後、合衆国正規軍に入り、「Lt.Col.中佐」となっていた。自らを「名将軍」と自負し、軍律と軍階級に厳格な中佐は、自分が何故フォート・アパッチの守備隊の司令官に任命されたのか理解できないでいた。スー族やシャイアン族ならまだしも、名もないアパッチ族に何故自分が当たらねばならないのか。この傲慢さが、結局は、自身の、そしてその命令に従った部下の命取りになるのであるが。
さて、アメリカ史について少し本を読んだことのある人なら、この「サースデイ中佐」が例の、無謀な功名争いの結果、1876年に第7騎兵連隊の数個中隊を壊滅に導き、自らも戦死を遂げたGeorge Armstrong Custer中佐をモデルにしていることを容易に想像できるであろう。
一方、J.ウェイン演ずるところの、Captain Yorkヨーク大尉は、サースデイ中佐の自殺行為的命令に抗議したため、中隊指揮権を剥奪され、ウェスト・ポイントの軍事アカデミーを卒業したばかりの、ほやほやのLt.二級ロイトナント、O'Rourkeオルーク少尉と供に輜重隊に回されたこのにより、この「虐殺」(James Warner Bellahの原作の題名がそうである)を辛うじて逃れえたのである。ラスト・シーンが示すとおり、数年後、連隊長に昇進したヨーク中佐は、アパッチの酋長Cochiseコチーズの後を受けて、ゲリラ戦を展開した「ジェロニモ」ことゴヤスレイの討伐戦へと出発するのであった。ストーリー的にはこれが第三作の『リオ・グランデの砦Rio Grande』につながる訳である。
アメリカ先住民に対するフォード監督の、本作での描き方は、筆者の目には制作年代の割には、ほぼ公平を保っているように見えて、好感が持てた。映画内では、騎兵隊側との会談で、アパッチの酋長コチーズに何故彼らが居留地から出て、メキシコ側に逃れたのかを滔々と語らせている。ただ、本作ではその理由が、あるアメリカ政府から商業権を得た一商人のせいにだけしているのは、さすがにフォード監督の限界であろう。現実には、アメリカ先住民からその生存権を制度的に剥奪していくのは、「偉大なる白い男」を頭に置くアメリカ政府であったのである。
最後に一言、 「英雄」伝説について。本作のラスト・シーンの直前にヨーク連隊長がジャーナリストの数人とインタヴューをする場面がある。
サースデイ中佐の戦死の理由を知っている者は、彼が真の英雄ではないことを知っている。一方、ジャーナリストたちは、逆に、その「英雄」ぶりを強調していて、連隊長とジャーナリストたちの両者の、その意識の開きを生み出させている。これによって、フォード監督は「英雄」というものは、「捏造」されるものであることを、正しくも提示している。
他方では、連隊の伝統としては、嘘でも「英雄伝説」が必要であり、その英雄のために犬死した部下たちを記憶に留める者たちも連隊の人間であると、ヨークに言わせている。その意味で、連隊、ひいては軍隊こそがTrooperたちの「家族」なのだという発想が出てくるのである。
退役する、ある騎兵大尉の悲哀を描く次作『黄色いリボン』も、この観点から言えば、ストーリーとしては当然と言えば当然の帰結でもあったのである。
この点、三作ともにイギリス人俳優Victor McLaglenが作り出した、何か「黒澤明流」を思わせる、ユーモアある軍曹像(本作では、Mulcahy軍曹役、その後の二作では、Top Sergeant乃至はSgt. Major Quinncannonあ役)に拍手を送るものである。(本作中の、新兵の乗馬訓練の、あのドタバタ喜劇的なシーンにご注目あれ!)
2023年1月2日月曜日
バリー・リンドン(GB、USA、1975年作) 監督:スタンリー・キューブリック
名所の絵葉書の羅列では映画にはならないが、...
映画鑑賞の醍醐味とは、やはり映画館に行って、銀幕の大画面の映像美に圧倒されることであろう。この醍醐味を味あわせてくれる映画は、テレビ映画的撮影が主流となっている昨今では、中々撮られてはいない。また、CGで「捏造」された画面は、どうも薄っぺらで迫力が無い。
久しぶりに本作品を再鑑賞して、懐かしくも思い、はたまた、悲しくも思われた:何故、今節はかような映画が撮られないのかと。或いは、かような映画を撮れるような、押しの効く監督がいなくなったのかと。最近の例で言うと、イギリス人監督Christopher Nolanや同じくイギリス人監督のSam Mendesであろうか。Chr.ノーランは、2017年の作品『ダンケルク』で、35㎜版、70㎜版、IMAX版と、色々なヴァージョンで撮っており、映画作家としての映像へのこだわりを示している。また、S.メンデスは、2019年作の『1917』において、IMAXヴァージョンで、しかもノーカットで全作を撮るという快挙を成し遂げている。さすがは、伝統を重んじる大英帝国出身の映画監督たちであろうか。
本作は、意外なことに、70mmなどではなく、普通の35㎜版であるが、照明を人工の灯りではなく、18世紀の時代に合わせて、蝋燭の燈りの下で撮ろうという、N.Y.人、Stanley Kubrickのこだわりがあったことにより、とりわけ、明るいレンズ、Zeissツァイス製のレンズPlaner50mm/F0,7と、映像素材にEastmancolorとMetrocolorを使用している。また、特別の現像技術を採用し、さらに、現実とは異なり、より数多くの蝋燭を燈して、撮影したと言う。撮影監督は、イギリス人John Alcottで、キューブリックとは、『2001年宇宙の旅』、『時計仕掛けのオレンジ』(1971年作)、本作、そして、『シャイニング』(1980年作)で共作している。彼は、本作でUSAアカデミー・撮影賞を受賞した。
さて、原作は、イギリス19世紀の作家William M. Thackerayサッカレーのピカレスク小説『Barry Lyndonの備忘録』である。原作は、風刺的なウィットを効かせながら、アイルランド人Lyndon自身が自分の、場合によっては「ほら」を吹かせた「冒険譚」を一人称で語る物語りであるのに対し、映画では、ナーレーターが第三者的にLyndonの皮肉な運命を語るという展開である。
本作が、キューブリック監督の歴史物の代表作とすれば、彼には、それぞれのジャンルで「傑作」を作ろうという野望があったのかもしれない。1956年作の『現金に体を張れ』では、ドキュメンタリー・タッチのフィルム・ノワール物を、1960年作の『スパルタクス』では、古代ローマをテーマとした「サンダル」物を、 1968年作の『2001年』は言わずもがな、1971年作の『時計仕掛けのオレンジ』では、未来社会批判物を、1980年作の『シャイニング』では、ホラー物を、1987年作の『フルメタル・ジャケット』では、アメリカ人の良心的映画監督であれば一度は撮らなければならないベトナム戦争物を撮っているのである。私見、キューブリック監督作品で第一の傑作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 』は、「冷たい戦争」の愚かさを風刺物タッチで描いた作品である。制作は、冷戦中の真っ只中の1964年である。
それでは、本作のストーリーに話しを戻そう。本作の制作年1975年という時期に、約200年前の、18世紀の、ある成り上がり者が如何に成功し、没落したのかを、歴史物のパノラマとして見せることの、キューブリックの監督として、いや、映画作家としての心意気に筆者は感服した。
貴族の館やバロック庭園の、名所の絵葉書然としたものをただ羅列するだけでは、映画にはならない。17,18世紀の名画を持ってきて、それを映像化するだけでは、やはり映画作品にはならない。そこには、歴史的場面を再構成する時の、即ち、幻影を本物のように映像化する監督やキャメラマンの眼とセンスの問題がある。豪壮な館や豪奢なバロック庭園の絵葉書の下劣さに堕さないこと、巨匠の画家の名画の場面に似せながら、それでいてキッチュに流れないこと、その自己の審美眼を訓練した賜物を作品として献上できる、映画作家としての、その「誇り」に、筆者はただただ首を垂れるのみである。
蛇足ながら、このマスター・ピィースの中で惜しむらくは、ライアン・オニールの非個性的な顔立ちであろうか。そして、本作品を観ていて、聞かせられる音楽である。この物語がフランス革命勃発直前のストーリーであるとすると、キューブリックは、ロココ時代の音楽家、例えばモーツアルトなどの作品を使っているのではあるが、何故に19世紀ドイツ・ロマン派の作曲家シューベルトのピアノ三重奏(変ホ長調、op. 100)も、作中で聞こえてくるのか。これでは、どうしても音楽史的にも辻褄が合わないのである。(因みに、作中で、プロイセン軍の兵士たちが居酒屋で歌うHohenfriedberger Marschホーエンフリートベルク・マルシュは、メローディー自体は確かに18世紀のものであるが、歌詞は19世紀半ばのものであると言う。これは、果たして、音楽監修のミスか?)
映画鑑賞の醍醐味とは、やはり映画館に行って、銀幕の大画面の映像美に圧倒されることであろう。この醍醐味を味あわせてくれる映画は、テレビ映画的撮影が主流となっている昨今では、中々撮られてはいない。また、CGで「捏造」された画面は、どうも薄っぺらで迫力が無い。
久しぶりに本作品を再鑑賞して、懐かしくも思い、はたまた、悲しくも思われた:何故、今節はかような映画が撮られないのかと。或いは、かような映画を撮れるような、押しの効く監督がいなくなったのかと。最近の例で言うと、イギリス人監督Christopher Nolanや同じくイギリス人監督のSam Mendesであろうか。Chr.ノーランは、2017年の作品『ダンケルク』で、35㎜版、70㎜版、IMAX版と、色々なヴァージョンで撮っており、映画作家としての映像へのこだわりを示している。また、S.メンデスは、2019年作の『1917』において、IMAXヴァージョンで、しかもノーカットで全作を撮るという快挙を成し遂げている。さすがは、伝統を重んじる大英帝国出身の映画監督たちであろうか。
本作は、意外なことに、70mmなどではなく、普通の35㎜版であるが、照明を人工の灯りではなく、18世紀の時代に合わせて、蝋燭の燈りの下で撮ろうという、N.Y.人、Stanley Kubrickのこだわりがあったことにより、とりわけ、明るいレンズ、Zeissツァイス製のレンズPlaner50mm/F0,7と、映像素材にEastmancolorとMetrocolorを使用している。また、特別の現像技術を採用し、さらに、現実とは異なり、より数多くの蝋燭を燈して、撮影したと言う。撮影監督は、イギリス人John Alcottで、キューブリックとは、『2001年宇宙の旅』、『時計仕掛けのオレンジ』(1971年作)、本作、そして、『シャイニング』(1980年作)で共作している。彼は、本作でUSAアカデミー・撮影賞を受賞した。
さて、原作は、イギリス19世紀の作家William M. Thackerayサッカレーのピカレスク小説『Barry Lyndonの備忘録』である。原作は、風刺的なウィットを効かせながら、アイルランド人Lyndon自身が自分の、場合によっては「ほら」を吹かせた「冒険譚」を一人称で語る物語りであるのに対し、映画では、ナーレーターが第三者的にLyndonの皮肉な運命を語るという展開である。
本作が、キューブリック監督の歴史物の代表作とすれば、彼には、それぞれのジャンルで「傑作」を作ろうという野望があったのかもしれない。1956年作の『現金に体を張れ』では、ドキュメンタリー・タッチのフィルム・ノワール物を、1960年作の『スパルタクス』では、古代ローマをテーマとした「サンダル」物を、 1968年作の『2001年』は言わずもがな、1971年作の『時計仕掛けのオレンジ』では、未来社会批判物を、1980年作の『シャイニング』では、ホラー物を、1987年作の『フルメタル・ジャケット』では、アメリカ人の良心的映画監督であれば一度は撮らなければならないベトナム戦争物を撮っているのである。私見、キューブリック監督作品で第一の傑作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 』は、「冷たい戦争」の愚かさを風刺物タッチで描いた作品である。制作は、冷戦中の真っ只中の1964年である。
それでは、本作のストーリーに話しを戻そう。本作の制作年1975年という時期に、約200年前の、18世紀の、ある成り上がり者が如何に成功し、没落したのかを、歴史物のパノラマとして見せることの、キューブリックの監督として、いや、映画作家としての心意気に筆者は感服した。
貴族の館やバロック庭園の、名所の絵葉書然としたものをただ羅列するだけでは、映画にはならない。17,18世紀の名画を持ってきて、それを映像化するだけでは、やはり映画作品にはならない。そこには、歴史的場面を再構成する時の、即ち、幻影を本物のように映像化する監督やキャメラマンの眼とセンスの問題がある。豪壮な館や豪奢なバロック庭園の絵葉書の下劣さに堕さないこと、巨匠の画家の名画の場面に似せながら、それでいてキッチュに流れないこと、その自己の審美眼を訓練した賜物を作品として献上できる、映画作家としての、その「誇り」に、筆者はただただ首を垂れるのみである。
蛇足ながら、このマスター・ピィースの中で惜しむらくは、ライアン・オニールの非個性的な顔立ちであろうか。そして、本作品を観ていて、聞かせられる音楽である。この物語がフランス革命勃発直前のストーリーであるとすると、キューブリックは、ロココ時代の音楽家、例えばモーツアルトなどの作品を使っているのではあるが、何故に19世紀ドイツ・ロマン派の作曲家シューベルトのピアノ三重奏(変ホ長調、op. 100)も、作中で聞こえてくるのか。これでは、どうしても音楽史的にも辻褄が合わないのである。(因みに、作中で、プロイセン軍の兵士たちが居酒屋で歌うHohenfriedberger Marschホーエンフリートベルク・マルシュは、メローディー自体は確かに18世紀のものであるが、歌詞は19世紀半ばのものであると言う。これは、果たして、音楽監修のミスか?)
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