本作の原作を書いたP.Highsmithが「Claire Morgan」という別名を使って発表した小説『The Price of Salt』は、女性同士の「性的志向」をテーマとしたもので、その発表された年代である1952年を鑑みると、その内容から言い、その発表された時代と言い、当然「偽名」で出版されなれければならない小説だった。
時は正に「赤」狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れた1950年代前半、公職に就いている男性職員が同性愛であることが「バレれば」、その職場を追われるという時代だったのである。発表当時既にかなりの反響があった、この小説を書いた本人が、ほぼ40年経った1990年に『Carol』と題名を変え、当時の「偽名」を今度はP.Highsmithの名前で再公表したのである。時代の変遷と言ってしまえばそれまでであるが、その変遷のためにどれだけの人間たちがそのために闘ってきたのかを思うと、考えさせらるものがある。
そういう1950年代の時代の制約があればこそ、また、禁断の「罪」を犯すハードルが高ければ高いほど、それを求める「憧憬」は強くなるものでもある。監督のTodd Haynesは、脚本家と共に原作にほぼ忠実にストーリーを追う。但し、テレ-ズがキャロルに接触を取るのは、キャロルが人形ではなく、鉄道模型をクリスマスのプレゼントに買った際に、革の手袋を玩具売り場に忘れていったからであり、また、テレーズは、舞台美術の方面ではなく、女性カメラマンとして自己実現を遂げる意図を持っており、実際にNYタイムズでその意図が満たされる手前まで行っていた点が、原作と異なる点であろう。
丁寧な時代考証(美術監督はJesse Rosenthal)、時代の雰囲気を的確に醸し出す楽曲選択、更に、美しくも切ない映像(撮影はEdward Lachman;映像素材は、スーパー16㎜コダック・フィルム)、どれを取っても、監督Todd Haynesは、この甘美な映画的世界を再現している。監督は、既に2002年に『エデンより彼方に』で、1950年代後半の社会的・人種的偏見を乗り越えた人間同士の触れ合いのあるべき姿を謳った作品を世に問うており、その意味でも的確な仕事をしていると言える。本作は、1950年代のレトロ・タッチで、見ごたえのある映画的世界を久しぶりに堪能したい方には必見の作品である。
米国アカデミー賞6部門でノミネートされた本作は、カンヌ国際映画祭で、テレーズ役を演じたRooney Maraルーニー・マーラが女優賞を獲得した。彼女の、小柄な顔の作り、知的な眼、鼻筋から両端に、少々太めであるが、すっと伸びた眉毛が、極めて印象的であり、これらが、また、金髪のCate Blanchettと好対照をなして、蓋し、適切な配役である。
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