筆者は、1924年にニュー・オリンズで生まれ、1984年にロス・アンジェルスで薬物中毒の結果病死したTruman Capoteトルーマン・カポウティの作品を読んだことがない。だから、その文学的、アメリカ文学史上におけるその意義についてはそれがどうなっているからは知らないし、また、言えない。
しかし、少なくとも映画『ティファニーで朝食を』(1961年作)を観た時、脚本が意外と内容が深く、その、一応ラヴ・コメディー仕立てである内容が、しかし、アメリカの知識人階層の屈折した、ある種の恥部を描きだしているところに、あの当時筆者は、中々感心したものであった。そして、このインデぺンデント映画『カポーティ』(2005年作)を観て、あの清純なヘップバーンが出ていた、殆どコールガールの線の一歩手前にまで入り込んでいたその役柄が、実は、この作家によってその原作が58年に発表されていたことに気付いて、今更ながら、この作家の、その内面の複雑さが納得できた。
さて、カポウティが『冷血』(1965年、公式には66年発表、映画化は67年)という作品で目指そうとした「ノンフィクション・ノベル」とは、実は自己撞着である。「ノベル」とは本来的にはフィクションであり、その虚構性を捨てるとは、それは、即ち、自己否定なのである。正に、この矛盾の領域でカポウティがその創造性を賭けたのは、確かに「勇気ある」冒険ではあるが、それはまた、自己存在の意義を賭けた危険な試みであったと言えるであろう。
それ故、この作品で更に名を成したカポーティが、その後、作品を殆ど書けなくなったといのもまた肯けることなのである。そして、その創作過程が、自分に心を許す犯罪者の心理を操作しながらのものであり、場合によっては欺瞞に満ちた操作によって創作という作業が可能であったことを、この静謐で、真実を見極めようとする映画作品が暴いて見せてくれる。
この点で、筆者は、監督Bennett Millerと、二人の死刑囚がカポウティ宛に書いた約40通ほどの手紙を基本的に土台として初めての脚本を書いた脚本家Dan Futtermanの、真実に向けた容赦ない態度に敬服するものである。脚本の原作は、伝記作家Gerald Clarkeが書いた、カポウティ自身が「お墨付き」を与えた『カポウティ:ある伝記』(1988年発表)である。
本作は、米国並びに英国アカデミー賞の該当年度に、作品賞、監督賞、最優秀助演女優賞(Catherine Keener)、脚本賞にノミネートされ、最優秀主演男優賞(Philip Seymour Hoffman)を受賞した。
Philip Seymour Hoffmanフィリップ=シーモア・ホフマンは、1967年にニューヨーク州で生まれた性格俳優であった。高校時代から演劇に興味を持ち、1990年代の初めから映画に出演するようになる。その後、2000年代前半までは、とりわけ、インデペンデント系の映画に出演し、批評家の目に止まる演技を見せる。
実は、ホフマンは、本作の監督ミラーと、そして脚本のファッターマンとは、高校時代からの知人・友人の関係であった。同い年のミラーとファッターマンは、中学時代からの親友で、二人は演劇に興味を抱いていた。高校になって、ある演劇のサマーキャンプに参加するが、そこで、彼らは、ホフマンと知り合いになる。
本作は、米国並びに英国アカデミー賞の該当年度に、作品賞、監督賞、最優秀助演女優賞(Catherine Keener)、脚本賞にノミネートされ、最優秀主演男優賞(Philip Seymour Hoffman)を受賞した。
Philip Seymour Hoffmanフィリップ=シーモア・ホフマンは、1967年にニューヨーク州で生まれた性格俳優であった。高校時代から演劇に興味を持ち、1990年代の初めから映画に出演するようになる。その後、2000年代前半までは、とりわけ、インデペンデント系の映画に出演し、批評家の目に止まる演技を見せる。
実は、ホフマンは、本作の監督ミラーと、そして脚本のファッターマンとは、高校時代からの知人・友人の関係であった。同い年のミラーとファッターマンは、中学時代からの親友で、二人は演劇に興味を抱いていた。高校になって、ある演劇のサマーキャンプに参加するが、そこで、彼らは、ホフマンと知り合いになる。
その後、それぞれがそれぞれの道に進むことになるが、1990年代の初めにドキュメンタリー映画を撮り、その後宣伝映画の制作に忙しくしていたミラーのところに、俳優業をしていたファッターマンが、自分が付き合っていた伝記作家のG.クラークから、上述の二人の死刑囚の、カポウティ宛の手紙を見せれら、それに触発されたファッターマンが脚本を書くことを決意し、さらに、この話を親友であるミラーに持っていく。映画制作の構想を二人が練る中で、二人は、直ぐに、カポウティ役は友人のホフマンしかないと思ったと言う。こうして、親友・友人のトリオが、本作を以って、2006年の様々な映画賞にノミネートされたり、映画賞を受賞したりすることになる。
こうして、性格俳優の座を勝ち取ったホフマンではあったが、2014年2月に麻薬・薬物の過剰服用のため急死する。薬物依存には長らく悩んでいたということで、自分が有名になった役T.カポウティと同じ運命を辿るとは、本人も思ってはいなかったであろう。享年46歳であった。黙禱
こうして、性格俳優の座を勝ち取ったホフマンではあったが、2014年2月に麻薬・薬物の過剰服用のため急死する。薬物依存には長らく悩んでいたということで、自分が有名になった役T.カポウティと同じ運命を辿るとは、本人も思ってはいなかったであろう。享年46歳であった。黙禱
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