秘密諜報部員が主人公になる映画のストーリーは、大胆に二種類に分類するとすると、こうなる:
ジェームズ・ボンド映画のストーリー展開がそのひとつの典型で、敵陣に何とか潜り込み、そこで諜報活動を行い、相手方の活動を妨害または阻止するというものである。とどのつまりは、ボンドの活躍に脚光を浴びせることになる。この日向を歩くスパイに対して、言わば日陰を歩むスパイの運命を描くタイプがある。
秘密諜報組織の汚い陰謀の一つの歯車となり、その歯車は、やがてその組織に冷酷に闇から闇に葬る形で抹殺されていく。一例を挙げるとすれば、R.バートン主演の1965年の作品『寒い国から帰ったスパイ』がある。
本作もストーリー展開から言えば、後者のタイプに入り、それ自体としては目新しいものがなく、平凡とさえ言える。この作品のよさは、しかし、何と言ってもアクション映画としての「クラシック性」である。
ジェームズ・ボンド映画のストーリー展開がそのひとつの典型で、敵陣に何とか潜り込み、そこで諜報活動を行い、相手方の活動を妨害または阻止するというものである。とどのつまりは、ボンドの活躍に脚光を浴びせることになる。この日向を歩くスパイに対して、言わば日陰を歩むスパイの運命を描くタイプがある。
秘密諜報組織の汚い陰謀の一つの歯車となり、その歯車は、やがてその組織に冷酷に闇から闇に葬る形で抹殺されていく。一例を挙げるとすれば、R.バートン主演の1965年の作品『寒い国から帰ったスパイ』がある。
本作もストーリー展開から言えば、後者のタイプに入り、それ自体としては目新しいものがなく、平凡とさえ言える。この作品のよさは、しかし、何と言ってもアクション映画としての「クラシック性」である。
もちろん、この映画にも飛び道具が出てくるのではあるが、その体を使った格闘場面の迫力にこそ、この映画の真髄があると筆者は言いたい。
『マトリックス』のアクション場面は、それは観ていて圧倒感があるにはあるのであるが、何か薄っぺらで、皮のスーツの下に本物の肉体が、痛みを感じながら、格闘しているという印象が余りない。それに対して、このMatt Damonマット・デイモンが主役になっている作品では、その格闘シーンに骨が軋む「身体性」があり、主人公の、地に足を付けた存在感が観ている者に伝わってくるのである。この地味ではあるが、存在感のある演出に拍手を送りたい。この点をまた、M.デーモンが与える、アメリカ人好青年が持つ、ある種の「真面目な印象」が、よく補完しており、これまた、キャスティングの妙とも言える。
もう一つ、この作品で特筆に価するのは、カメラワークである。大写しではないが、普通の拡大度でカメラはそのシーンに入っていく。であるから、対象が画面からはみ出たりすることがあるが、それがまた、場面に緊張感を与えて中々いい。そして、これを受ける形で、場面の大胆なカットが行われる。このコンビネーションが、上述の迫力ある格闘場面を可能ならしめているのである。(蛇足であるが、初期のボンド映画では、格闘シーンにスピード感と迫力を与えるために、その場面のコマ取りを少なくするという「ずるい」手を使っている。)
こうして、この『Jason Bourneジェイソン・ボーン』シリーズの映画的骨格が出来あっがった訳である。原作者は、アメリカ人ベストセラー作家Robert Ludlumラッドラムで、彼のJ.Bourne三作シリーズがこのシリーズの原作となっている。『Jason Bourne自己同一性』(1980年作)、『Jason Bourne至高権』(1986年作)、そして、『Jason Bourne最後通牒』(1990年作)の三作である。
このシリーズには、スピンオフ作品や、M.デイモンが再度主役となる、原作にはない第四作作品があったりはするのではあるが、2004年作の第二弾を経て、シリーズ第三弾目作品(2007年作)は、2002年の第一作目を方向性を堅持し、さらにその方向性を完璧にこなしているという点で、一見の価値ありである。それが証拠には、第三弾目の作品は、米国アカデミー賞で編集賞、録音賞、音響効果賞を、英国アカデミー賞でも、同様に編集賞、音響賞を、そして、全米映画俳優組合賞でスタント賞を獲得しているのである。
『マトリックス』のアクション場面は、それは観ていて圧倒感があるにはあるのであるが、何か薄っぺらで、皮のスーツの下に本物の肉体が、痛みを感じながら、格闘しているという印象が余りない。それに対して、このMatt Damonマット・デイモンが主役になっている作品では、その格闘シーンに骨が軋む「身体性」があり、主人公の、地に足を付けた存在感が観ている者に伝わってくるのである。この地味ではあるが、存在感のある演出に拍手を送りたい。この点をまた、M.デーモンが与える、アメリカ人好青年が持つ、ある種の「真面目な印象」が、よく補完しており、これまた、キャスティングの妙とも言える。
もう一つ、この作品で特筆に価するのは、カメラワークである。大写しではないが、普通の拡大度でカメラはそのシーンに入っていく。であるから、対象が画面からはみ出たりすることがあるが、それがまた、場面に緊張感を与えて中々いい。そして、これを受ける形で、場面の大胆なカットが行われる。このコンビネーションが、上述の迫力ある格闘場面を可能ならしめているのである。(蛇足であるが、初期のボンド映画では、格闘シーンにスピード感と迫力を与えるために、その場面のコマ取りを少なくするという「ずるい」手を使っている。)
こうして、この『Jason Bourneジェイソン・ボーン』シリーズの映画的骨格が出来あっがった訳である。原作者は、アメリカ人ベストセラー作家Robert Ludlumラッドラムで、彼のJ.Bourne三作シリーズがこのシリーズの原作となっている。『Jason Bourne自己同一性』(1980年作)、『Jason Bourne至高権』(1986年作)、そして、『Jason Bourne最後通牒』(1990年作)の三作である。
このシリーズには、スピンオフ作品や、M.デイモンが再度主役となる、原作にはない第四作作品があったりはするのではあるが、2004年作の第二弾を経て、シリーズ第三弾目作品(2007年作)は、2002年の第一作目を方向性を堅持し、さらにその方向性を完璧にこなしているという点で、一見の価値ありである。それが証拠には、第三弾目の作品は、米国アカデミー賞で編集賞、録音賞、音響効果賞を、英国アカデミー賞でも、同様に編集賞、音響賞を、そして、全米映画俳優組合賞でスタント賞を獲得しているのである。
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